黒バス_38

 
※光が消えたとなれば影の争奪戦は必須です。
※そして皆が皆似ているようでいて違う思惑を抱えているという…それがキセキ。
※赤司さんだけはブレてません。
※そんな赤黒。
 
 
 

【PDF版】<<※作製は未定です>>

 
 
 
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連環エンドロール

 
 
 
「まったく、迷子にも程があるだろう?」
 じゃあ、と言って氷室は紫原という巨体を引き摺って体育館から出ていく。引き摺られていく方は承服していないような顔つきでぼりぼりと菓子を食べていた。
 黒子は暫く手を振って二人の後ろ姿を見送ってから、頭を下げた。
 振り返った紫原はむすっとした顔つきで手をひらひらと振った、結局何も言わなかった、のっそりと体育館に姿を見せてから彼はずっとそうだったのだ。黒子がボールをパスすると受け取り、黒子にパスし返す。言葉の代わりみたいにそういうことを繰り返していた。
「……」
 ボールを二回ほど弾ませる、いつもは当たり前のように耳にしている音もよく響いて聞こえる。
 火神を見送った日、黒子はカントクに頭を下げた。
———一日だけ、一人きりで体育館を使わせてください。
 カントクは暫く考えてから口を開く。いいぜ、と先に言ってくれたのは部長と、先輩達の方だった。やりたいこととやらなければならないことが沢山あるのだから絶対に無理はしないこと、と条件を付けてカントクも了承してくれた。
 だから黒子は休日の午後という貴重な時間に体育館を独り占めしている。
 誠凛バスケ部一同は、表面的には火神を笑顔で送り出せたという達成感と、今後を双肩に負った厳粛さを浮かべてはいたものの、誰の目から見てもそれは張りぼてであり、実際は今にもはち切れそうな寂しさと空疎さに打ち拉がれているのを覆い隠しているのが分かっていた。メッキが剥がれないように必死だった、そして相棒役を務めた黒子を思い遣った。エースの消失、頼りがいのあるセンターの不在、これが逆境というのならばきっとそうなのだろう、けれどもバスケをする、練習は変わらないメニューをこなし、弛まず、日常のルーティンとして行う。———それ以外に一体何をしろっていうんだ?
 ネットの真新しいバスケットゴールを見上げる。
 卒業生を送り出したことがない自分達はただ、永遠でもないサヨナラに慣れていないだけなのだ。
 がむしゃらに走って、シュートを繰り返して、頭にちらつく光を出来るだけ思い出さないようにする。だって気を抜いたら自分は彼にパスを出してしまうから、そういうのをきっと自己嫌悪してしまうのだろうから。
「こんちゃース」
 あんっという元気な声と共にステージ側のドアから二号を抱いた高尾が顔を覗かせた。
「あれ? ほんと誰もいないね。こいつここに置いていいの?」
「高尾君…」
 ててててと二号は軽快に歩いて黒子の元へやって来る。さあ、何をしますか、と振った尾が問うてくる。
「しみったれた顔をしている」
 違う入り口から姿を見せたのは緑間だ、彼は眼鏡のブリッジを押しあげると重箱でも包んだような風呂敷包みを突き出した。
「……?」
 分からなすぎて黒子は引く。
「食え。蕎麦だ、今日のみずがめ座のラッキーアイテムなのだよ」
「コンビニでないところが真ちゃんのこだわり」
 高尾が肩を竦ませて笑う。
「え」
 蕎麦の出前など頼んでいないし食欲もない、ものすごく困る。
「いいから、目の前で食え」
「ここでというのはちょっと…」
 二号を抱き上げる。困るのに断ると黒子はきっぱり言えない、「手を洗ってこい、食ってからでなければ何事も話にならん」と緑間はこちらの発言を無視してはすたすたと黒子を過ぎ、壇上に包みを置いた。
「真ちゃーん、なんかじじくさいんだけど」
 高尾は苦笑してから、黒子を見た。
「老舗の名店ってのでもないけど卵焼きというサービス付きなんだぜ、コレが」
「なら尚更、悪いです」
 言うと、高尾は意地悪く嗤う。目は笑ってなかった。
「本気でそう思ってんの?」
「……」
「黒子はさー、自分の価値を一番よく知ってんじゃねーの?」
 明らかに含みのある高尾の言葉に黒子は緑間を振り返った。彼はこちらを見向きもせず風呂敷包みを解き、黙々とソバを手繰る用意をしている。
「いっつもワケ分かんない真ちゃんが、またしても面白いことをやるってそんだけ。オレ達は面倒に付き合わされればいつもと同じ」
「それは…」
 緑間は何かを携えて誠凛にやって来たのだろうか、いや、明らかに下駄を預けられているのだ、だからやって来た。合同練習の話だろうか、けれどもそれならカントクを通すはずだ。それにタイミングが早すぎる。練習はともかく、あの試合の後でインターバルを置いてチームでの調整をしてからの方がいいと思うし、誠凛にとってエースの抜けは痛いからウィンターカップの準備のためにもまずは新しいチーム作りだろう。
「……」
 冷やかしや暇潰しでは決してない、けれど何をしに来たのかと問うてもきっと緑間は答えない。
「多分当たってるけど言わない方がいいぜ? どーせ、飯食ってないんだろ?」
 黒子の胸の内を知ってか知らずか高尾は制しておいて澄ました顔だ。敢えて余計なことを差し挟まずにいるのだから、乗るしかないのか。
「はあ」
 景虎の指導の下、選抜として集まったときに彼らとは食事なども一緒だったから、黒子の少食ぶりは驚かれたものだ、というか、比較対象が誰も大食いすぎるのだ。赤司ですら品良く結構な量を平然と平らげていた。そういう意味でも気が重たくなる。
「…影は薄いし、考えてることも分からない、アンドロイドかって、あと、ほっとくとメシも食わずに動いている感じに見えてたって火神が白状した」
 高尾が素っ気なく言う。
「火神君が?」
 火神、という言葉に二号は反応する。あちらを向き、こちらに首を捻り、それでも彼がいないので、小さく吠えてぴょこんと腕の中から飛び出す。しょうがないから探してきますとでもいうようだった。
「二号」
 火神は二号とちゃんと『お別れ』が出来たのか黒子は知らない。けれどもまだ二号は幼いから身の内に理解出来ず、火神のことを覚えている限り探すのだろう、稚い子犬は見付からない火神を諦めてしまうのだろうか、すぐに忘れてしまうのだろうか。仕方ないこととはいえ、それは切ないような気がした。
 早くしろ、と緑間が癇を立てる、黒子と高尾は足を動かした。油っぽい匂いが鼻先にまで分かるようになって、それで黒子の腹は空腹を思い出したようになる。
「ここのかき揚げ安いわりに旨ぇの」
「ていうか、この達磨の風呂敷って」
 緑間はがさがさと袋の底から箸を取り出すと当たり前という顔をして「蟹座のラッキーアイテムだ」と答える。袋入りのお持ち帰り蕎麦セットを彼はラッキーアイテムで包んできたらしい。
「オレ、とり天〜」
「おい、貴様ら手を洗えと言ったろう」
「まあまあ」
 黒子は緑間と高尾とで車座になる。プラステッィク容器のざる蕎麦に揚げ物が同じ数ずつ並んでいた、奇妙な感じもしたが、ぴったりな人数分を用意する理由もなんとなしに察せられた。しかも割り箸にはおしぼりまで付いている。
「隠れていないでお前も来るのだよ、黄瀬。だが、お前の分はない」
 緑間が静かに言う。
「なんでスパイに来たってのにソバ啜んなきゃいけないんスか…」
「黄瀬君」
 紫原に始まって今日は千客万来だ。桃井が全員に『黒子、ここにあり』と一斉メールでも送ったのだろうか。うん、もうこれはそうに違いない。
「何の用ですか」
「何って…」
 黄瀬はぱたぱたとスリッパの音を立てながらゆっくりとやって来る。
「黒子っちをむぎゅっとしに」
 本気とも冗談ともつかないことを真顔で言う。
「あと青峰っちに勝利宣言とか」
 強調するように勿体をつけ、こちらは強気だ。黒子は、はあ、と蕎麦を啜った。空腹なこともあってか、馨しい蕎麦の匂いが口に広がり、揚げ物もさくりと軽く、確かに美味だ。
「すること多いんスよー、オレ」
 言って、壇上に上がらずに寄り掛かる。
「青峰君は知りませんが、キミの『むぎゅ』は気持ちだけで」
 呟くようにしか出せなかった、すっきりと清算させ、沈み込ませていた気持ちが、食べていると自分の中でまぜこぜになり、何かの弾みで現れそうになるからだ。火神ときたら、あんな怖そうな風体なのに男泣きに泣いて、崩されそうになった黒子はどれほどの演技力を要したことか。
 つんとくるこれはわさびのせいだ。
「切り替えなきゃチームに迷惑がかかりますから」
 自分の感情を押し殺し、半身を深く沈めたようにして、火神を振り向き、震えが残るような声を出した。半身分の力全ては拳に、それだけだ。
 何て眩い日々だったのかと懐かしむほど黒子は出来てなくて、むしろ毎日を惜しむくらいで。
「知ってる」
 黄瀬は嘯くように続ける。
「青峰っちのときからオレは見てるから」
「そうは思えませんでしたけど」
 声が硬くなるのが分かる。わさびに唐辛子を入れられたようなものだ。高尾はふーん、と口を挟まず黙っている緑間に視線を向けている。
「黒子っちがバスケを嫌ってたくらいだし、…まあ、オレもみんなもどっか冷めてたスけどね」
「ナニソレなんか全員が反抗期みたいな」
 ほんの二三年前の思い出に交わらない高尾は外側から至極まっとうな感想をぶち込んでくれる。そうだ、あれはもう過去のことで、自分達はそれぞれの道を歩いている。
「まだ反抗期なら、とりあえずウケるけどオレ困るわ、真ちゃん」
 笑い半分ではあったけど後半がすでに楽しそうじゃない。
「黒子もなの?」
 そして、オブラートなしだ。彼らしい。緑間が箸の並行を保ったままそちらを無言で睨んでいた。
「逆らうとか考えもしませんでした」
 ソバを手繰りながら適当な言葉を探した、視界を狭め、自分の窪みに勝手に落ちていたような感じがする。
「…そういう余裕もなかったというか」
「暗い顔でソバ啜るのやめない? もう昔のことなんだし」
 腕を組んだ黄瀬が気まずいような顔でこちらを見ている、元からこんな顔です、と返してやった。
「蒸し返したの黄瀬じゃん」
「そーなんスけど、オレとしてはもっとカッコ良く…」
「お前の都合など端から聞いていないのだよ」
 緑間はさながら一家の団欒をぶち壊された主然としている、彼は彼で勝手自由なことをしていると思うのだけど黒子は何も言わないことにして、かき揚げを囓る。明らかに気を遣われているからである。
「おい、テツ」いんのか?
 のたのたとやってくる人影が現れ、気怠い声が聞こえてくる。
「違うでしょ、『こんにちは』からでしょ。お邪魔しまーす、テツくーん」
 示し合わせたものなのかどうか黒子は知らないが、青峰と桃井も来た。ぶはっと高尾が吹き出す。
「てか多すぎじゃね?」
 その通りだ。
 
 
 
 こちらに背を向けて洗い物をしている姿はやっぱり肩幅が狭くて華奢に思える、けれど言えば睨まれてしまうから言わない。彼は一人だった。
「黒子」
 赤司が悠然と歩み寄っても平然としている黒子である、彼は驚きもしない。振り向いて赤司の姿を認めると蛇口を閉め、雑巾を絞る。
「言いたいことは多分にありますが…」
 水気を切ってから置く、肩に掛けたタオルで手を拭きながら表情はともかく、内部の感情を処理しきれないようなぎくしゃくした声は愉快だった。
「皆、悪気はないんだ」
 赤司が言うとこめかみを掻く、まるで恥を隠すかのように。
「キミ相手にどうしてだとか、そういう状況説明抜きなのはもう諦めますけど」
 まあ赤司は全員でないにしろ、キセキと呼ばれた面々が揃っていることくらいは分かっていた、なんだかんだで飛行機まで見送ってしまったのだし、頃合い的にもちょうど良いはずなのだから。
 黒子はみんなは体育館の中ですよ、と教えてくれる。足音やボールの弾む音が響いて聞こえるから遊んでいるようだ。他校という遠慮は彼らにはなく、誠凛の選手達は黒子にホームを預けて他の場所でトレーニングでもしているのだろう。
「火神がいなくなって、お前の抱える喪失感を思うといてもたってもいられないんだ。余計で無意味と分かっていてもな」
「……知ってます」
 さあ、と両手を僅かに広げて赤司は相手を迎え入れる準備をしてみせる。
「わさびにカラシであっても別に何をしに来たわけでもないんですよね、みんな」
「何だそれは?」
 黒子はちょっとした譬えです、と首を横に振る。
「でもたとえ、ボクが寂しさに一人枕を涙で濡らしたとしても、それは単なる感傷で、火神君はここにいないというだけですから」
 黒子は少し考えるようにすると風の吹いてくる方を見遣りながら静かに言った。それは強がりとは言わないか、とは敢えて返さない。
「? どうかしたんですか?」
 そして赤司を不思議そうに見る。どうもしない、待っているだけだ。
「みっともなく泣いて、泣いて、ボクらは淋しくて、物足りなさを感じているんです。でも、きっと慣れていく。離れていくことと送り出すことの違いを知って、傷にもならない、ボクはそんな別れ方を覚えたんです」
 だから、とひたりと視線を合わせてきた相手の目には力があった。
「キミが抱えるものとはケタが違います」
 広げた腕は初めからないものと彼はばっさりと捨て去ったらしい。そういうガードの堅さは実に好ましくもあったりするのだが自分には不要として良いだろうに。
「というか、火神君がぐしゃぐしゃに泣いてくれたお陰で、ボク、妙に落ち着いたというか、逆に頭が冷えてしまいまして」
「……」
「ちょっとはぼんやりしそうにはなりますが、踏ん切りはついていたりするんです。君達が思うより」
「『思うより』」
 ただ繰り返すしかない。いや、彼のメンタルが己を凌駕するほどの強靱さというのは判ってはいるのだが、…否、やはり読み違えていた。
「後になった話を赤司君はしていませんよ?」
 なし崩しに対キセキというゲームになりましたから、と黒子はやわらかく笑ってみせる。
「……」
 藪蛇と言うべきか。
 黒子は惚けたような顔をして、じっくり観察しているのだ、そうなのだ。自分の中で着地したような、消えたようなあれのことは言葉足らずだったらしい、何にも知らないような振りをして彼は寄ろうとする。関心を持たない相手なら当然黒子はこのように躙り寄ったりしない。
「ちょうど良かったです」
 こちらに舵を切られて嬉しい半面、ぴったりな位置であろうこの肩を借りてくれてもとも思う。
「これからじっくり付き合っていきましょう」
 お手柔らかに、と赤司は念じつつあらぬ方を見、軽く咳払いをする。
「…宜しく頼む」
 広げた腕は虚しく落ち、代わりに黒子の方がどんと来いとばかりに両手を広げてくれた。弱みを見せようとしないどころか、こちらの方を気遣うとは痛み入る。そうだ、まだ自分達は甘え合う間柄にはなれていない。
 愛おしさはさておき、恥じらいも何もかもがこれからで。
 
 
 
 携帯電話を手に黒子は体育館に戻り、相田リコカントクに報告する。
「紫原君は無理ですけど、赤司君と黄瀬君は練習中に顔を出すって言ってくれました」
「そ? ありがとう、黒子君」助かるわ。
 カントクは労うように手を振ってみせてから忙しくタブレットを操作していた。
「…あれ? 赤司君も?」
 改めて黒子を見る。彼女の疑問は尤もで、いくら祝日とはいえ、まだ近距離の黄瀬ならともかく、京都にいるはずの赤司がどうしてと考えてしまうのだろう。誠凛だって朝から一日練習となっていて、他校のチームも様々の予定こそあれ、休みだとは思っていない。
「はい」
 黒子は頷く、赤司は用でもあったらしく、丁度良いとか言っていた。
「ふうん…」
「桐皇はどうしますか? 緑間君は代金請求しに来ると思いますけど」
「代金? ま、…じゃあ、送るのは紫原君だけでいいのね? 桐皇ならあの娘がいるし、問題ないわ。メールも送ってあるし…」
「何の話?」
「ジャバウォックとの試合の映像よ、編集とか終わったから。中継用のカメラアングルとフルコートのを二種類なんだけど、ワイプとか邪魔よね。フルコートは未編集だって」
 伊月の問いに答えながらも彼女の視線はタブレットだった。何かを探しているらしい。
「練習が終わったら観るやつか」
「そう。使わないにしてもやっぱりそれぞれのチームに渡した方がフェアだし、記念にってものあるんだろうけどパパがね」
 あの感動をもう一度、という雰囲気ではなかった、あの後の試合まで目に焼き付いており、空気すら手に近いほどの距離に感じられる。だからこそ監督は終わった試合を巻き戻して見返すことについて、感傷ではなく、冷静さと見据えるビジョンを喚起しようとしているのだ、今更な感想は要らない、それが判らないほどチームのメンバーは鈍くない。気を引き締めようとして、観るのである。
 カントクはしばらく黙ってスクロールを繰り返してからタブレットを仕舞う。小花が散り、ハートが飛ぶ可愛らしい柄のケースはお世辞でもなく彼女に似合っている。ヘタレ揃いのメンバー達は気軽に誰が選んだのかも訊けずにいる、空気を読まずに褒めそうな木吉もいないのでそこは宙ぶらりんだ。とはいえそんな気が利かない男達を前に彼女もそれを求めていないせいか気にもせず、ちょうど良い時間だとばかりに顔を上げて時間を確認すると元気よくホイッスルを吹いた。
「インターバル終わりっ! 次行くわよ」
「うっす!」
 同じく元気の良い二号の声がする。風を通すためドアは開け放っている、日射しの入り方や風の向き、季節はゆっくりだが移ろうとしている、ウィンターカップが迫ってくる。意識しているわけではないが、周囲にならってきちんと今を追って行くこと、それは大事だ。たとえ、外から聞いたことがあるような声が聞こえるけれどそれは気のせいだろう、誰もが思っていた。
「ち、ちわす」
 空のボトルを流しに持って行こうとしていた日向主将はそのまま固まった。
「……」
 伊月の手から落下したボールはてんてんてんと転がり、遊び道具を探していた二号に捕らえられた。
「火神?」
 ホイッスルを手にしたままカントクはぽかんとしており、黒子も姿を確かめ、その足下に落ちた影を見て本物だとただ唖然としていた。
「あー。ドモっす。メールとか電話とかして話すより来た方が早いんで…」
「早いって…そういう問題?」
 聡明かつ賢明なカントクは眉を顰める。
「どうしたんだよ? まさか来て早々帰されたってんじゃないだろうな?」
「いくら何でも…」
 場が静かにざわつく、当たり前である。送ったばっかりなのに! と、誰もがパニックムービーの観客のようにどきどきとハラハラを同居させていた。後者は何? 何かやらかしたの? 火神。といった不安ゆえだ。
「や…」
 火神は否定するように手を振りかけ、その手で顎の下を掻いた。それは日向の言葉を肯定するような素振りにも見え、短気なキャプテンはイラっとしたように眼鏡を持ち上げる。
「オレ次第、っす」
「はあ?」
「お前まさか、あっち行ってすぐに怪我したとか…」
「いきなり戦力外って!」
 見たところは変わっていない様子だが、それだけに悪いことしか想像できない。
「火神君、それもしかして…」
 黒子は挙手しながら言ってみる、実は気になっていた。あの夏の日以来、言いづらさも感じたし、火神は避けたがるように短い話しかしなかったから触れていなかったのだが。
「手続きとか色々と怠ってたんじゃないですか?」
「う」
 図星らしい。一同があー、とやや低めの声を上げた。いかにも火神がしでかしそうなことで、呆れているような、嘆いているような、残念さにがっくりしつつも出来の悪い弟がやっちゃったという苦笑にも似た軽さをも含んでいる。
「怪我なワケないかー」
「行ったばっかだもんなー」
 降旗達は安心したように話すが、そこではない。
「アメリカの学校ってもっとフラットかと思ってたけど…」
 小金井の呟きは火神がそのフラット感代表みたいな言い方だ。
「それぞれだろ」
 伊月が冷静に応え、同じように水戸部が頷いている。
「準備不足って……バカなの?」
 日向は〝ダァホ〟の最初の一文字すら言えないほどになっているようで、カントクは辛辣だ。正しいのだが。
「いや、そもそもアレックス経由だし、向こうのチームにも話通ってんで、パスポートでどうにかなると思ったんだけど、時期が合わなくて学校手続きの書類とか足んないって」
 火神は口を尖らせて言い募る、自分だけが悪いのではないと訴えたいらしい。いやいや、そこは疑問持とうよ、とさり気なく降旗が全員の思いを代弁してくれる。
「アレックスも日本の教育システムは知らねーって言うし、結局揃えなきゃなんなくて…」
 悪いのは食い違う両国のシステムなのだ、よって自分は被害者である、と本人は言いたいらしい。カントクは両手を腰に当てると溜息を吐いた。
「……ほんとバカなのね」
「先生に相談とかしなかったのか?」
 伊月がフォローのつもりだろう、訊いてくる。火神は首を横に振った。
「いや。行きますっつたらぽかんとされたけど」
 フォローしようがない。ていうか、火神込みであれを見返すのか? と複雑な思いすらあったりする。
「……」
 カントクは眉間を揉みながら長い溜息を吐く。それだけで風通しが良いはずの体育館の空気は重たくなった。黒子はカントクやチームメイト、そして火神とを交互に見てから口にする。
「火神君て、そういうとこ抜けてますよね」
「抜けてるって!」
「褒めてませんから」
「解るっての!」
「で、いつまでいられるって?」
 黒子を向いていた火神はびくっと肩を強張らせてカントクを振り返る。
「今月いっぱい…っす」
 武田先生に訊いとけばよかった、とカントクは小さく嘆くとびしっと指を突きつける。
「生徒会役員としてプレップスクールの認識が甘かった! それは認める」
「あ、え…」
 火神は既に腰が引けている。
「わかったわ。調べて学校からの書類は先生に頼んでおく。交換留学くらいしか知らないし、火神君、語学力だけは問題ないと知ってたからそれで終わりって思い込んでたの。外国人が参入するのには英語の審査書類と身元の証明が必要なのよね?」
「たぶん…ハイ」
 何気なく酷いことも織り込まれているのだが口を挟む者は誰もいない。そこは正しいと思っているのでしようはずもなかった。
「今何時?」
「じゅうじじゅう…」
「学生課の証明が来週になっちゃう。英訳しなきゃだろうから…えっと、今日中に問い合わせしておいて、メールの文書を作らないとで…」
 カントクはふいに生徒の代表たる生徒会役員の顔つきになり、間に合うとか何だのとぶつぶつと言い出す。そういう機転の早さは赤司ともなんだか似ている。
「あの」
「今度はきっちり送ってやるわよ! 覚悟しなさい、NCAA!」
「いや、まだトライア…」
「心置きなく行って貰うわよ、火神君」
「…ス」
 すっかり気圧されている。
 これで何があっても退路は断たれたというわけだ、火神は何があろうと前を向くしかない。
「で、お前、向こうは平日だろうが今日が祝日って知ってるよな?」
 日向が眼鏡を押し上げながら問うてくる。
「え?…あ…」
 黒子は叱りたいような、笑いたいような気分になり、みんなも同じなんだろうな、と思う。コートではあんなに頼もしいのに、後手で迂闊で、あまりにも火神である。
「学校は休みだ、ダァホ!」
 まず連絡しろ、と調子を戻した主将がボールをぶつける。
「す、スマセン…」
「他の部活もあるし、先生は多い方だとは思うけど、事務室って空いてたかしら…」
「うちの担任なら来てたぞ」
 先輩達の話を聞くにつけ、火神は今更に事の大きさに気付いたような顔で恐縮しきりだ。
「…あ。お役所関係のものがあったら黒子君が教えてあげてね」
「はい」
 最上級の餞だと黒子は思いながら二号が火神に歩み寄るのを見ていた。
 
 
 
———『強引なやり方だと相手は警戒して上手くいきません。焦らず穏やかに進めましょう』
 何を? といった疑問はおくことにして、本日の蟹座は八位だそうだ。星座は十二なのだから相対的に見て普通よりもややアンラッキーな方と言える、そしてこういうとき、運気修正アイテムがものをいうのである。
 と、これは緑間の弁だ、高尾には補正したってやっぱ下から数えた方が早いのはそこそこ大人しくした方がまだいんじゃないの? と思うのだが、無難に一日をやり過ごそうとしないのが人事を尽くさんとする緑間真太郎なのである。
 彼の本日のラッキーアイテムはずばり〝DVD〟なのだそうだ。
「・・・・・」
 まるで感動の再会ではなかった。当たり前である、誠凛のメンバーですら感傷の欠片もない。
 緑間が黒子からのメールを読み、高尾を引っ立てて誠凛へやって来たとき、すでに体育館には制服姿の青峰と桃井がいた。それだけではなかった。
「どうして火神がいるのだ…?」
 高尾は笑い上戸ではあるが理由を聞き、笑えずに呆れた。ラインを見事に越えられたからだ。
「みどりん、今日のラッキーアイテム可愛いね〜」
 桃井は気難しい顔の緑間が小脇に抱えている枕を見て言った。青峰と火神はシューズ無しで一対一に興じ、職員室に行っているという女子監督も不在、誠凛チームは個人練習などをしているようだった。桃井が目を留めたのは形と色のせいだろう、昼寝用の枕だそうだが羊を象った形をしておりヌイグルミのようでもある、高尾は見た瞬間吹き出したのだが、どうして持っているのかは聞いていない。でもって、彼の顔に似つかわしくない本日の幸運はDVDにあり、枕にはない。
「これは高尾のだ」
「高尾君の?」
「は? いや…?」
 あんま考えたくなかったよ、それ。
 このようなものは所持していないと精一杯の主張を込めて高尾は手と頭を振った、趣味じゃないし、知らないって。やや激しく、罪でも逃れようとするかのようだと自分でも思ったけど、違うから。
「お前のラッキーアイテムなのだよ。黒子に関わるとろくなことがないからな」
「ええー…」
 こっちの余計なぶんは保険ともいう、だが保険も役には立っていないようである。そもそも頼んでもいない。最強の運を背負っているのは何座なのだか高尾は知らない。
「ヒドイ言われようです」
 水瓶座ではないようだ。背後にぬっと現れた黒子は無表情にショックだとも続ける。
「DVDを割ってしまいたくなるくらいに」
「割るな。わざわざ取りに来てやったのだぞ」
 今日、緑間がきらりとする円盤に拘るのは分かるのだけれど、そういう冗談マジやめて黒子。
「……」
「カントクもすぐ戻ると思います、黄瀬君も着く頃には渡せるかと」
 桐皇の女子マネ、桃井はにこにこと「きーちゃんもかー」と言いながら黒子の横に並ぶ。彼女が黒子に対して熱視線を向けているのは知っているが、黒子の方はさっぱり見えないままである。見失ったりしないし、悄気ているとかくらいなら高尾も察せるのだが、いつだってガードが堅く、真ちゃん並みに鈍いわけではないよな、と考えないこともない。
「火神君の件で変に時間が空いてしまいました。緑間君も高尾君もマメを作らない程度に三対三とかしませんか?」
「え、いーの?」誠凛の誰か入れて?
 気を回してなのか良いこと言う、高尾は言いながら手首を回し始める。面白そうなことは好物である。
「はい。後輩がそわそわしているので付き合って貰えると」
 バスケットシューズではない人間によく言う、と緑間はヒネた口答えをするが、どっこい、バスケは靴でするものではなく、ゴールとボールがあれば他はなくともシュートは打てるということも知っている。身体に差し支えがない程度でなど無理な話だろう、少なくともジャージ姿でもない青峰と火神はテンションを上げているようだった。
「へー」
 するとハンデは服装、シューズのアリナシくらいとなる。高尾は火神と青峰を見遣り、そしてむすっとした顔で突っ立っている件の後輩らしき長身を見る。
「あと、空気変えないとあの二人は加減を知りません」
「ナルホド」
 無制限でフルコートを何往復もしかねない、火神は始末と手続きのために戻ってきたのだと言うから、済めばすぐに渡米し直すのだろう、火神とは『大会』という機会はない、互いにやり合える環境は整えなければ遠いということを肌で解っているだけに彼らは靴下で踏むなとか蹴るなとか罵り合いながら走るのだ。分かる。
「でもでも、テツ君、青峰君ちょっと悪い顔になってるから聞かなそう…」
 音とネットを揺らす間隔が早くなってきた。
「火神君と足の皮剥けろ大会でもしたいんでしょうか」
 黒子もさらりと応じている。聞かない人間に注意する気はないということなんだろう、分かってる。
「……」
「では誠凛の後輩君、あの二人を止めてみたまえ」
 高尾は黒子の背後にいた一年らしき長身に軽口を叩いてみる。だが声はやや真剣になってしまった、楽しそうにスピードを速めている二人の熱量は火花すら見えそうになっているからだ。後輩も流石に黒子のというべきか、無表情に一言でつっ返してくれる。
「無理す」
「——あ」
 空気を無視してでも割り込むべき黒子はといえば、呑気な顔でポケットを触る。誰からか連絡があったらしい、断ってから取り出した携帯電話に視線を落としていた。
「誰?」
「黄瀬君です」
「ここに来るんだよね? きーちゃんがメールって珍しい気がするなー」
 高尾と後輩は同じタイミングで緑間を振り向いた。止めなければ試合は出来ない、だから〝さっさと二人のコレ終わらせてくんない?〟というサインを発しつつ。
「おい…」
 DVDへ道のりは容易くないのだ、自分しかいないのか、と察したようで緑間は眼鏡のブリッジを押しあげてから転がっていたボールを拾い上げる。とりあえず安全に二人を止めるのはボールなり、ゴールなりを封じることだ。
———ガッ…
「あ」
 高尾が短く声を発したのと同時に縺れ合っていた二人の姿と浮かんでいたボールが、まるで反発し合った磁石のように弾けて落下した。床に尻餅をついた火神と青峰は肩で息をしている、ぽかんとした顔つきはどこか夢から覚めたかのようだった。
「こら、火神と青峰。遊ぶくらいならいいだろうが、シューズなしで滑りでもしたらどうする」
「……」
 絶好の位置と、回転で弾き合うボールの軌道は見事の一言で、高尾は見とれるくらいだった。ボールと二人の動きとスピードを予測しなければ無理だ。
 転がったボールは跳ねて、一つは黒子の足元へ、もう一つは壁にバウンドして赤司の手元だった。
「やあ、黒子。相田監督はどうしたんだい?」
 ヒートアップする一対一を問答無用でシャットダウンさせた大物はしれっと言った。
 
 
 
「赤司君」
 火神は物言いたそうにのろりと身体を起こし、青峰は小さく舌打ちをしている。体育館中の視線を一身に受けようとも赤司は至って平然としていた。そして火神のことは視界には入れているが、訝りもせず相手にもしていないような素振りだ。
「高尾に…桃井もか、なかなか揃っているね」
 赤司はゆっくりと歩み寄ってくると緑間にも目顔で挨拶をする。
「はい。緑間君達もそうなんですが…」
 黒子は手短に渡す予定のDVDはここにはなく、所持する相田監督は、火神が手続きのために戻り、揃えるべき必要書類などについて相談するために職員室へ向かっているのだと説明した。誠凛バスケ部は繰り上げ昼休みの最中で、言われてみれば確かに体育館は人も減り、雑談の声と食べ物の匂いがどこからともなくしていた。
「すみません、DVDは勝手に渡すわけにもいかないので」
 赤司は鷹揚に頷いてみせる。緑間とてそこまでせっかちに求める気はない。
「オレは予定よりも早く来れたし、時間については構わないよ。それに…もし、あちらと連絡を取るというのなら時差もあるから手間取るだろうな」
「そうなんですか?」
「ああ、単に一学生の単独留学としても、学校対応だけでは限界があるからね。国によっても違いはあるのだろうし、スタッフもどこまでしてくれるか分からない、彼女は出来る限りの用意をしようとしているんじゃないかな。手続きついでにコーディネーターを探しているとか…」
「赤司君、詳しいね」
 桃井が両手で口元を覆いながら感嘆の声をあげる、赤司は以前に生徒会で似たようなことを頼まれたことがあるから、と謙遜気味に応えていた。
「話が通るのと通らないのとでは扱いが違うだろうからな。バスケをしたいなら面倒でも口約束ではなく、条件を揃え、筋道は通していくべきだよ」
「そうですね…」
 と、黒子はちらりと面倒をてんで視野に入れていなかったらしい火神を見、呟く。
「……」
 青峰はむすっとした顔で赤司の話を聞いている。
「でもって? そんなでDVDはまだ待ちなんだよな?」
 高尾は確かめるような口調で言った。あくまでもさっぱりと、そこには飽いたり、詰るような色合いはない。
「結局は誰も黒子をチームにスカウトしろとか言われてもしたくないわけだし」
 軽すぎるきらいはあるが愚かでもないし、無駄なところまで読み取れる高尾はまあチームメンバーとしても悪くない、だが言わなくていいことまで言う。
「は?」
 黒子は首を横に捻る。汗を拭きながら横にやってきた火神は驚いたように眉を持ち上げ、黒子と目を見合わせた。
「お前…そうなのか?」
「いえ、火神君の不在を気にして見に来てはくれましたけど」
「そこまでお人好しじゃねーだろ、キセキは」
 高尾は苦笑いを浮かべつつ緑間を見る。目が責めているでもないが、黒子というプレーヤーの特異さは希少性が高いだけに密かに注目もされやすく、チームから水を向けられ、下駄を預けられと、わざわざやって来る。チームはチームでもう関わりはないなどと口では言いながらも、うごうごと寄っては誰もが牽制し合ってしまうのも否定は出来ない。先日の試合で真っ向から不要と切り捨てるには惜しい、と痛感しているのは他でもなく自分達なのである。
 このままでは足りない。
 腐らせるのも癪に障る。影が、光を失って、呆気なく自分達の闘いの中から滑落していくのも緑間は許し難い。
 ぱん、と高尾が手を叩く。
「黒子の次の相棒オーディションやらね?」火神もいるわけだし。
 そんな良いこと思いついたみたいに言うな。
「はァ?」
 青峰が気怠そうではあるが声をあげる。桃井は言い出した高尾と青峰とを交互に見遣り、目をぱちぱちとさせてから、黒子の手を握った。
「テツ君、青峰君が勝ったらずっと一緒にいられるの…?」
 冷静になれ、桃井。
「…無理す」
 表情が薄めの後輩はぼそりと言い、それは違う、困るから、とばかりに黒子を見、火神と高尾を睨む。
「時間もあるし」
 軽快な口調で続けられる、余興にしてもどうなのか。もはや頭が痛い。
「……」
 緑間は何を馬鹿げたことをと眉間を揉むしかないのであるが、黒子は仕方がないとばかりに息を吐いただけで受け入れているようだった。
「カントクが戻るまでですよ」
 時計を見上げながら答える。
「おい、黒子…」
「普通の三対三です、緑間君が嫌なら無理にとは言いませんけど。まあ服装などのハンデはありますが、それでも火神君と青峰君は抜かせる気なんてないでしょうから、彼に見せておきたいんです」
 黒子は、高尾の思いつきなど端から流しており、要は後輩のためにと考えているらしい。
「参加しないのなら緑間君、タイマーをお願いできますか?」
 そして誰か呼んできます、と走って行く。ころがるようでもないが子犬のテツヤ二号がその後を追っていた。
「……」
 急に迅速な行動になるうえ、まるで好戦的でもない物言いが挑発的で気に入らない。
 火神に向かって不敵なことを口走ったらしく、後輩は火神と青峰にじとっと見られている。高尾が愉快そうにそれを見ていた、緑間は羊枕と渡されたストップウォッチを桃井に手渡す。
「みどりん、やるの?」
「ハンデも通用しないという力の差を教えるべきだからな」
 上着を脱いで答えると桃井は、笑う。
「きーちゃんの残念そうな顔が目に浮かぶなあ」
「赤司もだろう?」
 緑間は赤司を振り返る、赤司は姿を見せたときと同じく涼しい顔をしている。
「赤司?」
 相手はいいや、と応え、黒子が話しながら他のメンバーを連れてくるのをゆったりと待っている。
「オレは枠が違うから」
「〝枠〟?」
 意味が分からない。
 黒子は誠凛の二人を火神達の輪に加えると後輩と短い会話をし、緑間と赤司を振り返った。赤司は余裕たっぷりにそんな黒子を眺めており、桃井はにこにこと緑間の背中を押し出す。のろのろと歩いて行くと高尾が後輩の肩を抱き、
「真ちゃん、オレ、コイツと組みたい」
「高尾さん、まだチーム決まってないス」
 後輩もどこか打ち解けているようでもある。火神は一人、呆然と「マジで? 黒子の相棒オーディション?」と出遅れたことを呟いて青峰達に諦めろと声を掛けられていた。
「赤司君は?」
 黒子が動かないでいる赤司に問い掛けてくる。声は弾んでおり、表情も蕎麦を食わせたときよりもずっと明るく見えた。
「黒子、昼食はまだだろう? 差し入れを持ってきたんだ。一緒に食べよう」
「え?」
 赤司は手を伸ばす。
「それからならオレは三対三どころかいくらでも黒子とバスケが出来るが?」
「……」
「実はお前の好物ととてもよく合いそうなサンドイッチなんだ」大丈夫だろうか。
 黒子はびくんと肩を強張らせる。緑間が好んで汁粉を手にしてしまうように黒子もバニラシェイクに向いてしまうのは知っている。
「これが栄養バランスもぴったりで」
 赤司はどこに隠し持っていたのか、紙袋を掲げる、知っているのか桃井があっと悲鳴にも似た声をあげた。
「あ。いただきます」
 即答だった。
「ダメ、あんなの…赤司君、狡い…」
 受けて青峰の顔が険しく歪む。
「そうなのか? さつき」
「うわ、最凶なのが最強なの出してきてる」
 ちらりとその紙袋からはみ出ているストローの存在に気付くと高尾は仰け反るように呻き、誠凛の二人も沈痛な面持ちで頷き合い、後輩の肩に手を置く。
「ほとんど勝ち目ないぞ」
「ここは引いた方が賢明だ」
「…あ、ハイ」
 少なくとも後輩は火神よりも素直なようである。
「え? 何? 何でそーなってんだよ?」
 恐らく火神と緑間だけが分かっていなかったのだろう、置き去りにされたような気分で実に不愉快になったのだが、黒子は吸い寄せられるように赤司の元へ進み(蕎麦とはてんで比べものにならない態度だ)、三対三はそれなりに行われた。
 そして、DVDを所持するところの女性監督は電車の事故遅延とやらで遅れた黄瀬とほぼ同時に登場し、蟹座のラッキーアイテムは午後になってやっと入手となったのである。それまで試合をし続け、緑間としては騙されたような気がしてならない、自分としては穏やかに焦りもしなかった、どっこい八位とはつくづく曖昧な順位である。
「…まー、真ちゃんが焦ろうが、やっぱ黒子は頑固っつーか頑丈なくらいだったからねー」
 日がもう傾きかけている。三ヶ月前のラッキーアイテム、風鈴をちりんちりん鳴らしながら高尾は自転車を漕いでいる。虫の集きに控えめに澄んだ高音は涼やかを通り越して物悲しいくらいである。
「煩いのだよ」
「とか言って誠凛以外の選択肢なくてホッとしたっしょ?」
「するものか。火神がいなければ優勝しなかったのは確かだろうが、始めから黒子はそんな理由で誠凛を選んだのではないのだからな」
「……だねえ」
 まだ力は及ばないが、厄介そうな後輩はいて、チームは緩やかに変わろうとしている。とどのつまりは黄瀬も青峰も赤司も黒子とそのチームを確認しに来たに過ぎない。それを分かっていたから誠凛も寛容だったのだろう。
「赤司は余裕ぶっこいているみたいだけどさー」
「そういえばお前の戯言に〝枠が違う〟とか言っていたな」
 高尾は暫く黙って
「…あ、そなの」
 笑いもせず応える。そしてそれ以上は触れようともせず、何も言わなかった。
 
 
 
 その後、緑間は赤司の差し入れたそのサンドイッチが船場で有名な洋食店の東京支店オリジナルのもので、リピーター続出の要予約、更に数日の予約待ちという代物であることを知った。と、いうのも、『おは朝』の占いカウントダウンの前のコーナーで取り上げられていたからだ。
 まさかあれで黒子を釣ろうとしていたなどとは思わないが、予約待ちの高級品を持ってまであの赤司がDVDを受け取るためとはいえ誠凛を訪れるなど考えれば妙な話だ。
 そこは永遠に解らなくて良いから、と高尾は手を振って笑う。
 更に、そのサンドイッチについては話を知った紫原が赤司に抗議したそうである、それには少し驚いた。
 
 
 
 
 

171105 なおと

 
 
 
 
 
 
 

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拍手を付け足したものです。
円盤が出るまではとは思っていましたが、時間が掛かってしまいました。
いやー時間って流れるの早いなあ(しれっと誤魔化してませんか)。
 
火神は迂闊であって欲しいのと、ずっと黒子っちの相棒で〝光〟というのは願うところです。
がため、赤司さんにとっては〝枠が違う〟という…。ソコジャナイ、的な。
『Last Game』はぴったりなエンドマークがついた話だなと思いつつ、だけど黒子っちが心配にもなるなあ、と。
物語は主人公のためにあるわけではないのか、と実はちょっとバッサリ感に驚きました。

劇場版公開中に思いついたわけですが、あれやこれやで数ヶ月…。
考えたときの方向性は緑間視点ではなかったのですが、言いたいことが出せたのでいいです。
申し訳ないけどみどりんて鈍いぶん、叙情的でないというか、単なる記述でしかなくなってしまいそうなやりにくさが…。