A burnt pain

 もう今更(?)なのですが、まだ燐がサタンの息子だと判る前の頃の話です。
 雪男が「兄さんを守る」って決めてる気持ちって、多分こんな風にぐるぐるしてるんじゃないかなと…。
 そして、やっと自分的には「雪燐」ぽい話になったかな、と思っています。
 そして、食い物関係じゃない!(笑)
 
 道具とか、悪魔に対する効果とか、原作だとまだまだこれからなんで、凄い嘘を一杯出してます。生温くスルーして頂ければ…。(そう言うの書かなければいいんじゃないかと…)
 

【PDF版】A burnt pain

 
 
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「出てけ!」
 雪男の怒鳴り声が古びた漆喰の壁に響いた。雪男の大きな声に、クロと燐が流石にびくりとする。
 ことの起こりはこの午後のこと。
 暑いから涼しくなるものを、と燐が作ったツナと野菜と薬味がどっさり入ったサラダうどんを平らげた兄弟は、久しぶりにのんびりと週末の午後を過ごすことにした。
 そこで雪男は、広い集会室を使って自分の道具の手入れをしようと思い立ったのだ。正十字学園の旧高等部男子寮には、幸いなことに雪男と燐しか住んでいない。集会室だろうがどこの部屋だろうが、好きに使い放題だ。現に、雪男は部屋に入りきらない自分の道具類や在庫を別の部屋に置いている。
 集会室にあった長テーブルを合わせて島を幾つか作ると、雪男は自分の持っている道具を在庫も合わせて広げた。しばらく講師の仕事や依頼、そして兄の突飛な行動に振り回されて、なかなか手をつけられなかったのだ。今日で一気に片付けてしまうつもりだった。
 すべての窓を開け放った集会場は、寮を取り囲む木々が送り出す涼しい風が吹き込んでいる。室内にはテーブルの島に山並みが出現していた。あるテーブルには、魔除薬《ワクチン》や治療薬が入ったアンプルを収めた箱が、幾つも積まれている。別のテーブルには、手榴弾風に加工した聖水の缶が綺麗に並べられて、さらに聖水入りの段ボールが控えていた。弾丸を収めた箱は、聖銀弾、麻酔弾、特殊弾など三つのテーブルに渡って、種類別に積み上げられて一際大きい山脈を形作っている。
 他にも薬品類、加工前の薬草、加工用の道具類や空き容器。さらに軟膏、塗布薬、経口薬などが纏められて、テーブルに乗せられている。
 これらをすべて雪男は埃を払い、用途、使用期限別に整理し、磨くべきものには磨きをかけた。更に在庫のリストを作り上げる。夜には表計算ソフトで作った在庫帳簿に入力してしまい、足りないものがないか、在庫過多になっている所がないかもチェックしておくつもりだった。今ざっと見たところでは、薬草類に少し余剰が出てしまっている。悪魔薬学の実習で用意した薬草だったが、余裕を見たのが余ってしまったのだ。虫がつく前に、エタノールか植物油に漬け込んでしまわなければ、と雪男はメモを書き込む。
 一つ溜息を吐いて、窓際のテーブルを眺めた。そこにはいつも使っている道具を入れているベルトや銃のホルダーが並んでいる。革製のそれらは、すでに手入れ用の油でピカピカに磨きあげられていた。祓魔師になってからの数年の間に、徐々に柔らかく馴染み、落としきれない汚れや傷が幾つもついて、良い感じに育ってきているのが雪男の自慢だった。茶色から艶のある深い飴色に変色してきた愛用のベルトたちを見つめて満足気な笑みを浮かべた。
「さて、やってしまおう」
 そう呟いて雪男は本日の大物、銃の手入れに取り掛かった。
「なんだこりゃ!お前スゲー色々持ってんだな」
 燐が集会場の有様に呆れたような声を出す。余りに暇だったのか、お茶にかこつけて雪男の様子を見に来たのだろう。どうせ雪男の目がないのを良いことに、ジャン●SQでも読んでいたに違いない。そんな時間があるなら、少しは勉強して欲しいものだ。
「兄さん」
 燐の声に雪男が顔を上げて、瞬時に不安を覚える。燐の顔がわくわくして輝いているのだ。
 <すごい!いろんなものいっぱい!>
 直接クロが喋るのを聞いたことはないが、恐らくこんな所だろう。燐の肩に乗ったクロも、興味津々で興奮している様子だ。二股に分かれたしっぽをもの凄い勢いで振り回している。そのしっぽの先が、燐の後頭部をべしべしと叩いていた。
 こんな状態の二人を好き勝手にさせたら、大変なことになる。
 ――冗談じゃない!
「クロもだけど、兄さんが触ったら危ないものもあるんだから、入って来ちゃダメだよ」
 グリースと汚れのついた手を拭って、カップとお菓子を受け取った雪男が警告する。
「何だよ、かてーこと言うなって」
「固いんじゃなくて、心配してるんだけどね」
 燐が間違って聖銀弾にでも触ったら、と思うとぞっとする。ここにあるものは、人を救う道具だが、同時に悪魔を倒す道具でもあるのだ。
 猫又《ケット・シー》はまだ致死節が解明されていない悪魔だ。しかも聖薬系も無効。なにが害になるか判らないが、クロは本能的にそういうモノを避けてくれる可能性が高い。だから、一番心配なのは燐なのだ。倒される属性を持っているクセに、知識のない状態でうろちょろして欲しくなかった。
「信用ねーな」
「信用できたことがあったと?」
「ちぇー、わーった、わーった。見てるだけなら良いだろ?」
「クロにもちゃんと注意しておいてよ」
「大丈夫だって」
 燐が胸を叩いて見せるが、雪男は「信用出来るか!」とツッコミたい気持ちで一杯だった。
 いや、むしろ一回くらい痛い目に遭った方が良いのか?危ないものは体で覚えた方が早いし…。などと少し不穏なことを考えながら、雪男は燐の運んできたカフェオレを啜った。
 燐に任せておくと、コーヒーは甘くて薄目のカフェオレになる。雪男はどちらかと言うとブラックが好みなのだ。文句を言うと「ガキがブラックなんか飲むんじゃねー」と言うが、単に兄の味覚が子供なだけだと思う。
「お。銃バラバラじゃねーかよ」
 ローテーブルの上に新聞紙といらない布を広げて、いつも使っている銃を分解していたのだ。汚れを取り、グリースをつけて、調整を行うつもりだ。
 お前ちゃんと元にもどせんのかー?燐がからかうように言うが、こちらこそ何を言うのかと言いたい。
「自分の道具なんだから、当たり前だろ」
 燐の運んできたクッキーを、汚れの少なそうな指で摘んで口に放り込む。小気味良い音をたてて、クッキーがほろりと崩れた。
「ん?兄さんが作ったクッキーじゃない…?」
「あ、忘れてた。朴《ぱく》と神木《かみき》が来てるんだ。それ、朴の土産」
「はあ?」
「朴がお前に合宿ン時の礼を言いてーんだってよ」
「な…!なんでそれを先に言わないんだよ!待たせっぱなしなの?」
 幾ら何でも客をもてなす態度ではない。
「いや、そこに来てるぜ」
 燐が集会室の入り口を指す。
「え…?」
 雪男が慌てて入り口を見ると、部屋の中を興味津々で覗き込む朴朔子《ぱくのりこ》と神木出雲《かみきいずも》の姿があった。
「すいません、いきなり」
 朴が申し訳なさそうに言う。出雲も少し遠慮がちに会釈する。
「こ…、こちらこそ。散らかってるところに兄が案内してしまって」
 慌てて手を振りながら、何かマズイ発言をしていないだろうか、と冷や汗を掻きながら思い返す。大丈夫だと思うが、後は突っ込まれたら気合いで気のせいだと押し切るしかない。
「兄さん、ここより食堂の方が良いんじゃない?」
 促すように燐に問う。いやむしろ、そっちへ移ろう、と言う言外の催促だったのだが、燐は気持ち良いくらいに無視した。
「別にいーだろ?普段のお前が何してんのか、キョーミあるって言うから」
「それでもここは、お客さんを通す場所じゃないよ」
 それに雪男も他人様に会う格好をしていない。汚れるのを見越したよれよれのシャツに、着古したぼろぼろのジャージ。油や汚れが染み着いた作業エプロン、汗止めにタオルをねじり鉢巻にし、足元は素足にサンダルと言う、物凄くだらしない格好だ。格好に構わない兄じゃあるまいし、雪男としてはこんな格好でいる所を見られるのは勘弁して欲しかった。何の前触れも、気遣いもなく案内してきた兄が心底憎たらしい。
「今日はお礼を言いに来ただけなので。私たちすぐに失礼しますから。合宿の時は本当に有り難うございました」
 朴と出雲が揃って頭を下げる。
「いえいえ。お礼なんて。むしろこちらの方こそ、危ない目に遭わせてしまって、申し訳ありませんでした」
 雪男が慌ててねじり鉢巻を取りながら頭を下げる。
 夏前に候補生《エクスワイア》対策の合宿が、雪男と燐しか住んでいないこの寮で行われた。その際、朴は寮に入り込んだ中級悪魔、屍番犬《ナベリウス》に襲われて怪我を負ったのだ。
「それにしても、傷もすっかり治ったみたいで良かったです」
 雪男の安堵したような言葉に、朴が出雲に確かめるように見やる。教室で他の塾生たちにキツイ言葉を浴びせる姿とは打って変わって、出雲は朴を励ますように微笑みながらうなずいた。
「あのー、奥村先生。少し拝見しても良いですか?祓魔師《エクソシスト》がどんな道具を持っているかなんて、普段はあまり見られませんから」
 まぁ、この量はどう考えても凄すぎですけど。出雲がちょっと呆れたように言うのに、雪男は苦笑いするしかなかった。
 雪男は竜騎士《ドラグーン》と医工騎士《ドクター》の称号《マイスター》を持つ祓魔師だ。
 銃火器で戦う竜騎士《ドラグーン》は、当然予備の弾丸を携行する。場合によっては、通常使用する聖銀弾と平行して特殊弾使うこともあるため、自然と荷物が多くなる。
 一方の医工騎士も予防、治療薬などの荷物を持ち歩く資格だ。
 雪男元来の、万全を期したい性格の上に、資格の特性上荷物が多くなるのはどうしようもなかった。
「朴、いこ」
 朴と出雲が散らかったテーブルの島に漂っていく。
「なんか科学の実験道具みたいだね、出雲ちゃん」
 朴が感心したように、薬草や加工器具類を見ている。
「薬草の加工もするようになると、こういう道具も必要なのねー…」
 長テーブルの上に置かれた、加工前の薬草類、ビーカー、アルコールランプ。乳鉢やたくさんの茶色のガラス瓶。精製水やエタノール、よく判らない薬品類。薬草などを漬けたガラスの容器などの大量の品を見て、出雲が呆れたような、感心したようなどっちとも取れない感想を漏らす。
「こっちは魔除薬《ワクチン》?こんなにたくさん…?」
「こんなに一杯つけて走り回るんだから、奥村先生凄いね」
「ドクターの資格だけなら、先生みたいなベルトは使わないんでしょうけどね。直接戦う資格もあるとね…」
「あ、そうか。そうだよね」
 今は祓魔塾を辞めてしまったとは言え、朴も合宿までは一緒に祓魔師《エクソシスト》のための勉強をしていた。ある程度の知識はまだ覚えているようだった。
 雪男は銃の手入れに戻りながら、朴と出雲の会話を聞くともなしに耳を傾ける。特に出雲は祓魔塾の中でも努力家の上に優秀で、教師冥利に尽きるところだ。燐には是非とも見習って欲しい所だ。
 その兄は何をしているのか、と目を転じると磨いたばかりのベルトを着けて喜んでいる。クロの方は、聖水の手榴弾を入れておく革のケースにじゃれついていた。養父がクロのために作った『マタタビ酒』を入れていたものだ。まだ匂いが残っているのかも知れない。
 触らない、って言ったのキレイサッパリ忘れてるなー…。雪男はため息を吐く。
「へへへっ、似合うか?」
「あははは、似合う似合う」
 朴が手を叩いて喜ぶ。
「ホントかっ!?」
「へー、お相撲さんの化粧廻しみたーい」
 出雲が淡々と言う。いつもの、全く感情がこもっていないと言うか、一発でバカにされているのが判る口調だ。朴に対する態度と随分違う。
「な、なんだよ、その言い方!」
「い、出雲ちゃんたらー」
「なによ、本当の事でしょ。アンタにはちょっと丈が長いのよ。それにアンタ騎士《ナイト》を目指してるんでしょ?刀を振り回すのに、そのベルトじゃ、邪魔になっちゃうじゃない」
 その通りだ。雪男のベルトには、注射針がセットされたアンプルを差しておけるケースがエプロンのように下がっている。それも通常の長さでは満足できず、継ぎ足してあるのだ。雪男よりも背の低い燐では、膝の長さまでかかってしまって、歩くのも大変そうだ。
「う…、そ、そうか…」
 たちまち燐がしょんぼりとする。似合うとか、似合わないとかの単純な感想を言って欲しかったのだろう。実用面を考慮したダメ出しをされるとは予想もしていなかったに違いない。
「お?何だよ?」
 クロが燐を呼んでいるらしい。燐は着けていたベルトを外すと、無造作に机に置いた。その無頓着さに苛立ちを覚える。
 雪男がどういう意図を持って机に置いていたのか、燐はさっぱり判ってない。油で磨いた革は少し乾かしておいた方が良い。だから重ならないように、きちんと並べて置いたのだ。それが今はテーブルからずり落ちそうになっている。
 クロがじゃれかかっていたケースも後で磨き直さなければならないだろう。きっと涎とか爪の跡とかが付いてるに違いなかった。
 汚れを落とすブラシが思わず滑る。兄の行動への苛立ちで、丁寧に磨かなければならない銃の手入れに身が入らなくなってきているのだ。雪男は冷静になろうと深呼吸を繰り返した。雪男の意図するところを理解しろ、とは言わないがもう少し気を配って欲しいものだ。
 燐が弾丸の一つを手に取って、しげしげと眺めている。朴も出雲も一緒に見ていた。
「なんだコレ?」
「銀…じゃない…?これって…」
 雪男は燐が手にしているものを見て慌てる。
「兄さん!それは水銀弾だよ!割れたら危ないから!」
「だーいじょうぶだって、割ったりしねーよ」
 そう言うことを心配しているのではない。水銀そのものを普通の人間が触るのも危ないが、特にそれは聖別されているのだ。悪魔が触れれば、皮膚を食い破り、肉を焼き骨を溶かしてしまう。そんな状態になったら、燐が悪魔だとバレてしまうではないか。イヤ、そもそもそんな傷を負った燐が元に戻るのか、どうしたら治せるのか、雪男にも判らなかった。だからこそ、余計に悪魔がそんなに軽々しく触るな、と言いたかった。
 だいたい自覚が足りないんだよ、兄さんは!出雲達がいなければ、そう怒鳴って居たところだ。
「…それがどういうモノか、授業でやっただろ?」
「そーだっけ…?」
 遠まわしにそれがどんなに危険なものかを指示しようとしたが、結局覚えてなくてこれである。なんと教え甲斐のない生徒だろう。他の先生たちの苦労が偲ばれる。ついでに誰かに雪男自身の苦労も偲んで欲しかった。
「水銀弾は、正確には水銀と銀の合金《アマルガム》を聖別したもの。悪魔に触れれば、皮膚を破って体内にまで入り込むので、かなり高位の悪魔でも確実にダメージを与えることの出来る武器です」
 出雲がスラスラと特性を上げる。
「液体の状態では、悪魔に投げつけても防御されてしまうデメリットがあります。また水銀そのものの有毒性から、火気のあるところや人に降り懸かる可能性のある所では使用できません。一方弾丸状であれば、当たれば確実にダメージを与えられます」
 ま、当たればですけど。説明を終えた出雲が一息つく。
「すごいよ、出雲ちゃん!」
 出雲の完璧な回答に朴が手放しで賞賛する。祓魔塾一と言っても過言ではない彼女の優秀さに、雪男も思わず拍手してしまう。
「あ…、あったり前でしょ。コレくらい、祓魔師《エクソシスト》になろうとするなら常識よ!」
「す、スゲーな、オマエ」
「アンタねぇ!凄いとか言ってる場合?つい昨日やった所じゃない!こんな程度も覚えてなくて、よく『本気で祓魔師になるんだ』とか言えるわね」
「う、なんで怒鳴るんだよ…」
 出雲の舌鋒には燐もたじたじだ。
「兄さん、今の神木さんの説明を聞いただろ。そう言う危険なものには触らない」
「わーったよ!」
 燐がテーブルに水銀弾を置くと同時に、騒々しい音を立てて、テーブルの上にあった弾丸の山が崩れた。箱がつぶれ、弾丸がばら撒かれる。その散らばった一面の弾丸を踏みしめて、マタタビの香りで酔っぱらったらしいクロが立っていた。
「クロ、オマエなにやってんだ」
 燐の問いかけに、うなぁ~と答える。クロは非常にご機嫌になっているようだ。しっぽをこれまでになく激しく振るう。そのしっぽが弾の山をまたさらに崩す。一部がバラバラと床に落ちた。
「オイ、よせ、やめろって」
 燐が止めるが、それすらもクロには遊びに見えるらしい。弾丸の山を蹴って燐の頭に飛び乗ると、肩と頭の上で危なっかしくバランスを取りながら、なぁーん、と一声鳴いた。
「テメー、降りろ!」
 燐がクロを捕まえようとする手をかい潜って、クロは今度は魔除薬などの薬を分けておいたテーブルに降り立ち、そこの山も崩す。乾いた音を響かせて、箱から飛び出したアンプルが床に落ちた。
「けがをしたら危ないですから、二人とも下がっててください」
 テーブルから落ちた弾丸を拾う朴と出雲に、慌てて皮手袋を填めた雪男は入り口を指す。躊躇う二人を入り口の方へ押しやりながら、雪男は床に屈みこんだ燐が手を伸ばした先を見て、心臓が一つ跳ね上がる。あれは聖銀弾だ。
「兄さん!触っちゃダメだ!」
 案の定燐は、あちっ、と呻いて弾を取り落とした。
「何してるんだ、一体!」
「らいじょーふ、らいじょーふ」
 わざと明るく言っては居るものの、燐が舐めてごまかそうとして居る指を無理矢理見てみれば、火傷したような水ぶくれになっていた。悪魔なのだから聖別した銀に触れればこうなって当たり前だ。
「ほら、こっち!」
「ひっぱんな!てか拾わねーと…」
「そんなの後で良いから!」
 足の下でばりばりと特殊弾が砕けるのも無視して、無理矢理燐を薬品類を置いたテーブルへ引っ張ってくる。テーブルの上に出ていた精製水のボトルを開けて火傷した指にかける。
「なんだよ、雪男。大げさ…」
「うるさい!だまれ!」
 手を振りほどこうとする燐の手首を、更に強く握った。
「いてーな!メガネ!」
「だまれと言った!」
 力一杯握ったのを嫌がって燐が怒鳴るが、雪男は離さなかった。燐の力なら簡単に振り解けたかも知れない。が、雪男の表情を見て大人しくなった。
 精製水のボトルを丸々一本、火傷箇所に振りかけた所で軟膏を指につける。今は応急処置だ。この後暫く指を冷やした後でもう一度様子を見て、アロエの葉肉でも貼っておくか、ワセリンを塗るか判断した方が良さそうだった。燐ならそんな処置も必要なく、明日にはすっかり治っているかもしれない。
 雪男は一つ深く溜息を吐く。こんな状態では祓魔師になる前に、燐自身のうっかりミスで、自分自身を祓ってしまいかねない。少しはその危険性を自覚してもらいたいものだ。そんなつまらないことで、せっかく燐を守ろうとしている雪男の努力を無駄にして欲しくなかった。
「兄さん、もうここは良いから。氷でちゃんと冷やしておくこと」
「なんだよ。こんな火傷、料理してりゃーしょっちゅうだぜ?大げさなんだよ」
 燐が訝しそうな顔をして軟膏の匂いを嗅ぐ。つくづく人の親切とか心配を無にしてくれるものだ。流石の雪男もムッとする。
「じゃぁ、聖銀弾で指が焼け爛れた所を、あの二人に見付かっても良かったと?」
 燐が言葉に詰まる。
「大丈夫ですか?」
 入り口からは、出雲と朴が心配そうな顔で覗き込んでいる。
「ヘーキ、ヘーキ。ちょっと聖ぎ…」
 雪男が慌てて燐のわき腹を殴る。兄はぐぼっ、と詰まった叫びを上げた。
「ちょっと苛性ソーダを直に触ってしまって。軽い火傷ですから大丈夫ですよ」
 雪男が言い繕う。
 そのやりとりで流石に雪男の言わんとしている所が理解できたらしい。正十字学園の理事長を務めるフェレス卿から「青焔魔《サタン》の落胤《むすこ》」であることは秘すように厳命されている。しかし優秀な出雲のことだ。悪魔に効く道具類に反応している所を見られれば、何かおかしいと察してしまうだろう。いらぬ疑いを抱かれれば、遠からず悪魔だと言うこともバレてしまうかも知れない。
「普通の人が聖銀弾で火傷するとでも…?迂闊に過ぎる!僕が心配しているのはそういうところだ。少しは自覚して欲しいね」
 二人には聞こえないように、低く抑えた声で注意する。流石に兄の迂闊さに怒りが抑えられなかった。
「うう…。わーったよ!」
 燐が吼えて雪男の腕を振り払う。兄が弟に説教を食らうのは、我慢がならないのだろう。それならば、最初から怒られないようにすればいいのだ。
「まったく…」
 更に小言を言おうと口を開いたのと同時に、ざらざらと言う音がして、アンプルがテーブルからこぼれ落ちた。どうだ、と言わんばかりの顔をしたクロの足下から、雪崩を打って落ちる薬品類を見て、雪男の堪忍袋の緒が切れた。
「出てけ!」
 
「奥村先生、こっち終りました」
 床にモップを掛けていた雪男に、出雲と朴が声を掛ける。
「ああ、有難う御座います」
「次は向こうのテーブルでもやりましょうか?」
 出雲が更に手伝いを申し出る。蜩の声に窓の外を見れば、遠くの空が赤くなっていた。はっと気付いて腕時計を見るとそろそろ六時になろうという時間だ。そう言われれば、集会場の中も大分暗くなってきていた。
「もう日も暮れます。後は僕一人でも大丈夫ですよ。結局手伝ってもらってしまって、すみません」
「いいえ」
 どういたしまして、と朴が応じる。
 クロと燐を追い出したは良いが、床には割れた特殊弾の液やら、アンプルの容器が散らばっていた。細心の注意を払って分けておいた山はすべてがぐちゃぐちゃだった。流石にあまりの惨状に途方に暮れた雪男は、手伝うと言う朴と出雲の申し出に思わず甘えてしまったのだ。
「寮まで送りましょう」
 ねじり鉢巻を取りながら、雪男はジャージのポケットを探る。が、鍵は部屋に置いて来てしまっていた。
「おーい、お前ら晩メシ食ってくか?」
 燐がひょっこり顔を出す。雪男に怒鳴られてしょんぼりと集会場を去ったさっきの姿はなく、いつも通りだ。
「あ、私たち今日は寮に何も言ってこなかったから」
 朴が済まなそうに断る。正十字学園は全寮制の学校だ。何百人単位の生徒が暮らす寮は朝夕のご飯が用意されている。だが、土日はそれぞれの事情で、食事が要らない場合もある。その場合は、予め寮の方へ申し出ておかねばならない。
「そっか…」
 燐が残念そうに言う。態度には余り出てないが、彼なりに反省したのだろう。
「兄さん、二人を送ってくるよ」
「おー。あのさ、今日は悪かったな…」
 エプロンのポケットに手を突っ込み、片方の手で頭をガリガリと掻きながら、しおらしく燐が言う。
「ホント、良い迷惑だったわ。任務ではドジ踏んで余計な手間増やさないようにしてよね」
「わ…、判ったよ…」
 出雲の言葉に、雪男がうんうんと頷くのを燐が見咎める。
「ナニ感心してんだ、メガネ!」
「いや、全く神木さんの言うとおりだと思って」
「いつオレがドジ踏んだよ!」
「いつも余計な手間を増やされてるよ。良く反省して欲しいね」
 思わずメガネを押し上げながら、低い声で唸るように漏らしてしまった。目に見えて燐がしょんぼりする。その燐の落ち込みようが面白かったらしい。朴と出雲が思わずと言った体で吹き出した。
 
 改めて取り直した在庫情報をパソコンに打ち込んでいた雪男は、ふう、と溜息を一つ吐いて目頭を指で揉む。結局出雲と朴を送り、早めの夕飯を食べ終わってから、夜十時まで道具の整理に掛かっていたのだ。その間何度か、燐が様子を見に来た。殊勝気な「手伝おうか」と言う申し出は「立ち入り禁止」と跳ねつけた。
 兄とクロのせいで、今日の予定はメチャクチャだ。まだ、この後来週の講義の下調べも済ませておきたかったし、ついこの間の祓魔任務の報告書も後回しになっている。講義の自己評価シートと学期後半の要綱なるものもまだ手をつけていない。それなのに、もう日付が変わろうとしている。
「うにゃ…」
 燐が寝返りを打ったかと思うと、ぶつぶつと何事かを漏らす。上掛けを撥ねた左手が、寝床からだらんとはみ出ている。クロは燐の頭の斜め上に丸くなって眠っている。
「なんだ、寝ちゃったのか…。てか、この様子じゃ課題やってないな…」
 本来の学校の方の宿題もやったのかどうか、疑わしいところだ。
 半分目が開いたままで、人より大きく尖った犬歯がぽかんと開いた口から覗いている。大変に間抜けな寝顔だ。
 眠気覚ましのコーヒーを啜りながら、雪男はふう、と溜息を吐く。
 ――先生の方がお兄さんみたいですね。
 ――随分過保護に思えますけど。
 雪男は、去り際に朴と出雲に言われた言葉を思い出す。鋭いなぁ、と思う。そんなに自分の態度が判りやすかっただろうか。いずれにしても、端からはそう見えているワケだ。
 兄が学園に入ってから壊した物の数が凄すぎて…と言い訳をしたが、誤魔化したワケではない。ただ、それ以上踏み込まれたくなかっただけだ。
「まぁ、どう思われても良いけどね…」
 ぼそりと呟く。
 何があっても、僕は兄さんを守る。
 義父《とう》さんの代わりに。いや、もう義父《とう》さんがどうとかではない。
 自分の傍から片割れがいなくなると考えるだけで、恐ろしさに手足が冷たくなる。だから…。
 結果それが過保護だろうが、いやどう見えようが、人がどう思おうが関係ない。そんな自分がおかしいと言うなら、笑われようが後ろ指を指されようが、どうでもいい。
 ただ失いたくない。それだけだ。
「その代わり、もうちょっと自分で色々気をつけてくれないかな…。兄さん危なっかしくて」
 昼間兄が聖銀弾を触った時には、恐怖の余りに一瞬何も考えられなくなった。多少の火傷で済んだと判った時は、安堵の余りどっと汗が吹き出た。今思い出しても手が震える。心が火傷でもしたようにひりひりと痛い。兄が居なくなるかもしれない、そう考えただけでこれだけ取り乱すと言うのに。本人はそんなこともまるで判ってない。
 ――にいさんがいなくなったら、ぼくどうしていいかわからないよ。
 寝台の傍に膝をついて、そっと燐の前髪を撫でる。
「う…。ゆきお…」
 名前を呼ばれて、一つ心臓が跳ね上がる。起こしただろうか。
「スキヤキ…、も…、食えねー…」
 幸せそうな寝言を呟いた燐の額に、雪男は腹立ち紛れにデコピンを見舞った。
 
 

–end
せんり