黒バス_04

 

※赤黒です。
※二年生のつもり。
※相変わらずイメージ先行なため、齟齬があっても気にしない。

うっかり顔と貫禄で玲央姐を三年にしちゃってましたので修正しました、玲央姐、申し訳ないっす! てかヒエラルキーおかしいだろ。洛山!(周知) 木吉も風格が三年っぽいので困ります、笠松先輩は二年にしてーなーって思うんですけど…(141206)
 

【PDF版】<<※作製は未定です>>

 
 

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※記載内の無断転載、無断コピー、データ転用、改変、再配布等はご遠慮下さい、お願いします。
 
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オレVS京都 〜round1〜
 
 
 
 
 僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしている。しかし不思議にも後悔していない。
———『或阿呆の一生』
 
 
 高校二年の夏に、宵山に誘った。中学時代を思い出したわけではない、ただ、幻想的に美しい風景というものを見せたかった。
 欲を言えば、晩夏を焦がす山焼きの様を熱くて暑いと並んで見詰めながら言いたかった。
 
 
 石畳の細い路地を歩く。空気は蒸しているけれど、墨色の板塀や風鈴の音、川風なのかふいに髪がそよぐ、室外機の音だって聞こえているのに打ち水が熱を冷ましてくれているようで、気持ちはどうしてか涼やかだ。本当によくこんな細い通路が分かるものだと感心しながらまるで光に釣られる虫のようにしてより明るい方へと足を進めていた。住まいだろう板塀が途切れて右に折れ、ビルと店舗に挟まれた私道めいた道を歩く。と、やがてそこは玉砂利になった。黒子にはここが誰かの家の敷地内なのかそうでないのかが分からない、思い出したように正面から人が現れるから通ってもいい道なのだと小さく納得する。しかもそんな時に限って、土地柄のせいもあるのか和装姿が多いようだった。なんというか、祭りだからといって着るのではなく、当たり前に馴染んでいるという風な所作ですれ違うたびにこんな俄ぶりですみませんと謝ってしまいたくもなっている。
 玉砂利を抜け、小路に出る、屋台がある。この先で人の群れと合流するのがわかる、殆どがそこに向かっているのだろう、より密度が濃くなってきた。
———ちりん。
 鈴の音がして黒子は振り返る。小学生くらいの少女が二人、電信柱のすぐ脇に人の流れに逆らうよう背を向けて立っていた。
「行ったらあかんの?」
「お母さんと約束したやん」
「……」
「先生も山城さんもあかんやってんからはよ帰らんと」
「みやちゃんとこ、おばさんええて言うた…」
「(取り合わない様で)バス間に合わへん」
 姉妹らしい。祭りに行く行かないといった内容みたいだった。黒子はぐいぐいと手を引かれながらもその場に踏みとどまろうとするツインテールを見遣る。きっと小柄なこちらが妹だ、肩から提げた鞄の紐をきゅっと握り締めて無言でいることで帰ると言い張る姉を拒んでいる。姉はきっちりと頭頂にところでまとめて団子にしているが、布地を引き絞るようにした髪飾りが色違いの花柄だった。姉妹の横を団扇や携帯電話を持った人がぞろぞろと歩いている。見送る方にしてみれば誰もが嬉しげにうつるのだろう、黒子には微笑ましいというよりもどちらも気の毒に思えてしまう。ああは言っているけど姉の方だって少しくらいは遊びたいのだろうに。匂いや音、夕刻の空とざわめき、包み込む空気全体が手招きする、赤司だって機嫌が良いくらいの。
「あの、あか…」
 二人の間を人が過ぎる、はぐれそうだ。
———しゃりんっ…
 大通りの方からひときわ高い金音がした。おおっと声が上がる。黒子も思わずそちらに気を取られ、視線を転じる。
「え」
「あれが駒形提灯」
 落ち着き払った声が聞こえる。薄墨を流したような夕暮れの空に白く浮き上がる。天を突き刺すように伸びた棹には提灯が並び、まるで帆を広げているかのよう。
 すると視界の左端の黒々とした暗がりからするりと金魚が躍り出た。
「…えっ?」
 瞬きをする。ふわりと浮き上がり優雅にひれを揺らしたように思えたのだけれど、錯覚だったらしい、白地に朱色が滲んだ縮緬帯だった。弾むというよりも人の間を泳ぐように小路を渡る。少女達の姿を隠すかのように袂が膨れ、浴衣地の水紋模様がことさらに視界に広がる。見たこともない顔立ちの仮面がこちらを向いている、少女は音もなく二人に駈け寄り、ツインテールの腕をとる。姉妹は警戒することも忘れたようでぽかんとそれを見詰めていた。
「……」
 思わずすっと手が伸びる。何も掴まずに落ちたけれど。
「赤司くん」
 少女達を置いてすいすいっと縮緬帯が走り出す、気紛れにしろ何にせよ、流れる祇園囃子に乗りその一刹那に見たものはなんとも幻想的に思えた。
 自分は臆さず挑まれたことに受けて立っているのだとほぼゴリ押しのようにして得た休日、前借りした小遣いで切符を買い朝一番の新幹線に乗った。駅で彼と会い、浴衣を着せられ、三条から四条をくねくね練り歩きながらも人が多いな、とか祭りなのだなという感想でしか持たなかったが、やっと自分は日本が誇る都市の、古式ゆかしい夏祭りにやって来たのだと実感した。端的に言ってしまえば緊張が今になって解けたわけなのだけど、背筋の伸びた後ろ姿にそんなことはおくびにも出さなかった。…と思う。
「ちょっ…」
 整った顔立ちの横顔が露店の何かを見詰めていた。歩みを早める。人影がひとつふたつ過ぎってよけて、呼ぶ。
「赤司くん」
 京都って、独特というか不思議な場所ですね、と目の前をゆっくりと歩いてくれる相手に投げかけた言葉は、届くことなく横を過ぎるバスのエンジン音に消され、灰色の排気とともに川下へと流された。
「…赤司くん?」
 自分は確かに彼を呼んだのだけれど、こんな人だらけでは気付かないことだってあるに決まっている。国内にとどまらず、海外からも観光客が押し寄せる観光都市の著名な祭の最中じゃ尚更のことで、頭では理解しているのに黒子はそっと失望にも似た溜息を吐いていた。
「見失ってしまいました…」
 ぼそりと呟く。何処にいたって群衆に埋没することもなく我此処にあり、と揺るがないオーラを放つ友人は宵山の喧噪の中に溶けてしまった。どこを向いても人、人、人、そりゃそうだ。彼ほどの存在でも容易く飲み込んでしまうという祭りのエネルギーのせいなのだろうか、ともかく、黒子は、赤司を見失った。スミマセン。だけどどこか釈然としない。
 
 
 京都で夏に行われる祇園祭は、日本の三大祭りの一つだと言われている。京都祇園社(八坂神社)の御霊会、いうところの厄払いで、由緒は古い。きっかけはやはり千年以上前の疫病だのだったらしい。都市の成形に欠かせないのが治水だ、鴨川は暴れ川といわけではないものの、氾濫はするし、物は溜まる。そもそも水がなければ人は生きられない。古代文明の発祥からして明らかで、そこからもたらされたものに人は生かされたと言ってもよい。周囲を水に囲まれた日本では水際というものは厄が流れ着くところであり、また、送り出すところでもあるのだ。水を治めるのは為政者の務め、大川のほとりに牛頭天王を勧請し、御霊を慰めることから民衆を心やすくし、政を執る、この儀式はそんなところから始まったんだろう。
「黒子?」
 しゃらりと誰かが髪飾りに刺した簪のこそばゆい音がして振り返り、黙って額を押さえる。
 知名度から言えば確かにそうかも知れないけれど、ただでさえ観光客がうろつく街に見物客が繰り出してくるという盛り様にいささか辟易するところがないともいえず、日本人は祭りが好きだなと思わずにはいられない。褻があり、晴がある。ゆるやかに流れる日常の中にそうしたものを感じさせるのは赤司も嫌いではない。自分も日本人だとは思う。
 祭り囃子に浮かれたか、独特の雰囲気に惑わされたか、夜店の佇まいにうっかり気を取られていた。やってしまった。
「……」
 掌を握っては開いてみた、右手と左手を交互に。まじまじとは見ないがいつも通りの皺に色、手相は知らない。握ってもいないのだから当たり前に手の中に残るものなどなかった、手品みたいにぽろりと花だの万国旗だのが裾から飛び出すわけもない。
 それでも空に風船を手放してしまったような虚しさがある。
「浴衣である意味もなかったな」
 腕を組んでから赤司征十郎は一人言つ。悲嘆しているでも、憤っているわけでもない、外見はどうであれ、期待を裏切らず彼は彼だということを認識したに過ぎなくて、そんなのでさえ本当のところは愉快になってしまうのだから誰に指摘されなくとも『阿呆』な点を認める。かの文豪でさえ自伝的小説の冒頭で開き直ったように述べている。つまりはそういうことで、後悔を覚えていなければ概ね問題はなく、別段気にする必要もないわけだ。
 しかし。
「どこに行ってくれたんだ…」
 この場合は自分に非があるとは思えないから『阿呆』は認めるけれども、その他については受け入れるわけにはいかない。
「困ったな」
 赤司は人混みから脱するように小路を抜け、三条方向を振り返り、立ち尽くす。
 辺りを見回しながら携帯電話を手にした。四条河原町の交差点をぐるりと回っても目当ての人物は見付かりそうもなく、薄闇にとろりとした水を湛えて光る鴨川の方にもつくねんと立つ誰かは居そうになかった。河川敷はカップルが絶妙な間隔で居るという名物を披露し、そうでなければ学生達が騒いでいるのがぼんやりと知れるくらい。薄闇に囲まれぽちりぽちりと灯る明かりに浮き上がった京都の町は、まったく夕涼みには相応しくない蒸し暑さになかにあるというのに、暗くなるごと人が増えていくようだった。大通りと言える道はどこも人が溢れていた、道ありきの場所に車道と店が並ぶものだから歩道は狭い、そもそも京都に慣れはしたけれどオレの庭とも呼べる場所でもないし、ひと気のなさそうな道を選んで歩いたものだからはっきり言って赤司自身も通った道筋の名に自信はなかった。頭にある地図になかった線を継ぎ足しながら最短で八坂神社に向かっているという自覚はあったのだが、しっかり後をついて歩いていた彼がいないのでは最短も何も。
「……」
 電話の呼び出し音を聞きながら鉄色の子持ち縞を探す。勇んだ顔で京都駅に降り立ったと同時に店に引っ張って着せたものだ。ちなみに赤司も藍鼠の絣を着ている。祭りなので女性ほどではないけれども男性の和装は京都であってもそこそこ目立つ。いや、目立つというよりも上下で一つの柄にまとめられている服装なので人混みの中でも見付けやすいのだ。
「風船みたいだな」
 黒子ははじめ予想外のものに遭遇したような顔こそしたが、やがて形から入るのかと妙に納得した風に一人言ちた。いや違う。敢えて何も言わなかったけれども違う。見付けやすいだろうと思ったのだ。駒形提灯の明かりに置き忘れたように立っている浴衣姿を見たかったなんてそんな断じて。
 辛抱強くコールをし続け、留守電まで至る。
「赤司だ、これを聞いたら至急折り返」
———ブツ。
 そこまで予想したくなかった。
 
 
「えと」
 来た道を戻ろうとは思わない、赤司は先に進んだのだ。とりあえず目抜き通りの目立つ場所を目指すのが良いだろう、と判断した。
「三条は戻ってしまうから、その逆…」
 右を見て左を見る。バス停や標識を探す、整った道はいずれも同じように思える。御池? 烏丸? 東山方向でいいのか?
「鴨川じゃなくて、八坂神社?」あるいは清水寺?
 地下鉄の駅表示があった。地下に潜り込んで案内図をじっと見てから人の流れに乗るようにして違う出口から地上にあがる。間違えた。引き返してどうにか鴨川までたどり着く。アーケードと抜け道の狭間に無理矢理押し込んだような横長のテントで観光協会の地図を貰った。ひとまず助かる、左の方に聳える建物は黒子でも分かる百貨店、八坂神社は祇園社と言うらしい。基本的に京都は碁盤目状、この構造も黒子には助かる。
「四条というのは分かるんですけどね…」
 赤司は行こうと言って歩き出し、行き先も四条と答えただけでそれのどこだかは話さなかった。
 歩道の脇に寄って携帯電話を取り出して確認する、メールも届いてなければやはり着信もない。留守電にはメッセージを入れたけれど、彼は聞いただろうか。それとも、誰かに出くわすとか、はぐれたなんて些細なことに構っていられなくなっているのかも知れない。
「…あ」
 地図の表記で気付く。洛山高校は京都府の学校だ、そうだった。黒子の知らない赤司の知り合いがいるに決まっている。彼の新たな友好関係というものがここには存在するのであって、そんなのに黒子の介在ははっきり言って邪魔だ。
「……」なら仕方ない。
 宵山を楽しむことにしよう、折角来たのに勿体ない。
「えーと」
 地図を右に倒し、考え直してはひっくり返し、現在地を確認する。五山がどうとか赤司は言っていたような気がするけれど、地図で照らし合わせる限りどれがどの山なのかはっきりしない、けれど目印の建物などは分かる。提灯が動いているのはいわばメインストリート。流れの中意思を持って歩き出す、身を任せたりはしない。
「…あれ? 歩行者天国?」
 自分は何かを間違っているのでは? というか突き当たりの厳かなあれは祇園社ではない?
 黒子は虚空に時計を探す。地図には確かに十六時より歩行者天国、とある。でも目の前の通りを車は通行している。軌道修正すべく戻ろうとして立ち止まった、こちらの方向ではないのは分かるのに山鉾なのか張りぼてのような提灯が動いていてより人が集まり、戻れなくなってしまった。迂回するしかない。
 コンビニのあるところまで行って一つ目の角を左。ホテルを見付けたら右。
「……」なるほど。
 考えることは皆同じで、こちらの通行も容易くない。
 と、しゃらんと音がして人混みから金魚が現れ出た。日本人形のように眉、襟足で切りそろえた頭髪にピン留めといった飾りはなかった。根付けかそれとも履き物なのか、金物がやさしく擦れ合って奏でるといった音だ、黒子は少女の走る姿を目で追う。やっぱり地を蹴って走るというよりも空気の中を泳いでいる。あんなにひとがいるのに誰ともぶつからないのがすごい。あの浴衣姿といい、きっとこの辺りに住んでいて、昼間は粽を振り回しつつ氷でも食べていたのだろう、山鉾での手伝いかが終わってはしゃいでいるいまは厄除けの札でも持っていそうだ。この祭りはそもそも神に感謝し言祝ぐというよりも鎮魂、鴨川に禍を流す厄払いで山鉾にも邪を祓う意味があるのだと赤司が話していた、町ごとの山鉾があり、揃いの衣裳を身につけた子供達がいるのだ、と。
「ん?」
 小路の奥へと走り去る少女の袂から何かが落ちた。黒子はそのリボン飾りのようなものを知っている。この山吹色に散った小花はツインテールを飾っていた。
「……」
 誰かに踏まれてしまう前に、と黒子は地図を手に追い掛けてそれを拾い上げる。クラスで聞いたことがある、この名称は確か…。
「『シュシュ』。」いや、それ以前に少女早すぎる。顔を上げたところでもう見えなくなっている。
「…一応、落とし物ですし」
 地形を見誤って、見逃して、情けなさも一入なのでわざと声に出してみる。今日の自分の不甲斐なさと来たら火神にはとても見せられない。彼の前で昨日自分は決然と勝利宣言してくると言い放ったのに、勇ましく。苦笑いしながらも行ってこいと言ってくれたカントクや先輩、チームメイト達にも面目が立たない。自責の念を込めて息を吐き、さきほどのテントに向かう、預かる預からないにせよ、このあたりで遺失物を扱うところくらいは教えてくれるだろう。
「どないした、少年」
 テントの横に大型のクーラーボックスが置いてある。いましがた移動してきましたという風にぞんざいに傾いた幟が立っていた。店舗がアイスバーや串団子を売っているのを見たけれど、これもそういったものなのだろうか。傍らに仁王立ちした男は商売用のコスチュームなのか法衣に禿頭、首に提げている数珠は弁慶を彷彿とさせる出で立ちだ。木吉と体格が似ておりなかなかの風格で、目を合わせるとにっと笑う。
「探し物か?」
「探してもいますが、落とし物です」
「ラムネ飲むか?」
「はあ、飲みません」
 黒子の悄然としながらも潔い応えに目を見開いてみせると弁慶モドキは呵々と笑う。
「本部なら南や」
「南?」
 行けばわかる、と道筋を教えられる。ここを真っ直ぐ、三つ目の辻を右。寺の境内を突っ切ったら通りを渡り、赤い格子戸の長屋が目印、回って入るべし。まさかどこかの寺の僧侶とかではないだろう、托鉢中にでかいクーラーボックスを背負ってラムネを売るなど聞いたことがない。黒子は首を傾げてから歩き出した、『本部』なんていうからにはそれらしく設営されたものがあって、落とし物も預かってくれるかも知れない。
「……」
 黒子はシュシュを握り、腕を組みしながら歩く。土地に不案内な観光客、それも自分のようないかにも金を持たない子供を騙すメリットもないだろうし、あの弁慶モドキ氏もよく考えたら学生アルバイトといえなくもなかった。よもやカモにされるとも思わないが、誘導された気がしなくもない。
「とんだ寄り道ですが、仕方ないですね…」
 人生は長い旅だと語った長編小説を思い出してしまう。梅雨の間に読んで理不尽に目的地にたどり着けないことを恨むよりも長い長い行程なのだと考えた方がいいなと晴れ間の見える空を見て思った。
———チリン…。
 どこかの家の風鈴が寂しげに鳴る。黙って携帯電話を取り出す、着信履歴なければ新着メールもない。そういえば山鉾や駒形提灯を撮ることも忘れていた。
  
  
 己を取り戻して彼の名を呼ぶのに一つの躊躇いが生じていた。
 『黒子』か『テツヤ』だ。本人はどちらでも構わないようだけど、赤司自身としては踏むべき手順を越えた許せなさがあり、密かに思い悩んだりしている。自分の一部であろうが躾けておくべきだった。
「何やってんのよ、征ちゃん」
 目の前にアイスコーヒーが差し出される。
「黒子の、真骨頂なのだからしょうがない」
「そういうことじゃないわよ。私、バイト中なんだって」
 蝶ネクタイにスタンドカラーのシャツ、ソムリエエプロンで身を固めた実渕玲央は腰に手を当てる。四条河原町に差し掛かるあたりで黒子テツヤを見失った。携帯電話は何故か圏外という事態にあって、とりあえず辺りをうろついてから立ち寄った店だ。高瀬川が流れる木屋町、そして鴨川に臨む先斗町は飲食店が多い。実渕はこの春洛山を卒業し、そのまま京都の大学に進学した彼好みの先輩に勧められるままに客寄せ要員としてこのフランス料理店でアルバイトをしている。もちろん、部の練習と学業に響かない範囲でだ。親戚と何度か訪れたこともあり、オーナーは寛容な態度でもって赤司をアイドルタイムの店内に通してくれた。
「これから予約が入ってるし、書き入れ時で忙しいの」
「……」
「人混みで見失ったからってなんだってのよ? それが彼なんでしょ?」
 自分が汗だくだったのを知っているくせにこの仕打ちだ。WCから京都に戻ってすぐ悩みがあったらいつでも相談しろと言ったことも覚えていないらしい。
「はいはい、出た出た。こんなとこでゴネてないでさっさと黒子君探す」
「携帯電話が繋がらない」
 どうだと画面を見せても動じない。と、いうよりも関心がないような顔をしている。
「そりゃご愁傷様。誰かの怨みかもね」
 弁明だとか聞く耳もなくテーブルセットもできやしない、とコーヒーを半分残して背中を押された。もとい、追い出された。黒子と会うのは久々でしかも長いわけじゃない、もっと時間を惜しめと彼としては言いたいのだろうが、人をかき分ける以上に為す術が赤司には見当たらない。
「分かってるとは思うけど、京都なめるんじゃないわよ」
———カラン
「……」
 人で埋め尽くされた四条河原町祇園間を三往復、鴨川の河川敷や花見小路を歩き回って、舐めてないから途方に暮れているんだ。
 
 
 弁慶氏の言うとおりに『本部』テントは確かにあった。框から横の建物に上げられて畳敷きの文机に向かうハメになったが落とし物を届けることは出来た。そして外に出て言葉を失う。なんと暗いことか。
 まだそんな更けていないとは思うけど、時間を確認し、溜息を吐く。表示の味気なさに考える以上のがっかりさを覚え、いやな痛手を感じているところだ。
「…え」
 あれ、通話だけでなくメールまで。
 画面上部の表示がいつもより欠けている。悠長にしていられない、黒子は目の前を横切る男の人を捕まえた。
「あの、すみません。ここはどこですか」
 男の人はぎょっとした顔で見る。別に驚かせるつもりはなかったけれどここはお化け屋敷とかでもないはずで慣れているけれどそんなリアクションしてくれなくても、とは思った。
「えーと…」
 自分も観光しているのだと言って男性は連れの女性とそそくさと行ってしまう、なるほど、聞き慣れた標準語だった。彼女はあからさまに迷惑そうな顔をしたから邪魔だったのだなと思う。背中がついてくるなと訴えているようで足が怯んだくらいだ。
「どこ行きたい?」
「え」
 と、正面に涼しげな着物姿の男性がぬっと現れ出た。慌てて取りすがってしまったので気付かなかった、長身の痩躯、気難しい学者という印象だが声が温かみがあり、親しげだ。玄関らしいのは分かっていたけれど暗がりに沈んでいたから開くなんて思わずにいた。ここは店舗らしいところの間口だった、よく見れば日除けにもなりそうな暖簾が垂れている。明かりも灯っていないから、もう店仕舞いしたというだけできっと彼が家主で店主なのだろう。
「八坂…えっと、祇園社です。すみません、友人とはぐれてしまって…」
 答えていると奥からどたどたと足音がする。赤い提灯を手にした中年男性と美女だ。男性は祭りの法被を着ており、女性はたすき掛けした浴衣姿だ、本当にきれいなので思わずぽかんとしてしまった。女優とその所属プロダクションのマネージャーみたいだ。
「え。誰?」
「迷子にならはった?」
 女性は目敏くそう問う。正解です、とばかりに頷いてみせた。
「どこの道かも分からないのですが、その…縮緬帯のひらひらが通過して、つい、気になって様子を見ていたら見失って…」
「へえええ」
 中年マネージャー氏はやや大袈裟なリアクションをする。
「ほんまに見たん?」
「その子ですか? たぶん。結び目はオレンジで、垂れた部分は裾へ行くにつれて淡く赤くなりました。着物も、派手ではなかったけれど白地に緋色の模様がまるで泳ぐみたいに鮮やかで、流水紋? 渦巻きのような青の線も風が吹けば動きそうでした。跳ねるように視界に飛び込んだかと思うとごったがえす人波の中を、人とぶつかるとか、…むしろ、空気抵抗なんてまるでないみたいに駆け抜けて…」思わず赤司の手を引きそうになった。彼らには言わないけれど。
「顔は?」
「見ていません、けど、不思議なお面をつけていました」
 髪型、背の高さ、自分が見た限りのことを手振り身振りで伝えると三人は改めてこちらをじっと見る。
「瞬間記憶が得意なん?」
「そうでもないです」
 人を見ているのがクセになっているから、動作を観察するのはついやってしまうことだけど見て情報すべてを頭に取り入れられるほどの明晰さはないと断言できる。ていうか、大事なのはそこじゃない。
「ちょお、おいで」
「は?」
 たすき掛けの女性に腕を引かれ、中へ上がる羽目になった。いくら何でもそれはと固辞しようとすると学者風店主に宥められて背中を押されてしまう、より困る。道を訊きたかっただけなのになにがどうして、と座敷に連れられたが、狭いが工夫を凝らした板廊下や坪庭は乏しい明かりの中でも目を奪われてしまう品のよさがあった、自分の生活には縁のない風景の中に入り込んでしまった困惑よりも興味の方が俄然勝る。
「あ、の…?」
「まあ座って。ひやしあめ飲むか?」
「いただきます」
 喉が渇いていたので思わず即答してしまう。通されたのは縦長の部屋だった。八畳くらいだろうか、扇風機が音を立てて回っている、どこからかひんやりした空気が流れてきているので冷房も働いているようだ。中央の襖二枚を開いて隣の部屋まで通して見える。奥に祭壇らしきものが設けてあり、障子に沿うよう何人かが座っているのが見えた。目立たないようにしたはずなのに一斉に視線が集まり、何者かを精査するといった容赦のなさで見られた、隠れたい。
「…誰?」
 小学生くらいの少女の声。おっと、と法被の人がそちらの部屋へ入っていった。開かれた襖は目隠しのためか一枚となってしまう、耳をそばだてる気はしなかったけれど話し声は聞こえなかった。美女は『ひやしあめ』を用意してくれているんだろう、廊下の向こうに消えてしまっている。
「遊び…言うかなあ、宵山少女を捕まえるいう任務やっとるんやけど」
「『よいやましょうじょ』」
 ああそうなんですか、としか言えない。和装のこの男性は勝手に店主だと思っている、親戚の集まる祭りの最中にすみませんとつくづく思った。
「えっと…」
「連れとはぐれたんだって?」
 濁声が飛んでくる、どこか愉快そうだ。と、たすきを外した浴衣美女が飲み物を持ってきてくれた。氷が浮かび、麦茶よりも薄い色をしている。
「ありがとうございます、いただきます」
 にこりと微笑むと盆を抱いてとなりに座った。
「……」
「単なる街のイベントや、参加資格もない。君、観光のひとやろ? 人数は多い方がええ」
 どうや、と誘われる。何を言われているのかさっぱりだった、というよりも甘いのにすっきりな『ひやしあめ』に衝撃を受けていた。アクセントは生姜だろうか、おいしい。
「回てるうちにお連れさんも見付かるやろ」
「えっ?」
「姐さんのツボやな」
 くくっと笑う声。発された元が誰か分からない。
「や。あ、いえ。そこまでは。無事に八坂神社まで着いたら後は連絡するなりどうにかするので」
「携帯電話なんて役に立たないよ」
 幼いけれど、断ち切るような物言いだ。慌てて取り出してみた、やはり着信も新着メールもなく、無愛想にも圏外になっている。
「ないのがいいんだよ、繊細そうな面して無粋な奴だな」
「……」どうしたものか。
 隣の間から腕組みした少年が歩いてきた。ベストを着、ネクタイをつけて良家のお坊ちゃん風のあどけない顔をしているけれど、鋭い目つきで見ている。害意はないと伝えたくて見返すとふいと視線を外された。隣の部屋に戻ってしまう。代わってひょこりと半身を現したのは少女、顔の造りが双子みたいによく似ている。こちらはひな人形みたいな豪華な格好をしていた。
「高校生? デート?」
「生意気な」
 船ちゃんはきついなあ、と美女が笑い、高麗さんは甘すぎるとどうしたって黒子の年下にしか見えない少女に叱られていた。
「若い男だからって」
 美女の相手には自分などまだまだ子供で至らないだろう、首を横に振った。
「違います。友人というか敵なんですけど誘われて、挑まれたと思ったから受けて立ったまでです」
 黒子は一昨日、携帯電話を耳に押し当てたままアイスバーを齧る火神を斜め上に見、「受けて立ちます」と答えたのだ。隣でいきなりそんな言葉を吐かれて、チームメイトは怪訝な顔をしたが携帯電話をしまいながら相手の名前を教えると溶けるぞ、とがりがりとバーを噛んでそれ以上は言わなかった。何も訊かないという点で彼はこの挑戦の意味を理解し、なおかつ応援もしているのだと解釈して良いことなのだ、勝利宣言してきますね、といささか胸を張り、前を向く。
「風貌に似つかわしくなく勇ましい…」
「船、お前、たいがい無礼だから」
 店主がさり気なく諫める、でも顔はにこやかだ。
「敵ってことはいわば敵陣やね」その意気やよし。
「このムシ暑いなかで決闘か?」
 わっと声が押し寄せてきた、気配くらいでしか知り得ないのに数人を相手にして、どちらに視線を向けるべきか。
「五山送り火と宵山とどっちがいいかと言われました」
「殊更暑苦しい」
 そうかもしれない。氷だけ残ったグラスを揺らしながら考えた、顔を見ていないのは不安でもあるけれど、誰もがそのぶんなのか正直だ。それが知らない場所で心地よくもあった。
「ちょうど休みが宵山の日と重なったので」
 学校は今日明日は追試と補習になっていた。インターハイを絡めて運動部所属の生徒はこれを率先的に回避しなければならないのだけれど、今年は運が悪かった。一年生で数人が補講となり(これは担当教諭が海外研修へ行ったしまったためというのだからどうしようもない)、二年生からも追試の餌食になった者が出た。カントクはここでヤケクソのように決断したのだ。合宿前で試合後でもないのが実に悔しそうだった、だから戻ってから覚悟しなければならない。自分はそれに他校の試合の映像を見ておく必要があるので実質的な休みは今日だけだ。
「夏休みやないんか」
「まだです。夏休みになっても部活の練習があるので心おきなくだらける暇もないですけど。山鉾巡行を見たら帰ります」
「ふーん」
 京都に来るまでの経緯を説明すると一同、めいめいに納得、という返事。金魚形の紙風船が飛んできて、麦茶が注がれる、とんでもないところへ来てしまったと思ったけれど、なるようになってもいい、と話し終わる頃にはそう考えていた。
 
 
 赤司を探しがてら飛び入り参加で『宵山少女』探しをすることになった。
 黒子と組むのは若旦那風の格好の男性で桝屋と名乗った。見た目二十代半ばくらいで、良い水と空気で育った老舗の跡取りといった感じだ。赤司もそうだけど、桝屋にはまるで鋭角的なものが見えず(男性に使って良いのか不明だが)『はんなり』としている。そんなのもあってか浴衣姿の黒子と並ぶとまるで見物に来た兄弟のように見える。ちなみに始めに出会った店主は〝ただの骨董屋〟さん、らしい。古物商にただとかそうじゃないとかあるのか知らないが、年季とかかもしれない。
「へえ…」
 こんな抜け道が。
「ここいらは酔ってると俺でも迷う」
 桝屋は人に流されるように小路を歩くが、意思がないわけではなく、ひょいひょいと逸れては通路とは思えない場所を通り抜けている。見渡せばあちらこちらの方角に光を放つ提灯、山鉾。巡行についてはまるで無知だ、ここは囲まれる一角らしい。
「あっ!」
 するりと仮面の顔が明かりの中から浮き出たと思うと縮緬帯の尾が揺れ、板塀の間に吸い込まれていく。
「あっち。回って、いっこめの角をこっち入って」
「はい」
 挟み込むらしい、言われるままに大通りに出て、どうにか人をかき分け、また小路に入る。ビールケースが詰まれた横で若旦那は扇子を仰いでいた。逃げられたようだ。こういうの、赤司がいたらどんな顔をするだろう。詰めていくより周到なシミュレートをしたいとか言い出しそうだ。
「くっそー…」
 残念そうでないのもどこか可笑しかった。並んで歩きながらつい笑ってしまう。
「なんだか楽しいですね、人探しなのにこんなこと言うのも何ですけど」
「そうか」
「小説の中に迷い込んだようです。風情のある町屋というのも、テレビや本でしか見たことありませんでした」
 桝屋は嬉しそうに頷いてから、辻で立ち止まらせる。正面には板塀に囲まれた家の偉容が影となって見える、誰も近づけないような雰囲気を放っており、高級な旅館だろうと黒子は思い、口を噤んだ。
「部の練習やらに差し障りあるん違う?」
「え?」
「足、赤こなっとるやん。こんなん下駄慣らしてから来んとあかんやろ」
「あ…」
 右足の親指、ちょうど鼻緒が当たる内側が押せて痛かった。庇うほどでもないしそのままにしていたが、桝屋は気付いていたのか顎で指摘する。
「別に気にするほどでもないです。その、用意してくれていたので、受けて立つ以上着ないのも失礼ですし…」
 それに先を進む赤司の方も速度を緩め、慣れない黒子が歩くのに気を遣っていたと思う。転ぶなよ、とも注意することすらあったくらいだ。彼はいま、どこにいるのだろう。
「はは、黒子は気構えは男前やな。どれ、絆創膏貼ろ」
 と、露店の床几に黒子を座らせるとしゃがんで絆創膏を貼ってくれる。つまりは不慣れな観光客を巻き込む以上そこはスルーというわけか。
「ありがとうございます」
「船や。礼は俺やのうて、あの子に言い」
 骨董店の座敷を思い出す。名字なのか、あだ名なのか数人しか名前は明かされていない状態であったけど、そのキーワードは覚えている、『ふねちゃん』と呼ばれていた。
「ネクタイ姿の子の方ですか?」
「うん」
「……」
「意外やった?」
 率直に訊かれて頷いた、着飾った少女といい、黒子としては彼らにとって招かざる異物《アンノウン》としか見えないと思っていた。そりゃそうだろう、身内という囲いの内側に招じ入れられた自分が警戒されてしかるべきよそ者なのは確かなのだ。
「黒子くんがきちんとした言葉を話すからや」
 それは薫陶というか、厳しかったからで、成長しながら改変されることもなく現在まで定着してしまっただけだから言葉を選びはするけれど、もはやいちいち心がけてはいない。
「声に、話しぶり。誰にも媚びたり、謙ったりもせん。そんなん考えたりしぃひんやろ」
「ボクだって狡いこと考えたり、悪戯だってします」
「それでいて、見逃さない。相手の心を読み取るよう言葉の裏を読もうとする」
 何てことない顔で斬り込んでくる。流石は若旦那と言いたくなるくらいに穏やかでゆっくりとした語り口は底意があることすら読ませなかった。
「そんなこと」
「船はアホなくらいの誠実さが見える奴に懐く」信仰心とかな。
 何も言えずにいると頭に手が乗る。わしわしと頭髪を揉まれて、それがちょっと何とも言えなかった。褒められているような、子供扱いされているような。人間観察は、悪意ある見方をすれば無遠慮な視線による粗探しとも言える。誰しも観察される対象となって喜ぶわけでもないし、疎んじられることすらある。僻んだり、マイナス方向に解釈してもしまいそうなのをその手がぴたりと阻む。
「…山鉾はどこを回るのですか?」
「四条から御池かな」
「ひと月やるそうですね」
「のんびりしすぎやな」様式美いうやつ。
「いま山鉾はどちらを回っているんでしょうか」
「いや巡行せんて。明日見て帰るんやろ?」
「え」
 振り返る。確かに明るいだけで、移動していない。下というよりも人や自分達がぞわぞわと動いているから山鉾まで動いているような気がしていた。でも明るいのが動いているのを遠目に見たけど、あれはあれで違うものだったのか。赤司と会うのだとそんなことばかりに気を取られてろくに祭りの情報を得ていない。挑まれて、立ち向かえと自分はとても冷静なはずだったのに。
「オヤ、赤い」
「その! 賑やかで、華やかで、駒形提灯も夢のようにきれいですけど…」
 恥を払拭するように敢えて強く言った。振り向いて教えた赤司の姿が思い出される。彼はそのまま背を向けて行ってしまった。背中でも自分のことを気に掛けて失ったりしないと信じ込んでいたのは自惚れが過ぎる。
「宵山に惑わされたらあかんで」
「え?」
 桝屋はきょとんとする黒子に目だけ合わすと袂に手を入れて先を歩く。
「稚児さんが必要なんやけど、迷い込んだ子が居んねん。誰が、どこへやるんかなあ、宵山少女が連れてったはるかも知らん」
「……」
 黒子は間を措いて桝屋を見、遠く朧に光る提灯を見る。ぞわりと首筋に寒気を感じた。合点と手を打つどころではない、隣の大阪の条例は十六歳未満の青少年が夜、保護者の同伴なしに外出すると補導の対象になってしまうのだった。部活など学校活動は承認されているので大丈夫だとは知っていたが、どのあたりがセーフでアウトだろうかと部で話題になったことがある。子供にしてみれば窮屈な法かも知れないが、昨今はそこまで気を遣わねばならないほどに物騒だ。そうか。姉妹の早く帰るとかそういう話は一方で危険でもあるからだ、観光地の一大祭りなんて親の身にしてみれば心配だろう。宵山少女を捜すというのはゲームのようなものとは言っていたけれど、実のところ奥深い何かを隠し持った活動なのかも知れない。
「ボクが見たのは近所の子じゃないんですか?」
「ほんと、黒子はかわいいやっちゃなあ」羽目は外すなとゆう意味や。
 にたりと桝屋は意地の悪い笑みを浮かべる。柔和そうな若旦那にあるまじき顔だ。
「ひらひらしたあれは見付かるよ。勝った奴が多く酒が飲めるし、それが戦いや」
「……」この大人達はいったい何をしているのだ?
 疑問が浮かぶけど、楽しんでいるのだなあとは思う。
「毎年あるけど、今年のこの祭りは一生に一度きり」
 当たり前のことだ、けれど一生に一度とか言われてしまうと途轍もなく貴重に思えてしまう。
「そやのに黒子くんは連れとはぐれてしもて残念やったなァ」
「そうですけど、彼とは会えると思います」
 キツイ練習、頭の中はインハイのことしかないし、そんな毎日にも後悔なんて微塵も感じていないけれど、ここへ来て良かった。
「みんなと来てみたかったです」
 きれいなものを見て良かった。
 迷子になって、人捜しに参加できて良かった。
「気に入ったら京都へおいで」
 はい、と答えて、にこにこと笑う若旦那を見る。なんとなく今の発言は通り一遍の挨拶のようには思えなかったからだ。
「障りがあるからな、二年の限りや。存分に赤司の邪魔をしてやろう」
「……」あかしのじゃま?
 聞き間違いでなければ馴染みのキーワードが紛れ込んでいる。けれども『明石』は地名で、古典文学の巻名でもある。きっと黒子が思い浮かぶ人物とは違うのだろう。そもそもはぐれてしまった友人は赤司くんですとは話していない。
「そら、祇園さん」
 突き当たった大通りは歩行者天国になっている、出て分かる。ここは四条通だ、鴨川なんてどこにあるのか知らないまま辿り着いていた。それも、橋は背後で、朱塗りの門が光に照らされて聳えて荘厳というよりもどの提灯飾りより派手に見えた。
「桝屋さん」
 マネージャー氏と美女、ひな人形少女が合流する。
「黒子、べっこう飴いる?」
 年若だが女性に突き出されたとあってはいらないとは言えない、親切は有り難く。彼女は確かうらちゃんと呼ばれていた。
「ありがとうございます」
「あかし、いないな。がっかりするなよ」
「はい…」あれ?
 自分は無自覚に彼の名前でも口にしたりしたのだろうか。
「黒子、風船買って来て」
 気付くと少年まで来ていた。船少年は祇園社とは反対方向を指し示し、あそこに紙風船屋さんがあると無表情に言う。はっきり言って人垣の向こうにそんな屋台、黒子には見えない。
「えっと、行けば分かりますか?」
「うん」
「…あの辺り、キラキラしてますね」
「物好きな骨董屋の飾りやな」
 そこを目印にすれば———
「赤司くん」
 人と人の間に見知った頭髪があった、あの着物の柄も記憶にある。凛と姿勢が良いのにどこか頼りなげにも見える肩、笑い方はてんで上手くないと思う。でもそこが彼らしい、他者の感情をコントロールするのに長けた皇帝はふいに見せる緩んだ顔が一番だなんてきっと誰も知らない。
「いま、あの路地に入っていきました。間違いないです」
「路地?」
「ボク、追いかけます。すみません、船くん、風船は買えません。ありがとうございました」
 言って黒子は残像を見失わないよう向かいの路地を見据え、人混みをかきわけた。忘れんでな、と背中に聞いた気がするけれど、空耳かも知れない。
 
 
 闇に吸い込まれるようにして上昇する赤い風船を目の端に見付けた。黒い空に浮かんでいく、風船などあったろうかと見送るまでもなく視線を転じる。
「黒子」
 みたらしだのぜんざいだのと、短冊を揺らす団子屋の前で黒子がつくねんと立っている。
「平気か? なんだか旅でもしてきたみたいだけど」
「赤司、くん…」
 肩で息をし、せっかく着付けた浴衣も何をどうしたらと思うほどに撚れてしまっている。
「大した揉まれっぷりだな」
「失礼な」
 襟を正してやり、そっと息を吐いた。
「まあ良かったよ。携帯は繋がらないし、この人混みだし」オレは汗だくになって探した、とは言えなかった。見失ったのは自分で、気が咎めて、そんなのが腹立たしくもあるから余裕ぶっている。
「すみません」
 ふらりと離れた自覚はあるらしい、黒子は殊勝げに詫び、汗を拭う。でも手にべっこう飴をぶら下げている。掬い上げて弱く振った。
「あ。これは…」
「確かに、壮麗で、賑やかだ。祇園囃子も屋台も浮き立つし、提灯の明かりに目を奪われるだろうが」
 実渕のバイト先に飛び込んだとき、自分はこんな風に汗をかいていたのだろう。そうか、お前も探したのか。笑いたいくらいのすれ違いを演じたんだな。
「せめて、余所を見ないでくれ」
「赤司くん」
「人だらけでも、ここにお前が知っているのはオレしかいないんだ」
「赤司くんは僕が呼んだの、気付きませんでしたか?」
 真っ直ぐな目を向けてから黒子はぼそりと言う。その言葉に口元が僅かに強張った。聞いたとは思う、何も答えずにいると相手はぐいと汗を拭うと視線を逸らす。
「赤司くんには…」
「屋台を冷やかして、振り向いたら見えなくなってた」
 ガラクタを並べたような露天商があり、そこに黒子が喜びそうなものを見付けたところで、気持ちはそちらに向いていた。だけど逃したつもりなんてなかった、いくら存在感が薄かろうがなんだろうが居るのと居ないのとではまるで違うのだ。
「歩きながら、何を気に入るか、どこを見るのかとお前のことしか考えてなかったから」
「……」
 なんだそれ狡くないか、と複雑な表情が告げている。
「その、どうでもいいとかじゃないのは、分かりました」
「するわけない、オレが誘ったのに」彼だけを。
 黒子は気まずい何かを隠すように腕を組んで空を睨んでから、これあげます、とべっこう飴を押しつけてきた。社の横断歩道を渡る、はぐれないよう少し冷えた手首を掴んだ。触れたものを確認するかのように目を落とし、黒子は何も言わない。
「境内で離れそうになったら、テツヤが掴んでいてくれたらいい」
「はい」
 素直に頷くものの、身体が動こうとしない。針で留められてしまったみたいに赤司も動けなくなってしまう。
「テツヤ?」
「ボク、駒形提灯の写真も撮ってないんです」
 逆に強く腕を引き、門の先には進めそうもなく、赤司を見返す顔には決意が籠もっている。一生に一度きりなんです、黒子はこちらの同意を得る気もないという風にきっぱりと言う。
「仕切り直すしかないですよ」
 拳を握る意味が分からない。ボクだって、折角来たのに散々な宣言なんて出来ません。更に不明だ。けれども、やっぱり黒子の声は心地良いし、伝わる体温は嬉しい、黒子のそれがいい。ここに理性と公序良俗なんて言葉が存在しなければ抱き締めて押し倒したいところだ。
「つまりは…」
 黒子に引かれるまま門を背に人波の中へ引き返す。提灯も、屋台も、山鉾も黒子の機種で上手く撮影できないなら自分ので撮ってやらないこともない。思うように歩けないのも、人熱れで蒸し暑いのも愉快だった、阿呆になろう。黒子は解けたように笑う。
「おあいこです」
 まずはラムネでも飲みましょうか。
 
 
 

140825 なおと

 
 
 

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 赤司さんが黒子っちを得るために奮闘する話があったらいいなと思いました。
 そうか、京都があるじゃない、と思いました(京都は古都で観光地で地名です)。
 黒子っちが彷徨う能力を最大限に発揮し(とりあえずよそさんなので東西南北がわからない)、
赤司が探し回って思い通りにならないことに不貞腐れたりする。
 いまのところ矢印は赤司→黒子っちですけど、あんまり考えていないだけで大事には思っているので問題はないです。
こいつら絶対に高校卒業しないと進展しそうにないと思うし…。
 
 今年のリアル祇園祭前に、せめて夏コミまでには終わらせたかったのですがマシンが…壊れて…。
引退した旧マシンの復活となりました。
 そんなわけで、次は学祭シーズンです。
 戦いは、続く。