黒バス_36

 
 
 
 
*始め赤黒、それからどうした?みたいな話です。
*物事の成り行きについては広い心で見て下さい。
*一応彼らは高校を卒業したことにしています。
*今年も何気なくちゃっかりとうっかりな黄瀬君でよいと思います。
 
 
 
 

【PDF版】<<※作製は未定です>>

 
 
 
<お願い>
※記載内の無断転載、無断コピー、データ転用、改変、再配布等はご遠慮下さい、お願いします。
 
 
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明日がくるとして
 
 
 
 
———もし、世界の終わりが明日だとしても、私は今日、林檎の種を蒔くだろう。

ゲオルグ・ゲオルギウ・デジ(※) 

 
 
 
「あー…」
 落ち葉はカラカラに乾いていて、しわくちゃになった紙みたいで、歩くとしゃかしゃかと音を立ててばらばらになった。
「テスト終わったばっかだってのに課題って何スか、何なんスかね」
 何だか懐かしいような道だな、つーか変わってないな。
 通い慣れた道だ、風景は目に馴染んでいて、先頭を歩く背筋の伸びた後ろ姿、スティックアイス片手に喧嘩し合うんだかしてないんだかなのと、頭一つなんかよりもっとでかい影が健気なくらいに猫背になって彼に箱を差し出している。
「…だから甘くはないと言っただろう」
「でも誰が面倒見んのー」
「……」
「そんなん御免だ」
「こっちの台詞なのだよ」
 ああ、そういやあったわ、こんなん。
 確か中二の夏前で中間テストとかそのくらい、とにかく雨が降っても暑くて、落ち葉なんて道にはなかった。黴びたタオルで部室が臭くなって、責任のなすりつけ合いをした。黄瀬から離れた女子が灰原と一緒にいるところを見かけて、…それでどうしたっけ?
 
———黄瀬君。
 
 足下に落ちた木陰、アイスはソーダ味で、彼はお気に入りのバニラシェイクを手にこちらを向いている。
 かつて通った中学校の制服、バスケ部のジャージ、ピースがぐちゃぐちゃになったジグソーパズルみたいに絵柄は崩れて、え、と声を出したところで、いつの間にかみんな違う制服を着ていたことに気付いた。
「……」
 ふと記憶の淵から引き上げられて目が覚める。
「寝て、た…?」
 ぼうっとしているから本当に寝ていたのかは半信半疑で、でもゆらゆらと交錯する記憶はいつのものかも定かではないけれど、確かに過去にあったものばかりだった。
「……」
 夢で、黒子っちに会った。
 会えたのに。
「…あー…」クソ。
 舌打ちしたところで誰が窘めるでもない。無音の中、というか自分が立てる物音しか聞こえてこず、途方に暮れてしまう。一体自分はどうなってしまうのだろう、と黄瀬は何度目かも分からない溜息を吐いた。
 
 
 
 赤司は近付いてくる気配を察し、それから相手を目視したのち、記憶と照合させ確認するというごくありふれた処理方法で他者を認識する。わざわざコマンドを打ち込んだりすることもなく脳が勝手にそこまでを弾き出すわけだが、身の内に説明の出来ない感情が生じてしまうように、根深いところに居座る何かのせいでなのか、大脳という器官はまこと奥深く、本人すら気付かずに機能する部分により、解を変えたりすることも稀にある。
「黄瀬?」
 言いながらも赤司は眉間に皺を刻んでいた。我ながらくっきりしていると思えるくらいに、だ。
「黒子テツヤです」
 彼の繰り出すパスの如く無駄のない返答だ。
「ボクは黒子ですよ、赤司君」
 面白くもなさそうに黒子は続けた。
「黄瀬君がどうかしたんですか?」
「いや? もう会ってないのかい? 相談だとか言ってたが…」
 赤司が問うと黒子はすぐには応えず、じっと問いたげに赤司の顔を見てから正面を向いた。
「会ってませんよ」
 心が狭いと非難されようが赤司としては自分以外の人間を彼には近づけたくない。何しろ付き合いは中学時代からとはいえ、交際を始めてからの日は浅いのだ、けれども、黒子の自主性は尊重するつもりだから、表面上は心穏やかに、相反する中で出来ることといえばごくわずかなものだ。寧ろ、危険人物リストの上位に位置する黄瀬が『つきまとわれているような気がする』といった弱音を黒子に吐き出すこと事態、芝居にしては妙な気もしていたのである。同情を引いたりしたいのならそんな話題を選ばないだろうし、『つきまとわれている』なんて男の沽券に関わるようなことを吹聴したがるわけがない。そもそも、似たようなことを中学のときにも零していたことがあり、黒子は自業自得ではないかと斬り捨て、黄瀬の接し方について非があるように返していた。
「メールも来なくなりましたし、赤司君が悩みならって、誰か紹介とかしたんじゃないですか」
「オレは何もしていないよ」
 手を軽く振って疑わしげな視線を向ける黒子を見た。誕生日にと見立てたマフラーが似合っている、桃井が二号そっくりのモチーフに作り替えたという力作のピンも愛嬌があってかわいらしいし、そうですか、とばつの悪い顔を埋めるようにしてついっと頭を動かすのもいい。触れたい。でも我慢だ、一泊二日の小旅行をのっけから台無しにしたくはない。
「紫原にはコーディネーターを紹介したけど」
 ああ、とぴんと来たか口を開く。
「もしかして彼のお姉さんの話ですか?」
「うん。黒子も聞いていたか」
「はい。紫原君はお菓子だと熱心なので話したりしますから」桃井さんも知ってました。
 それは新しい情報に触れるとせっせと連絡を寄越してくれる親切な誰かのせいだろうとは言わない。頑固は転じれば健気、気配りが出来る黒子に紫原も無愛想には出来ないはずだ。というか、黒子の厚意を蔑ろにしようものなら赤司の念のこもった業物(鋏とも言う)が黙っていない。
「海外ですか…」
 憧れともつかない吐息を漏らす。
「遊びじゃないぞ。言葉もろくに通じない街でフィールドワークなんて紫原も心配だろう」
 紫原の姉が中米の都市に滞在することになった、彼女は大学で都市計画を専攻しており、そのための調査だそうだ。例によって気怠い物言いで紫原から聞いてあそこの現地法人には知り合いがいるからと赤司は連絡を取り、仲介したのだった。
「そうですね、邦人事件のニュースは先日もありましたから…」
 語尾もひっそりと慎むように黒子は言う。
 二日前に報道された痛ましいニュースだろう、とある町外れの路地で邦人女性が遺体で発見された、彼女は一人旅でその地を訪れており、そこまでガイドをつとめたという現地の男性から証言が得られていた。男女二人と古い教会で彼女は待ち合わせをしていたらしい。この二人を事件の関係者として現地警察が行方を捜しているとのことだった。
「不測の事態はいつどこで起こるかもわからないものだからな。とはいえ、せっかくの海外滞在で味気ない思い出ばかり持って帰るのも虚しいだろうが」
「だから赤司君はわざわざ」
 彼を取り囲む空気が緩む。黒子はまるで自分のことのように嬉しげな顔をする。
「……」
「きっと楽しくて有意義な調査になります」
 黒子は手を伸ばし、赤司の手を掴む。
「信号、変わりそうですよ」
 引かれるようにして横断歩道を走る。片道二車線の広い道沿いをひたすら真っ直ぐに進めば正面には海が見えてくるはずだった。
「黄瀬君の話を聞いたときはキミ、あからさまに不服そうでしたけどね」
 握り返す。しっかりと体温を逃さないように。
「あんなのを真面目に取り合わなくてもいいだろう」
 黒子は不思議そうな顔をすると無言で歩いて行く。
「黒子?」
「それなのに『黄瀬』くんですか」
 先ほどの発言について彼は何か考えているようだった。
「ああ」
 匂いも音もまだない。足下はアスファルトの感触だが、路肩などに小さく溜まっているのは明らかに細かな砂だ、海の近さが吹き付けてくる風からも感じられるようだった。大学の気楽な冬休みはこんな行き当たりばったりのデートも出来て気持ちにも余裕が出来る。
「どうしてだろうな」
 それについては赤司も分からない、黄瀬を見たというよりも気配のようなものが感じられたのだ。
「虫の知らせというやつかな」
「どんな」
「お邪魔虫」
 相手はとりあわず平然と聞き流す。
 松が立ち並んだ道が途切れ、反対車線側に渡す歩道橋の向こうに空が広がって海が見えてきた。海岸に沿って横たわる道路を車が走っている。季節が季節ということもあって人通りは少なかった。信号が赤なので立ち止まる。通りの向こう側はもう防波堤だ、手前に設けられている歩道を犬を連れた少女が歩いていた。
「冬の海って、何て言うか…静かですね」
 黒子は海岸線を見詰めながらぼそりと呟く、と同時にゆらりと前に身体が傾いた。
———バウッ! バウバウバウ!
 唐突に犬が吠え、意識が向きかけたが反射的に身体が動いた。
「っ…」
 握る手をぐっと後方に引く。
「黒子?」
 黒子も驚いたような顔で背後を振り返っている。
「どうしたんだ? 急かさなくても海はもう…」
「違います」
 空いた手で腹や背中を叩き、彼自身もどこか腑に落ちないような顔つきになっている。
「押されたんです」
「え?」
 信号が青になる。
「後ろと、前から」
 ぽかんと、訳が分からないという顔で黒子は赤司を見て言った。
 
 
 
 手を繋いで海岸線を歩いた。
 自分達は子供ではないから、堂々と手を繋いで往来を歩くことなんて出来ない。恥ずかしいし、やっぱり世間体というものを気にせずにはいられないからだ。そもそも二人の世界というものに没入するような性格でもないし、何より赤司が誰かに後ろ指をさされたり、親族から糾弾されでもしたら黒子は耐えられない。彼なら全力で立ち向かい、ねじ伏せようとするだろうから。
 だからこれで精一杯、それでも嬉しくて楽しくてふわふわする。
 自慢したいとか、見せつけたいとかそんな思いはない、当たり前のように出来ることが黒子を幸せな気分にさせる。
「……」
 とても口には出せないけど、好きなのだと思う。
 悔しいけれど、してやられてしまっている。
「黒子」
「はい」
 半分夢うつつといった声になってしまった。
「桜貝探しは諦めよう」
「え」
 砂浜に踏み入ってすぐに見付けた桜貝はまるで小指の爪ほどの小ささで、それでも薄い桃色はきらきらしていて、是非もう片方を見付け出して一つの形にしてみようなんてくすぐったいくらいに恋人同士のそれで、照れるやら笑ってしまうやらだった。
「手袋をしても分かるくらいにお前の手が冷たくなってきている」
 赤司は顔を覗き込むと冷えてきたんじゃないか? とどこか責めるような口調で言ってきた。
「寒くないですよ?」
 さくさくと音を立てながら一応主張する。海風が吹き付けてきてはいるけれどそれは赤司も同じで、波は穏やかだし、天気だって悪くない。
「というか、冬生まれナメないで下さい」
 吐息すら氷結するほどに寒すぎるのはともかく、黒子は冬は得意な方だ。
「寒さに慣れて鈍くなっているだけだよ」
 体内深部の温度だとかの理屈を超え、こういうところはお坊ちゃん感を剥き出しにする。赤司は筋肉のつきにくい黒子とは異なり、適度に引き締まっていたし、筋力からして黒子とは違う。体温は高めで、触れていてもよく分かる、代謝もいいからウイルスなどによる発熱が感知しにくいのだ。
「……」
 そんなことはない、と赤司に目で訴える。桜貝はともかく、赤司に弱く見られるのは嫌だった。
「…まったく」
 聞き分けのない子供を相手にしているように息を吐き、渋々ながらも譲ってくれたかと思うと繋いだ方の手を引き寄せ、覆い被さるように顔を近づけてきた。
「っ…」
 こつんと額が当たる。右腕が離れるのを阻むように腰に回り、完全に封じられた。
「冷えてなんていませんけど」
「強情だな」
 相手は強気で押してくる。
「赤司君」
「口実のために可愛い嘘くらい言ってくれても」
 こんな切なそうな目を向けてくれて、言ってくださいと懇願したら言わないでもない。
「…ここで屈したらボクはキミにいいようにされてしまいます」
 黒子の言葉を無視し、黒子の手から離れた指先は顎の線から輪郭を撫で上げてゆき、耳に触れていって頭髪の中に差し入れられた。びくっと身体が反応する。
「バレたか」
 唇が、触れてくる。まるで黒子から体温を奪うようにすぐに離れていった。
「明け透けに下心を晒さないでください」
「ここで確かめれおけば、芯から二人で温まるのに都合がいいじゃないか」
 嘘だ。波の音は相乗効果で、これから身体を繋げ合うために気持ちを盛り上げようという魂胆のもとで、これで高ぶりを宥めて抑えさせておくというだけなのだ。
「…っ、ふ」
 躊躇もなく唇を奪ってこられては、口腔内でぬるい熱を分け合う。
「ん…」
 舌先を探り合い、絡める前に離れた。赤司は物足りなそうに頬や目元に口づけている。
「黒子」
 ほっとしたように抱き締める。
「オレが支えているから押されも引かれもしないよ」
「そ、そういうんじゃ」
 声が明らかにねだっていて、ぞくりと首筋から腰に電流が走りそうになる。この先のことを黒子だって期待しているし、まだ二人とも探り探りの状態だけど、だからこそ相手が前のめりになって欲しがる気持ちも理解出来なくはない。立ち止まったりしながらの交際はなんとか進行中、拙い交わりは歪なようで、苦痛と快楽のうねり一つ一つが胸に刻まれて残る。
「……」
 ごくりと喉を鳴らし、肌にむしゃぶりつく、その色っぽい顔を来たら。
「あ、赤司くん?」
 湿った吐息が少しばかり乱れている。
「もう一回かな」
 悪戯っぽく見詰め、ぺろりと上唇を舐める。
 まだ陽は短いから暗くなろうとする時間かも知れない。しかしひとけの少ない冬の海でも流石に人目が気になる。
———ザッ…
 打ち寄せる波と、どこか感じる温い風が。
「あ」
 赤司の背中越しにぴょこんと飛び込んできた。
「黄瀬、くん…」
「……」
 赤司はぴたりと動かなくなり、黒子は気まずさ以上に不審を抱く。
「…黄瀬君?」
———ザザァ…
 誰もいない、感じるのは赤司の体温と重さで、それだけ。
 くっきりした残像は幻覚なのか? 波の音に取り残されたような、現実感のない虚像が音もなく足下に落ちた。
 
 
 
 夜、赤司が予約した宿で二人はよいしょよいしょと親密な結びつきに勤しんだ。『黄瀬』というキーワードにわだかまりを覚えながらではあるが、より仲良くなる儀式にはとりあえず妨げにはならず、二人にとっては猜疑心があるなりの迷路の先にある何か、という認識になっている。
「黄瀬の片鱗なんてあったか?」
「いえ全く」
 明日は景勝地を歩いて記念館、それから食事は。赤司はタオルで頭髪を扱きながら観光情報をタブレットで検索する。タイムスケジュールの確認だ、布団の上にぺたんと座っている黒子はガイドブックを手にしたままテレビを見ていた。そのためか少しばかり上の空のようだ。
「…訪問の予定です。東京都目黒区の交差点でオートバイと乗用車が接触し、歩道に乗り上げる事故がありました」
「あ…」
 現場の様子が画面に映し出される。ひしゃげたガードレールと路面の擦過痕が生々しい。オートバイと乗用車は撤去された後で、警察車両が規制線の中に留まり、制服を着た警官達が動いていた。
「この事故で、信号待ちをしていた歩行者が巻き込まれました。このうち二十代女性と六十代の男性が病院に搬送されましたが…」
「……」
 赤司はリモコンを拾い上げ、黒子の横にしゃがみ込む。
「黒子」
 朝食後、チェックアウトをしてから荷物はコインロッカーにでも入れて置いた方がいい。行きは宿のサービスで駅から運ばれていったが明日は山際を歩くのだからと、提案しようとしていたのだが。
「……」
 黒子はまんじりともせず画面を見ている、まるで子供が夢中になっているかのように薄く口を開き、瞬きさえ少ない。
「明日は晴れ、関東北部の一部で雲がかかることがありますが、一時的なもので崩れる心配はありません。日差しも温かく、穏やかな一日になるでしょう。予想最高気温は今日よりも上がり十六度、夜との気温差がありますから…」
 仲睦まじくしたばかりというのに、手のひらを返したようにこれとはいただけない。
「こら、テツヤ」
 彼の、耳の弱いところに手を伸ばした。
「…っ!!」
 爪で潰すように一点を捻るとガイドブックを投げ飛ばし、目が覚めたような顔つきになる。
「いった…」
 耳を押さえて涙目になっている、痛くしたのだから当然だ。
「そんな集中力があるならもっと愉しむことにしようか?」
 膝を詰めると黒子はあ、と襟元を直すようにして退く。そのまま低頭しそうな勢いだ。
「…ほんとおなかいっぱいなのですみません」
「うん」
 少食なうえに慣れてもいない彼に無理強いは出来ない、こうして一緒にいられるだけでも気持ちはほこほこになるし赤司も多くは求めてはいないけれど、気がかりはある。
「冷えてないか? 黒子」
「室内は床暖房ですよね?」
 黒子は空調設備はちゃんとしているのにどうしてだとばかりに首を横に振る。
「この宿は古いうえに日本家屋だから冷えやすいし、湿気も溜まる。オレも最初はそういう特性だからと思っていたのだけど、お前の耳に触れて気付いたよ」
 言いながら赤司は黒子の肩に布団を掛ける。いよいよ黒子は首を傾げた。
「黒子は今日、体温が低い」
「は?」
「はしゃいでいて気付かないというのなら正直オレは嬉しい。きちんと受け入れてくれたし、素晴らしかった。顔色も悪くないし、お前は何も装っていない」
「……。そうでしたか?」
 暫く黙ってから黒子は応え、再び黙り込んだ。いまいち分かっているような分かっていない様子だ。
「食事をしたり、入浴したり、動いたりして身体を温めた後、急激に下がるようだ。とにかく、オレの知る温度とは違っている。長時間冷えた場所にいるかのようなそんな印象なんだが」
 赤司の言いたいことが伝わったのかは定かではないが、黒子は胡座を掻き、腕を組む。
「赤司君」
「何だ?」
「ボクの低く感知されるという体温と関係あるのかも分かりません。非常に言いにくいことなんですが、さっきの発言を撤回します。赤司君が汗を流していたとき、テレビは別のチャンネルをつけていたんです。何を思ったわけでもなくて手が動いて、チャンネルを変えました。ちょうどニュースでした、ボクは漫然と見ていたつもりなんですけど、交通事故の現場を画面を食い入るように見ていたのは黄瀬君でした」
「黄瀬?」
 なにゆえここで黄瀬?
「ボクにも説明出来ません、交通事故のニュースからどうも黄瀬君が見えるんですよ。海でもふいに視界をかすめた気がしましたし」
「待て」
 海辺ということはいまから数時間も前、それくらいに赤司も脳が誤作動を起こした。
「今も黄瀬らしきものは見えるのか?」
 黒子は認めたくないとでも言いたげに頷いてみせる。
「…はい」
「どうして」
「ボクが聞きたいです。霊感もないし、心霊現象にも無縁な人生送ってきましたから肝試しくらいしかしたことだってありません」
 そこは言い切って胸を張ってくれ、そして赤司の座る後方の隅を指し示す。
「黄瀬君、あそこで小さくなってます」
「え…」
 赤司は振り返り、何もないのを確かめてから黒子を見返した。
「何も見えないが、黄瀬がいるとしたら、オレ達の後をずっとついていたということになり、…全部見ていたということにならないか?」
 急速に思考が走り出した、本日の記憶の整理と想定される場面の数々が整然と並んでいく。あたたかになるあれから胸を締め付けるようなこれもか。どんな姿であろうが良い度胸だ。さてどうしてくれようか。そうだな、あいつを呼び出して視ることからやってみるとしようか。ははは、腕が鳴るな。
「赤司君、落ち着いて」
「僕は十分に落ち着いているよテツヤ」
 相手が裾を引っ張るのを無視して隅に行く。見下ろして見上げたが目に映るのは畳の縁であり、よく磨かれた鴨居と柱だった。
「平板に言わないでください。誰召喚してるんですか、ダブルタッグで圧がハンパないです」
「それで涼太は?」
 振り向いて訊く。
「その笑い怖いですよ、黄瀬君は頭を激しく横に振ってます。気付くとボク達のところに飛んできてしまうみたいです」
 と、黒子はあ、と視線を虚空に浮かべる。
「どうした?」
「…黄瀬君、消えました」
 黒子は騙されたかのような、取り残されたような顔で告げた。
 
 
 
———知ったような顔で拗ねないでください、自業自得ですよ。
 へぶっしょ、と自分の嚔で目が覚めた。
 腹減ったなー、と転がってみる。動いても考えても腹が減り、神経が疲れる。することがないので黄瀬はなるべく眠るようにしていた、少なくとも凍えるほど寒い場所じゃない。それでも防音が施されているのは分かる、明かり取りの窓ははめ殺しなんだろう、やっぱどこかのスタジオなんじゃんと結論づけられたのはいいけれどトイレもなく水一本もないのは堪えた。
「夜かー…」
 早朝かもしれない。外は暗いようで、室内は温度といい、明るさも変わらない。
 まさか事務所を騙って呼び出されて閉じ込められてしまうとは、これって自分が悪いのだろうか。いやでも、そこまでされる心当たりもないし、誰がこんなことをしたのかもさっぱりだし、ましてや逆恨みとかならとんだとばっちりだ。
「オレ、死ぬのかな」
 黄瀬はぽつりと呟いてみる。
 本当はなんとなく思ったことだけど口にしたら現実に近付きそうで言いたくなかった、それ以前に何でこんな事になった? という疑問の方が大きかったせいもある。でも口に出してみたところで、なんか軽いな、という感想しか持てなかった。
「人は、こうやって唐突に、人生を終えちゃったりするんスねー…」
 誰にともなく言ってみたりもする。
「あー…でもでも」
 ごろんごろんと転がる。
「ん?」
 そして気付く、スマートフォンがどこにもないことに。ポケットに入れておいたはずなのに抜かれたのだろうか、それとも落としてしまったのか。あれ? でもいつからなかったんだ?
「マジか。しょーがねーなー…」
 気を取り直す。それなりに図太かったりするので黄瀬は夢に黒子が出てくるのが嬉しかった。記憶の中の彼はばっさり斬ってはくれたけど、あれって、女の子をとられた腹いせに滅茶苦茶なことをして言われたものだった。慰めもしないで、続いた言葉がイラっとしたんだよなー、と笑う。前は焦れたり、苛ついたりした。夢の中ではおまけのように赤司や火神達も出てきたりするけれど、自分の根っこはそこなのかなと思うとむずむずしてしまう。
「あ。筋トレしよ」
 起き上がり、親指同士が括られているのを見て腕立ては諦める。腹筋に背筋を二百回。水分は取れないからゆっくりと筋肉を意識しながら動かすようにする。
「……」
 うん、オレは、おかしくなってない。
「大丈夫」
 守るっスよ、オレ。
「大事なのは日頃の習慣と信用っスからね」
 それに諦めるのはここじゃないと、何度も叱る声が聞こえるような気がするのだ。結構絶望的に思えるような状況なのにもかかわらず。
 
 
 
「黒子!」
 ぐっと前に押し出された感覚はあった、が、すんでのところで車両と自分との間を切り裂くように押し戻そうとする力があって、気付くと赤司に受け止められていた。
「え、あ…」
 軋音をあげ、プラットホームに滑り込んできた車両が停止する。
 ドアが一斉に開いて怖気が足下から全身を貫いていった。
「平気か? 乗れる?」
 赤司は他の乗客達に不審に思われないようにか、二人分の荷物を持って黒子を病人かのように扱う。目の前の学生が席を譲ってくれた、それほどに自分の顔は青ざめていたのだろう、ありがとうございますと礼を述べる赤司の声も遠かった。
「押されたな」
 荷物を網棚に載せるとき、赤司が耳元に囁きかける。敵意が滲んでいる、黒子には見えない悪意が棘のように突き刺さって感じられていた。
「すみません…」
 どうして謝るのだと言いたげに赤司は肩を揺らすと頭に手を乗せる。
「眠ろうか、黒子。着いたら起こすから」
「あ。大丈夫、です」
 声も震えているのが分かる、心配そうに初老の婦人が声を掛けてくれ、飴をくれた。
「どうも寝不足みたいです」
 黒子のか細くなった礼に被せてくる、やさしくて穏やかな声色だが厚かましさを追い払うべく漲らせた緊張感が窺えるうえに、戸惑いがちなよそよそしさという演技は新鮮すぎて黒子の心臓に悪い。
「……」
「無理するな」
 彼がいるから黒子は席を譲られたのだし、飴を貰えた。
 赤司の厚意に甘えることにして振動に身を任せ、目を閉じた。赤司ほど慢性化した寝不足でもないし、昨晩は熟睡しているが、強い悪意を持って背中を押されたというショックは拭えず、とんと正面から弾かれて後方に蹌踉けたのも解せないから頭は混乱している。
 赤司こそびっくりしただろう、彼は荷物を手にメールが来たとスマートフォンを操作していた。隣に立っていた黒子が押され、やや仰け反ったように前に踏み出し、反応が間に合わずにいたのを不自然な体勢で後ろに弾かれたのだから咄嗟に受け止めながらも唖然としたはずだ。
 黒子達は朝食後、早めにチェックアウトを済ませて駅のコインロッカーに荷物を預けに来た。ここからバスで移動する、時間まで近くの神社を散策し、開店したばかりの土産物店をひやかしていると桃井からの一斉メールが届いた。午前十時十七分、昨日から黄瀬は行方が知れず、連絡が取れなくなっているらしい。話し合うまでもなく黒子と赤司は予定を変更し、帰ることにした。
 理由はさっぱりだが、とにかく黄瀬を見付けなければ、イタコでも何でもこちらから突撃しなければと主張したのは黒子だった。赤司はイタコではなく警察に任せてせいぜい探偵とか、と現実的ではあるが地図やらを収集し始めていた、その矢先にこれだった。何だか見えない悪意に行動を邪魔されているような気がする、それには黄瀬が絡んでいるようにしか思えない。
「…交通事故?」
 ふと頭に思い浮かんで口にする。
「それはないな」
 いつの間にか隣に座っていた赤司が却下する。
「あの事故の続報を探したけど、黄瀬は被害者でもなかった。オートバイの前方不注意らしい、幸いなことに死者はいない。停止していたタクシーのドライブレコーダーで検証できたとあった、オートバイのドライバーと歩行者の二人が重傷、二十代の女性の方が意識不明とある。軽傷者三人は親子連れと高齢者だったから黄瀬に当たらない。場所柄から目撃はした可能性はあるが、巻き込まれようもないし、ドライブレコーダーは警察だから確認することは出来ないな」
「……」
 涼しい顔で情報量と記憶力が流石だ。
「そもそも黄瀬はいつから連絡が取れなくなったんだ?」
 まるで黒子を誘導するように疑問を呟く。
「正確な時間は黄瀬君のスマートフォンでも見なきゃ分からないんじゃないですか?」
「うん。きっと大量のメールや着信通知があるんだろうな」
「もし…黄瀬君がスマホを持っていたらサーチ機能で探知できますよね?」
「だろうな。バッテリー切れの可能性も高いが」
「ガラケーなので分からないんですけど、バッテリー切れたら便利な機能も使えなくなるんですか?」
 さあ、と首を傾げてみせる。周到な彼は電源を切りはするが、バッテリーを切らしたことはないらしい。
「単純なことだが…、黒子」
「はい」
「広大な宇宙空間でもいい、何もない無人島で信頼する誰かにSOSを伝えようとするとき、お前ならどうする?」
 黒子は瞬きをし、黙考する。何を急にとは言わない、自分しかいない無人島、宇宙空間に放り出されたスペースシャトル、途方もない孤独とひたひたと歩み寄る危機感。もし自分なら。
「気付いて貰えるよう尽くします」
「うん」
 赤司は尤もだというように頷いてから、そっと続けた。
「オレはきっと空威張りして、胸の内でひたすら祈るんだ」
「『祈る』」
 ついでに神や仏に毒吐くだろう、とさらりと言う。意外すぎる、軽く殴られたような感じがするくらいだ、赤司なら感情をとっとと切り捨て、建設的にてきぱきと手段を講じて動くものだと思っていた。
「赤司君にしてはというか、…諦めるのが早すぎます」
 否定するわけではないけれど、正直に返してしまう。赤司は困ったように口元を歪ませた。
「幻滅した?」
 頭を振った。祈るとか希うなんて助けられるための前提にある思いだ。思いのよすがを何かに込める。ただ、求めるだけの術を思いつく知力もあるというのに物足りないだけで。
「慢心と過信のせいで欠落してしまっているんだ、『気付かれない』ことなんて有り得ないことで信じない、そのクセが残っている。黄瀬も似ていると思う。だから黒子を呼び続けている」
「そんな」
 まあ、お前の辿る運命の糸の先はオレ一択しかないが、とまったく憚ることもなく恥ずかしげもなく赤司は結び、電車は東京駅に到着した。
 
 
 
「事務所の人から聞いたんだけど、きーちゃん、ストーカーがいるんだって」
 低く桃井が教えてくれるのを青峰が一蹴する。
「悪趣味だよなそいつ」
 東京に戻り、桃井達と合流した。というか、彼女は青峰を連れて待っていた、一人では不安を抱えきれないらしい、察した黒子は無理に明るく振る舞う桃井に駈け寄った。
「でも、きーちゃんがいなくなったと同じくらいに事務所とか撮影スタジオ付近で見なくなったらしいから、きっとその人かもって」
「え?」
 黒子と赤司は顔を見合わせた。
「ガチだったんですね」
「そうだな」
 知ってたんだ、と桃井は目を丸くしてからそれでね、とテーブルの中央にひっそりと落とすように声を潜ませる。
「たぶん監禁とかされてるんだと思う…」
「ストーカーの仕業ならそう考えるのが妥当だな」
 赤司も異論はない。行方知れずで、自主的なものでないのなら誘拐拉致監禁といった犯罪が浮かぶ。何らかの事件性が見出せないのだから、やはり身近なところでストーカーによるものという意見に落ち着くのが尤もだ。それに焦点を当てた方が漠然とした不安感を抱えているよりもいい、分からない方が恐怖感は強く覚えるものだ。
「その容疑者? と思われている人っていま入院してるんだって」
「腹でも切ったのかよ?」
 青峰は詰まらなさそうな顔でいながらもしっかり聞いている。
「交通事故? 会えないみたいで」
「へー」
 てかオマエ、そこまで調べたのかよ、と口では呆れているが感心しているようでもあった。桃井は気まずそうな顔つきになり、だって心配で何かせずにはいられないから、と呟いて俯いた。
「だからって黄瀬んちに乗り込むことはねーだろ」
「青峰君冷たい」
 とかやりとりをしながらも青峰はずっと桃井に付き合っているわけなのだが、ここに赤司と黒子が加わったところで朗報がもたらされることもなく。
「警察とか…」
「……」
 確かに、身内で大騒ぎするくらいならいいが、国家機構が動くともなると話は別物になる。所属事務所の所長が黄瀬の両親を説得して通報したらしい。黄瀬の母親は桃井に大袈裟になっちゃって、と零したという。中学時代、高校、連絡が回ったのは彼女の知りうる限りの交友関係で、赤司達の知っている名を挙げていた。
「桃井、個人だがそのストーカーについて情報は持っているのかな?」
 インターネット上の規制は見直されようとしているが、いまや個人が世界に発信するためのアカウントを持つ時代である。プライバシー保護と公開はイタチごっこのまま情報社会は成り立っている。
「あるよ!」
 すかさずタブレットを鞄から取り出す。
「お金持ってないとストーキングって出来ないと思うんだよね、私と青峰君、こないだのオフできーちゃんと会ってたから事務所の人にも呼ばれたの。モデルさんとも話せたよ」
 赤司は頷く、天晴れな行動力である。
「芸能プロダクションの人で最初はモデルとして入ったんだって。いまは社員みたいだけど、昔のキャッシュが残ってるんだよね」
 リストが表示され、タッチするとプロフィールと写真が映し出される。
「情報管理ぬるいな」
「タレントで復帰とかのためだよ、きっと」
「この人がいま入院中の人なんですか?」
 黒子はタブレットを覗き込みながら言った。そして気付いたように顔を上げ、後方を振り向く。
「どした? テツ」
 国道沿いの洒落たベーカリーカフェの二階、カップルと女性達のグループで席を占められている、セルフサービスのファストフード店とは異なり、ここはオーダーしたものがテーブルに運ばれてくる。
「ちょっと用を思いつきました」
 携帯電話を手に席を立ち上がる。
「黒子」
 赤司も立ち上がった。
「連れションかよ」
「青峰君」
 赤司が頼んだサンドウィッチを口に詰めている青峰を窘め、桃井はひらひらと手を振り、そのまま力尽きたようにテーブルに顔を伏していた。
「桃井さん、体調が悪そうです」
「心労かな。スコーンは青峰が食べてしまったし、紅茶も殆ど飲んでないな」
「……」
 階段の前を直進すると化粧室だ、黒子は応えず狭い階段の前で足を止める。階段は緩い螺旋状になっているが目新しさもない、十段先がすれ違えるくらいの踊り場になっていて狭かった。
「黒子?」
 踵を反転させ、段を背にくるりと赤司を向く、嫌な予感しかしない。
「おい…」
「見付けました」
 黒子の身体はぐらりと後方に傾き、赤司にも黒子の肩を正面から押す手が見えた。手すりも持たずそのまま階段を落下しそうになるのを赤司は捕まえようとする。
———カタ…
「黄瀬君、ハウスです」
 言ったと同時に黒子は携帯電話を前方に投げ遣り、「必ず助けに行きますから」。
「…っ」
 どうにか一歩ぶんだけの下段に足を着地させる。黒子の携帯は弧を描くこともなくドアにぶつかって落ちた。
「黄瀬を見たのか?」
「っと」
 バランスを取ろうと虚空を掻く腕を掴んで引き上げた。
「たぶん。真似しておくもんですね、日向先輩のシュート。重心の乗せ方を忘れてないか不安だったんですけど」
 肝を冷やすようなことをしておいてけろりと言ってくれる。
 気付いた桃井がやってきて、戸惑ったような顔で黒子の携帯電話を手渡す。青峰はコップの水を空にして桃井のタブレットを見ていた。緑間からのメールがあったらしい。
「…何もここでしなくてもいいだろう」
「落ちないようにするためには馴染んだ習慣でやるのが一番でしたから」
「……」
 そうだな、確かに見えない悪意に立ち向かい、お前はまるで引いてない。
 
 
 
 …カヅケサセナイ。
 ダレニモ———
「いった…」
 頭を殴られたような感覚がしている。あれ、気を失ってた?
 溜め込んだ唾を飲み込む、喉がからからだ。
「ヤバイ、スね…」
 体温が下がっているのを自覚する、ここに閉じ込められてから何も口にしていない。とにかく空腹で、喉が渇いている。
「……」
 床に投げ出した手を伸ばす。息を吐いた、倦怠感もなければ息苦しさもない。あれにくらべたらこんなのてんで軽い、だからまだまだ。
 動いた方がいいのかな、それとも動かない方がいいのかな。
———ハウスです。
 そういえば黒子の声は幻聴なのだろうか、どうも記憶とごちゃまぜだ。妄想か? 彼は何故か私服でしかもシュートフォームだった。てかハウスとか、なんで言われなきゃいけないんだか。
「ケータイ…」
 黄瀬は投げられた黒子の携帯電話の軌道を目で追っていた、オレのはどこだ?
「あー思い出せねー…」腹減りすぎて。
 床に手をつき直して身体を持ち上げる。背中を壁面につけて座る、床は固く押し返すばかりで尻も痛いし、背中もガチガチだ、それがどうした。見栄上等、背筋を伸ばしてカッコ悪くないように。
 黄瀬はいまの自分を自嘲するほど嫌いではなかったし、前よりも大人や社会を相手に上手く立ち回れるようになったとも思っている。
「オレのスマホちゃんが転売とかされてませんように」
 明かり取りの窓に向かって祈る。
 念入りなストレッチをしたらあの窓に挑戦する。アクセサリーでも何でも印になるものを探そう。
———日頃の習慣と信用がものをいうんです。
———君が心から必要としたとき、それは強い味方になるんですから。
 それは華々しい『才能』とは正反対の、使い古されたようなカビ臭いもので、なのに金言みたいに妙にきらきらしててムカついたわけだけど、粘り強く残っていたりするのだ。
「…っし」
 だから、こんなんなっちゃってるのに、黄瀬は信じて疑っていない。
 
 
 
「緑間君て、しつこいんですね」
「デショー? もうそういうとこ勘弁してっていっくらオレが頼んでも聞かなくて」
 からから笑う高尾は高校時代に愛用したママチャリ付きのリヤカーではなく、コンパクトカーのハンドルを握っている。
「黙れ高尾」
「ちょっ、大ちゃん痛っ…どこ触ってんの!」
「誰が触るか! 単に乗りすぎなんだよ」
「あー…。おまわりさんに注意されるから桃井ちゃん、もうちょい先では頑張って小さくなってくれないかなー?」
「えっ…!?」
「それにしてもよく取り戻せたものだな」
「赤司もな。ジャンケンにしてって言ったのにさあ…」
 力士ではないがそれなりの青年達が高尾の運転で黄瀬がいるであろうスタジオハウスに運ばれている。助手席には黒子、後方のシートには助手席を追い出された緑間に赤司、青峰、そして桃井だ。五人乗りの仕様なので後方は誰も寛げないでいる。バックミラーを見遣りながらやっぱり桃井は帰すべきだったと黒子は後悔しつつ黄瀬のスマートフォンを持ち直した。ロックがかかっているから中身は見られないが、シンプルなケースにぶら下がった趣味を疑うアクセサリーは紛れもなく黄瀬のものだった。
「黄瀬が迂闊なだけなのだよ、よりによって落とすなんて」
「でも緑間君は鳴らし続けてくれたから」
「着信はしているからな、出るまでかけてみただけだ」
 緑間は素っ気なく言ってどこか誇らしげに眼鏡のブリッジを押す。
「まーでも、そこいらに黄瀬がいるんなら儲けもんじゃん?」
 幹線道を右折すると住宅地に入る。カーナビの地図表示には五百メートル先の小学校の向かいに交番のマークがあり、黒子が教えると桃井は上擦った声で応えた。
「おい、さつき…」
「しょうがないでしょ。みどりん、警察には教えたの?」
「警察?」
 緑間は怪訝な声で返し、隣の赤司が補足をする。
「黄瀬の事務所が警察に捜索願を出している」
「家出とかってそういうの出しても動いてくれないって聞くけど」
 車が重たいとか言いながらも高尾は安全運転なうえに話にも耳を傾けている、無事に交番の前をクリアするとバス通りに出た。カーナビが目的地とするのは私鉄線の踏切の向こうにある雑居ビルだった。地図では近くに児童公園があり、ここで高尾と緑間は黄瀬のスマートフォンを拾った小学生と会っている。飼い犬の散歩でぶるぶると震えているのを拾ったらしい、業を煮やしてさんざんコールし続けた緑間の努力の賜物とも言える。小学生の話によればスマホはマンションの植え込みの土に刺さるようにして落ちていたという、そこへ懲りない緑間からの着信があり、通話が出来たというわけだ。子供の目線だから見付けられたのだろう、礼の菓子と交換のようにして受け取った後、緑間は桃井に連絡をして、結果、大人数のドライブとなったのだった。付き合わされる高尾は慣れているとはいえ、メンツを見て苦い顔で笑った。
「…悪いが高尾、そこを左折して迂回してないか」
「土地勘でもあんのか?」
 青峰は呆れたような口調で問う。
「いや。自転車の無断駐車も多いし、何より危険そうだ」
「確かに」
「どこが」
 同調する男達に桃井はきょとんとする。
「ナビ通りの道だと自転車の接触とかもだけど、おまわりさんとかが張ってそうってこと」
 カーナビは方向は指示するが路肩の停車だとか自転車の交通量までは教えてくれたりしない。赤司は視覚情報から推測し、検索したらしい。
「おー。走りやすー」
 高尾は素直に左折し、緩い坂を上って右折する。道路に分離帯もないが道幅も広く、見通しが良かった。裏道っぽいね、と桃井が呟く。一本の道を変えただけで周囲は違って見える、雑然とした様子が急にひっそりと落ち着いてしまったように思えた。
「もう四時…」
 街灯が灯り、辺りは暗くなっているのだ。狭くなっていく通りを車はゆっくりと進み、黒子は注意深く辺りを見回した。
「二号を連れてくれば」
「そうだな」
 冷静に赤司が応える。
「…まあでも近いんだろうな。テツヤ、不自然に左腕に力が入っている」
 
 
 
 赤司は停止を指示し、車は目的地までの距離を残してコンビニの駐車場に緊急停止した。
「うっわ…」
 高尾が呻く。
 命令されて渋々と黒子が裾をたくし上げると肌にはくっきりと掴まれた指の痕があった。まるで力任せに握り締めたようで、指と覚しい線の間隔から成人女性くらいかと思われた。
「え? なにこれ? どしたの、テツ君…」
 桃井は力が抜けたようにへたり込み、青峰に支えられる羽目になった。黒子は済まなそうに桃井を見、赤司を軽く睨む。
「別に大したことありません」
「大いにあるな」
 腕を組む。
「お前に対するそれは明らかに黄瀬と繋がっている」
「何を言ってるんだ? 赤司」
「部外者!」
 緑間が訳が分からないという風に首を傾げるのを高尾が背中を押して出そうとする。黒子は小さく息を吐くと「桃井さんをイートスペースで先に休ませててください」と言って高尾達を払った。
「テツ君、赤司君も喧嘩しないで」
「大丈夫です」
 黒子の笑顔とともにゴングが鳴り響いたように聞こえた。
「赤司君」
 辺りはすでに暗くなりかけている、ただの人でさえ認識しづらくなる時間だ、黒子がその気になればすぐに姿を見失ってしまえるだろう。
「うん」
 中断させるのは何事だとか、根拠がないとかそんなのはどうでもいいことで、赤司には黒子の異変が見て取れればそれで充分な理由になる。敵をあぶり出し、排除するのみだ。
「…赤司君?」
 スマートフォンを仕舞い、とりあえず赤司は黒子が物を言い出す前に言っておく。
「迂回した道を走った意味はもう一つある、車線からして帰りにガソリンスタンドでスムーズに給油が出来るんだ」
 黒子は割り勘ですね、と小さく応える。彼も運転手の労はともかく消費されるべき燃料までは考えていなかっただろう、車に詫びるような視線を投げかけた。だからといって、当たり前に車は何も言わない。
「ちょっと来てください」
「……」ん?
 尋常なる話し合いかと思いきや手を引かれるとは想定外。黒子はコンビニをちらりと振り返ると桃井達に気付かれないよう車から離れていく。
「腕のことは後で考えましょう。黄瀬君についてですが、どうも先刻から曖昧な感じなんです。赤司君が繋がっていると結論づけたなら意味があります、ボクが何かから突き飛ばされると反発する力が働きましたよね?」
「ああ」
 逆に押し返す何か、だ。階段ではともかく、駅のホームは後退して尻餅をつきそうなところだったのだから。
「昨日の夜、ボクの身体に痣とかありました?」
「ないよ。見えるところにも痕は残さなかっただろう?」
 明け透けに問われたものだが、即答できる。彼らを遠ざけた理由はこれだったか。
「黄瀬君の件はストーカーの女性によるものだというのは納得できます。桃井さんのタブレットを見たときも頭がびりっとした感じがして、それ以上に腑に落ちたものがありました」
「なにが」
 黒子は虚空を見詰め、言いにくそうに続ける。読書でミステリーやSFは嗜むが現実には超常現象じみた物事は縁遠いゆえに認めがたいらしい。
「昨夜のニュース映像ですよ、ボクにはあそこで黄瀬君が見えました。…黄瀬君はボクにサインを発しているんだと思います」
「交通事故の被害者は黄瀬ではなく、黄瀬を閉じ込めた人物というわけか」
「ですよね?」
 同意を求められても。
「…それが黒子に害を為す方」
「その逆が黄瀬君の方」
 赤司の呟きに神妙そうに黒子は続け、ですよね? という視線を向けた。
「早計だったかもな」黄瀬の方かと思ってたんだが…。
「え?」
 どんな理由や仕組みであれ、赤司は黄瀬が黒子に取り憑いたかと思ったのだ、だから交通事故の続報を調べたのである。彼が巻き込まれた状態であるならあの時の不可解さもまだ頷きようがある、が、…とんだ伏兵がいたものだ。
「いや、黒子を間にしてストーカーと黄瀬が戦っているみたいだな。オレはまるで黄瀬の気配が感じられないのだけど、あれから黒子はどうなんだ?」
 相手はむっと口を尖らすと不愉快そうに応えた。
「くっきりとは…。どこか蜃気楼みたいな感じなんです、それがゆらゆらしてます。もしかしたら黄瀬君、体力的に限界がきているのかも」
 茶化したりしたつもりもないし、真に受けていないわけでもない。ただ質問をし合ってばかりだなと思う、だが二人の意見はほぼ一致していると見做していいだろう。つまりは、分からないことは黄瀬を見付け出して吐かせれば良いのである。
「押し出されれば反発があるからボクはまだいいんです。気になるのは桃井さんですよ。黄瀬君に近付こうとしている女性ですから、排除しようとするんじゃないでしょうか? 害意が彼女に向いたらボクの比じゃないですよ」
 やや顔色がよくないのは女性的な要素も含んでのことかと思ってはいたが、黒子のあれを知っていると看過できない。
「拘束されて三十時間くらいは経っているんだろう、そして黄瀬はお前に祈っている」
「赤司君の言う通りに」
 黒子が溜息のように吐き出す吐息は白かった。
「少しは努力もしているよ」
 冷えてきて人肌が恋しくなる。
「…そうですね」
 店内に入ろうと足を向けたところで目の前の通りをパトカーと救急車が連なって走っていく。後の仕事は任せた、と黒子を促しながら赤司は赤色灯を回すそれに頼むことにする。
 
 
 
 まずは窓まで登ろうとした、届かなかったので次には何度もボタンやら靴下を投げるのを繰り返した。見上げてばっかりで首と腕が疲れたし、腹が減って力が出ない、気付くと悪態を吐く有様だった。
「納得いかない!」
 黄瀬は病院のベッド、でなく、点滴のボトルを共に談話スペースで拳を握っていたりする。
「納得も何も素人が出来ることなんてたかが知れてますよ」
「デスヨネ!」
 悔しいが認めざるを得ない。
「まーでも警察が見付けるべきだよね〜、スッゲ赤ちんらしいけど」
「オレも頑張ったんスけど、そういうの探すとかさあ…」
 正直なところを言えば、理不尽に対して我慢し、拘束されていたわりにオレ頑張ったということを誉めて貰いたいだけだ。黄瀬はストーカーに騙されて半地下のスタジオに閉じ込められていたのだが、赤司の機転により事態は無闇に広がりもせず収束した。つまり、ストーカーに拉致された黄瀬は空腹でぐったりしていたのを警察の人に助けられたのだった、脱水症状になっていたため栄養点滴を入れられている。もう元気。
「だから桃ちんとかでスタジオまで絞ったじゃん」
 紫原の指摘通りである、素直に頭を下げた。
「それは…ありがたいス」ほんと。
 そして黄瀬と同じようにされていたわけでもないのに途中で桃井も動けなくなってしまったというのは驚いた、女の子はやわらかくてデリケートなのは知っているが、調子が良くなかったのにと罪悪感がある。
「黄瀬君が無事でよかったですよ」
 黒子は微笑むが、その隣はにこりともしなかった。どうやら彼にしてみれば今回のことは全面的に黄瀬が悪いことになっている、らしい。それこそストーカーに監禁されることよりも理不尽だ。
「……」
「赤司君」
 気遣わしげな黒子の声にすっと視線を合わせてくれるものの、ひんやりともしていなければあたたかみも感じられない目ははっきり言ってぞっとした。
「多分に言いたいことはあるが折を見て小出しにすることにしよう、養生してくれ」
 すっごい上からの物言いだ、見舞われている気が微塵もしない。ていうか、黄瀬がストーカーと面識があるかないかも分からないくらいに覚えていなかったことを知って無表情さが強化されてしまったようなのだ。この空気をなんとかしたい、でも黒子を以てしても無理そうで。
「あ、赤司君。テツ君」
 軽い足音がして、エレベーターの方からコートを手にした桃井がやってくる。
「桃井さん」
「ももっち…」
 神? 女神なの?
「きーちゃん、もう平気なの? ところで青峰君来てない?」
 黄瀬のここまで回復した姿を見ればもういいということなのだろう、きょろきょろと廊下やら辺りを見回して問う。彼女の関心は黄瀬の見えないところに飛んでしまい(そんなことはどうでもよくないけどいまは無視しておく)、いつも通りの明るさにほっと息が漏れた。
「見てないよー」
 代わりに紫原が応える。
「もも…」
 黄瀬が礼を兼ねて謝ろうと言おうとするのを被せ、黒子と赤司が口々に大丈夫か、無理はしていないかと声を掛ける。
「うん。嘘みたいに身体も軽いし、元気だよ。一応貧血の検査はしてきたけど」
「あ…」
 『貧血』とがずきりと胸が痛む、やっぱり謝ろう。
「あはは、うん。ありがと、ほんとに平気なの」
 桃井は女の子らしく乱暴なことだったり、暗がりの道とかを怖がるのに、どこか心配されるのがあまり好きではないようなところがあって、赤司と黒子が頻りに気にするのを察して手を振って終わらせようとする。この二人ならこれ以上は無遠慮に踏み込んでこないものと信じ切っているようだった。
「でもさ、きーちゃん、大変だったね。女難除けの御祓いでもしといたら?」
 黄瀬がこの通りぴんぴんしているので安心しきっていることもあってか、少し意地の悪いような顔でこちらを見る。肩を竦ませてみせた。
「…そスね」
「桃井さんの方こそ行きませんか?」
「え、どこ? デート?」
 そこは恋する乙女だ、途端に照れたように前髪を弄ったりする。青峰だと幼馴染みでどこか弟を見るような顔、黄瀬や赤司、緑間だと気心が知れている様子で、紫原だと女トモダチにも共通するような打ち解け具合、どっこい黒子だけは違う。そして恥じらいはあってもためらいはまったくない。
「これからボクたちとお詣りにです」
「祈祷を頼もう」
「そうですね、守り刀もあった方がいいです」
 桃井はあれ、という顔つきになる。
「? ??」
 では青峰君のことは任せます、と黒子に言われ、黄瀬はぽかんと口を開け、四人を見送ることになる。
「わ、わからないけどそうなのかな?」
「いんでない? 祓っておけば?」
 面倒そうな声ではあるが紫原も異を唱えたりしなかった、飽きていたっぽい。
「やっぱり何事も習慣と信心ですから」
「明日から何が起きてもいいようにな」
「じゃーね、黄瀬ちん」
———チン。
「……」うーん、それは同感。
 明日には何が起こるか分からないから。
 何があっても。
「…だからオレは閉じ込められちゃったんスかね」嫌だけど。
 振った手を下ろす。
「でもオレは習慣と信心で勝てたけど」
 黄瀬は真っ二つに割れたスマートフォンのアクセサリーを買い直さなきゃな、と点滴をぶら下げながら病室に戻ることにする。
 
 
 
 
 
 
※はゲオルグの言葉とされますが通説であり、その作者は未詳ともされています。
 
 
 
 

160108 なおと 

 
 
 
 
 
 
 

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酉年です。
考えたら予定よりも長めになってしまったのでコースは単純です。

 

宝くじ高額当選者の方々の何気ない日課というやつを知り、ひっくり返した発想で作りました。
ミステリーでもないので細かいことはスルーでお願いします。
なんとなくで二人で小旅行って感じになっていますが、赤司さんがかなり頑張って手を回しての一泊旅だったりします。
黒子っちは言うだけ言って物臭そうです、『振ったにも関わらずそこ投げる!?』みたいな、
主に被害者が火神っちであるのが理想。二人は仲良しのまんまだといいなー。
赤司さんは霊感とかゼロだとは思うけど、勘はかなりいいと思います。超常現象とかも普通に受け入れそうです。
黒子っちは都合良く否定したりしなかったり。
桃井ちゃんには実は青峰という守護神がいたりするんだけどかなり気紛れでムラっけがあるという設定にしてみました
(だから赤黒二人が懸念するような事態にはならない)。