プラスマイナス

 暑いうちに! と思って、いまのうちに。
 しえみに一喝されてほんのちょっとの間は二人で大人しくしてるような気がしたので、さいわい原作にもゆとり期間(学園七不思議編←なんか金●一少年っぽい…)が出来たのでそこの空間にあったらいいな、をはめ込んでみました。そういや二期か三期制か知らなかったのだった、あの学校…。
 単純に一緒にいればまあいいのかなあ、と奥村兄弟はまず考えそうだと、なんか兄弟の下にとっては一緒とかって当たり前のことじゃない認識にあるのですが、上にとっては当たり前で、下はどこまでも下なようです。ああそうかよ。と、雪男寄りの原点が見えた気がしました。
 雪ちゃんは獅郎父さんと燐と自分との特殊な三角での立ち位置を探っては、じっくりと折り合い付けていくんだろうなと思います。
 

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 あの日、獅郎神父《とう》さんに投げかけた、それこそ一世一代の言葉が蘇る。あれは、きっと幸せでぬるく、偽りだらけの毎日の幕引き。
 
 しえみに怒られた。
 彼女が声を荒げるどころじゃない、二人に対して怒気を向けたのだ。
 任務中に兄弟喧嘩などそれはシュラだって眉を顰めることだろう、共闘が基本の現場で仲間割れなどリスクを拡大させるだけだ。雪男も感情的になった己を恥じて、反省した。そして、それ以来、なんとなくだけど燐と気まずいことになってはいけないような気がした。塾生、特にしえみの前では。
 彼女を心配させて、引いては不安がらせたこと、情けない。雪男はまだ自分の中で折り合いのつかない感情をうまく扱えないでいる。
 だから、兄の燐とはつかず離れずの位置にいる。多少の苛つきも我慢する、間違っててどっちも正しいと燐が言ったから、まあ、そういうことだ。叱って窘めて注意して、そうして燐の作ったご飯を食べるのだ、毎日。
 
 
「でっけー雲だなあ…」
 と、燐が空を仰ぎ見て言う。
「あ?」
 勝呂は足した聖水タンクを担ぎ直しつつ、隣にいた子猫丸が汗を拭きながら
「入道雲ですね」
 と、応え、志摩がだらしない顔をする。
「それってまだ暑いゆうことですよねぇ…」
 学校が休みでも塾はあったりする、尤も出席は強制ではない、校内に沸いた下級悪魔の駆除に呼ばれて来た燐たち候補生は聖水タンクなど駆除のための装備をして廊下を歩いている。
「やっぱ使こてないと出るんやな」
 勝呂は合流する前に部室棟の裏手に行き散々巻いてきた、と聖水タンクを空にしてきた。
「そんなん乾いたらまた沸いて来ますやん」
「かて休み明けて群れたのが待ち構えてました、なんいうたら問題や」
「その通りです」
 点検確認のための招集をかけた雪男もコートは着用せずに愛用の銃を手に右足にホルスターをつけているだけだ。燐は雪男に刀も取り上げられて丸腰だったが、何故か代わりにハタキを持たされている。
「お疲れ様。校内は相当暑いですし、水分を摂っておいて下さい」
 支給らしい正十字騎士團のマークが入ったクーラーボックスを示す。用意した聖水のストックは切れたがこちらはにぎやかに入っている。
「かちわりとかないですかァ?」
 と、早速中に顔を突っ込んだ志摩が愚痴るように言った。
「ないです」
「ないわな」
 二人ともにべもない。食い下がるように志摩は続ける。
「したら、こう…カキーンと冷えてきゅっと甘い…」
「志摩さん、京に居っても冷やしあめ飲んだはらんかったやん…」
 子猫丸の呆れ声がトドメだった、志摩はがっくりと肩を落とし、もう暑いわァ、と漏らした。京都ほどではないと思うが、彼には校内熱波が耐え難いらしい。
「ほれ麦茶」
 窓から差しこむ光にきらりと反射する。なんだこの差は、とやっぱり思いながら燐は取り出したパックジュースを飲む。志摩は錫杖、勝呂は聖水タンク、子猫丸も聖水ボトルをぶらさげ、他もそれなりに持たされていて燐だけがハタキだ。
「女子遅いな…」
 しえみも出雲も勿論参加しており、宝だけがいないと思いきやちゃっかりいた。彼はパペットの口が聖水の発射口をくわえるという器用な散布方法で噴水横で見かけたとき、燐はちょっと感心していた。
「はい」
 と、雪男がファイルを見直したところで入電があったようだ、そうですか、わかりました、すぐ行きます、と素っ気ないながらも素早く返事をすると、男達を見る。
「移動です。奥村君、クーラーボックスを持ってください」
 勝呂がすぐさま何や出はりましたか、と問い、雪男が頷いた。
「北校舎三階です」
 すぐさま急ぎ足で歩き出す、燐は慌ててクーラーボックスを担いだ、それなりに重い。錫杖を手に取り残されるようにして志摩がぽつんと呟いた。
「こっから遠いし、行ったことあらへんなあ…」
「急げや、ボケ!」
「志摩さん、北校舎は神木さんらが回ってはるとこやよ」
「女子更衣室は階違《ちゃ》う」
 わざとなのか、ダラダラと懶そうにとことん祓魔だとか任務から意識を外そうとしている志摩の言葉を聞いてないかの如く先頭を歩くというより走っている雪男が言う。
「動けなくなっている生徒がいるそうです」
 階段を下がり、渡り廊下を伝って、北校舎まで、クーラーボックスの中は燐の歩行に合わせてがったがったと音を立てている。
「兄さん、瓶も入ってるから、それ」
「マジで?」
 さっき階段から飛び下りてしまった、きっともう飛び上がれそうもなく、トドメのがっしゃんはやりたくはない。ていうか、早く言え。
「雪ちゃん!」
 階段の手すりからしえみが顔を覗かせた。
「悪魔は?」
「いないの、どこかに行っちゃったのかも知れないけど、でも怪我しているから…」
「魔障か?」
 勝呂の問いにしえみは首を横に振る。雪男は息も切らさず階段を上がり切りしえみの横を過ぎて、周囲の確認もせず廊下を走っていく、京都三人組は階段を上がりきったところで膝に両手をついて息を整えていた。
「…平気か?」
 燐は雪男の背中を見、足踏みをしながら三人を振り返る。
「うるさいわ」
 勝呂は強がるように上体を起こす。一番辛そうなのは志摩だ、汗だくでマラソンでも走り終えたかのような顔をしている。
「こ、この暑さのなか、階段下がって三階、一気に駆け上がるとか…」
「女子追っかけるの速ぇじゃねえか」
「奥村くん…」
 お先、と燐は子猫丸の肩を叩くと、雪男が入っていった教室に向かう、そこに出雲と被害にあっただろう生徒がいるのだろう。追うように勝呂、そして子猫丸がついてきた。
「兄さん、クーラーボックス!」
「んだよ」これかよ。
「燐!」
 窘めるような声が後ろからして燐はびくっとなる。しえみが立っていた。
「ハ、ハイ」
 教室内はカーテンが黒板側の二箇所に引いてあるだけで窓からの日差しを受けむっとしていた。一つだけ開いた窓から蝉の声が聞こえ、微風に翻るカーテンがなんだか細波のように見えた。
「雪男」
「神木さん、どう?」
 倒れているのは制服でなくジャージを着た女子生徒だった。どこかの運動部だろう、出雲は額に汗を滲ませ、座り込みその手を握り、雪男は跪いて青黒いような顔に向かって励ますような声を掛け続けながらに頭に包帯を巻いている。
「…どうした?」
 駈け寄り、慌ててクーラーボックスを開ける。雪男は無言でがさごそと何かを探しており、よく見れば足下に携帯電話が置いてあった。
「倒れていたの。血が出ていて…」
 しえみが代わりに応える、見付けたのは出雲で下級悪魔のせいなのかそれとも事故か、判断がつかず雪男を呼んだのだと続けた。
「お、おう」それは燐でも驚く。
 血に呼ばれたのか、魍魎《コールタール》がふらーと泳ぐように目の前を通過する。表情を変えないでてきぱきと行動できるのはこの中では雪男くらいのものだろう、悔しいが人が倒れることや血を流す姿を見ると冷静になれずに取り乱してしまう。人が人でないものに傷付けられたりする現場で僅かでも狼狽えるなど、喧嘩三昧だった過去はどこへ行ったのか、心穏やかになれない自分が不思議だった。
「ゆっくりでいいので、飲めますか?」
 雪男は半ば意識を失っているような相手に向かって根気強く話しかけている。弱くだが、彼女が経口用のブドウ糖を口に含むのを見て出雲はほっと息を吐いていた。
「大丈夫ですよ」
 と、雪男が言ったところでがたりと教室の後ろの方で音がする、向くと勝呂と子猫丸だった。入ってきた志摩とで窓の外を見ている。
「先生《せんせ》」
「何や担架が…」
「熱中症です」
 雪男は、誰に話しかけるでもなく言った。燐は寄ってくる下級悪魔を弾く、日中でも影がある限りどこからでも悪魔はわいて出る。
「救急を呼びました」手遅れになるといけないので。
 きっと朝から居たんだな、とパペットが宝の手元で動いた、雪男は眼鏡を押し上げると頷いた。
 
 
 担架を見送って、作業に戻る。
 バラバラだったのを二人一組にして、雪男と燐はペアになり、しえみと宝という謎のペアもできたが、太陽が中天にさしかかってほどなく完了する。誰もが汗だくだ、團からの差し入れを飲むだけ飲んで撒いたという感じだ。
「確かに、休み前より増えてたな」
「そうだね」
 燐は雪男が端末に結果を打ち込むのを横から覗き込んでいる。と、その画面にぽんとメッセージらしきものが表示された。
「何だ?」
「ちょ、奥村く…」
 首を突っ込むのを雪男は暑苦しいと避けようとする。が、他の候補生と同じように視線を向けるしえみに気付くとこほんと咳払いをしてみせた。
「皆さんに理事長から伝言です」
 別の任務か、と誰もがやや緊張した面持ちになる。志摩だけがうんざりしたような顔だ、ペアは真面目な勝呂で、さんざん扱き使われたらしい。
「今日の労いにもんじゃ屋さんで待っているとのことです」
 は、と錫杖を立てて乾いた声をまず上げる。続けてははははと笑いを垂れ流す。やがて強く勝ち誇ったようでもある。
「やりましたやん、出雲ちゃんのお陰や」
 と、そうにこやかに言った志摩がラムネの瓶を手にすり寄るようにして燐のところにやってきた。
「奥村くん、今日だけやのうで、ここんところ先生にべったりちゃう?」
 この店でも隣に座り、ペアについても顔は顰めたが文句を言わなかった、まあなるべく近いところに居るっていうのは指摘の通りで、燐は土手を作りながらかもな、と答える。
 志摩は認めはるんや、目をぱちくりとさせた。
「あ。いや、ちっとでも一緒にいた方がいいような気がして」
「なんで」
「怒られるから」
 志摩は、そっと周囲を見回すと声を落とし、雪男がいないのを確認してから先生か?と聞いてくる。燐は違げーよ、と返した。
「雪男は嫌がるけどよ」
「嫌がらんやろ」
 即答される。
「奥村くんも若先生も、技かけたりせんし」それに暑苦しくもないし。
「かけねーよ、何だよそれ」
 志摩が見た限り、雪男は不機嫌でもなければ鬱陶しがる様子も見せていない、だから何かあったのかと。何かなければ離れていた方がいいような口ぶりだ。そうなのかなあ、と燐は流し込むタネを混ぜる、餅チーズ明太ミックスだ。
「流すぞー」
「先生がおらんぞ」
 早々と関東圏の食物に慣れた京旅館の息子ははがしを手に言う。
「雪ちゃーん」
 氷も食べているしえみが慌てたように呼ぶ。
「あ、僕はもう…」
 雪男は言いながらラムネを両手に二本ずつ持ち、暖簾の向こうから現れる。ならば私が、と派手な浴衣姿のメフィストが鉄板の上に身を乗り出してきた。
「はい、兄さん」
 やや離れたところにラムネの瓶を置き、雪男はすとんと燐の隣に座る。
「おー」
 タネを流し込めば歓声とじゅうという音と濃いソースの匂いがした。
 手を動かせば雪男に当たる。暑くて、息苦しくて、でも、空気のようにきっといるのが当たり前。
 覚醒した自分に説教し、殴り、感じ悪かったり、厳しく接する弟が、他の誰よりも本気で自分を心配しているのを燐は知っている。
 俺に頼ろうとしないのかもな、僕は、僕はと頭が良いばっかりに彷徨い続けて燐の先で進む道筋を探しあぐねているような気もしている。
 お前、めいっぱい騙されてみろよ。
 頭空っぽにしてみろよ、出来たらでいいけど。
「……」
 こんなに近いところにいるのに言えない。
 体温を分け合えるほどの距離なのに、岸と沖ほどの距離を感じる。
 だけど、これが精一杯。そういうのが俺たちだからしょうがない。
 
 
 瞬く間に平らげたもんじゃの次はお好み焼きだ、二枚のイカ玉が焼き上がるのを待ちながら燐は雪男が持ってきたラムネをぐびりと飲んでいる。
「兄さん」
「ん」
「京都で“冷やしあめ”って飲んだ?」
「飲まねえ」関西限定と聞いて缶のミックスジュースは飲んだけど。
 叩かず、返さず、とはがしをコテに持ちかえお好み焼きを見詰める兄の目は真剣だ。
「どんな味するのかなあ」
 鉄板を見ていたしえみとばっちり目があって二人は笑顔を作る。怒られてから反省したのか、燐は雪男になるべく寄るようになり、気にしているのか、祓魔について雪男に話しかけてくるようにもなった。踏ん切りがついたような顔で、兄に悩みなどあったのかと雪男はちょっとだけぽかんとし、こういうのが育ったっていうのかな、とも思った。
 毎日は何でもないように過ぎて、二人の線は結んだり解けたりしている。しえみの視線があって、兄とで意識し合って近くにいることで知ることが増えるなんて。
「勝呂に聞いて貰って作るか?」
「そんなことより勉強してよ。塾の授業、兄さんだけ遅れすぎてるんだから」
「……」
 敵は黙って焼き色のついた面にソースを塗る、香ばしい匂いがたちこめた。そして花鰹、青のり、マヨネーズ。聞かなかったフリすんなよ。
「祓魔師になれなきゃ兄さん、やりたいことも出来ないよ」
「わかってるっつーの」
 雪男の皿に切り分けられたそれが乗り、どんと座り直して燐は雪男の隣でむしゃむしゃとお好み焼きを食べる。
「あの言葉、嘘になりましたってことにならないようにね」
「しつけーな」
 ぐいっと雪男のラムネを煽り(絶対にわざとだ)、この野郎と瓶を引ったくると聞き漏らしてしまえそうな小声のちぇっ、が聞こえた。雪男は自棄でも負け惜しみでもないような音色のそれにはっと笑う。こちらを見ていたしえみはにこりと微笑みを返し、隣の出雲に氷が溶けていると叱られていた。
 こうやって積み重ねていく夏の一日は過ぎていく。恙無いってこともないけれど。
 
―――『神父さん、兄さんって一体、何なの?』
 
 
 

120916 なおと