黒バス_32

 
 
 
*延長戦コミックス(後編)のNG集 TAKE3を見て思いつきました。
*ジャバウォックといったら、「ヘイヘイヘイ、お前の時計は合ってるのかい?」とつい言ってしまいたくなって(某御大先生の短編『ジャバウォッキー』より)たまに試合がすっぽ抜けそうになったりしましたが…。
*地味だけど一番王道な黒子っちのアシストポイントは超納得。
*映画が楽しみです!
 
 
 
 

【PDF版】<<※作製は未定です>>

 
 
 
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アメイジングニッポンレイルウェイ
 
 
 
 
 
 
 試合の結果を認めようが認めまいが、事実はひっくり返せないことを請求書を見てメンバーは思い知った。
 そして、約束の通りに自腹で帰途に就く。承知できないと喚いたところで通報され、より厄介なことになるとナッシュとて分からないほど愚かではない。格下どころか、ボール遊びを覚えた猿たちにしてやられるとは忌々しいことこの上ないが、仕方ない、仕方ないので荷物を引いて空港に向かうことにする。しかし、街遊びでも思ったが、あちこちに自分たちと同じような外国人がいる、主に観光目当てだろうが、アジア系の顔立ちも多かったが言語といい、雰囲気からして日本人ではなかった。
 雑に投げかけられた声を聞き流し、コンコースと覚しい場所で足を止める。南、北、向かうべきはどちらか。こんな場所、一刻も早く出ていきたい。
「あの」
 荷物にこんなのくっついていただろうか、とナッシュだけでなく、誰もが改めて荷物を見、その小さいのを見た。淡い色合いの頭髪、そして特徴のない顔、目はでかいが態度は薄い。そういや片足を振れば吹っ飛ぶほどに軽かった。
「ここ横浜ですけど、米軍基地にでも行きたいんですか?」
「……」
 腹立たしさを抱えるものの、相手の言葉の半分くらいしか理解出来ない。チケットを見返す。端末で確認したが表記に間違いはなく、首を捻った。何を言ってるんだ、このガキ。
 通じないのかと分かったらしく、ガキは離れた場所で不服そうに横を向いて立っているもう一人のガキを引っ張ってきた。赤っぽい頭髪で、ぴんとした眉とでかい態度はよく覚えている、敵チームだった中のまだ言葉が通じる方のサルだ。もしゃもしゃとバーガーを食いながらじろりと睨め上げてきた。
「火神くん」
「えー…」
 心底嫌そうな顔を浮かべたが、バーガーを飲み込むと短く翻訳を伝える。こいつは、ここは横浜だ。あんたたちにどこへ行くのかって訊いてる、と。
「”Yokohama”?」
 なんだそれ。
 何を分かりきったことを、と思って改めて可哀想なガキを見るが、相手の方がこれといった表情もなくに恐ろしい人形じみた目を向けており、思わず後ずさりしそうになった。半笑いを浮かべたシルバーもふとホラーの中に放り込まれたような顔になっている。誰だ、こいつ。何なんだ?
———こんなんだったか?
 女達を侍らせてのあの場所での初登場の方がまだ人間らしかったかも知れない、存在感の希薄さはともかくまるで体温が感じられず、脳がどう対処すべきかの答えも出せないままエラーサインを発している。
 と、別のところでちりちりと働き、記憶の中で点が走り、過ちを瞬時に悟った。
「……」しかし。
「すみません、実は途中で気付いて追ってました」
 構いもせず、何かしでかすんじゃないかと思ってついてきてみた、とぶっきら棒に通訳は続く。
 もはや言葉が出なかった。
「Japanese horror…」
 後方で呟きが漏れる、同じだ、面白がるヤツは一人も居ない、当たり前だ。不可解なホラーフィルムまんまのヤツがいるんだからあの心臓を潰すどころか、クレイジーでもなく、静かに昼夜関わりなく影を引っ張られそうな嫌気が拭えない。騒ぎ立てたりすれば笑えもするのに。
「え?」ホラー?
 聞き咎めるのも無表情。
「…黒子」
「はい」
「やっぱお前みたいなの、こいつらには馴染みがないらしい」
 薄色は首を傾げるがやはり表情がない。
「心外です。人種のるつぼと言われる場所から曲がりにもなりにも招かれて来たのに」
 通訳の言葉を受けて、やや不興そうに眉を顰める。自分達はともかく、心を許した人間だと少しは表情を変えられるらしい。知らず舌打ちが漏れた。
「自己主張の国だよ、お前みたいに消すのはどっちかっつーと災害みたいなもんだ」
「それも個性です」撤回してください。
「あー…。悪かった。けど、ホラーだっつってっし、お前が話してみたら?」
「そこまで英語は得意じゃないです」
「教えてやるって」
 こちらにはてんで判らない短い遣り取りをし、改めて相手はこちらを向いた。
「If you say that you’re on sightseeing, fine. But more you stay, more bills you’ll get. And I …I know it’s irritating, but I can’t leave you here. So, I’m sending you a salt.(滞在する分、費用がかさむと思うのですが、観光ならば何も言いません。ただ…帰ってもここにいても歓迎されなさそうですから、塩を送ります)」
 時折詰まり、虚空に指を走らせながらもどうにか続けられた。
「Unn?」
 しかし、塩がどうした。
 通じていないと悟ったらしく、小さい猿が大きい方を見詰める。
 ナッシュ以上にチビの方が訝っているらしく、また早口で日本語の遣り取りをする。
「…火神君、怪しい感じがしますけど」
「サルでも分かる親切さだと思うぜ?」
 と、大きい方が小さいのを示し、フォローのつもりなのか言った。
「He believes that he must help you guys. So, he’s gonna “send you a salt”.(こいつはあんたらへの餞別に塩を送ってやるって)」
「……」
 繰り返されるまでもない、甘くもないって事だろう。
 塩はともかく、早く続けろと促すと、たどたどしいながら怯むこともなく相手は言ってきた。
「Here, not Narita, not even Tokyo. You are in Yokohama. And your ticket was direct one for Narita, but is invalid because you left the gate. So, I’ll take you to Narita.(ここは成田でも東京でもなく横浜です、そしてその券は成田空港ターミナル直通でしたが改札を出た時点で無効となりました。なので、せめて行きたいところ〈成田〉までは案内します)」
 背後からだっせぇとせせら笑いが飛んで来たが視線を送って黙らせた。一人にさせたらどこへも行けず問題を起こすことで大使館の世話にしかなれないような奴に嗤う資格はない。
「Took train for opposite direcition? How could it be possible with all these English signs?(てか、どうしたらおまえら逆向きの電車に乗れるわけ?)」
 呆れた口調で通訳は言い、そんな気に入ったのか? と疑問を投げかけた。挑発とも覚え、こめかみがひくついたが、誰かが掴みかかる前にどがっと鈍い音がして、見れば通訳は前屈みに背中を押さえており、士気は呆気なく殺がれて終わる。
「……」
 奇妙なサルどもだ、とシルバーが呟いた。毒気はない。そもそも、狭苦しい場所に往来する群れが落ち着かなくさせもしていた、同じ顔ばかりが行ったり来たりしているようで、しかも、うろちょろと自分達を避けていく。独特の愛想のなさが去来し、物珍しげに一瞥を呉れるが、すいっと行きすぎ、視界には入れてもないもののように無視する。こんな中にいると自分達こそがいい見せ物になったような気にすらなる。そしてぶつかるのは観光中の外国人だ、お前が悪いという顔をしてぴしゃりと物を云い、こちらが言い返す隙を与えもしない。それに、すでに子供には泣かれていた。睨んで黙らせようにもゲストの地位から引きずり下ろされたことで転落は始まっているのだから、しでかしたことは逆に世界中の笑いもので恥になる。勝てなかった以上、嘲笑っただけの悪循環しか待っていない。唾棄するのがせいぜいだったのだ。
「火神くん、それは嫌味です」
「ジョーダンだっての」
 ここでどうしてNBAプレーヤーの名が出てくるのだろう。発音も変だし、辛うじて聞き取れたのも自分くらいに違いない。日本語はナッシュには片言しか分からない、すべては英語で事足りるから覚えようとも思わなかったし、どうでもいいはずなのに理解出来ないことが妙に苛ついてくる。
「えっと、I think about…」
「Come on(…来いよ)」
「……」
 へったくそな英語だ、遮って言うときょとんとする。
「Crap the bills, you, come with us. And I’ll teach you how to speak on the way.(今更お前がついて来たってさして請求額は変わんねんだから、成田まで付き合え。ついでに発音も直してやる)」
 つまりは、成田まで連れてって欲しいんだな、と通訳は面倒そうに念を押してから相手に告げる。違う、と言いたかったが、ふわりと緩んだ顔がホラーを人に戻したので、よしとした。
 
 
 
「こいつらってトラブルしか呼ばないんじゃね?」
 と、火神は駅員が四人がかりで閉じさせたドアを見ながら呟いた。
「それは…」
 黒子は詰まってしまう。隣に座る人物が不思議そうな顔をして立ち上がった。
 発端は乗り換えの駅である。滞在中の請求書を土産に自費で帰国することになったジャバウォックの面々は、何しろ素行が悪そうなところがものすごく目立つので、すぐに気付く。誰の手も借りず、しおしおと帰ろうとするのを黙って見送ろうとして黒子と火神はおや? と顔を見合わせた。
 彼らはどうも行き先を間違えている。
 上げ膳据え膳が当たり前で、だから過信していたがために、予想にもしなかったことが現実となっても、なんというか、軌道修正はなく、自分が進む道が正しいままなようだ。
「ある意味見上げた質の悪さだな…」
 と火神は打ち上げもあるため、そこで一切を終わらせようとしたが、黒子は鞄を引っ張った。なにしろ、辞書もなければ語学力もないので橋渡しできる人物が必要なのだ。話せる火神はうってつけだった。
「喧嘩をふっかける気はありません」
「当たり前だ!」
 などと協議して、黒子は火神の賛同を得た。火神は渋々ではあるけれど、コーディネーターがいなければ逆向きをひた走っては勝手に怒り出しそうな人達に残られても迷惑、という点で一致している。…から、彼らを追ったわけだ。
「ナッシュ…さん?」
 でもって、軌道を正すべくその乗り込んだ車両はドアが故障した。ホームに着いて勢いよく開いた後、五十センチほどの間のところで閉まらなくなってしまった。開閉しようとしてもぎこちなく、見えない荷物でも挟んだかのようにドアは止まってしまう。信号を送る駅務員の旗がバタバタと振られ、車掌だのが駆けつけてくる。ナッシュ達は目を丸くした、閉じないドアがどうかしたのかと言いたげで、走れるわけがない、と火神に言われてわざとらしく肩を竦めさせたりした。このまま走るか止まるかのどちらかだとメンバーは欠伸をし、黒子もどうするのかと見ていたが、何のことはない、人力で閉じ、車掌とステッカーを貼り付けての運転再開、所要時間は十分足らずだった。アナウンスは停止した詫びと、列車の行き先の変更、振り替えの案内を告げる。
「…?」
 ナッシュがのろりと立ち上がったのはドアの上部に表示される英語の案内を読むためだろうと黒子は思っていた。が、どうも違った。車掌が近寄らないで下さいと言うのを押しのけ、彼はドアのがたつきを確かめるように押し、引っ張ったりして微動だにしないことにむっとした顔をする。何がしたいのかさっぱり分からなかった。ヒマなだけか?
閉じこめられたごっこ遊びをしたいのならボクは止めません。しかし、そのドアは開きません
 たどたどしくしか言えないが、伝えられているとは思う、日本語と英語が混ざった言葉を、相手は詰まらなさそうな顔をしながらも最後まで聞き取っていた。
このステッカーは何だ?
 そして話すのも気持ちゆっくりめだ。対象物を指し示しもする、だから黒子にも理解出来る。
ドアが故障してる、って書いてある
 火神が説明するとそれだけかと言うように肩を揺らし、座席に戻った。ぎゅうと長い手足を埋めるようにして黒子の横に座る。斜めに身体が傾くのを直しつつ紫原くんみたいだと巨躯が窮屈そうにするのを見て思った、彼はいま病院で手当を受けているはずだ。
…ごっこ遊びっての、違う
 そうだった、彼は自分の発音を直してやる、と言った。腕を組んで不愉快そうでもなくぼそりと教えてくれる。火神の方を見遣れば知らんぷりだ。
「ん? プレイ?」
違う。『play』で『locked』
「プレイ、…プレイ? ロック、ロック…」
 それらしく言ってみたりするぶんには違いがあるとは思えない。
違う、play
 厳しいというか、ぐっと口角を引っ張ってきては無茶を言う。
あとナッシュだ
「え」
 これも違っていたのだろうか、口真似のように繰り返すとよし、というように頭に手を乗せた。こちらは合格だったようだ。火神が、んな丁寧に呼ぶなってよ、と教えてくれる。
それから、礼を言う。お前が話を通さなかったらこのチケットで乗れなかった
 ありがとう、とチケット、乗ることが出来ない、とそう言ったのは判った。人数ぶんの乗車券を買い直し、いろいろと間違えていた切符を払い戻したりした。黒子は、どういたしまして、と答える。相手はむすっと黙り、ぷいっと顔を背ける。火神曰く、彼らは日本に来て交通費どころか水一本買うのもすべて主催側の負担だったそうで、どれだけ甘やかされたのかと黒子も言葉を失ったりしたものだが、礼なんて述べられるような社会性も持ち合わせていたことの方がより衝撃に近い。
…日本人は人が好すぎる
「シンプル…ですかね?」
 火神を向く、待っていたかのように『人が好すぎる』って言ってんだ、特にお前が!と、とすっと手刀を黒子の頭に落ちてきた。背中のお返しとばかりにこれがやりたかったらしい、軽く睨んだ。
「何だよ」
「誰もが親切というわけじゃありません」
 ナッシュにも通じるよう手で示しながら言い返すとナッシュは素早く火神を見る。早く伝えろと言わんばかりで、この通じ合わなさが向こうもやりにくいらしい。そしてシルバーはシルバーで何かショックを受けており、他のメンバー達から慰められている。いつの間に何があったのか、乗車しているのに飽きて動物園の動物宜しくうろうろするので黒子には彼らの行動が掴めていない。
「彼らが行き着く先まで見届けて帰ってもよかったんですが…」
「武士の情けってやつか」
 火神の方がよほど善人だ。黒子はいいえ、と首を横に振った。罰《ペナルティ》は受けるべきだし、親切心からじゃない。
「この人達、むくれておきながらも行き暮れた顔をしてるから今後の行き先まで迷ってそうだと思って」
「?」
 焦れた顔をされ、火神は面倒そうな顔つきになる。
「……訳さねえぞ…」
 ナッシュは火神の肩をどんと突き、ぞんざいにお前には関係ないと言われていた。疑り深そうに見られる、が、舌打ちで終わる。
「物事を押し進める方法が他とは少し違うだけです」たぶん。
 シルバー達はほっておくことにして、黒子は続きを火神に伝えると息を吐き、今度は言葉を選ぶようにしてきちんと訳す。
「……」
 ナッシュは火神の言葉を聞き終えると、上体を起こして黒子に顔を近づける。
少しじゃない、かなりだ
 憤然と言い切り、ぴんと黒子の鼻を弾く。敵意も感じられず、痛みもなかった。
「どうして素直になれないんだろう、とボクは不思議に思いました」
 火神がふいに口を閉ざして黒子を見る、ナッシュからの視線も感じ、どうぞ、とだけ言った。火神は少し考えてから黒子は納得していない、と伝えた。
何がだ?
 ナッシュが訊いてくる。本心を隠すようなことをする、と答えると大仰な素振りで溜息を吐き、やれやれというように首を横に振った。
嘘を吐いてます
 目を見て、改めて言うと悪口も出てこないのか詰まってしまう。それとも通じなかったのだろうか、と思ったところで速度が緩み、ホームが見え、アナウンスが流れてくる。火神が何かをぼそりと言ったが黒子には聞き取れない、自嘲するようにナッシュは口の端を歪めていた。
———…です。千葉方面へお越しの…
「ここで乗り換えです。車両を交換するそうですから」
 とっとと降りないと清掃のおばちゃんに掃かれるぞ、といったようなことを火神は告げたのだと思う、ジャバウォックのメンバーは辟易したような顔つきで立ち上がる。
 黒子はナッシュはともかく、妙に大人しくなった面々を見てどうかしたんですか、と問う。彼らの会話はろくに聞き取ることが出来ない。火神は倦んだ顔つきで吐き捨てた。
「なんか、前の方の車両にクノイチが居やがったって話してる」
「はあ」
 それでも彼らなりに楽しそうなことをしているのは確かだ。
「あ。ナッシュ、そっちじゃありません」
 この人は本当に国に戻りたいのだろうかと疑えるほどに方向が違う。カートを引いて行こうとする手を引っ張ったところで、ホームに下降してきたエレベーターのドアが開いた。
———チン。
 
 
 
「………黒子」
「はい」
 黒子達が手伝うからと先に会場を出たのは知っている。赤司は緑間達とで取材陣の応対を引き受けてから打ち上げ会場に向かった。が、やめた。試合後であっても、消えたとしても分身であり、その欠片が僅かにでも残したものは疎かに出来ない。
「何だ、これは?」
 何をしている、と叱咤されたような気がして、スマートフォンを握り締めたまま赤司は。
「って、彼らが間違えて下り電車に乗ったのを見て、追いかけてみたんです。横浜で追いつけました」
 脳内路線地図を駆使して東京駅を選択し、やってきた。
「うん、…で?」
 しかし、実のところ、正解して欲しくなかったと苦々しい思いを噛みしめている。
「正して何とか」
「黒子が」
「ボクでは何か不都合が?」
「滅相もない」
 と、赤司は澄ました顔で即答する。お前がしたいならすればいい、と理解ある言葉を口にしながらも、同行者に文句の一つ以上ほど言いたいのを堪えていたりする。黒子がふらっと消えてしまうのはチームメイトである火神だって知っているはずだ、それを彼らに連行されるかも知れないという危険を顧みずに同乗させるとか。
「それより赤司君、ここ東京駅ですけど…」
 言ってしまえばしかも地下ホームだ、八重洲の高速バス乗り場を見渡した後、改札を突破した。東京駅からの成田行きは総武快速線のホームで、新幹線のホームからも離れている。というか、手を離さないか、そこ。
「折角、監督が餞別がてら打ち上げをしてくれると言うのに急に不参加などと連絡を寄越すものだから」何かあったかと思うじゃないか。
 言いながら黒子と敵チームの四番であるところの男との間に足を踏み入れる。黒子の手は離れて落ち、向こうは冷たく赤司を見下ろしている。
「…テツヤ」
「え?」
 黒子は驚いたように顔を上げ、赤司の横からその男を見る。呼んだ方は不遜な顔つきだ。ソースは火神だろう、個人情報を教えるなど余計なことを。
「…っ」
 即座に庇おうとしたが遅かった。黒子はきょとんとした顔で腕を掴まれてしまっている。
 この場において相応しいかは謎だがナッシュ・ゴールド・Jrは二つ名の如く手品《マジック》みたいにいつの間にかペンを手にして、黒子の腕を引っ張り、彼の手の甲に何かを書いている。リーチが長いのでそんなことも容易いのだ。
「ちょ…」
 断りもなく黒子に触れるな、と言うと鼻であしらわれた。
「ボク、サインとか求めてませんけど」いりませんし。
 黒子は子供に落書きでもされたような様子でじっと手を見て言う、赤司のような不快さはないようで、困るどころか逆に許すみたいだった。
「サインじゃない」
 溜息が出る。
「そうなんですか」
「アドレスと電話番号のようだな」
 傷付けるわけではないが、これ以上のことをしたら殺意が漏れそうだ。
「あれ、赤司?」
 先に車両に乗り込んでいた火神が顔を出して何をしているんだか、という風にナッシュを見る。相手は余裕綽々といった涼しい顔で、赤司にだけはゆっくりとした視線を送ってみせた。ここで火花ぐらいは散らせてやってもいい。
「あ。ナッシュ、もう出発します」
 アナウンスに気付いて黒子はナッシュの背中を車両に押し遣る。続いて乗ろうとするのを止めた。
「黒子? それは成田行きだ」
 そもそも赤司もこの件については事情も知らないし、行動も閃きに過ぎない。行き当たりばったりで、すべての状況を把握しているわけではなかった。些細ではあるが確かな兆しがあり、黒子と火神が打ち上げをキャンセルしたことと、桃井の目撃情報から彼らがどこかへ行こうとしていると読んだだけだ。
「はい。ですから送るつもりで…」
 なんだと?
「おっ!?」
 まずは押し出されるように火神がホームに追い出された、一つ向こうのドアで、何をするんだ、と中に向かって突っかかっていた。思わずそちらを見てしまう。
「うわっ…」
「黒子」
 と、ベルが鳴り響き、今度は乗り込もうとしていた黒子を突き飛ばすのを咄嗟に受け取る。敗者の悪態だけが聞こえ、合図のようにドアが閉まった。
——じゃあな、サルども。
 注意される前に黒子をホームの際から白線の方まで引き寄せると、電車は動き出す。黒子は少しだけ心配そうな表情を浮かべたが、暗闇の向こうに溶けて車体が見えなくなるまで電車を見送っていた。
 埃を払いながら荷物を担ぎ直して火神がやって来る、ぶつくさ文句を零していたから、気紛れのようにして彼も閉め出されたのだろう、ここは気の毒と思わねばならない。赤司はそれよりもと黒子の手を拾いあげる。
「赤司君?」
 ここは駅だ、しかも高速鉄道の発着する巨大ターミナルだから、それこそどこへでも行ける。
「…どこにだって行けるじゃないか」
「どこにも行きませんよ」
 現実問題として行けるだけのお金もないですし、と黒子は言い、それにしてもと首を傾げる。
「……」
『———宿題はしておいてやる』
 手首の方にまでクセのある文字が綴られている。覗き込んだ火神が、俺と同じことしやがる、と笑った。笑い事ではない。手は抜いたようだが黒子が怪我でもしたら訴訟を起こすのも辞さないつもりだった。
「ボク、宿題なんて出してません」
 とはいえ、軽く車両から弾かれた黒子はどうでもいいようで己の手を見詰めたままだ。
「でも、お前、ナッシュに素直になれないとか、嘘つきだとか言って黙らせてたじゃねーか」
「何を話したんだ?」
 黒子は余計なことを、と窘めるように火神を見遣ってから大したことじゃありません、と言った。
「…そもそも、好きでも嫌いでもない国に来てよくここまで虚仮《バカ》にしておいて、熱くなって、それで負けてもやっぱり認めないと吠える依怙地さといい、見事な悪役ぶりです。最初はボクも否定されて悔しかっただけでした。彼らには勝つと決めました、でも、その時、同時に気付いて、感心したんです」
「しかし、あいつらは」
 黒子を足蹴にし、相手にしなかった。
「ボクらや先輩方をバカにしたことは許せません、当たり前です」
 そこは怒ってんだな、と火神が首を掻きながら言うと、目をぱちくりとさせる。それとこれは別、という意識が働いているようで、火神としては付き合わされながらも彼らに対し、わだかまりを抱えていたらしい。
「決してボール遊びではなかったですから」
 見詰めてくる目が同意を求めている、赤司は頷いてみせた。
「彼らは、それ以外のものがないんです。自覚があるんだかないんだか、ボクはそこが知りたくて…」
「バスケのことか?」
 火神は、分かりやすく最初から最後までジャバウォックは六本木ではしゃぎすぎる『ムカツク集団』のままで、バスケくらいは認めてやるといったところだろう、それでいて彼らにのこのことついて行こうとするなんて嘆かわしい。
 黒子が頷くのを見ると、そっか、とそれで満足できるらしく火神は歩き出す。何も言わずとも行く先は分かってるようで足取りに迷いはない、当然、黒子も来るものと背中に信じている。
「火神君こそシンプルだと思うんですけど」
 と黒子は一人言ち、赤司を見る。
「よっぽどバスケが好きなんですね、バスケを愚弄されて欲しくないって感じでしたから」
「黒子…」
 素行やあのラフプレイの数々は放置か。
「捻くれてるし、理解不能な部分はありますが、そういうことだと思います」
 その冷静な解釈は本当に黒子テツヤならではというか、…恐れ入る。
 メールでも届いたのか携帯電話を取り出した火神が観光客と覚しい団体につかまった、ガイドブックを見せられて彼らと話している。助ける必要もない、待っていてくれとでもいうように手を振るのを目顔で了解を示した。
「口では好きなことを言ってて、侮ったり、嘲たりしていても、ナッシュ達は無視できなくて、まるで神様に操られているみたいです」
 荷物を抱くように抱え直す黒子はどこか嬉しげで、見ているこっちはどっと虚脱してしまう。
「……」神様なんて。
「赤司君?」
 何でもない、と応える。何てことない、それは本当だ。
———赤司君は、赤司君でしょう。
 脳裏に蘇る、黒子は、自分の人格が一つに着地したことについて何も言わない。他の誰もそうだった、ただコートで敵対する者としてより厄介になってしまったとそれだけだ。言いようのない喪失感が残り、感傷がなかったといえば嘘になる、けれども膝を折るようなことでもない。思いも寄らない未来はこの先も続くのだ。
———何も、変わりませんよ。
 地に足は着いている、目の前には彼がいて、期待しか転がっていない。
「赤司君、キミもそのクチですか?」
 黒子は何も書かれていないまっさらな手を差し出してくる。
 この手は繋ぐため、刻むため、守るために、空けてある。
「…かも知れない」
 掴んだらもう、取りこぼしたりはしないのだろう。
「オレが連れて行くんだから」もっとずっと先に。
 一人言ちるとえ、と耳を寄せてくる。
「いいや」
 相手の掌を強く握った。
 この先が続く限り、絶対に振り落とされたり、離すわけにはいかない。
 
 
 
 
 
 
 
 

160517 なおと 

 
 
 
 
 
 
 

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赤黒度は数値低めですが、一応赤黒です。
黒子っちは行動力が長所の一つかなとも思っているので赤司さんもうかうかしていると置いて行かれそうです。
火神んは巻き込まれ型ですけど、黒子っちの理解者でもあるので嫉妬の対象になり続けるよなあってつくづく。頑張れ火神。
全訳はともかく、黒子っちは顔つきと話しぶりで火神英語の嫌味にもそれとなく気付けると思う。
そして横浜なら「どうしてYCATからリムジンバスじゃないの?」てなツッコミ入りますが赤司や緑間とかならともかく、
彼らは神奈川の住民でもないし、電車で迷ったなら電車じゃね?みたいな考え方するだろうなと。
ナッシュ達は確かに実在するようなタイプではありますし、…請求書があっても懲りない気がします。
まあお陰でキセキの皆さんも油断せずにガンガン行けるわけなんですけども。
そんな調子で、特急券と乗車券の購入からして残念すぎる間違いをしていると思います。
窓口で片言で説明されたのだろうけど高を括って半分も聞いていなかったために無自覚にイタイことになっていることにしてみた。

 

実際のとこ、赤司さんがここで乖離していた人格が消えて主人格一つになった
という大事なことを生かし切れなかったことが心の残りで、別の話に生かせたらなと思います。
別に二人のままでもよかったんですけどね…(ぼそ)
 
英訳監修を頼れる相棒のせんりくんにお願いしてしまいました。
ありがとうございます、あいしてます、すんませんでしたァ!