ふたごにマタタビ

 ノベライズは幸せだったので。
 出雲ちゃんがクリアできなかった壁はツインズは容易にクリアすんだろうなと。
 マタタビあるいはイカでへべれけヨロヨロになったにゃんこはカワイイんですよね、かつて目を離したスキにイカを猫にやられたことあって…叱ればいいのだか笑えばいいのだか困った記憶が。
 猫さんと燐のコンビは和みます。
 

【PDF版】ふたごにマタタビ ※ただいま準備中です

 
 
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「お。こねこまる」
 昼休みの図書室で奥村燐とばったり会った、燐が読むのはマンガか料理のレシピで教科書や経文の類いは志摩とどっこいどっこいくらいの利用率、驚き半分どうしたのかと尋ねるとクロが気にしている果実の名前を調べに来たという。
 つるりとした瓜みたいな、と燐の要領を得ない説明をもとになんとか辿り着いた答えは『マタタビ』だった。休み時間を使い切り、この項目に行き着いたときその字が輝いて見えた。落葉性の蔓植物。よく通る公園に生えていたらしい、なるほど本には低地や林縁に自生、とあった。キウイと同じ科ということも初めて知った。
「九月なのにあっちいなーって思っててさ、ベンチでゴリゴリくん食ってたらクロがいい匂いがするって」急に走り出して。
「…へえ」
 ネコにマタタビ。ほんまや、と感心する。
「マタタビ酒の作り方も載ってはるよ」
「クロ、スゲー好きだぞ」
 マタタビかあ、と燐は一人言ちる。池には小さな実がぷかぷか浮かんでいたそうだ。あまりにもクロが構うものだから何処から流れてきたのかと燐はまだ残る蜩の声と足下のコオロギの声を聞きながら夕暮れの公園を探したという。
「はは…」
 いまは普通に横に座っているけれど、燐と二人きりというのはやはり緊張する。彼に対する恐れと己の不安が青く澄んだ空にひとつだけある雨雲みたいに、風にも流されず、小さな痼りとなって頭の中に残ってしまっている。
「とぽん、て実が落ちてよー」びっくりした。
 子猫丸は開いた頁を見直す、実が落ちるまでとは書いてない。夏に白い花を下向きにつけ、なつうめともいう。実は黄色に熟す。
「暑ィから忘れてたけど、九月って実が成んだよな」
 そのとき、ざっと風が吹いて枝を揺らした。いくらか大きくなったものは葉を打ち、音を立てて落ちた。
 落ちたのが終わる音みたいに聞こえた。という呟きを確かに子猫丸は聞いた、夏が終わる音なんて詩人のようだけれども、線香花火の最後の火の玉みたいにというのならわかる。
「……」
 硬いのかやわらかいのか実が落ちる音、写真ではわからない。
 図鑑には花と実と、それぞれの時期が載っていて、燐は頬杖をついてその箇所をじっと見ていた。
「雪男は変化ねえって言うけど」
 そういや若先生はこの数日やたらと忙しげだ。
「どーなんのかなってそんなんばっかだけど…」
「奥村君…?」
 もう秋なんだな、と燐は小さく笑う。
 見れば、説明のずっと下の方に花は夏、実は秋の季語、とあった。
 
 
 
 池にな、マタタビが浮かんでいたんだよ、と燐が言った。
 スーパーから寮まで行く途中に公園がある。正十字学園町はいわゆる学園都市だ、学園とその寮を中心に衣食住、そして遊までも揃っている。公園には池があり、ベンチや遊具、遊歩道が設えてあり、燐もクロと散歩がてら帰りに通ったり、雪男ともぶらぶら歩いたことがある。何日か前も歩いて、茂みにマタタビが成っているのを見付けたそうだ。
「ふうん…」
 本日のメニューは山かけ。副菜には根菜と鶏手羽の煮物と胡麻豆腐に、タコと胡瓜とワカメの酢の物。茄子が安かったというので味噌汁は茄子と麩、焼き茄子もついてきた。
「聞いてるのかよ」
「もちろんだよ、兄さん」
 とはいえ、まともな食事は三日ぶりで箸を動かすことの方が忙しい。飢えていたんだなあ、と雪男はしみじみと思いながら味噌汁を啜る。燐が作る茄子の味噌汁は油が浮いている、茄子は軽く油で炒めるのだそうだ、そうすると味噌汁はまろみが浮いて甘くも旨い。山かけもとろろは味付けも薄くシンプルに、マグロの赤身がごろっとしている。曰く、サクで買ったから明日は漬け丼とのこと。胡麻豆腐も買ったものだろうが、一手間くわえた味噌ダレがレベルを上げていて、酢の物もアクセントに刻み生姜入って燐好みにさっぱりしている。煮物も主菜といってもいいくらいで、切り干し大根と根菜がどっさり入っていて鳥の味なんか確実に売れると思えるほどだ。菓子パンとか仕出しが悪いわけではないけど…なんというか、馴染みの美味でほっとする。
「朝は? 食えんのか?」
「え?」
「特進のセミナーってのはもう終わったのかってきーてんの!」
 燐は苛立たしげに尾をひょこひょこさせながら、お前、オレ起こしたらすぐ行っちまうし、弁当いらねえっていうし、夜も用意しても知らない間に任務とか行ってやがってと、ぶちぶち文句を言い始める。面倒がったりするわりに、食事の支度はマメだし、技とコツを覚える手間も惜しまない。そこにかける熱意やらをどうにか違うところにも生かしたいものなのだが、まるで強力な結界でも張られているかのようにうまくいってくれない。すき焼きの美味しい割り下と腐の属性に効果的な薬液の配分とで何が違うのか。
「ちゃんとシュラさんがいるじゃない」
 霧隠上一級祓魔師は、師匠で監視役としていささか放任的ではあるけれど、兄の近くにいる。自分でなくてもいいはずだ。学校で興味のあるセミナーを選択したら、オプションのように祓魔の任務が続いた。朝から晩までぎゅうぎゅうに予定が詰まって同室に暮らしながらもご飯も食べられない有様で、兄はそれが不服らしい、二人分として考えて揃える食材が余るからだろうか。
「薬理のことは試したいこととかあるし…」
「お前に言いたいことも言えやしねーし」
 と、雪男の話を聞いているのだか兄は柴漬けをぼりぼりと食べる。聞いているのかと思うかたわら高校生が食卓の香物として柴漬けのセレクトというはどこから?と雪男もちょっと考えたりする。兄の料理の幅は狭そうで広い。
「同じ部屋で寝てるんだからいつだって言えるだろ」
「言えるか!」
「何で」
 ごちそうさまとばかりにクロが兄の足下で鳴く。燐はそれにおうと応えると雪男を見、気まずそうに唇を突き出す。
「お前、寝てるとこ起こすとかなり怖ェ…」
 覚えてないけど、やったんだなと分かる言い方だった。
「…寝てるときじゃなくてもさ。兄さんと違って起きてる方が断然に長いでしょ」それとご飯粒ついてるよ。
「寝に帰ってくるだけじゃねーか」
 雪男の指摘にごしごしと見当違いのところを拭いながら燐は不満げに言う。
「お前が一人でもヘーキなのは知ってけどよー」
 続けて雪男の声真似をして先に行くよ、ご飯はいらないから、ハイ問題解く! ってそれしか言わねーと吐き出す。雪男ひとりが忙しいことに焼いているみたいに見えてしまう、自覚はないんだろうがなんだか夫の帰りを待つ新妻みたいだ、ヘタに料理上手なばかりに拍車を掛ける。雪男は顔が笑いそうになるのを堪え、わざと咳払いで誤魔化した。
「ワーカホリックのサラリーマンみたいに言わないでよ。風呂くらい入るし」
「わかった。今度から押しかけてやる」
「踏み込まれるの、やだなあ…」
「やさしい兄ちゃんはお前のプライベートには触れねーぜ」
「…ハイハイ」
 さらりと言うのを受け流しながら人の気も知らないで、と思うが、兄に悪気も他意もないのは分かっている。“やさし”くあることは兄の課題のようなものだ。
 兄は青少年特有の悩ましいあれこれを知っているのに持ち前の鈍感さで結構イロイロ分かってない。機微を分かれとは言わないけど、雪男には肌すれすれをかすめる発言に硬くなることもある。困ったことに、雪男はストレスを抱えるだけの日々が続いてて、デリケートな方面の問題は任務でも塾で(の兄に対するシゴキで)も昇華され切れていない部分を感じている。高校に上がっていよいよ厄介になったなと持て余してはいるのだけど、一方でそんなのを待っていたような気もする。だって、本当は早く大人になって、兄から離れたかった。
―――兄さんが覚醒しなければ。
―――僕が自覚しなければ。
 この危うい均衡が崩れなければ。
「雪男?」寝るんじゃねーぞ。
 怪訝な顔をした燐が目の前で手を振り、はっとする。眼鏡を押し上げ、気持ちを立て直した。
「とにかく、それでそのマタタビをまさか」
「うん」
 テーブルに上がってきて燐の皿のマグロを狙うクロを制しつつ、モグモグと煮物を食う、うんじゃない。
 どちらかというと真面目な顔つきで、燐からこいつのためにマタタビ酒を作ってやりたいんだけど、と相談された。公園に自生しているというマタタビをか、おいおい。
「……」
「ダメか?」
「うん」
 こくりと頷いていた。クロはなに?という顔をしている。
 どこかでクロのためにマタタビを買ってやることは出来る、でなくてもそもそも薬種採取のため、正十字学園の力の及ぶ範囲であれば自生する植物を医工騎士の雪男は採っていいことになっている。いわゆる特権というやつだ。常に祓魔師も準備万端で魔障者や悪魔と出くわすわけではない、特に屍系は即座に対処しなければ皮膚が爛れてすぐに壊死してしまう。用意がなくても最低限の処置が出来るよう、薬になるものは勝手に使っていいという、尤もともいえる人道的な許容だ。
 それでも、だ。
 日本の法律では未成年者への酒類の販売は禁じられている、初めてじゃなくてもお使いに味噌や豆腐は買えてもお酒と煙草は買えなくなっているのである。寮の厨房の調味料は、まとめて購入するときに便乗して届け出ると認められる、消毒用エタノールと同じだ。目的が認められれば、管理者の判子を介して購入され、届けられる。つまりは少々厄介で、手順が必要だった。知っているだろうけど、僕らでは無理だよ、と言うとそこをなんとかしてやるのが祓魔師でセンセイだろと謎なことを吹っ掛けられた。
 つまりは、兄は、なんとかしてクロのために作ってやっておきたいわけで、専門の用品店なんかに入れて、便利な鍵なんか持っちゃっている弟は、その目的を完遂させるためのそれこそうってつけな薬学のプロなわけで。
 まったくこの兄は、と何も言えずにいる雪男にトドメの一言がこれだった。
「あ、雪男が欲しいのもやるし。他に漬けたいもんとかあるか?」
「……小鯵の南蛮漬け…」かなあ。
 頬にぽちりと米粒をつけたまま燐は無表情に小鯵、と繰り返し少し呆れたような顔で笑う。
「料理やらねーのに、そういうのだけはピンポイントだよな、お前…」
 いいじゃないか。
「明日でセミナーは終わるんだ。一週間、献立は魚尽くしってとこで手を打つよ」どう?
「マジか」
 ぱあっと顔が明るくなる。クロのためとはいうけど他にもなんか考えていそうだなあと思う、でもくだらなさそうだからあくまでも食事に集中というフリをして、それ以上は聞かないことにする。
「うん」
 手を伸ばして米粒をねぶり取ってやる。
「っと…」悪ィ。
 口の中でもごもごと言う燐に、あと基礎問題集二冊、それから試したいことがあるから兄さんの血を分けて貰うとそう付け加えると、どういう顔をすればいいのか分からなくなったらしく、目をぱちぱちさせる。そんな燐の様子をクロが首を傾げるようにして見ている。
「……」
 雪男はぺろりと指を舐め、それから笑顔を作って茶碗を突き出した。
「兄さん、おかわり」
 
 
 
 本当にホワイトリカーと氷砂糖だ、と三輪子猫丸は目の前に並べられたものを信じられない思いで見詰めていた。
「で、どうすんだっけ? これ」
 奥村兄弟に招かれて入った旧男子寮の厨房である。
 実際、目にするとマタタビは子猫丸の手にも収まるほどの小さい実だ、アブラムシが寄生して出来るという虫エイというのもあったらしく、つるりとした実とぼこぼこした実とでドヤ顔をした燐の顔や腕にはひっかき傷やらがある。奥まで分け入って採ったのだろう。
「生の場合はよく洗って乾かしてから、瓶に実を入れてホワイトリカー、氷砂糖を入れます」
「洗ってあるぜ」
 でかしたオレとばかりに、鼻高々だ。
 カウンターから覗くように見ていた若先生こと奥村雪男ははいはいと藻掻くクロを抱えながら少しばかり冷めた顔だ。猫が興奮するというマタタビラクトンの効果というやつかうなー、にゃー、とクロはマタタビに突進しそうになっている。
「ダメだって。我慢してよ、マタタビ酒飲み切っちゃったのクロじゃないか」
「おー。クロ。旨く作ってやっからな」
「ぎにゃー」
 聞いてない。寧ろ雪男に対して離せ、だろう。
「入れるだけ?」
「だけ」
「間違えようもないね」
 尚もマタタビを求めるクロに雪男と燐でうりゃうりゃとちょっかいを出す。マタタビから遠ざけられ、弄られて不愉快になったか、小柄で黒い猫又は癇を立てるかのように鳴くと廊下に走り出してしまった。
「こねこまる、あとは頼んだ!」
「へ?」
「拗ねたから遊んでやってくれ」
 頼みます、三輪くん、とやられればマイ猫じゃらしを持って追い掛けるしかない。雪男も燐も使い魔を家族の一員みたいに扱っている、クロも燐のことは主というより友達かなのだろう、クロにとってここは居心地の良い場所なのだと二股の尾がばたんばたんと不機嫌そうに揺れるのを階段に見付けてなんとなく知った。
「クロ」
 ちゃりん。
「……」
 目の前にふわふわ揺れるものがって、拗ねていようが気になるのだろう、振り返ったクロの目はじっと猫じゃらしを見据えた。
「あそぼー」
 厨房から奥村兄弟の声がする、兄弟仲はいいのか悪いのかわからない。血で繋がっているところと、乖離してしまったところと、深い部分ではもつれ合っていたりするのかも知れない。志摩は面白がっているが、言わないだけでお互いがとくべつで大事なのだけは子猫丸にも分かる。
「あんなひとおらんやろ…」
 どーなんのか、と燐はどこか達観したような、それとも分かってないような顔で言うけど明日も明後日も同じように続いていくと子猫丸は思っている。もやもやとした晴れない霧はあるけれど、そうでなきゃ嘘や。
「兄さん、入れすぎ!」
「いいんだって」
 とぽん。
 あの日、夏が終わって、秋が始まる音を聞いたのだから。
 二人には秋の、ひときわ高い空が見えるはずだ。
 
 

110910
なおと