奥村さんちの家族法廷2 (前編)

拍手に載せていたものを移して来ました。
なおとさんとの共作です。前編の作者はとりあえず「せんり」名義です。
 
 

 
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奥村さんちの家族法廷2

 
 
 
 
 
 後編はこちら
 
 
「口ばっかりかよ」
「ビビってんの」
 そんな勇ましい言葉とは裏腹に、対峙するように立つ少年たちの膝が震えて、腰が引けている。
「そんなワケないだろ」
 ふん、と彼らの空威張りを鼻で笑った。と言っても、自分自身もちょっと震えている。だけれど、それを知られるわけにはいかない。
 目の前には大きな建物があった。夕闇の中でもはっきり判るほど壁が汚れていて、古い。この正十字学園町で今一番有名な、お化け屋敷だ。人影が窓を横切ったりするのに、人の出入りがない。それなのに夜になると明かりが見えたりする。
 どれだけ自分に度胸あるのか。証明するのに、これ以上ふさわしい場所があるだろうか。
「男ににごんはないだろーな」
「当たりまえだろ。にごんはない」
 僕は手の中に握り込んだつぶてを、ぽん、と軽く投げてぱしんと掴む。
「みてろよ」
 そして僕は腕を大きく振りかぶると、握り込んだそれを思いっきり投げた。がしゃん、と存外大きな音がして、一階端の窓ガラスが割れた。
「にげろっ!」
 お化け屋敷の窓を割って度胸を見せてみろ、とそそのかした相手の方が、一声叫んでとっとと逃げ出した。僕はその姿を見送った。
 怖いもんか。
 ……と言うのは嘘で、動けなかった。
 
 朝だ。奥村燐は正十字学園、高等部旧男子寮の古ぼけたドアを開けながら、大きなあくびを漏らす。
「ねみぃ~」
 バタン、と後ろで閉じたはずの扉が、がつん、と後頭部に当たった。
「いてーな」
「ごめん」
 双子の弟、雪男が詫びる。ちょっと待て。おざなりじゃね? ぶつかった後頭部にズキズキと痛みが広がって、すぅと治まる。怪我の治りは早い。早いが、痛みを感じるのは普通の人と同じだ。
「セーイがねーな」
「ごめんて。急いでたから…。戸口で止まってるとは思わなかったんだ」
 申し訳なさそうな顔になって、おずおずと燐の後頭部に手を伸ばしてきた。こんな顔をされては、怒りを引っ込めるしかない。
「判ったよ」
 許したと言う意味で、こつんと頬に軽く拳をぶつけた。
「行こうぜ」
 二人で歩き出す。寮の建物を通り過ぎたところで、雪男が怪訝な声を上げた。
「あれ?」
「どうした、雪男?」
 彼の視線の先を追う。が、何を見ているのかよく判らなかった。
「なんだ?」
「あそこ」
 どこ? と弟が指した指先を辿った。
「どれだ?」
「あの一階の隅」
 一階の隅、一階の隅。朝の光を跳ね返す窓の一角が、黒く切り取られていた。
「窓が割れてる」
「本当だ」
 四角くでもなく、丸くでもなく。遠目だがいびつな形に割れている。
「どうしたんだろ?」
「お前先に学校行けよ」
 弟の肩を叩く。お兄ちゃんですから。
「え…?」
「お前遅刻したらマズいだろ? 俺が確認して塞いどいてやるよ」
 俺の最悪な評価ならこれ以上遅刻したって、別にどうってこともない。
「なに言ってんだよ。これ以上遅刻したら困るの兄さんだろ」
 そうやって反論してくるのは想定済みだ。つまりは俺に付き合ってくれるわけだ。素直じゃねーの。それも雪男らしくて嫌いじゃない。はいはい、といい加減に返事をして、寮の方へ戻る。
「あ、ちょっと、兄さん!」
「早いもん勝ちな」
 へへん、と笑って割れている窓の方へ走った。後から雪男がムキになって追いかけてくる。小さい頃は体が弱くて、どこへ行くにも自分の後を追って『兄さん、待ってよ』と泣いた弟が、今はなんでこんなことしてんだ、なんて顔をしながら本気で俺を抜きそうな速度で走っていた。こんな風に一緒に走るの、もしかしたら初めてかもしれない。
 
「なんか当たって割れたな」
「そのようだね。外にはガラスの破片が落ちてない」
 二人でほんの少し乱れた息を整える。割れた窓の下はコンクリートだったが、なにもなかった。
「んじゃ、中から見てみるか」
 二人でゆるりと歩いて玄関をくぐる。普段滅多に使わない一階の隅へ向かっていく途中で、微かに冷たい空気が流れてくるのが判った。
「こいつだ」
 窓を突き破った石ころを拾い上げる。その周りに割れたガラスの破片が散っていた。
「へぇ、結構な力で投げたみたいだな。壁にぶつかってる」
 雪男が窓の反対側の壁の一点を指す。どれ、とよく見てみると、微妙だが汚れとへこんだ跡、そして衝撃で壁の塗りに一部ひびが入っていた。ついひびを爪でカリカリと掻く。ぱらぱらと古くなったペンキが剥がれて落ちた。
「ちょっと」
 やめなよ、と雪男が燐の手を叩いた。へいへい、といい加減に答えるが、別に反省してないわけじゃない。それよりも何と言うか、嬉しいのだ。中学の頃は、ほとんど話さなかった。仲が悪かったのではなく、俺が自分の力を持て余して、どうしていいか判らなかったからだ。小さい頃みたいにとは行かないし、今はもういろんなことが変わってしまったがそれでもこうやって雪男と普通に喋ったり出来るのが嬉しい。わかってるのか、と目で窘めてくる雪男に笑って見せた。
「とりあえず、そこいらの板で塞いどこーぜ」
 燐は廊下の隅に積み上がった木材を指さした。どうせメフィストに修理を頼んでも、なんだかんだと理由をつけて手をつけてくれないに決まっている。
 なら、自分たちで何とかするしかない。
 幸いなことに、なにに使うつもりだったのか判らないが、この寮には所々にこうした木材が積まれたまま放置されていたりする。どうせ放ってあるなら、有効活用すればいい。
「今の所はそれしかないかな。フェレス卿には僕から報告しとくよ」
 雪男はカバンからタブレット端末を取り出して、壁の写真を撮り始める。出来るだけあのピエロとは係わり合いになりたくない俺にとっては有り難い。
「工具箱取ってくる」
 写真を撮る傍ら、何が気になるのか床や窓を細かく見ていた雪男が行ってらっしゃい、と燐を見もしないで言った。お前、なんかに夢中になるとホント素っ気ないな。いいけど、お兄ちゃんですから。そんな弟の態度も許してやる。

 そっと扉の取っ手を引く。キィ、と軋む音が殊更に大きく聞こえて、心臓がドキドキする。
 この前石を投げて割ったガラスのところは、板が張られていた。
 ――おばけやしきじゃないじゃないか。
 真っ暗な室内を覗き込みながら、問いつめた時のことを思い出す。
「そうじする人がいるって」
 そうだよ、ともう一人が勝ち誇ったように相づちをうった。そのどうだ、と言わんばかりの顔が憎たらしくて、思わず怒鳴った。
「人がいるならおばけやしきじゃないだろ!」
 うそつくなよ、と文句を言う。
「ふつうは人がいないんだって。おかあさんが言ってたもん」
 嘘じゃないと相手が言い返した。度胸を示した自分に、随分ではないか。お化け屋敷など怖くない、それを示すためなのに、人の家では意味がない。 
「ならたしかめてこいよ」
 自分の言葉に、相手が怯んだ。
「なんだよ、おまえらビビってんのかよ」
「び…、ビビってねーよ」
 そうだぞ、などともう一人が強調するように言うが、どちらも明らかに嘘だと判る口調だ。
「じゃぁいけるよな?」
 相手が気まずそうに顔を見合わせた。
「よるたしかめにいくぞ」
「でも…、よるはでちゃいけないって」
 途端に勢いをなくして、ぼそぼそと呟いた。
「ビビってるんだ」
「ちがう!」
 それでも意地でビビってないと言う彼らに、夜になったらお化け屋敷の前に来い、と約束させた。だが、彼らは来なかった。
 ――ビビりめ。
 こっちは夕飯が終わって、片づけに親の目が離れた瞬間を狙って、家を忍び出た。玄関を出る瞬間に、幼稚園の弟に見つかってどこへ行くの、連れてってとしつこく聞かれたが、とても危険な用だから絶対ついてくるな、と言いおいて出て来たのだ。
 ――これくらいできなくて、どーすんだって。
 戸ががちゃ、と音を立てて閉まる。一気に視界が暗くなった。さすがに動けないので、その場で目が慣れるのをしばらく待った。
 徐々にぼんやりと辺りの様子が判ってくる。入り口の右手には窓が並んで、長い廊下のようだ。左にも廊下が続く。正面の奥の方は、光が届かないらしく、真っ暗だ。
 ――よし、みてろ。おばけやしきかどうか、たんけんだ。
 
「うあー…。何か飲むか?」
 燐が背伸びをしながら、雪男に尋ねる。
「さっきも飲んだじゃないか」
 雪男はモニタに向かったまま、かちゃかちゃとキーボードを叩きながら呆れたように呟く。まぁ、その気持ちは判らないでもない。つい三十分前にも同じことを聞いたからだ。
 聞きたくなるのは仕方がない。何故なら課題が全然判らなくて、一向に終わらないからだ。
 判らないなりに一生懸命やってはいるのだが、進まないは、判らないは、眠いは。今の燐に出来ることと言ったら、寝てしまわないように茶だのコーヒーだのを飲むくらいしかない。
 寝たら、雪男がスゲー機嫌悪くなるしな。
 部屋に持ち込んだポットを持ち上げてみると、すっかり空になっている。
「どこ行くの」
 気配を察したのか、少し尖った声で雪男が燐を咎める。
「水足してくるだけだって」
 そう、と素っ気ない返事が返ってくる。ちぇ、そんだけかよ。文句の一つも言いたくなるが、雪男にはやることが山のようにあるのも判っている。
 少しは物分りのいい兄ちゃんなとこも見せとかねーとな。ふむ、と一つ意気込む。
 ポットを手にぶらぶらと廊下に出た。燐が進むと窓ガラスに映った自分も同じように進む。ガラスの向こうを透かすようにぼんやりと見る。そういえば、と昼時のことを思い出した。いつものように雪男や勝呂たちと中庭で弁当を食べていた。そこへ誰のものか判らないラジコンの飛行機が飛び込んできた。その勢いが凄かったのに驚いて、雪男が飲みかけだった野菜ジュースをぶちまけたっけ。いつも落ち着いている雪男にしては珍しい失態で、その分その後の不機嫌加減は酷く、結局昼休みが終わるまで一言も喋らなかった。
 今もまだ、少し不機嫌なのを引きずっている。
 ぶすっくれてるくらいなら、もっと驚いたり慌てたりすりゃーいいのに。どんなことでも驚きません、なんて澄ました顔をされると、わざと何らかの反応を引き出したくなってしまう。
 
 ひやりと冷たい廊下をそろそろと進む。奥の暗闇から微かに低い音が聞こえて、足が竦んだ。だが、引き返してしまっては何のために来たのか判らない。
 足下がよく見えないので、一歩一歩が慎重になる。そのせいか、ひどく大きな建物に思えた。左手にぼんやりと広い空間が開けた。その奥から、ぶぅん、とうなり声のような音がして、心臓が跳ね上がった。
 ふぅ、と足元を生暖かい風が通り抜けた。途端に足が凍りついたように動けなくなる。
 ――な……、なんだいまの。
 恐ろしくなって物の形も判然としない薄暗い空間をじっと見つめていると、ちかちかといろんな色が浮かんでは混じりあい、モヤモヤと余計に真っ黒な色に沈んでいく。それが大きな塊になってじわり、もぞり、と動いたような気がした。
 思わず恐怖に駆られて視線を逸らした。
 ――だいじょうぶだ。おばけなんかじゃない。
 今にも襲い掛かってきそうな真っ黒い塊を見ないように、やっとの思いで方向を変える。そろりと凍りついた足を無理矢理動かして、そっと、出来るだけそっとその場を離れる。
 体がぶるぶると震えて止まらない。玄関から入ってくる、外からの灯りがひどく恋しい。でも、焦れば焦るほど足が動かない。まるで、何かに捕らわれているみたいだ。
 
 勝手知ったる寮だ。彼ら双子と、猫又《ケット・シー》のクロ以外に人もいない。なので、廊下の明かりも点けずに通っていることも多い。今日も外の明かりが差し込むだけの暗い廊下に、何の違和感も覚えていなかった。
 ぺたぺたと階段を下りて、台所へ向かおうとしたところで、とすん、と胸に何かが当たった。
「あ?」
 クロか? と声を掛けた。不機嫌気味に揺れていたしっぽが、少し機嫌よくぶん、と震えた。いつもは言われなくても燐の肩に飛び乗ってくるのに。胸に当たる温かみを、いつも通り肩に乗せてやろうと思って、むんずと掴み上げた。
「うわぁぁぁぁぁぁーーーーー!」
 突然手の中のクロであるはずの物体が、悲鳴を上げて暴れた。
「え? なんだ?」
 子供のような甲高い声に驚いて、思わず手を離してしまった。どすん、と床に体が投げ出されたような音が響く。しまった、と思う間もなく、うわぁー、だかぎゃぁーだか大きな泣き叫び声と共に、声が寮の奥の方へ遠ざかっていった。
「あ……」
 燐はクロを掴んだはずで、実はそうではなかった手を宙に伸ばしたまま、暫く呆然としていた。
 
 
 制服をクリーニングに出さなければならない。
 なにをそれほどのことで、と燐なら小さい奴だと笑うだろうから言わずにいた。けれど、果汁の染みではないか、水ではないから繊維に染みつくと厄介で、制服は毎日着用するものであって、しかも正十字学園はメフィスト・フェレス卿が相応しい品格をだのと好き放題の我が儘を言ってくれたんだろう、そのせいで一着が安くはない。つまり、上質の、言い換えれば制服らしからぬ面倒な贅沢生地を使用しているので、クリーニングとなると費用とか時間もかかる。知ったときの驚きと戦きを教えてやりたいところだが、細かいとこれまた言われそうなので止めている。任務中でないから経費にも出来ない、生活に必要最低限の出費以外のものは避けたいと思っているのに、時間を作って、代用を用意しなければいけない。不躾なラジコンを踏みつけたかったのだ、実際のところ。
 …まあ、考え事をしていた僕も悪いんだけど。
「仕方ないか…」
 キーボードを叩く手を止め、ふうと息を吐いた。
 医工騎士《ドクター》たちの間で事件ではないけれど噂になっていることがある、育てていた薬草が折られていたり、置いておいた薬液が瓶ごと割られているというものだ。管理さえ怠らなければ被害はなく、薬が大量に無駄になったとか任務に支障を来すようなところまで発展しない、祓魔屋で世間話程度に聞いただけだから雪男もさほど気にしていなかったが、魔法液のコルクに針が刺してあったという話にはぎょっとした。痕跡もなく、小動物や下級悪魔のせいと決めつけられないのが不気味ともいえた。
 それに、教員室で脅迫状なるものが届いているというのも耳にしている。それが團宛てなのか、学園宛てなのかは知らない。社会に反政府団体というのは自ずと発生するように、集団にはそれに反するものが現れ出る。分離だったり、意見の食い違いで、それは宗教も同じだ。目的を一とした團の内部でも軋轢は生じる。
「考えたらキリないよな」それに考えるべき事はもっと身近な方だ。
 雪男は脇の下に広げてある本を閉じた。
 たとえば往来で急に奇声を発するなどの無意味な行動をしてひとを不安にさせたりするのを愉快がるような輩もいるけれど、雪男にはそうした心理が理解できない。屈折はややしているという自覚はあるけど、共感するとか頷けるところもまるでない。嫌がらせ、イタズラ、事故、可能性はいくつかある。では、誰が、何のために? 旧男子寮は燐と二人きりの生活だ、クロがいても、いくら用心していたって何も起こらない保証なんてない、燐とクロに話しておこうかとぼんやり思っている間に、寮の窓ガラスは割られた。
 燐が空のポットを手に部屋を出、室内は妙に静かに思える。
 雪男は息抜きにタブレットに手を伸ばし、撮った写真を眺める。
 寮の一階の端の窓ガラスが割られていた。気付いたのは朝、学校に行くときだった。とりあえず雪男の覚醒時に物音がしたとか記憶にはないから、不在中か睡眠中のいずれかのうちだろう、昨日は二人とも帰りは遅くなったから恐らくはその頃、とはいえ、前から割られていたのかもと思うと首を横に振れない弱さがある。生活はしているが、毎日寮の全体を見回っているでもないからだ。風呂に食堂、洗面所、使う部屋も限られているし、開かなければほっておいている。寮の外からの投石行為によって窓ガラスは割れた、それは間違いない。古い建物なので外から見ればまんま廃屋に限りないだろうが、ライフラインは健全に保たれており、空いていると勘違いされ、何かに住まわれても困る話だった。
「…大層な謎だな」そもそもあれと関係があるのかないのか。
 あの辺りに搬入出用の大型車が来たかなんて雪男達は知らされていない、それに寮の外に轍もなかったし、車輪が弾いた石くれによって割れたならばあそこまで飛ばすほどの馬力とか速度が必要な気がする。よって突発的な事故という見方は却下できる。
 それにしてもものすごく普通だな、と思う。
 割れましたね、という顔をして、じゃあ塞ぐかー、と袖をたくし上げる。燐はその後のことは何も雪男に言わない。どちらかというと管理者でもある理事長に知らせなければいけないのだろうけど、なんかヤダ、と面倒がる顔をちらつかせただけだ。まあ弟なので。兄の不始末でなくとも、それくらいのことはしてやるけど、こんな兄だし。
「…ない」
 コーヒーを飲もうとしてカップの底が見えているのに気付く。
「兄さんまだかな」
 カップを振る、とろりと窪みの部分に残った液体が弧を描いた。
 燐は、誰がどうして窓を割るようなことをしたのかなんて考えない。考えたって分からない顔をする。
「……」
 雪男は割れた窓や床を見ながら割られる理由を考えていた。明瞭すぎるほどの意思を持って石は投じられ、窓ガラスは割れた、自分たちの過失によるものではないからフェレス卿には報告したけれど、返事は短く、『了解しました』と何がと逆に聞きたくなるような素っ気なさで、これは放置されるか後回しにされるなと確信したものだ。
―――うわぁぁぁぁぁぁぁ…
「声?」
 幼さの残る少年の叫びが谺する。なんだかカエルだらけの箱でもひっくり返したみたいな。
 続けてどすん、と重たく何かが落ちた音、雪男は振り向く。
 迷うより早く銃を手にして立ち上がる。
 
 
 クロが就寝前のパトロールを終えて寮に戻ると、植え込みのところに見たこともない物体が突き刺さっていた。
 なんだこれ? と首を傾げてから近寄って触ってみる。ぴくりともしない。かさかさかさと何度か引っ掻くようにすると土の上に落ちる。匂いを嗅いだけど、焦げたような匂いがいちばん強かった。
 形はコトリに似ているけれども、すべてが固い、しかも軽くはない。こういうのをクロは知っている、何と言ったか。
―――うーん。
 べっとりした油、焼くような匂い、ご飯のじゃなくて鼻が曲がりそう、覚えている。
 ああそうだ、思い出した、ヒコーキにそっくりなんだ、あれが小さくなったやつ。
 そこまで分かればクロにもそれが何であるか理解できる。
 これはヒコーキを子供用のオモチャにしたものだ、つまりは遊び道具で、こうなったまま忘れられてしまったのだ。
 一度はとととと横を通っていってみたけれど、そのままっていうのも良くないような気がした。二人に教えるべきだろう、紙くずとも違うし、『ケータイ』だったら大事な物だからと雪男は言っていた。ヒコーキとケータイは比べて良いのかも知らないけど。
 引き返して持って行くことにした。
―――よいしょ。
 う、なんだか持ちにくいぞ。
 入り口の鍵は燐が開けておいてくれている。取っ手によじ登ってドアを開けるのはこのごろ出来るようになったことで、見せたら雪男はあんぐりしていた。部屋のドアはコツが必要だから開けられないけれど、窓を開けておかないときはドア、そう燐と約束している。階段を上がって部屋の前で呼べば、雪男か燐が開けてくれる。それにしても重いな、ヒコーキ。けれど壊しちゃいけない、雪男に見てもらって、持ち主が分からなければこれで燐と遊ぶ。
―――あれ?
 はぐはぐとあちこちを咥え直し、運びやすいところを見付けてまた首を傾げた。なんか変だぞ。
―――あ、わかった。
 寮の入り口のドアが少し開いているのだ。
 扉の厚みの半分ほどを残したようになっていた。燐も雪男もそんな風にしたことがない、中途半端に閉めておくと、誰かがわざとそうしておいたのだろうか。
 それとも…?
 クロは髭を動かし、鼻をひくつかせる。ヒコーキのニオイはなかなか強いけど。
 
 
 なにこれ、どういうことだよ、だれもいないんじゃなかったのかよ。
 暗がりでいきなり太腿を掴まれた。
 ここはお化け屋敷だ、だから掴んだのはお化け。捕まったら大変だ。頭の中がぐちゃぐちゃになって、足をばたつかせながら腕をぐるぐるした、何かぶつかった感触と、おぐっという呻き声が聞こえた。
 チャンスだ!
「っつ…」
 お化けが痛がっている、戦いはしないけど離れないと。けれどどこをどう走ればいいのか分からない、階段が見えた。本当は入り口に戻りたいけどお化けがきっと立ちはだかっている。窓がガタガタと音を立てる、ごくりと喉が鳴った。階段のは暗がりになって呑み込まれそうだけど、怖じ気をふるって駆け込んだ。だって、ここで逃げ帰ったらあいつらと同じだもの。結局ひとりも来てないし。僕は違う。
 ゆびさきが冷えて震えて、胸がどきどきしている。
 静かだけど思い出したようにどこか遠くから音が響いてくる。掌をごしごしと服で拭いた。
 一階ぶんを駆け上がる。見渡したけれど廊下に明かりは点いてなくて、奥なんかまるで分からない。そもそも外からの明かりで何とか物の形が見えるわけで、どうしたって感じは取り壊し待ちの病院とか、アパートとかだ。手すりや階段の縁からも怨念とか残念とかぎゅうぎゅうの記憶を詰め込んだまま、終わってしまった寂しさが滲み出ている。
「……」
―――にゃぁ。
 はっと振り返る。
 猫の鳴き声じゃないか?
「迷っちゃったのか…?」
 ぞっとするのと、可哀想なのと二つの気持ちが起き上がる。弟が猫が飼いたいと駄々をこねたことがあった、幼稚園の帰りに捨て猫を見付けたみたいで、僕は犬の方が好きだからずっと耳を塞いでいたけど、ずっと泣いて喚いて煩かった。おかあさんが喘息が出ちゃうからって言っているのに聞かず、泣きすぎてゼーゼーいってた。弟は喘息持ちで、犬と猫にアレルギーがある。それでも動物と恐竜が大好きだった。僕も恐竜は好きだ。でもお化けは嫌いだ。
 右足を上げて、おろす。何かやわらかなものを踏んづけてしまってすくみあがる。よく見れば丸まったシャツみたいだった。
 あんまり汚れがなく思えるぶん、無視できない。拾っていいものだろうかと考えてしまう。本当なら勝手に持って行ってはいけないものだ、お化け屋敷で拾ったなんて誰も喜ばないし、お化けしかいないからといって持ち出すのもよくない。
 けど、僕だけがここに来た証拠にならないか…?
 あいつらはきっと怖じ気づいて来ないのだ、外で窺っているのかも知れないけど、そんな気配すらしない。なのに僕が手ぶらで『行ってきた』と言っても信じないだろう、来ていない方がよっぽど恐がりだとは思うけど、行ってきたというだけで証拠がないのじゃ、やつらと同じになってしまう。
―――かた。ずずず…
 深い底からゆっくりと這い上がっていた音が、すぐ近くまできた、…ような気がした。
 
 
後編へ続きます
 
 
--2014/05/23 掲載