黒バス_31

 
 
 
*わああああとやっているうちに五月です。
*えっと思ったらもう八月なんですよ、きっと…。
*そんでこれはぬるい感じの赤黒です。
 
 
 
 

【PDF版】<<※作製は未定です>>

 
 
 
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 画竜点睛を俟て。
 
 
 
 
 
 
 ある日のこと、新しいスポーツ施設がオープンし、多目的コートが無料で開放されることになった。折しも季節的に晴天が続き、どこもかしこも行楽日和、コートには照明も付き、テニスもフットサルも可能ということで、予約は殺到、桃井は自分のためにみんなに集まって欲しい、と言って頑張って一定の時間を押さえることに成功した。
 が、思いも寄らない事が起こった。
「痛いの我慢してバスケとかアホじゃないスか?」
「だよねうんうん」
「青峰君、これまで大病とは無縁でしたし、単に気付かなかっただけじゃ…」
「どんだけ鈍感なんだよ」
 ボールを追いかけ回していた若人は一転してしずしずと病院の廊下を歩いていたりする。
「でも…ごめんね。ほんとみんなで集まれたのにこんなことになっちゃって」
「桃ちんが謝ることでもないし」
「そうですよ、きっと一番ガッカリしてるのは青峰君でしょうから」
 楽しいはずのストバス大会が残念なことになって消沈し、責任も感じているだろう桃井をやさしく見遣り、黒子は言う。
「してねえよ」
 ぶっきら棒に背後から声が上がった、当の本人、青峰だ。
「あれ、青峰っち。ヘーキなんスか?」歩いたりして。
 黄瀬は振り返る。青峰は火神の横に並ぶとふん、とつまらなそうに鼻を鳴らした。
「イテェけど、大部屋だってのに寝てれば緑間がうるせえし、赤司は談話室に入り浸りだし…」
「あの二人、もう来てたんだ」
 桃井はびっくりしたように口元を押さえると持ってきた着替えを青峰に押しつけ、廊下を逆戻りする。その後ろ姿はいかにも青峰の身内といった様子で、火神はいいな、と率直に思ったりするがかといって彼女が欲しいとかではない。いたらいいけど、くらいだ。
「てか、マジで緑間持って帰ってくんね? アイツの占い信奉ぶり腹に響くわ」
 逃げているのか、と同情じみた笑いが漏れる。
「青ちん、お菓子とかないのー?」
「それが狙いかよ…。赤司が持ってきてる」
 青峰は廊下の先を指し示す。勝手に持ってけということなのだろう、紫原は万事心得たとばかりに歩いて行く。緑間は間違いなく力尽くで追い出されることになる、病室での青峰の安息は赤司の見舞いの品とに引き替えられるわけだ。
「じゃーねー」
「おう。…しっかし、お前らそんなヒマなの?」
「冷やかしっスよ」
 素直じゃないと言いたげに黄瀬は肩を竦める。青峰は、ゆっくりと歩き、動作もどこか慎重そうだった。火神はいがみ合ったりする方が楽だとばかりに黒子の横でやりにくそうにしている、どう話しかければいいのか分からないようだ。
「早くも退屈してるみたいですね」
「虫歯よりましだしな」
 口は悪いが挙ってやって来ている見舞客に文句を言わないあたり、青峰も暇を持て余していたのだろう。脂汗を流し、ベンチから立ち上がれなくなった昨日の姿からすればやや憔悴したきらいはあるが、憎まれ口を叩ける分の余裕があることが知れて、見ている方はほっとする。
「腹切ったばっかだろ?」
「局部麻酔だったからな、傷はそりゃイテェけどよ。一晩寝たらマシんなった」
 強がっているのかも知れない、と誰もが思うが口にはしなかった。
「…つか、ナースが無情というか」
 来院者用にベンチが三つほど並んでいるスペースに青峰は座って息を吐く。
「何でだよ」
 火神は不思議そうな顔をする、プロの医療従事者が患者を邪険にするはずがないと信じてのことだ。黒子はなんとなく続きの言葉が予想されて口ごもってしまう。強気や敵意には真っ向から挑んでいく火神は弱者に対してとことん無防備になってしまうお人好しな部分がある。
「ユメ壊れんぞ、実際入ると」
 それはそれは一体何があったのかと身構えてしまうくらいに低く切実な声だった、青峰にとってのショックは、虫垂炎に倒れて手術、そして入院ということではなく別のところにあったようだ。
「どんなユメ見てんスか」
「マイちゃんの天使みたいなコスプレ見たからよー」
「……」
「あ。それ知ってるス、先週のグラビア。そういや…」
 黄瀬はにやりと片頬で嗤い、ごそごそとポケットからスマートフォンを取り出す。火神がどこに行くのだ? と入り口を間違えたような顔で二人を見ている。こうなると青峰と黄瀬はなかなか息も合い、男子高校生らしく話は続く、黒子は火神の背中を叩いてあとを任せることにした。
「ではボクは赤司君を見付けてきます」
「え、ちょ、黒子」
 黒子としては、思うより元気そうな青峰の顔が見られて何よりなので足取りも軽い。病棟の廊下は静かではあるが休日らしい明るさがどこからともなく伝わってきている。外から持ち込まれる気配に話し声やラジオやテレビの音声が漏れ聞こえるからだろう。
 階段で階を降りて、談話室を探す。
「……」
 それでも。
 紛れもなくここは病や怪我を癒やす場所だと思う、階段も廊下も清涼だが薬品の匂いが染みついている。
 
 
 談話室はイートスペースでもあるらしく、ベーカリーが並んでおり、間仕切りの向こうには厨房が見えている。窓越しには中庭があり、カフェテリアのようにテーブルと椅子が並べられ、今日のような晴天は差し込む光も眩かった。医師や職員も利用するようで、人も多い。院内には売店だけではなくコンビニまであるから本当に病院かと訝しがってしまうが、何のことはない、隣に医療系の女子短大が併設されていて、買い物や食事くらいの使用なら行き来できるようになっていた。
 赤司はカフェテリア備え付けのグラスを置き、目の前の将棋盤を見る。邪魔にならない程度のクラシックが流れ、些細な物音をかき消している。将棋盤を挟んで向かいに座っているのは小学生の少年だ、水色のパジャマの上にカーディガンを羽織っている。どこか顔や手にふっくらした様子が見えるのは浮腫だろう、投薬治療のせいかあるいは病のせいなのか心が痛むものではあるが、丸い様子は愛嬌を覚え、少年にはよく似合っていた。まるでひな壇の内裏様だと赤司は思ったが、その印象は見てくれだけで、なかなかの指し手だ。
「……」
 相手は無言で腕を組み、ちらりと赤司を見上げてからぺこりと頭を下げる。
「負けました」
 周りを取り囲んでいた物見のパジャマとその同類と覚しい大人達から吐息が漏れる。
「いやあ、坊主を負かすとはなあ…、あんたやるなあ」
「いえ」
 赤司は手を振ってみせる、久々に骨のある手合いをした。ハンデは飛車落ちだけだが辛勝だ、もっと言えば粘られたらどうなるか分からなかったぶん、相手の方の読みが優れていたと言える。
「もう一回!」
「構わない」
 頷く、この強い目が赤司は気に入った。
 二人で無言で駒を並べ直す、大人達はほうと感心したような顔つきになる。集った殆どは年配で、将棋を嗜んでいるのだろう、二局目に興味津々というように椅子を引き寄せ、腰を据え始めている。
 昨日、赤司の友人の青峰大輝が急性の虫垂炎でこの病院に運び込まれた。倒れたのはストバスの真っ最中で、動揺し、震えている桃井を黒子達に任せ、緑間と赤司は救急車に乗り、病院まで付き添った。桃井と青峰の親が駆けつけてくるのを待つ間、飲み物を買いになんとなく覗いたカフェテリアの一角で、この少年と一人の男性が将棋を指していたのを覚えていて、今日来てみたらやっぱり居たというわけだ、壁際の定位置らしい角席、少年の傍らには詰め将棋の本があり、お守りのようでもあった。相手を探しているなら、と声を掛けたのは赤司だった。
「何をしているんですか? 赤司君」
「うん?」
 声に顔を上げれば黒子テツヤだ、少年は突如眼前に現れ出た人物にびくっと身体を強張らせる。近付く気配すら感じなかったのだろう、まあ標準的な反応だ。
「将棋を」
「見れば分かります」
 素っ気ない、彼が知りたいのはそちらの方ではないらしい。警戒する少年をじっと見詰めたと思うと、丁寧に相手の知り合いであること、また対局を隣で見ていていいか、と尋ねる。あくまでも赤司ではなく、対戦者である少年に、だ。
「ど、うぞ」
 どもりながら少年は応え、何なのだと目顔で赤司に訊いてきた。相槌でしか返せるわけがない。
 黒子は当たり前のように少年側につく。本当に動物的というか、弱まっている方に寄るという本能そのものだ。少年は当惑したように肩を聳やかすが、黒子はそれどころではないというように拳を机に置き、「ボクは将棋はからきしですが」と言い切る。
「絶対に負かしてやりましょうね」
「どんな加勢だよ」
 と、ギャラリーのパジャマが笑う。
 どうしていつもまず敵側なのだ、と赤司としては悲しく思わないでもないが、作戦というならなるほどいい手だと褒めざるを得ない。こちらにとっては先制点を入れられたようなものだ。
 並べた駒はハンデなしの二十枚、少年ははっと赤司を見上げてから背筋を正した。
「お願いします」
 とはいえ、負ける気もないが。
「……」
 序盤からすぐ沈み込むように盤面に集中する、黒子も気付いたようだ。ぐっと上半身は前のめりになり、きゅっと目元も険しく、姿が姿なだけに痛々しいようでもある。
「お兄ちゃん、こいつ、一丁前に先生についてっから強いよ」
 そうにやりと黒子を見るのは日頃の少年相手に指している仲間だろう、分かりやすく顔の左頬に青痣が残っており、首から腕を吊っている。
「そうなんですか?」
 誰もが黙って頷く。しかも静観とばかりに落ち着いている。
「でもおれ、2級のまんまだから」
 謙遜でもなく少年はぽつりと言う、聞こえていたらしい。
「初段ほどはあると思う」
 赤司の棋力は二段くらいだろうと言われたが、それも中学時代だったので、彼らの言葉をそのまま鵜呑みにしていた一局目は相手を甘く見ていた恥ずべき事と言わざるを得ない。
「でもお兄さんは、強い」
 短いが、素直だからこそ赤司にも嬉しく響く。
「ありがとう」
 腕が鈍っていないことを証明されたようで。
「……」
 黒子は無言で駒が動いていくのを見ていたが、やがて物言いたげな視線を寄越すようになる。己では勝ち筋が全く分からないからギャラリーと少年の反応で戦況を知るしかないのがもどかしいのだろう、同時にふうふうと呼吸を乱したりする少年が心配にもなるようだ。
「……」
 少年は駒から目を離すことはなかったが、両足をぶらぶらさせたり、顔を何度も擦りもした。見て変化が知れるのは呼吸だけで、興奮しているのかと考えられる程度だった。将棋は頭脳戦なのでエネルギーを消費する、子供ならではの恐ろしいほどの没入ぶりは加減を知らない、震えなどが兆したらやめるのがいいだろう、赤司は手を抜かずに中断する術を一方で錬っている。
 と、黒子がついていけなくなったのか視線を外して向こうを見る。首の運動にも見えるが、瞬きをし、それから赤司と少年を交互に見遣るというリアクションはサインのようにも感じられた。まさか少年に発熱とか、蕁麻疹とか出たか。
「黒…」
「あれー、黒子じゃん」
 誰もが黒子の存在を忘れていたので投げかけられた言葉に『何奴、クロコ』と胡乱そうな空気に満たされかけたが、当の本人が涼しい顔で目立つ色のジャージを着た相手にどうも、と応じたので居たことを思い出し、隣の少年もそうだった、と目をぱちぱちさせていた。手品でも見たようである。
「緑間君の回収ご苦労様です、高尾君」
「違う」
 横の緑間は不機嫌そうだ、その表情から察するところ、説教半ばで青峰に逃げ出された上に紫原あたりともやり合ったか、閉め出されたかしたのだろう。
「赤司、何をしているのだよ。十二時発の新幹線じゃなかったのか」
「えっ」
 少年を始めとしてギャラリーまでざわつく。黒子は先ほど浮かべていた色をがらりと変えて無表情に問う。
「赤司君、もう帰るんですか」
 責めているみたいだ、赤司は駒を置く。
「別に急いでるわけでもない」
「っ…」
 少年が小さく呻き、ギャラリーの一人からこれは、という呟きが漏れた。将棋を知っている緑間も眼鏡を押し上げて盤面を睨む。
「妙手ってやつなんですかね?」
 高尾は黒子と同じく知らないのか、暢気に声を発したらしき男性に解説を仰いでいる。男性はよく見れば昨日少年と指していた人だった。二十代半ばといった風で、丸くがっしりした風体からして少年の年の離れた兄にも見えた。
「うん、いい手だ。下手をしたら銀が取られてしまうけれど、こっちの金だって危うい。どう凌ぐのか見物といったところですよ」
 深みのある声で赤司とて見極めが難しいところをさらりと模範解答でも示すみたいに答える、おお、とギャラリーがどよめき、少年がぴっと背どころか身体全体を伸ばした。
「先生」
「渡部七段…」
 七段ともなるとタイトル戦を争うほどの実力者だ。棋譜ぐらいしか目にしていなかったので顔までは赤司も知らない、黒子達もぽかんとトッププロのご尊顔を眺めている。よくは知らないが、凄い人物であるということは分かるらしい。
「昨日の続きをやろうと思ったのですが」
 『先生』は盤面を見、少年の頬に手を伸ばして揉むように軽く抓る。弟子を諫めるというよりも触り心地を確かめているかのようだ。
「こっちの勝負を宿題としましょうか」
「はいっ!」
 少年は勢いよく頭を振る。赤司にも異存はなく、それ以上に流石だと感じ入るほどだった。緑間はなるほど、上手い引き際だ、と一人言ちては高尾に引っ張られていく。黒子が練習あるんですね、とやや呆れた声で言っていた。
 
 
 少年が彼の師匠に促されて部屋へ戻り、赤司は息を吐く。楽しそうではあったが少年の病について知らないだけに相手をするのは気が引ける部分もあったらしい。
「彼はプロを目指してるんですか」
 見送ってギャラリーの一人に問う。少年と顔見知りらしい男達は頷く。
「兄弟子やら先生が出稽古に来てるよ。でもそんなんじゃ足りないって言ってる。先天性の…無筋…筋無力なんだかってので入院《はい》ってて。でもこないだ尿酸値の話してたよなあ?」
「うん。すぐに悪くなるってもんでもねえって話だけどよ」
 いかにも内科だ、それくらいのことは黒子にも分かる。しかも、外科手術を必要としないだけ、窮屈と規則だらけの生活が察せられて息が詰まりそうにもなった。
「お兄さん、こっちと指さないか」
「ええ。ですが、そろそろ食事の時間ですから」
 年嵩の入院患者に肩を叩かれ、赤司は断ることもなくやんわりと返す。
「一時半からはいかがですか」
 いかにも慣れた物言いだった、誰が言い出すでもなく赤司との対局は一時半からに決まり、散会してしまう。黒子は残された駒を集めながら同じように片付けている赤司を見た。
「———あ」
 そして思い出す。
「なんだい?」
「さっき、これ、誰も写真とか撮ってませんでしたよ。続きって大丈夫なんですか?」
 赤司は手を止めもせずこともなげに、ああ、と答える。
「自分が指した手くらい覚えているさ」
「赤司君も?」
「オレは機械相手くらいしかしないけれど、…むしろ人相手だとより考えてしまうかな、だからよく覚えている。黒子だって出場した試合のことは忘れたりしないだろう?」
「はい」
 折り畳んだ将棋盤の裏面には病院の名前が書いてある。そうかと黒子は胸に呟く、赤司は何もかもが偶然のような素振りをしているがこうして病院の一角で誰かと将棋を指すことを当たり前にしていたのだ。だから、わざわざ時間を作って相手を探しに来ている。青峰の見舞いは口実のようなもので、だからといって彼を批難する気にはならない。赤司は京都で生活していて、口実さえなければ、部の練習は元より、あるべき場所で為すべきことに忙殺されているはずなのだ。
「時間は大丈夫なんですか。紫原君が、忙しそうだって言ってましたけど」
「部活に学業に誰だって忙しいよ」
 一般論みたいに赤司は流してしまう。
「黒子は?」
「はい?」
「オレは新幹線が空きそうな時間に帰るけれど、誠凛は練習はないのか?」
「ありません」
 テスト前の週末だからという理由ではあるが、実際のところは雪崩のように押し寄せてくる強化合宿、練習試合、練習、そして試合の骨休めといったところだ。間に手を抜くことが出来ない学校行事が挟み込まれているので死線すら見るようになるかも知れない。誠凛メンバーからは今年のカレンダーは呪いがかかっていると言われている。
 赤司は少し黙ってから、この景色は見たことがあると思った、と言った。
「こうして、眩く光に満ちていながらも、明るいと感じられないんだ」
「それは病院だからではないですか」
 黒子は躊躇いがちに返す。自分にとって総合病院は不安のるつぼのようなものだ、厳然とした生と死が横たわり、生きていくことに疑問を持たない人間にとっては底知れない異世界のようでもある。単に縁がないからと言われればそれまでなのだが。
 そうだな、と赤司は同調し、黒子の手に触れてくる。どきりとした。
「敗北というのは巨大な理不尽に四肢をもぎとられるようなものじゃないだろうか」
「……」
「刹那的に、考えるならば」
 そうかもしれません、と黒子は小さく応える。自分の手はこんなに冷えていたのか、と相手の体熱に気付かされた。赤司は力に強弱をつけて黒子の手を握ってからそっと離す。
 黒子はぼんやりと力が抜けたように指先に向けて消えていく熱を追っていた。
「…え?」
 半歩先を歩く赤司を改めて見る。
「そんな、赤司君はもぎとられたような感覚に?」
「違うのか?」
 手にした将棋駒のカタカタと擦れ合う音がする。
「大袈裟ですよ、そんなでは普通は持ちません。何もかもを持っていて、維持することも出来る。…約束されている人間の驕りです」
「そんなつもりはないよ、人は万能ではないのだから」
 本心だとは思うけれど。
 黒子は立ち止まり、息を吐いた。
「ボクは、…病気なども含めて、天災というか、人災に近いような気がします」
 軽やかなメロディが聞こえてくると思ったら、レジの上部に掛けられた時計からだ、短針と長針はぴったりと重なって正午を表している。カフェテリアに向かう人も増えてきた。配膳用のワゴンの音がする。
「勝負しようと思わないものはともかく、負けるのは正直嫌です。負ければ悔しい。惨めに思い、それ以上に悔やむんです。それは、『勝ち』を得られなかったからで、力不足であったか無力であったから」
 赤司も足を止め、黒子を振り返る。
「彼はきっと長く病気と闘って、将棋を学び続けるんでしょう。赤司君はそれが無意味であると思いますか?」
「いや」
 そんなことは決してない、と赤司はきっぱりと否定する。他人事みたいな顔をしておいて、誰よりも少年がプロ棋士になる姿を望んでいるのがありありと分かる。
「ただ、為せなかったときの失望感は大きいだろう」
「……」
 最近気付いたことだけど赤司は、理路整然とした思考そのものが前向きではない。深い部分ではネガティブなところから成り立っているように思う。何しろ、考えなしの行き当たりばったりなど選んでも信用はせず、二の手三の手を用意し、常に安全や無駄のないことを優先するのだ。しくじることを前提にしてそれを行動の中に組み込んですらいる。運気補正アイテムとしてグッズ所持を欠かさない緑間よりも疑り深いといえるだろう。
「どうして赤司君はそうなんですか」
 『勝つこと』が当然の義務のようにあった環境のせいかと考えていたけれど、負けたりすることは自己を脅かす存在として忌避すべきものとセットされているのかも知れないと思うようになっていた。得体知れない恐怖を塗り隠し、押し潰すのが『勝つこと』であると。
「そうって」
 相手は困惑ぎみに片方の眉を上げる。
「ボクたちは君たちに負けるつもりはありませんけど、先の事なんて誰にだって分かりません。人が万能じゃないのと同じように、人は神様でもないんです。小賢しいこと考えるより、いっそ為せることだけを見据えませんか」
「潔い」
 ふっと弱ったように笑う。が、生憎そんな考え方は出来ない、と目が語っていた。
「……価値観の相違ですけど」
 しがない自分の言葉など届かない。残念なことだけれど、別々なのだ。赤司は黒子ではないし、黒子も赤司のようにはなれない。
「そういう方がボクはいいです」
 ええい。赤司の横を抜き去って先に進む。
「うん」
 遅れて静かに赤司の声が聞こえる。
「オレも」
 どこか虚ろながらも胸の奥に落とし込んでいるかのように。
 廊下の天窓から光が差し込み、足下を照らしていた。一部はステンドグラスになっていてまるで万華鏡を覗き込んだみたいだ。
「きれいですね」
 不安のるつぼが不透明で不条理ばかりの空間だとしても、すべてを塗り潰していいわけじゃない。黒子は切り取られた空を見上げ、それから赤司を振り返った。
 頭上には、青空が広がっている。果てもなく、それだけは嘘がない。
「とりあえず青峰君のところに戻って、ご飯どうするか決めましょう」
「……」
「赤司君?」
 とらえどころなく見られているような気がして、手招きするべく腕を持ち上げた。
「信じるか?」
「え?」
 赤司は眩しげに眼を細めると手を伸ばす。
「参ってしまうな、だから黒子が好きなんだ」
 ふわりとそれは甘いようで、思いがけずとすんと、胸に突き刺さった。
 
 
 
 
 
 
 
 

20160501 なおと 
 
 
 
 
 
 
 

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 青峰や黄瀬ちんからかと思いきやな話となりましたが、結局のところ、
桃井ちゃんのために集まってわあわあやるところだったのに青峰が我慢しまくりすぎて
残念なことになり…
(青峰は彼なりに桃井ちゃんを悲しませたくないから我慢していたようです、
でもナメていたので緑間が呆れ果てて超説教モードになっている予定、
もちろん青峰のためにラッキーアイテムが手土産です)、
という考えたら収拾つきそうもない与太話を切り取ったような感じに仕上がりました。

 

 赤司さんは二段から四段の腕前と想定しているので、プロにはハンデアリじゃなきゃ
勝てないけれど、奨励会の人達となら渡り合えるくらいに強いことにしてます
(粘る前に凹ますタイプ)。
 どうも赤司さんの情操教育的なものになってしまう…。
でも彼は人格生めるほどの子だからダウナー気質なんだろうなーと、
がため、健全に育った子にはもろもろが敵わなさそうで。
あ、いやハイスペックな人なんですよ、分かってるんですよ、そこは。