黒バス_26

 
 
※赤黒です。
※VS京都 round2は学祭です。
※彼らは勝手に三年生です。
※思ったより長くなってしまったので前後編にしました。
 
 

【PDF版】<<※作製は未定です>>

 
 
 
<お願い>
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VS.京都Ⅱ
《前編》
 
 
 
 
「受験なんて考えてられないとか言ってんじゃないわよ」
 と、現役女子大生は声を高らかに宣言する。
 ダンッと手を置いた机の上には悲しくなるほどに赤丸のない答案用紙と、学校の補習、追試日程表、そして全国高校バスケットボール優勝選抜大会のスケジュールをプリントアウトした用紙がある、見比べるだに、より悲壮感は増す。
「バカじゃその先にも進めないんだからね!」
 なるほど、それはとても説得力がある。そして、恐らく幾度となく繰り返される氷の一撃だ。
 
 
「…そういうわけで、キャンパス見学がてら学園祭を見に来ました」
 そう告げた顔はいつも通りの平静さがあったものの、不本意であると声はそんな感情をはっきり現している。
「一応、受験生なので」
 受験生でなければ。
 誘惑の錦秋彩る観光地京都のベストシーズン、夜間拝観に特別ライトアップと目白押しなこの地はある意味魔境だ。春も花見に合わせた特別拝観などを行っているが、秋は夜長に合わせてそれこそ一日を遊んで潰せてしまう。そしてお約束のように読書の秋は寺社の境内で古本市も多く開催されたりもする。だからこそ来たくはなかったのだろう、簡易な地図一冊だけを持ち、観光案内を敢えて見ないようにしているらしい。
「関西の大学も射程内に入れてもいいとは言われてましたけど」
 この機会にキャンパス見学にでも行ってこい、とどんと背中を押されたらしい。
 最後のウィンターカップを目前に、士気を下げる気はないだろうが、三年生は学問の方面でも入試に向けて照準を合わせるなりの準備が必要になってくる。ちゃっかり用意してそうで行き当たりばったりでもある黒子はやや遠い散歩のような感覚なのだろう、カメラもなく軽装だし、こちらへ来るのに連絡すらなかった。
「『地獄を見る前の骨休め』に、よりによって世界が認めた観光地…」
 ふつふつと煮え滾っては煮え切らない何かがあるようだ、複雑そうなそれには敢えて触れないようにする。
「そうか」
 赤司は頷いてみせる。
 なにはともあれ、連絡があろうがなかろうが、逃すはずがない。
 黒子テツヤは誠凛高校の二期生に当たる。そう、学校にしてみれば彼らの進路は今後の学校経営にも影響する重要なデータなのだ。脳内で思わず新設校絶賛応援キャンペーンが展開されてしまう。…なんてことはおくびにも出さない、赤司は御託なんかどうでもいいほどに機嫌が良くなっていた。昨年は祭りで、その後は学園祭の時期に練習試合を組んで遠征がてら立ち寄り、今年の夏も国体の開催地であるという機会を逃さず呼び寄せることが出来たが、秋はなにか言い訳をつけて会いに行くしかないと思っていただけに策を弄することもなく手間が省けた。『受験生』なんて赤司自身には肩書きの一つでしかないが、味わい深い良い言葉だ。
「判定の良かった大学が何で関西に集中したのか…」
「テツヤは国語が強いからな」
 傾向として、関西方面の私立大は現代文や古文が難しいと言われている。黒子は得意なそちらで点を稼ぐのだから機械の弾き出した結果は尤もだと言えた。
「ついでなのでというかで青峰くんと桃井さんも来るはずでもあったんですが…」寝坊、とか。
 自分がしでかしたのではないだろうに痛恨という顔だ、せめて賑やかにと夢見た行程も夢破れ、来た意味を失いかけている。まあ気を利かせた桃井が連絡してくれて、赤司が捕まえに来れたのだから結果オーライだ。黒子に一人で京都なんて無謀な旅路に他ならない。
「不本意そうだな」
「そんなことはありません。どうして赤司君がいるのか分からないだけです」
 とはいえ、黒子はどこで手に入れたのか紙風船と受験に役立つとは思えないような古本で重くなった袋をぶらさげ、屋台で買った串団子をもぐもぐと食べている。
「それに記念受験もしないつもりの大学に居るのも謎です」
「満喫してるけどな」
「ボクはその、恒例だとかいう古本市というのにつられただけです」
「本当に?」
「……」
 無言で団子を咀嚼し続ける。
「素振りが浮ついていた、楽しげなことを探してそわそわしているように見えたんだが」
「いくらかは仕方ないと思ってください」
「待ち人でも?」
「…運が良ければというくらいです」
 ならば幸運だ、もう少し素直になればいいのに、だが、そんなところも悪くない。もう少し進めたい気持ちはあるけれど、これ以上彼をつついてむっつりされても困るので赤司は切り替える。
「では、その点は気にしないことにしよう、だからテツヤも細かいことは気にするな。そもそも京都は歩けば当たるのが寺と国立大なんだ」
「……」
 そういうことにはして貰えないらしい、相手は無表情に否定する。
「D大なら歩いても行けるし、問題ないよ」
「君を案内役にするつもりはなかったんですけどね…」フラグ立ちそうで。
 手を引いたところで黒子はぼそりと呟いた。
 
 
 あれは去年のインターハイ前のこと。
 黒子は京都に来た、赤司に誘われたからだ。夏の大会を前に余裕なんてもてる時期でもなかったが、挑まれて引くわけにはいかなかった、しかし、理由はもう一つある。丁度その春、学校では水上勉の作品を教材にしており、黒子はその足で図書室に行き、金閣寺の放火事件について扱った本を借りた。読みかけの眠たくなる短編集は机に投げて、居眠りすることもなく数日で読んでしまった。赤司の住む京都の古刹であった事件について言うのは憚られたので彼には何も言わなかったけれど、本を読んで抱くイメージはぼやっと滲んだ風景画になっており、現在の京都という町を重ね合わせてみたいという気持ちが胸の内に残っていたからだ。結局のところ、違いすぎて重なるどころではなかったけれど、確かだったのはより不思議な土地ということになってしまったという一点だ。重ねた絵柄は奥行きが出た、だから機会があればまた、と思っていた。この都市は魅力的だ。
 それに、去年は思いがけない出会いがあった。
 これぞ京の夏ともいえる神社の恒例神事の只中、コンコンチキチンと遠く近くで聞いた祇園囃子の響きはいまも懐かしく耳に残っている。山鉾が陣取る界隈の混雑は想像以上だった、流れはゆるりとしているのに気付くと人だか建物だか空気かに溶けてなくなりそうなのだ。町屋を覗き、小路を歩き、黒子は四条大路に辿り着く前に赤司とはぐれてしまった。彼を探そうとして、会ったのが骨董店とそこに集まる人達だった。そこで『宵山少女』探しなるものに飛び入り参加し、最後は赤司を見つけては彼らとの別れはうやむやになってしまっていた。今年の夏は試合と重なって来られなかったから礼を彼らに言えていないままだ、望みは薄いが会えたらと密かにだが思っている。
「え?」
 校門で購入したパンフレットから顔を上げた。学生自治の伝統のイベントって何だろう、と考え事をしていたので赤司の話を聞いていなかった。
「すみません、聞いてませんでした」
「別に構わないが、…気にしないのも珍しいな」
「?」
 赤司は、青峰達は一時半に到着するそうだ、と教えてくれた。忘れていたわけではないが、着いたらそれどころではなくなったかもしれない。
「ここで足止めになってしまいそうだな」
「ボクは普通の観光になりますが、確実に赤司君向けのものがありますよ」
「……」
 学生によるガイドツアーなるものと講演会一覧を指す、いわゆる入試ガイダンスだろう。パンフレットは分厚く、各ステージや教室での催しが印刷されている。案内満載といえばいいのか、謎のカタログというか、統一されていないような記事が「祭りなので」的な括りで凝縮されてしまっている感じだ。『企画』とやらは多く、あれこれを見ては単なる祭りではないような意気込みが読み取れなくもなく、ぼかされているような説明のものもある。それでもステージなどきっかりとタイムスケジュールが組んであるのは分かりやすかった。アーティストのライブだとかは分かる、でも大学ともなるとよくわからない同好会やサークル名が出てくる、襖クラブって何だ、デルタ研究会は何をするところなのか、察しがつくのは演劇部の上演だとか、ダンスパフォーマンス、体育会系の屋台ぐらいだ。
「ガイダンスも何もほっといても全国から志願者が集まるような気がするんだが」
「様式美ですよ」
 東京のいわゆる最高学府と並び称される西の雄ではあるけれども名だけではない付加価値があるはずだ。たぶん。
「それにオレは、東京の方を受けるつもりだから…」
「そうですか」
 進学する学校も選び放題の能力があるのは認めるが、いまいち受験に対する熱意のようなものが見えない。赤司にしては歯切れが悪いのは多才ゆえの苦悩というやつなのか。まあ、その前に最後の大会が控えているから考えたくないのもあるのだろうが、彼は受験もバスケもその他のことも同時進行でこなせるはずである。
「ボクは考えてしまいますよ」
 目的はぼんやりとはある、そして、とりあえずあまり親に負担を掛けたくない。
「……」
「緑間君のようにはっきり決められたらいいんですけどね」
 赤司は黙ってただじっとこちらを見詰めてくる。彼のいいところは能弁ではあるけれど饒舌ではないところだ。
「あ、彼は医学部志望です。ボクみたいな細胞を探すのだと言ってました」
「黒子細胞…」
「いえ。『のような』であって、ボクの細胞とかでは決してないです」
 彼なら誤解もしないとは思うが一応のため、否定するように手を振る。緑間が注目するのは生物の体細胞とそのしくみであり、あくまでも自分ではない。
「役割として、正常細胞の活動のアシストになるような働きを持つ酵素だかタンパクだかを作りたいんだか探したいんだかで…」
「志望理由がピンポイントすぎるな」
「ですね」
 相槌を打ってから続ける。赤司の背後を法被を着たよく分からない集団が駆けて行った。法被の人たちは先頭を走る誰かを追い掛けているようでもあった。
「黄瀬君はともかく、紫原くんはオファーとかありそうですけど、赤司君は聞いてますか?」
 相手はきょとんとした顔をする。
「さあ? お前の方こそ菓子のやりとりをしてるくらいだから知ってるんじゃないのか?」
「練習試合に行くのが面倒だとか、勉強がかったるいとか、後輩がうざいとか言いたい放題なんですけど、バニラ塩バター攻撃には麻婆風味、並びにもんじゃ、ピーナッツの三都市カウンターで送ったところで」
「何をしてるんだ」
 呆れるというよりも意味すら知れないと言いたげだ。紫原は彼らしくまったく気紛れに黒子に新作菓子の情報を送ってくる、そうして届いたのが彼の周りでの流行なのか、バニラと塩かバターを組み合わせた味の駄菓子からキャラメルにチョコレート菓子類の数々だった。黒子はお返しに神奈川と東京と千葉のご当地限定と謳った菓子類を買って送ったというわけだ。隙間に入れてみた黒子家特製の梅のシロップ漬けが寮で大好評だったらしく、空になった容器の写真がメールに添付されていた。
「放任というか、氷室さんがあまりにも構わないので愚痴の捌け口…ですかね? 進路についても『そんなことより』で流されてしまうんですよ、そうでなければ送った駄菓子の話になっちゃいます」
「…ああ」
 よく分かる、と同情じみたような苦笑。
「火神くんもボクも進学を希望しているのですが、やはりそれも頭に入れつつバスケというと…」
「だから息抜きなんだろう? 相田監督はよく考えているよ。とても女性らしい気配りだ」
 赤司は上機嫌だからして、物分かりも良いし、こうして我らが勇ましいカントクをも持ち上げる。こちらとしては最後の試合を前に士気をあげるどころか学業という現実問題を突きつけられているような錯覚が見えてちょっと萎えそうだったりするのだが。
「テツヤ。南の方では参考書があるそうだよ」
「K大生の参考書…」しかも構内地図によると医学部に近い。
 果たしてそれは役に立つものなのか。それ以前にレベルが高すぎやしないか。正直なところ、お下がりの参考書よりも受験の奥義でも記したばっちり受験対策ノートとかないものかと、安易に逃げ場を探してしまいそうになる高校三年生は考えてしまうのだ。せめて苦手な教科の攻略ポイントとかを教えてくれないものか。
「……」
 しかし、こういった苦手だとか勉強法は…。
「何だ?」
 元から演算処理能力に長け、理解力に優れている人間には分からないものなのだ。彼らは『わからない』ことがどうして『わからない』のかを解せないと言い切る。
「いえ」
 看板につられて真っ先に行ったところは古書とレコード市、そっちは楽しい。この日のためにあちこちから集めたそうな。新刊本からお目に掛かったこともないような品が並べられており、赤司も羊皮紙使用だという貫禄のある洋書を手にしてすごいな、と息を漏らしていた。さすがに世慣れたような振る舞いを見せてくれる男として古本や骨董の類もそこそこ知識があるらしい。黒子は専ら単行本と文庫を漁っていたが、文学全集でしか見かけない作家の本などはっきり言って手が震えた。なくなってしまった出版社の本もある、懐かしくて嬉しかった。吟味したのだがそこそこに重くなってしまい、土産用の代金すらなかったりするのだが、断じて後悔はしていない。
「見ていれば時間なんて潰せるだろう、青峰たちともすぐ合流できる」
「ソウデスネ」
 返事はただの音声記号だ。
「ああ、それとも食事にしようか。屋台が争うように飲食物を売っている」
 張り切っているなあ、と赤司を見て思う。晩秋の眩い日差しもそうだが、その光を受けて彼はきらきらしている。やっと見付けた、と聞き覚えのある声を聞いたのはそのときだった。
「え?」
 振り返っても誰もいない、ざわざわとゆるく流れる来訪者たちに混ざって遠くやっぱり走る集団らしきものの足音が海鳴りのように聞こえるだけだった。
「君かあ」
「は?」
 今度は近くてぎょっとする。見知らぬ法被姿にぐっと手を握られていた。
「まったく師匠もお人が悪い…」
「……」師匠とは?
 会ったことのある人物ではなかった。黒子は首を傾げるが、友好的かつ、馴れ馴れしい様子はこちらのことを知っているとしか思えず、似た声を知っていることもあって、もしや、と思ったりする。
「あの、もしかして」
 あははーと、ぱかりと口を開ければ犬歯が見える、さながら洛山の葉山選手そのものの明るさで、こちらの言葉を続けさせず首をホールドされると、小さく囁かれた。
「桝屋の若旦那からようく言われてます」
「ます…」
 それは、世話になった人の名前だ。黒子はまじまじと相手を見返した。相手はいやあ、よく来た受験生とにこにこと笑いながら黒子を離し、赤司とで交互に握手を交わした。
「学生自治の者です。君を学園祭が終わるまで拘束せよと言われているんだが」
「拘束?」
「うん、ちょっとな」
 そうにこやかに『拘束』されることを肯定されても。
「謹んでお断りします」
「そうか」
 悪いとは思いつつことわるが、向こうは食い下がりもしない。むしろさっぱりとしていた。
「行こう、テツヤ」
 これまで静観していた赤司が腕を引く。彼としては口を挟むどころか、即却下という判断になったらしい。まあ、黒子にしてみてもあの若旦那つながりだとしてもいきなりな拘束には閉口してしまうしかないのだが、ここにいたら彼らと会える可能性は高いのかも知れないと思わないこともなかった。
「あ、では」
 学生自治の人はにこやかに手を振る、会釈して赤司の背中を追った。来て良かった。
 
 
 屋台のものを買って食べれば少量でも腹は膨れる、黒子は〝関西炊き〟なる(どう見ても)おでんを食べてもう入らない、と首を横に振った。
「揚げドーナツがきてます…」
「だから後にしろって言ったのに」
 赤司は残りを口に入れる。おでんには一味山椒が掛けてあって、この後で舌にくるぴりりが良かった。
「それにしても」
 学園祭用にベンチとゴミ箱が設置されており、座ればグラウンドの方を見遣ることが出来る。看板やら木々が遮るけれどもステージで何かしていることは分かる、いまはコンテストを開催しているようだった。
「何だったんだ、学生自治の法被は」
 あれから同じ法被の者や違う法被の人間を見た、地味そうでいて、学内は多彩だ。男性の雄叫びをはじめ、どこからかライブじみた三味線の音まで聞こえるのだから何が始まろうともアリなのだと思うことにしている。黒子はほくほく顔でほうじ茶を飲んでからさあ? と首を捻る。バニラシェイクがなくとも満足できたらしい。
「四十五分から自主映画の上映があるみたいです」
「うん」
 漫然とステージ上のコンテストを見る、いかにも京美人といった女性が瓦割りをして喝采を受けていた。
「ボク、ちょっと行ってきていいですか?」
 赤司は頷く、異論はない。面白かろうがそうでなかろうが自分も行くつもりだった。
「赤司君はこのガイドツアーに是非」
「どうして」
「洛山のキャプテンが他の部員が練習に励んでいる中のうのうと遊んで手ぶらで帰ってきたなんて示しがつきません」
「少しは受験生らしいことをしろと」
 講演会でも可です、と黒子はキリッとした顔で頷いてみせる。
「しかし…」
「ボクだったらそんな先輩はガッカリですからね」
 評価は結果についてくるもので、こんなことで赤司の部内での立場が変わるなど到底思えないが、なるほど、わかった。このままでは自分《黒子》のせいで赤司が部の練習を休んだことになってしまうし、それは彼の望むところではない。気にしなくていいのにと思うが、恐縮されつつ今後の時間を過ごすのは赤司も望まないことだ。
「ところで、青少年」
 いきなりに背後から気安く声が掛かる。模擬店宣伝のビラ配りだろうか、赤司と黒子は振り返った。もはやどちらに声を掛けたのだとしても学園祭において邪魔をするなとか空気読めとかそんなことは言わない。
「……」
 痩せて背が高い男だった、謎めいたコスチュームに白衣を羽織っている。間違いなくこの大学の学生だろう、ヒーローのコスプレだとしても頭につけた狐の面とかとりあえずよく分からない。
「よくぞこの学園祭に来てくれた。お楽しみのところ悪いが頼まれてくれないか? ナニ、きわめて簡単なことだ。ある人物に届け物をしてほしい」
「『届け物』?」
 同時に返された言葉に男はこくりと頷いた。
「昨日、壊れてしまってね。どうにか修繕したはいいが、二時までに届けないと上演に間に合わない」
 と、早口で言って黒子を見る。黒子はしばらくじっと男を見ていたが、何かを思い出したのか、あ、と口を開けた。
「あの、もしかして、野門文学新人しょ…」
「それなら僕が。彼はこっちには遊びに来ただけで構内のことすら知りません」
 舌打ちが出そうになるのを堪え、機先を制する。本好きなのだから赤司よりも作家の情報は早いはずだ、そして、生の作家先生からの頼み事など二つ返事に決まっている。こんな頓狂な格好でも。
「好都合だよ、より関係者らしからぬ人物だからあいつらに邪魔される心配がない」
「…?」
 邪魔って。
「届け物はここで行うゲリラ芝居で君に渡するよう指示しておく。メモが入っているはずだからその通りに行けばいい」
「もしかしてその演出もされてるんですか」脚本だけでなく。
 まさに思考は電光石火といおうか、ゴールまで一足飛びだ。黒子にとっての『新進気鋭の注目作家の戯曲』という魔法の言葉にめりめりと警戒心というバリアが剥がれ落ちる音がする。冷静になれと目で訴えてみた。
「テツヤ」
「次作の実験的上演だよ。虚仮にしてるって怒られたから敢えてやるんだ」
「作品の…何て画期的な」
 明らかな賛辞だ、バニラシェイク並みに心を奪われまくっている。そこ感心しない、というか目を輝かせないでくれ。そもそも怒られたのだから一般人を巻き込んでするな、新人作家風情が。しかも相手はまんざらでもない顔だ、大家ぶって頭が高いどころの話じゃない。
「頼まれてくれるんだな?」
「認めない」
 男はきっぱり答えた赤司を見ると、そうか、とまるで気にしないさまで言った。黒子を向く、いけすかない狐面が薄く笑んでいるようで腹立たしくなる。
「礼は我らが代々受け継がれる受験虎の巻ノートを伝授しよう、教科別に私大対策もばっちりだ」
「そんなもので懐柔されるテツヤでは…」
「ではそういうことで」赤司君はやっぱりキャンパスツアーガイドに参加して下さい。
 黒子はぱんと手を打った。ころりと懐柔される容易い人間になってしまっている。
「ちょっ、テツ…」
 頼まれます、と黒子は力強く請け負った。
「君といると目立ってしまうし、僕は必要ないですからその届け物とやらを済ませたら、他の人達に紛れて青峰君たちを待ってますよ」構内から出るわけでもないですから。
 表情は出にくいが見飽きない顔にはありありとノートと次回作のために、と書いてある。ノートだとか、そんなのは勉強ならいくらでも付き合うのに。赤司は溜息を吐いてから黒子を見詰めた。
「オレは承服しかねる話だと言っている」
「まあまあ。我が儘言わないでください、赤司君」
 宥めるような口ぶりだ。首を横に振った、どうして一人に出来るものか、前に河原町ではぐれたのを忘れたのか。
「嫌だよ。どうしてテツヤを譲らなきゃならないんだ」
「物の貸し借りみたいに言わないでもらえますかそれ」
「……」
 狐面の新人作家は気付いたように眉を上げるとこちらの遣り取りを興味深そうに見る。構う余裕なんてなかった。
「テツヤ。この学内の構造だって把握していないだろう。それに人も多いし、流れも煩雑だ」
「なんとかなります」
「じゃあそういうことで」
 新人作家はすかさず割り込み、黒子をぐっと抱き込んでは、ぽんぽんと背中を叩く。固まったままの赤司を置き去りにくるりと踵を返し、人の流れに紛れて行ってしまう。急いでいるのは確からしい。赤司はどうにか己を氷解させ、腕を組むともう一度溜息を吐いた。
「…物なら、もっと楽だ」
 むっとしたように黒子は赤司を見る。
「……」
「判らないならいいよ、元から長期戦なんだから」
 お互いに引かないのだ、そうなのだ。もう一人の自分が黙りこくってこちらを見ている。赤司は後方を見上げ、いろいろな気持ちを押し込んでから立ち上がる。どこか見えない糸に引っ張られているような気がする。
 あの狐面男、許すまじ。
 
 
 秋晴れは気持ちがいい。
 空がより澄んで見えるし、日差しも穏やかで心地よい。今日なんてまさしく読書日和だ、がさごそと買い込んだ本を覗き見て、どれから先に読もうかと考えるのも楽しいものだ。量は多いわけではないが、黒子は読書好きである。出かけるときは読もうが読むまいが鞄には本が一冊、これは決まりのようになっている。
 その作家の作品と出会ったのは夏の終わりだった。黒子は母親に頼まれて遠出をした。持っていた本は読み終わってしまい、帰りに読むものを探していたところで見付けたのだった。駅前の古書店だか骨董店だかはっきりしない店の段ボールの中にあって、五十円の値がついていたのだ。それだけが新しく目を引いたのもあり、ああ、とも思った。若手作家の写真付きの紹介頁がついたアンソロジーだ、季刊雑誌として出版されていたもので、元の値段も安価に抑えてある。サイズは単行本ほどだが長距離の移動のともにはぴったりで、どれも瑞々しい作品ばかり、珠玉と謳った表紙も嘘ではなく、いい買い物をしたと思った。
「……」
 しかし、なにゆえ、スポ根もの(?)をここで上演するのか。黒子にはさっぱりわからない。新人作家氏が姿を消し、赤司は体面をつくろうべくガイドツアーに参加する。ゲリラ芝居とは『企画』の一つなのだろう、と黒子はパンフレットを見返していた。そこへ数人のひとたちがやってきて段ボールで何やら壁だのを作り始めた。ちなみに往来である。簡易なセットを立てたと思うとセット班はどこへか走り去り、役者達が駆け込んでくる。
 そして唐突にマラソン部がなぜかマクベスを語っている。
「文学って…」
 でも王の横暴とか言っている。
「……」
 何はともあれ、このゲリラ芝居を観ていなければならないのだろう。
 アンソロジーでは京都に来たゆるい社会人の物語、その後発表された作品は、昭和のころの関西奨励会で煩悶しつつ成長する青年を描いた作品で、新人賞を受賞した。話の運びと読後感の持ち上げ方が黒子の好みだったのだ。しかし、これは前後のつながりもなく開始されたのだからさっぱり分からない。台詞で舞台上の役割やら事情を知らなければならない、黒子は簡易舞台に集中する。
 新進気鋭の若手作家は次はこの作品を上梓するのか。
「『いいえ、いいえ。私は何も知らないのです』」
 そもそもどうしてヒロインがカンペを持たされているのか。
「『誰が彼のひとを責められましょう、玉座は孤独な者こそ力を失わず、その真意を示すのです』」
 この大学の一年か二年だろう、ワンピースにカーディガンといういでたちの女性がカンペを手に一生懸命に台詞を読み上げている。役柄が不明であることもあってか、浮いているような印象で、地べたに膝と手をついている陸上選手のユニフォームと姿もかけ離れていた。けれども彼女が、あらすじの殆どを語っている。
 話はどうもマラソン部は廃部の危機に瀕しているらしい。そしてそれは理不尽な『王』なるもののせいであるらしい。だが役者は三人だ、ヒロインはヒロインだが、二人がせっせと三人の魔女やら部員の役を演じている。どうも王の物語とマラソン部は入り組んでいるらしい。駆けつけて前列に陣取り、ごくりと唾を飲んでいた人たちもいたから物語は進んでいて、すわ核心に迫るものかと思われたが黒子は見て現状を整理するので精一杯だ。
「『もし…』」
 しかし主役は誰なのか。
「その芝居ストップ! 実行委員だコラ!」
 何かをやっているらしいと人だかりがふくれ掛かっていたところへ、校舎側から声が飛んで来た。
「『ああっ!』」
 ヒロインは叫ぶように言ってから、何かを探すようにして辺りを見回す。
「ここにある諸君は!」
 マラソンランナーが言った。張った声は気弱なマラソン部の学生ではないから狂言回し役的なものだろうか。
「我らマラソン部の大会出場、及び存続に心痛めていることであろう」
 すらすらと口上じみたことが述べられる。
「二時にまた会おう! 屹度だ」
 ばたばたばたと近付いてくる集団の足音、見ていた観客が交互にそれを眺め、どうした、なんだと口々に漏らす。終わりなのか続くのか。黒子もわけがわからずぽかんと成り行きを見守るだけのひとになってしまっていた。自分は彼らからその二時に間に合わせた『届け物』を受け取らなければならない。でも、誰に?
「そ、『その結末をご覧にいれます』」
 カンペを狂言回しに指差されたヒロインがそう読み上げてちょん、と拍子木が鳴った。
「いざ!」
「こらァ、待て!」
 からんとその使われたと覚しい拍子木が放り投げ出され、割り入ったひとにぶち当たった。揃いのTシャツのひと数人と学生自治とかいう法被姿が混じっていた。
「あ、え?」
 それは困る、黒子は急いで立ち上がり、簡易セットを置き去りにしてちりぢりに走り去る役者達を見る。予め打ち合わせていたかのように三人が三人で別の方向だ、しかも速い。集った観衆達は笑ったり呆れたり、続きを求める声も上がっていた。人々が一斉に動きはじめ、うっと見失いそうになって狼狽え、首を捻る、黒子から近いところを走っているのは幸いにヒロインだった、尤も彼女は黒子には気付いていない様子で背後を気にしながら誰かを探している。
「あの、すみません」
 追い掛ける。ヒロインはばっと振り向いた。
「先輩から、預かっていませんか!?」
「は?」
「次の台本です! お持ちではないのですか!」
 急いた気持ちを隠すこともなく畳み掛けるようだった。小柄で、肩で切り揃えられた頭髪はゆるいフェーブがやさしい印象を与えており、彼女には申し訳ないけれど、どことなく母親を二十代くらいに巻き戻したような姿に見えた。なにより声の質が似ている、頬は紅潮して目は潤み、切迫した声で続けられてははっと背筋を正してしまいそうになる。
「いえっ、えと…」
 と、ヒロインはぱちぱちと瞬きをすると小首を傾げ、ごめんなさい、と謝りながら黒子の右肩に手を伸ばしてきた。肩口に何かが貼り付けてあったらしい。半透明の小さな付箋だ、走り書きでこう書いてある。
———彼女の、サポートを。
「……」
 なんてこった、ノートへの道は甘くない。
 
 
 さながら夢と魔法の国のお城ツアーのごとく、学生によるキャンパスガイドツアーは適度なサクラの頑張りもあって白けることもなく、無事に終了した。時計台をスタートに教室やらを覗き、あるいは研究室も見学することが出来、吉田キャンパスのポイントを点々と、留学生も参加しては質疑応答もきちんとしていたからそこそこに意義あるものだとは思った。歴史と逸話を盛り込んで、なるほどと思うこともあった。抜かりなく聴講会や講演の宣伝もあったが赤司としては過去の事件を元にした疑似法廷とやらの方を選びたい、渡されたチラシによれば特別法廷は今日は二回あるそうな。
「名古屋辺りか…」
 廊下でメールを確認すると、デジカメを忘れました、と桃井が口を開けて眠っている青峰の写真を貼付してきた。それは腹いせなのか。駅に行ったのでは他の大学に回れなくなるので、二人とは学内のゲート前に待ち合わせることになっている。黒子からの連絡はなく、『届け物』は完了していないらしいことが察せられた。あるいは自主制作映画とやらに興じているのかもしれない。窓の外を見遣り、まずそれらしい姿はないかを探す。
 と、斜め下から不遜な声がした。
「…ふん、お前が次の赤司か」
 十くらいの少年だった。シャツにネクタイをぶらさげてカーキのカーディガン、ボトムはチェック柄、白地の靴下に革靴、これから式典にでも参加させられそうな格好で黒髪と目の色以外は幼い頃の己を見ているかのようだ、迷子であるのかといった問い掛けを飲み込んで赤司は少年を見た。赤司の家にでも所縁のある子供なのだろうかと考えるが思い当たらない。
「黒子がいいなら仕方ない」
 ぴくりと反応する、『黒子』だと? この、まるで礼儀を弁えない生意気な小僧は何者か。
「どの山に唆されたのかは知らないが、お前、下手を踏むと黒子を連れて行かれるぞ」
「……」
「代々赤司は山と相性が悪いんだ」
 詰まらなさそうに言って窓の外に目を向ける。
「目をかけているのを自覚するなら、あいつが狙われやすいということを覚えておけ」
「君は…」
 黒子を知っているのか、〝山〟とは何だ、敵対でもする何かの符丁なのか? 疑問は広がり、頭脳が一斉に動き出す気配がする。それに呼応するようにポケットの中から振動が伝わり、赤司は通話ボタンに触れた。相手は黒子テツヤだった、会って、子供のことを含めて彼に訊けばいい。
———『あ、赤司君、すみません』
「テツヤ、今行くからそこを動か…」
———『ボク、裁判に出ることになりました』
 話しぶりこそどこか困惑がちであるが、それでいて確かな発声には迷いがない。
「は?」
 届け物とやらの行方がこれなのか?
———『判決を含めて二時間ほどで終わるそうです。…なので』
 カリカリとあらゆる情報を読み込む音が聞こえてきそうだ、彼の行動のヒントはこれまで見聞きしたもののなかに鏤められている。
———『桃井さんと青峰君にはキミから連絡してもらえませんか』
「ざっくりすぎて話が見えない、どういうことだ?」
 情報がいまひとつまとまらない、少し考えてか間をおいてから相手は続けた。
———『紛糾したんです。ゲリラ芝居が中断してしまったから』
 どうも時間を掛けず、重点だけを伝えようとしているようだった、だが、その三文芝居とやらがどうなってそれなんだとこちらは言いたい。〝届け物〟など件の芝居が中断したことで砕かれていいはずだ。
———『実行委員長に意見しただけなのですが、納得いかないので弁護士役さんと頑張ってきます」
「それは疑似法廷というやつなのだろう? 既に結審したものなんだから特に頑張らなくても」
 ええ。そうです、話が早くて助かります、と誰に向かってかの声が言う。なんと清々しい響きか。
———『遅くなりますから、先に行っててください』
 そういう理由で、ここは一つたたかってみます、という意気込みすら見えた。
「…だからテツヤ」
 ガイドツアーで渡された用紙には法廷には事前受付が必要とあり、陪審員役もエントリー制、傍聴も入りきらない場合は整理券配布になるとあった。リーガルドラマがヒットしたこともあり云々、分かりやすい刑事事件は多くから興味を持たれるだろうので実は味わい深い民事は如何かとかガイド役の学生は言っていたけど、そうだろうと赤司も思った、思ったが、そこに見学以外で黒子が参加するなど想像もしない。というか、そこまで読めたら神を超えるんじゃないか。
———『それと、もし出来たらボクの代わりに二時の上演に間に合うよう、赤司君、〝届け物〟をお願いできますか?』
「……」何だと?
———『では、またあとで』
 こちらの返事を待たず、通話は先方よりばっさりと打ち切られて終わる。
「いいように揶揄われたくなければな」
 どこか含みのある、子供らしからぬ警句めいた言葉が落ちる。振り向けば少年が階段の踊り場に姿を消すところだった。
 
 
 
 

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