Devil’s Diner

 『仲直りしよう』で、雪男がメフィストの所へ行った話を書いてみました。
 続かせるつもりはなかったのですが、何となくメフィストと雪男のやりとりを書いてみたくなりまして。
 雪男は、かなり身構えてメフィストと対峙しそうな気がします。信用もしてないでしょうし。
 メフィストもそれを判ってて、からかいそうです。
 

【PDF版】Devil’s Diner

 
 
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 正十字学園の最上部、『ヨハン・ファウスト邸』の執務室のドアを、秘書に伴われてくぐる。奥村雪男の目に今しもお菓子を食べようと口をぱかっと開けた『理事長』の姿が飛び込んできた。
「おや。これはこれは奥村先生。ここへいらっしゃるなんてお珍しい。どうかなさったのですか?」
 楊枝に突き刺していたお菓子を一旦置いて、メフィスト・フェレス卿が迎える。ヨハン・ファウストは正十字学園の理事長としての名前だ。
 執務室は重厚な作りで凝った意匠の洋室。高い天井に、たっぷりと陽の光を取り込む大きな窓。毛足の長い絨毯に優美な流線を描くアンティークなローテーブルと椅子。壁には小さいながらも絵がかけられ、あちこちに観葉植物が配されている。どっしりとした木製の机の上にはパソコンのモニターとキーボード、そして書類が乗っている。それだけ見れば、いかにも理事長の部屋だと納得できる。
 だが、ここからが不可思議な所だ。机の上にはピンク色の地にお菓子のアップリケが縫い付けられたかさを被ったランプ、こまごまとしたおもちゃが乗っている。そのどぎつい配色が部屋の雰囲気にまるでそぐわない。更に深いこげ茶のローテーブルの上にはお菓子の食べかけと包装紙が散乱して、絨毯にまで落ちている。
 この部屋に来た回数はそんなに多くないが、来る度に雪男はこのとりとめのなさと汚さにイラっとする。
 なにより、机の前に座っている人物の格好が凄かった。奇妙な形の襟をした白いジャケットに、襟元にはピンク地に白の大きな水玉の入ったスカーフを結び、紫色の手袋をしている。机に隠れていて判らないが、その下はちょうちんのように膨らんだ膝丈のパンツ。ピンクと茶色の縞のストッキングを履いて、赤の皮のブーツと言ういでたちだ。外に出るときは、更に白のシルクハットにピンクの日傘《パラソル》を持っている。もう見慣れてしまったが、初めて会った時にはあまりの珍妙さに圧倒されて言葉を失い、養父、藤本獅郎に「こいつヘンな格好してるし実際ヘンな奴だけど、まぁとりあえず大丈夫だから安心しろ」と言われた覚えがある。今考えると、どうやっても納得したり安心したり出来るような台詞ではない。絶大な信頼を置いていた養父の言葉だからこそ、信じたのだろう。
 一方、その『ヘンな奴』張本人のことはとても信用出来なかった。出会った当初から胡散臭いものを感じていたが、兄である燐をネイガウスに命じて襲わせたり、更に彼の正体をバチカンにバラすような動きをしたり、何を考えているのか掴めない動きを見せられた今では、尚更だった。
「今日はお願いがあって伺いました」
「それは珍しい。携帯では済ませられない程の用とは、何でしょうねぇ」
 雪男に椅子を勧めて、にやり、と笑いながらメフィストが机の上で手を組む。小分けのスナック菓子が入っていたと思しき小袋を摘まんでローテーブルに放り、屑を椅子から払い落として、雪男がクッションの効いた椅子に腰を下ろす。
 見計らったように秘書がワゴンを押して入って来た。優雅な手つきで茶碗と水菓子をメフィストと雪男の前に置くと、完璧な角度でお辞儀をして出て行く。
「昨日ご連絡した、水道管の件なのですが」
 ぴしりと背筋を伸ばして、浅く椅子に腰掛ける。手は太ももの上に少し八の字になるように置かれている。まるでこれから武道の試合でも始まりそうな、張りつめた雰囲気が雪男の周りに漂う。実際、雪男としては真剣勝負に立ち会っているような気分だった。メフィストはけして腹の内を晒すことがない上に、人をからかうのを楽しみとしている。おまけに立場的に迂闊に逆らうことも出来ない。雪男としては一番やりにくい上に、酷く疲れる相手だった。少しでも油断すれば悪魔にがぶりと噛みつかれて、喉笛を食い千切られそうだ。
 その本人は茶の上澄みを吹いて、美味そうに啜った。
「ああ。見積もりの報告が早速来ていますよ。それにしてもハデに壊してくれたようですねぇ」
「お言葉ですが、壊したのではありません」
「冗談ですよ。真に受けないでください」
 正十字騎士團の名誉騎士《キャンサー》も務める悪魔は、呆れたように苦笑する。雪男にだってそれが冗談だと判っている。それでも気が抜けない。迂闊な受け答えをしないように、つい真面目に返してしまう。
「しかし、あそこは随分と使っていませんでしたからねぇ」
 メフィストは悩ましげに溜息を吐いて一冊のファイルをペラペラと捲る。表紙には『正十字学園 高等部旧男子寮 水道管工事 御見積書』とあった。
「ふぅむ。全体的な調査に三週間。工事に一週間ですか。それにしてもこの金額は随分と足元を見られたものです」
「一ヶ月も…」
 雪男は呆然と呟く。一ヶ月も今のような生活が続くのか…。トイレと風呂の不便さが一番耐えられなかった。
「まぁ、あの建物は水場が集中していますからね。全容が把握できればもうちょっと早いでしょう」
 それにしても、と溜息を吐く。ばたり、と手からファイルが落ちた。
「今更旧館を工事すると言うのも、悩ましい問題ですねぇ」
 ぴくり、と雪男の眉毛が跳ね上がる。
「どう言う意味でしょうか?」
「アナタ方二人しか居ない寮なのに、こんなに金を払って修理すると言うのもねぇ…。いっそ新館の寮に移っては如何です?」
「はぁ!?」
 思わず聞き返す。
「おや、ご不満ですか?四人部屋とは言え最新設備の揃った、素晴らしい寮ですよ」
 大きな犬歯を覗かせて、メフィストがさも楽しげに笑う。どうやら彼が見たかった反応をしてしまったようだ。
「あの兄の尻尾を晒して回れと?」
 雪男は思わず笑い声を立てる。もちろん可笑しかったのではない。
「冗談が過ぎますね、フェレス卿」
「アッハッハッハ!いや、これは失敬。余りに狙ったとおりに怖い顔をなさるもので、思わず嬉しくなってしまいました☆」
 コイツ…。雪男は心の中で舌打ちする。やはりこの人は苦手だ…。
「フェレス卿…」
 一体何を企んでいるのか。何をしようとしているのか。雪男は問いただそうと口を開く。が、メフィストがそれを遮った。
「ふぅむ、あなた方の部屋は確か六階でしたか?六階のトイレは使ってらっしゃるのですか?」
「え…、ええ。まぁ。近いですし」
「一番利用頻度の高い水場は、一階に集中してますねぇ」
 ぱらぱらとファイルをめくりながら、メフィストが確認するように言う。
「つまり、一階だけ直そう、とそう言うことですか」
 雪男の言葉に、物質界《アッシャー》、特に日本を愛してやまない悪魔が、我が意を得たりとにっこりと微笑む。
「ご理解頂けたようで。それならばもう少し金額も下がりましょう」
 しばらくは間違えて使用しないように気をつけねばならない。まぁ、ドアを打ちつけてしまえば、問題はないだろう。雪男はメフィストの提案を承諾する。
「で、ご用件というのはそれで終わりですか?と言うのも、私《ワタクシ》これから出掛けねばなりませんでね。年寄りの相手など真っ平なのですが、これも名誉騎士《キャンサー》とやらの務めだそうで…」
 メフィストが、心底憂鬱そうにため息を吐く。
「……今日は調理実習室をお借り出来ないかと思って来たんです」
「ほぅ☆また商売をなさるおつもりじゃないでしょうね♪」
 メフィストは、一瞬目を見開いて破願する。入学したての頃に調理実習室を借りた時のことを思い出したのだろう。
「しませんよ。寮では料理が出来ないので、昼、夜と食事を作るのにお借りしたいんです。何せ食料を一週間分買い溜めてしまいましたし。一ヶ月外食する程の金銭的余裕もありませんので」
 やっと本題に入れた安堵を隠すように、雪男はメガネを押し上げながら言う。
「ふぅむ。自炊しようというお気持ちは、学生ながら感心ですが、夜も使うというのは学校のセキュリティ上問題がありますねぇ」
 メフィストは頬杖をついて、お茶請けに出された水菓子を口の中に放り込む。子供じみた仕草をする姿に、雪男はちりりと苛立ちを感じる。良い歳した大人(て言うか、悪魔だけど)なんだから、しゃきっと出来ないのか、と文句を付けたくなるが、そうやって人がイライラするのを見て楽しむ魂胆なのだと思い直す。
 このからかわれてばかりの状況をどうにか出来ないものか。いや、まずはやり返そうなんて思わないことだ。この人はそんな隙を狙っている気がする。
 雪男は静かに深呼吸をする。
「そこを何とかお願いできないかと。食材を腐らせる訳には行きませんし」
「そうですねぇ。かと言って、このファウスト邸に特定の生徒をお招きするワケにも行きませんし」
 ああ、困った、とわざとらしい溜息が聞こえてくる。
「もちろん、そこまで甘えるつもりはありません。大体兄がこちらで何か壊しても、僕らには到底弁償できませんし」
 雪男はあくまで冷静な顔を保つ。
 応えの半分は本音である。こんな高そうで繊細そうなものがどっさりある所に兄を招き入れるのは、どうぞ壊してくださいと言っているようなものだ。まぁ、この苦手な悪魔に吠え面をかかせられるなら、存分にやれと兄をけしかけたい気もする。
 しかし、もう半分の本音は拒否だ。このメフィストの本拠地に入り込むのは、自分からわざわざ罠にハマりに行くような気がしてならないからだ。
 そんな雪男の懸念も知らずに、メフィストが怯えた顔をする。
「イヤハヤ、それは私《ワタクシ》としても願い下げですね。何しろもうどうやっても二度と手に入らないものもありますしね」
 わざとらしく身震いまでしてみせる。
「…仕方ありません。特別な鍵をお貸ししましょう」
 ぽん、と言う破裂音と共に、メフィストの手元にいつも持っているシルクハットと日傘《パラソル》が現れる。
 シルクハットのつばをパラソルで叩きながら、呪文を唱える。すると、帽子の中から手品のようにぼわん、と煙を上げながら小さな鍵が現れた。
「調理室直通の鍵です。夜はこれをお使いください。まぁ、昼は特に要りませんでしょう」
 メフィストが鍵を差し出す。
「有り難うございます」
 雪男がそれを受け取りながらにこやかに礼を述べる。目的のものをゲットすれば、こんなところに用はない。さっさと立ち去りたいところだが、当のメフィストがなかなか鍵を離さない。
「くれぐれも壊さないようにお願いしますよ。流石に学校の設備については、立場上目を瞑るわけには参りませんのでね」
 真剣な顔でメフィストが釘を刺す。まぁ、不可抗力の部分もなくはないが、兄が正十字学園町のあちこちを壊したことがあるのは事実だ。
「大丈夫ですよ。兄は料理に関してだけは常識的な能力がありますから」
 雪男はぐ、と鍵を引きながら請け合って見せる。しかしメフィストも力を入れてまだ鍵を離さなかった。
「奥村先生ならもうご承知でしょうけれども、夜は調理室から学校に出ないこと。授業前には片付けておくこと。冷蔵庫は寮のを使うこと。他の生徒に口外しないこと」
 非常に常識的な範囲の注意事項だ。むしろ、それらがメフィストの口から出てくることの方が驚きでもあった。
「そして、商売をしないこと☆」
 一転メフィストがからかうような顔でびしり、と指を振りたてた。
「もちろん。お約束します」
 鍵を握る手に力を入れて、メフィストの手から鍵を引き抜く。メフィストがおや、と不思議そうな顔をして自分の手をまじまじと見つめた。雪男はもう一度礼を述べて深くお辞儀をすると、さっときびすを返した。
「寮の水道も直しますし、特別に調理室もお貸ししますし。たまには私《ワタクシ》もお相伴に預かりたいものですね。ミソスープ大盛りで」
「考えておきます」
 雪男は、取っ手に手を掛けながら、これ以上ないほどの笑顔を浮かべて見せた。その内に感じている、とてつもない疲労度を押し隠して。
 やっぱり、この人は苦手だ…。
 
 それから暫くして正十字学園ではある噂で持ちきりだった。夜になると調理実習室から料理を作る音といい匂いがしてくる。しかし鍵の掛かったそこには選ばれた生徒しか入ることが出来ない。だが、そこへ招かれた生徒は二度と姿を現すことはないと言う。
 
「え?」
 思わず聞き返した。雪男はファウスト邸の執務室に再び居た。今回はメフィストから呼び出されたのだ。相変わらずお菓子の食べ掛けが散らかる椅子に腰掛けている。目の前には緑茶と水羊羹が出されている。メフィストは早速楊枝で二つに切って口に運んだ。
「噂では、なんと『悪魔の定食屋』と呼ばれているのだそうですよ」
 メフィストが告げた名前に、思わず雪男が吹き出す。そのまま堪えきれずに笑いが漏れた。
 正体がバレたわけではないだろうが、確かに悪魔である燐が料理を作っているわけだから、当たらずとも遠からずと言うところだ。
「困りますねぇ、私の学園でそんな噂が流れるなど…」
 仮にも進学校なんですけどねぇ。メフィストが大仰に溜め息を吐きながら、鼻の前で両手を組む。
 雪男は大笑いしないように堪えるので精一杯だ。『他の生徒に口外しないこと』と言う約束を破って、祓魔塾の生徒達を招いてしまった非もある。しかし、食えない悪魔を困惑させられるとは、してやったりである。
「全く、誰が言い出したんだか、頭の痛い話ですよ」
 笑いごとじゃありませんよ、と恨めしそうな表情の悪魔に、雪男はにっこり微笑む。
「工事が終わるまでの辛抱ですよ、フェレス卿」

 噂の張本人である燐は、まさかそんな呼ばれ方をしているとは夢にも思っていない。嬉々として祓魔塾の面々に少なくとも一回はご飯を振舞った彼は、今日もレシピ本を捲りながら、昼ご飯、夜ご飯に使い回しが利く献立の開発に余念がなかった。
 
 

–end
せんり