黒バス_18

 
 
*赤黒です。
*拍手にありましたものです(現テキストは黒バス17・18・19)。
*単なるバレンタインくらいに思いついたネタが何がどうしてこうなった…。
*そんなで二回目、あと一回続くつもり。
 
 
 

【PDF版】<<※作製は未定です>>

 
 

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 Doubter-03
 

 
 放言というものについて、虹村は天才的だと思うことがある。
「赤司」
「はい」
 部長だし、お前が決めることだけどよ、と前置きしてから虹村は続ける。帝光バスケ部は絶対勝利の名の下に実力主義ではあるけれど運動部特有の縦社会の構造はしっかりとある。年功序列というのは一つの社会的リミッターだ、集団を秩序立てる点においても有効だから引退しているとはいえ、先輩の言葉は聞いておかねばならない。
「十四日に持ち込んでくる奴は沈める」
 要するに、あってもなくても欲しくてもそうでなくても、面倒なことになりかねない種は部室内に入れることを禁じたわけだ。但し、天からの救いの如く置かれるマネージャーからの心尽くしのそれは別だ。しかし、容易くないのが二連覇を難なくこなしてしまった後輩たちで、目立つのもいるし、有り難くもない『様』付けの尊称で綽名されていることにむず痒さを覚えずにはいられない赤司もそれなりに周囲に色めき立たれている自覚はあったから、カレンダーを目にした彼はそれを視野に含んでいるものと考える。が、厳命した虹村とて乙女の熱意に怯んでしまいそうになるだろう、いくら気にしてくれたとしてもこのイベントは男子ならず女子だって戦いである、監督にだってせき止める権限はない。恨まれるのは勘弁だなー、とでもぶつくさと考えていそうだな、と赤司はネクタイを締めながらなんとなく思った。というより、そもそもカレンダーに印を付けたのは誰だろう。緑間が一月に占いのアイテムとして持ち込んだはいいがそのままというのもどうか。あれに出会ったときの先輩の思考が丸ごとトレースできようものだ。
「……」
 やがて虹村はコレダ、と手を打つ。
「誰かを窓口にしてしまえばいい」
 でも誰にだ? という顔。
「……マネージャー…、とか?」
 生憎というか、幸いなことにバスケ部はきめ細やかな心配りの出来る女子がマネージャーを引き継いで、粗暴なる男所帯の部活動サポートをしてくれている。
「でも、そういうのも悪ィか」
 と、落ち着いたところへチームメイトが入ってくる、どうにか用を済ませてきたようだ。
「…虹村先輩」
 憚りながらという風に眼鏡を押し上げつつ緑間は声を掛けた。
「んあ?」
「あの、何か他に困りごとが?」
「…いや?」
 考え込むと口を尖らせたまま思考迷路にはまったようになるということを本人はまるで自覚していないらしい、今回のことについては思考は赤司には筒抜けだった。去年があったからだろう、練習中こそ邪魔はされないから虹村は注意までで怒りはしなかったが、神出鬼没の乙女たちを見て絶句し、おもしろいからと赤司から紫原の腹へとリレーされるチョコレート菓子のゆくえを唖然と見送り、最後には溜息を吐いたのだった。曰く、短い人生史上とんでもない一日だった、とのこと。
「別にお前がバケツ蹴倒したことなんて気にしてねえよ」ちゃんと拭いといたんだろうな?
 緑間は厳粛な顔でこくこくと頷く。
 体育館のワックス掛けこそ業者の仕事だが、その前の水拭きと乾拭きは部活動の一環として生徒が行う。そのために水を張って用意しておいたバケツをまったく見ていなかった緑間は蹴り倒し、入り口のカーペットや不運にも置いてあった虹村の荷物を水浸しにしたのだった。挨拶に寄っただけなのにうっかり置いてしまったが故に彼は部室でマフラーにドライヤーをかける羽目になっている。そしてドライヤーの出所については赤司も虹村も色んな意味で言葉を失った。本日の蟹座のラッキーアイテムとしてよくぞあったと誰もが思ったからだ、というか持っていた本人が一番驚いたに違いない。
「ちゃんと他人の言うこと聞けよ?」
「はい」
 もっと聞かない奴に言ってくれと腹の中で思っているに違いないが、虹村の受難は間違いなく緑間のせいなので口答えもせず神妙にしている。
「じゃー、行くわ」
 マフラーが生乾きを脱したのを確かめると首に巻き付け、元部長は颯爽と立ち上がる。
「鞄はいいんですか?」
 赤司の問いに虹村は水気を拭っただけのそれを叩いてみせるとああ、と応えた。十四日云々の発言などなかったかのような潔さだ、今日のような厄日じみた一日にならなければそれでヨシくらいにしか考えていないのだろう。
「こんなんもう用済みだしな」
 確かに。
 すみませんでした、とドライヤーを手に殊勝に謝って見送る緑間を見、赤司はロッカーを閉める。そして映画の演出技法でよくある、空間を閉じた暗転で切り替わる場面を思い浮かべた。次に開いたそのとき、世間の日付はカレンダーの丸印、つまり二月十四日になっている。
「……」
 虹村も自分も違う方を向いて歩いている。
———では彼は?
 二月十四日。息を詰め、緊張した面持ちの少女が手渡す飾られた小箱を受け取って少年は小さく、礼を言う。手がこめかみ辺りに触れ、落ちる。ありがとうございます、と改めて困惑と照れが入り交じったように、丁寧に、やさしい声で。
 少年が言う。
「…っ」なんだろう、ふいに重たい。
 息苦しくなる。感じたことのないどす黒い感情が五感を塗り潰した。
 
 
 声を潜めて、小さく、聞き耳を立てる誰にもよく聞こえるよう配慮した。
———そう、たとえば後輩とか。
 沈黙は金という、だが雄弁も銀、赤司は大衆というものの力を信じている。
 学業も疎かに出来ないし、優先すべき事が多くていまは応えるとか考える余裕がないから受け取れない、けれどチームメイトから押しつけられでもしたら断るわけにはいかないだろう、と生徒会室で書記からの質問にそう答えた。同学年で部のマネージャーの桃井ともよく話す彼女は赤司に対してさほど緊張感を持たない希有ともいえる人間の一人だった。そんな少女は帰国子女で、優秀な学力で語学も堪能、しかし、バレンタインのチョコレート、ホワイトデーの菓子類について疑問を抱いている。
 率直に問われた。受け取るか、受け取らないか。
 赤司はテンプレにある通りの言葉を口にしてから、思い出すように続けた。
———けれど部の後輩はないだろうから…、同学年で筆頭とすれば黒子とか。
 相手はまず納得するのではなく、驚いたように見返してくる。
———余裕がない?
 部活とか、生徒会のこともある、彩りある学校生活にとりあえず色恋に関しては差し挟む隙がない、というような答えを赤司は用意した。向こうは信じているようなそうでないような色を浮かべつつ返す。
———筆頭の黒子、くん?
 新しい単語でも覚えるかのように繰り返した後、『筆頭』という単語と『黒子』という固有名詞に気付いたようで、そういうのがいたような、いないような、とでも言いたげに首を傾げてから、つまりは、と続けた。
———彼からなら受け取るということ?
 赤司はファイルを仕舞いながら頷いてみせる。
———可能性の話だ、もしそうだったら。
 言葉は簡潔に、かつ曖昧な含みを残して。
———そう…。
 相手は考え込んでしまった。
 さて、噂話はマッハを超えてくれることだろう。
 
 
 
 二度目になるともう相手は驚きはしなかった、けれど赤みは増した。
「黒子」
 感情を覆い隠す仮面がすっかり剥がれ落ち、むず痒いような顔をして赤司を見上げてくる。唇で瞼も頬も、指先すらも余さず、触れていたかった。
「黒子」
「はい。あの」
 かかる吐息にすら敏感に反応し、肌を硬直させる。戸惑うように接がれる言葉を続けさせず、再び唇を塞いだ。
「…っ」
 ぬるい熱、舌先から痺れるような疼きが広がる。手を添えてまだ少し、もう少しと思うと歯がふいに拒んでくる。ゆっくりと離してから、濡れた唇に軽く触れ直した。相手は脱力したように俯く、それでも赤司の裾を握り締めたままだった。
「…黒子は、どう呼ばれたい?」
 どちらでも、と相手はぶっきら棒に応えてふうと熱っぽい息を漏らした。赤いやら青いやらの顔色だ。そこがかわいい、たまらない。相手が逃げようともしないから自分もそのまま抱き込むことにする。
「あの、放してください」
「嫌だ」
 解けないのがいい、緊張しながらもじっとして、まるでこちらから触れるのを待っているみたいだ。そっと躊躇うように動く手の様子が感じられて可笑しかった。
「あか…」
 手がほんの添えられる程度の加減で脇腹に触れる。声が耳にくすぐったい。
「テツヤの匂いがする」
「え」
 猫が総毛立つかのように身体全体がびくっと跳ね上がる。
「ちょ、ほんと放してください」
「ダメ」
 額を肩に押しつけ、息をたっぷりと吸い込む。色づかせるだけじゃなくて、望みはもっと。だからこれ以上でなければ現状維持で、首筋の柔い箇所に自分の印をつけてやりたいのを堪えているのを逆に褒めてもらいたいくらいだ。
「…何を今更。汗みずくでマッチアップした仲だろう?」
「生々しさが違います」
「違わない」
 対峙し、呼吸、筋肉の伸縮、鼓動から胸の内まで読み取ろうとする。触れ合うことには変わらない。彼はいつだって挑んできたし、ボールがあるかないか、コートや体育館でないこと以外、赤司にとっては差がないと言ってもよくて、もっと先に踏み込む用意すら出来ているし、相手が彼であることがいつだって重要だった。
「…ああ。でも、このままだとそのうちバスケのコートで許せたことも許せなくなるかもしれない」
「そんな、何を言って…、じゃなくて」
 腕の中で自分より少し小柄な身体が身動いで重なった視線もついっと外されてしまう。相手は流されまいと葛藤でもしているかのように頭を振る。頑固だ、知ってる。だが、やはり生易しくはない。
「どんな風にだって、会いたいんだ」
 何かを堪えるかのような沈黙。
「黒子が窓口だと言えば、お前は必ず来てくれる」
 こんな無反応な様子も知っている、相手にしていない訳じゃない、外部に向けてブラインドをおろしているのでもない。赤司の言葉を漏らさず聞いていて、状況だって見えていて、どう応えるべきかを必死に考えている。
「どんな口実でも会いたかったから利用した」
「……」
 唐突に相手の肘が持ち上がり、顎の下に突き出される。
「テツヤ?」
 やっぱり、と低く呟かれてどんと身体を突き放された。
「赤司君のそういうところが嫌いです」
「どこが」
 浮かれ調子で迂闊なことをしたと気付いても後の祭りで赤司は思わず眉を顰める。耳元でかさかさと音がして、冷えた風が首筋を撫でた。どこをどう過ったのだろう、彼の厭う〝そういうところ〟とは?
「二年前です」
 忘れもしない、と続いた声にはそれこそ刺々しいまでの憤怒が現れている。こちらだって当然忘れていない、机の中に置いてあった小さな包みに驚いて、そうして持ち上がってしまう口角を隠せなかった。そう、自分にとっては記念にすらなった二月十四日のラストシーンだ。教室に戻るのと同時に誰かが廊下を走り去る気配に気付いた、ドアを振り向いて制服の裾と、誰かの手だけが枠の中から消えるのを見届け、そのまま視界に誰かの痕跡を探す。
「あれは…」
「〝あれは〟?」
 声どころか、全身に怒りを湛えている。弁明も何も、言葉を重ねるだけ火に油を注ぐことは見れば明らかだった。
「…くろ」
「何です?」
 向けられるすべてが鋭く研いだ刃のようだ。何も言えなくなってしまった。
 自分の中では一年でも年の功と考えた虹村のあの放言を妙案と受け取り、身勝手にも彼を利用したことか? それとも必ず来るだろうとした自分の思い上がりなのか? 見返しても黒子はさきほどまでの甘やかさなど吹き飛ばし、無表情に口を結んでいる。実は赤司の知らないところで誰かが不利益や害を被っていた? ともあれ気を悪くさせてしまったのは確かだ。
 赤司は彼の逆鱗に触れてしまったのだ、黒子は冷めた声で抑揚もなく言う。
「どうぞ気を付けて帰って下さい、今日はもうキミとは話しません」
「オレではな…」
 弁解しようにもぴしゃりと言われてしまう。
「そんなの知りません。中に何人いようと、君は君です」
 あ、暗転した。
 
 
 
 冒頭のシーンは中学校の昇降口だ。色褪せた画面は過ぎ去ったほろ苦い青春のワンシーンを写している。
 次にはごくありきたりな家庭の朝の風景だった。
 臨月を迎えた妻、喫煙を窘められるその父親らしき壮年、婿と覚しいやや冴えない風情の中年男が出勤するところだ。男は出勤するが、そこへ新車を乗りつけて〝先生〟が登場する。男に親しく絡んでくるばかりか、家に上がり込んでは妙に馴染んでいて、何だか知れない存在だ。初っ端から疑問だらけでこの関係は何なのだ? と思ったところでまたシーンが切り替わる。そう、ドアの開閉と同じく、右から左に移るというように場面は異なる人物に焦点を当て、そちらの動向を追うことになるのだ。とりあえず見ていくしかない、それも未成年は未知なる世界といった店舗を、そして中学校を。
「あら」
「へー…」
 初めはどうでもいいような顔をしておきながら葉山と実渕の二人はすっかり内容に引き込まれていた、妻を残して消えたサラリーマンは何をやらかしている最中でどこに行ってしまったのか。そして、何かをやらかしてしまって崖っぷちな探偵と巻き込まれる中学校教師、鍵を握っていると目される謎の美女。彼らは口数も減るどころかなくなり、今や陣取るようにどっかりと腰を落ち着けてしまっている。
「……」
 誰が、いつの間に置いたのかは知らない。ともかく寮の共有のスペースにそれがあるのに気付いたのは葉山小太郎で、段ボールを覗き込み、結果、部員達は引っかかるように集まった。『欲しい人は持ってってください』とぽんと置かれた段ボールには汚い字でそう書いてあって、リスニングのCDに紛れて無造作に入っていた。
 参考書の類ならいざ知らず、このDVDとか誰が返すのかって話じゃないのか、などと好きなことを言いながらメンバーは気が付けば延滞料も知れない誰かの残した映画のDVD(レンタルショップのシールがディスクに貼られていた)を見ていたりしていた。つまりは暇だったのである。
 探偵が中学校教師が言う。お前みたいな奴はイライラする。
———早く卒業しろよ、中学校から。
 高校卒業が近い人間ならここにいる。
「黛さん、立つならオレもお茶」
「抜かせ。先輩を使うな」
 黛千尋はマグカップを手に毒吐いた。
「つか、そもそも折角練習休みなんだからお前らもどっか行けよ」
 こんなところでうだうだと挙って受験勉強の邪魔とでも言いたいらしい、本人としては息抜きのようだが居続けそうな態度からしてそうは見えなかった。
「止めますか?」
 赤司はリモコンが近かったので黛に声を掛けてみる。殆ど縁のないエンターテインメント映画で何となく見ていたのだが、確かに派手さもないのにこんがらがっている糸は解けそうで解けないし、案外に飽きないものだなと思ってはいた。
「受験生にそれを言うか」
「がっつり見てたじゃない」
 すかさず口を挟みつつ実渕の視線は画面から剥がれようとはしなかった、好みの俳優でもいるのかも知れない。
「あ。バスケ部、荷物が届いてるぞ」
「……」
 顔を覗かせた寮監に言われても誰も席を立とうとしない、止めるかなど言ったにも関わらず赤司にも潔い行動は出来なかった。そういう映画だった、小気味よいテンポ、鏤められた伏線はどこへ収束されるのか、これが予想も出来ないから目が離せない。悪党なんだか詐欺師なんだか、立場を明かさない者達の醸し出すちぐはぐな滑稽さも見ている方はよかった。
 黛がすっと場を離れて行き、戻ってくる。国立大学の試験を残している受験生は小包を脇に置くと黙って映画の続きを見ていた。
 終盤で中学校教師は探偵に言い放つ。
———学校なんてどうでもいいんだよ。
———お前がつまんないのは、お前のせいだ。
 なるほど、尤もだ。
 学校は関係ないし、労せず手に入るものなど面白みも何もない。荒んだ顔つきの画面の中の男は無反応だったが判っているからこそ畜生とでも言いたげに見えなくもなかった。
 やがて、サラリーマンの所在は明らかになり、誰のものとも知れないDVDの上映会はエンドロールをへて、そこかと思うようなところの伏線を回収し、終わる。たとえそれが誰のもので、借りたままだったりだとか、勝手にどこかの部屋から抜き取られたものだとしても映画自体に罪はなかった。
「うどんのウケるわー。てかジャンバラヤ…」
「特に。ってズバっていったわね。あのかなしいともつかない微妙な顔はよかったわ。そそる〜」
「結局見てたじゃん、黛さん」
「この監督の、前のやつ観てたし」
 言いながら、黛は赤司に小包を突き出す。
「お前って三月生まれとかなの?」
「…いや」
 赤司は受け取って見る、正方形のそれは洛山のバスケ部の赤司宛になっている。
「じゃあ、ホワイトデー」
「そんなわけないでしょ」
 先輩の軽口に実渕は手を振る、赤司は依頼主の箇所を見詰めてから応えた。
「…かも知れません」
 三月のいわゆるホワイトデーの前に黒子から菓子折が届いた。見た者たちは束の間沈黙し、プレゼントじゃなくて贈答品だな、と肩を竦ませた黛が詰まらなそうに言い去っていった、確かに熨斗が掛かればそうだろう、断りもなく手から奪い、勝手に包みを開けた葉山は旨いと赤司を振り返り、そのまま凍り付いていた。
 同封の手紙にはまず住む寮の住所が判らなかったこと、なので所属する団体に送ることにして、赤司に届くようにした旨を素っ気なく簡潔に記されてあった。それだけというのも彼らしいが、追伸に本は面白く読めましたと筆圧の薄いが読みやすい字で律儀に綴られていた。
「もう、征ちゃんったら」
 と実渕が知ったような顔で溜息を吐く。
「…そんな顔で睨むなら電話なりすればいいのに」
 どんな顔だ。
「なにも迫ってこっぴどくやられたっていうのでもないんでしょ?」
 そうだな、その通りだ。
「……」
 迫って、無残に斬られることと負けるのとはてんで違う、後に疼いて残ったりするということを覚えたよ。…など、余裕を持って言えるわけがない。あのとき自分がつまらなくした、まるで面白くできなかったからだ。
「何だか知らんが折角休みなんだし、礼くらいしても罰は当たらんだろ」
 赤司に意見を言う人間は多くはない、根武谷が珍しくまっとうなことを言い、一同の視線を一身に集めた。そうね、と実渕が同意する。赤司は黙って席を立った。『そんな顔』とはあれか、映画のあの探偵か。窓ガラスに映り込んだ姿を見て思った。
 
 
 
 何かの区切りのようにして、本が読み終わった。いや、終わっている。二週間前に。
 常に持ち歩いているのだから、読み続けていればいつかは終わるのでそれについては異論も何もないのだけれど、これは報告しなければと思うと同時に気が重たくなった。本にしてみたら読まれることこそ本望、気に入られれば満願、手に取られることもないままだったり、読者の途中退場は悲しむべきことなのだろう。読み終えるのが惜しい本はよく出会うが、それでも止めたことはない、黒子は文庫を閉じ、表紙を撫でた。ああ、そしてまた最後の言葉までを読み切った。長さも構成も何もかもが丁度よく、中断しておいて、また読み進めるのも苦にならなかった。
「……」
 話すことが気詰まりならメールでと作成画面を開いたはいいが短い言葉を書いては消して書いては消して、三行で伝えられることすら形にならない、そうしているうちに三月も終わりそうになっていた。先日、ついカッとなってわざわざ来た彼を追い返してしまった、別れ際は最悪だ、意固地な性格が禍して視線を背けたままベンチに座り、振り返りもせず気配が遠ざかって消えていくのをずっと待っていた。
「…ろこ」
「……」
 古書なのにカバーを外したばかりというくらいに汚れがなくて、刊行年なんか自分よりもずっと年上だというのに、頁の褪色だって少なかった。間違いなく良好な古本だ。しかも版元がネット検索でヒットした出版社とも違っている、付加価値を考えたら怖いので考えていない。
「黒子」
「……」
 本がかしゃかしゃと物を言っているような気がする、でも本だから物は言わない。
「聞け!」
———ごっ!
「これって何なの? てゆーか、なんで桐皇の女子マネがオレのケータイ番号知ってるのかって話なんだけど!」
 火神の容赦のない手刀と降旗の半泣きの叫びのような訴えが落ちてきて黒子は顔を上げた。
「痛いです…」
「たりめーだろ、痛くしなきゃ意味ねんだから」
 教室の座席は火神、そして黒子、となっている。影が薄いのをいいことに黒子は席替えのごと何事も光の影に身を潜ませるようにして居場所をキープし続けている、なので、教室に入って火神を探せば黒子は見付かるものと同級生には信じられていて、慌てふためいた降旗も迷わずに突進してきたというわけだ。火神は窓を背にするようにして座っており、黒子の机の上にはおやつのパンを持った彼の腕が投げ出されていた。
「お前、降旗の話聞いてねーだろ」
「聞いてます」
 黒子は姿勢を正して応える、聞いていたが違うことを考えていたというのが正解だ。降旗は己の身に起こったことが信じられずに恐慌状態になっており、説明も覚束なかったので致し方ない。
「……」
 火神は口の中にパンを入れるともごもごと動かす。
「これこれ」
 改めて降旗は黒子の眼前に携帯電話の画面を見せる。世直しご老公の印籠のようだ。
 いましがたメールが届いて、捨て置いていいのかと思いきや本人であることの証拠であるとばかりに添付された写真には敵チームのマネージャーと選手が写っており、そのまま電話を取り落とした、そうだ。幸いに電話には重篤な被害はなかったが、処理しきれない事態にあわあわと彼は画面を二人に突きつけたのだった。しかも、ありふれた学生生活の一コマを切り取ったに過ぎないそれは、口に菓子を詰めた色黒の選手の締まりのない顔はともかく、女子マネさんはお願いと言うようにカメラ目線でこちらを拝んでいたりする。
「青峰の奴、間が抜けた面だな」
「そっちなじゃくてさあ…」
 降旗はいましも食われるわけでもないだろうに、泣きそうな声だ。試合会場での面識があってもそれだけの間柄に突然のメールとは彼も戸惑うだろう、魅力的な女子からのメールに嬉しがらないのが彼だなと黒子は思った。降旗は正当な等価としてのラッキーを受け取るタイプで、慎重で無理をしない安心感があった。多くの着実な歩みを信じる方が黒子は好きだったし、個々のそうしたことがチーム、引いては全体を構成するとも考えている。
「彼女、オレの足のサイズとかも知ってっし」
「そりゃ、火神はウチのチームの戦力として足のサイズくらいは…って、足? 足もなの!?」
 もはや〝何故〟は吹き飛ぶようだ。降旗は火神の足下を見、己の携帯電話を見た。
「パーソナルデータは調べつくされてると諦めろ」
「えええ…」
 それですぱっと言い切ってしまう火神も火神だが、チームメイトを引き込んでしまうのはどうかと思う。落ち着きを取り戻した降旗は今度は気まずいような顔になっている、もはや彼女という人物像が誤解されかねない。
「プライバシーは踏み込まないと思いますよ」
 黒子は、安心させるべくやさしく降旗に教える。
「そこじゃないよ、黒子…」
 そりゃプライベートは大事だけどさ、と相手は手を振った。
「お前が赤司と喧嘩してるらしいって、何でオレ宛てに確かめてくれってメールが来るわけ?」
 火神は残りのパンを口に放るとそりゃ尤もだという顔をする。
———喧嘩したのか。
 と、まるで疑いのない相棒とチームメイトの目は問い掛けており、手元に置いてある本は読み終えてしまっている。黒子は口を噤んだ。短編集を時間を掛けて一篇ずつ読んだ、それは終わりが来てしまうのを惜しむものでもあったし、…いろいろと気まずくて、そうせざるを得ないものの介在が大きいともいえた。
「あ。変な顔」
 付き合いも一年になる二人は揃って同じことを言う。
「してません」
「つーか、黒子のその本、ひと月くらい変わってねんじゃね?」
「へー」火神よく見てんじゃん。
 ここぞというときにそんな動物並みの勘の良さなんて発揮しなくて良いのに。彼は鈍くて真っ直ぐなところが持ち味だからして、繊細さとか機微だかとは縁遠くあって欲しい。
「……」
「したのか」ケンカ。
 聴衆は半分の好奇と半分の無関心さを装って黒子を見詰める。どうでしょう、という顔でノーコメントを貫く。能弁な沈黙に敢えて突いたり言い触らす気こそないようだが一つの地雷であることを火神はともかく降旗は悟ったようだ。
「おーい、放送聞こえなかったかー。移動しろー」
 廊下から体育館への移動を促す教師の声がする。新設校なので教師も大学を出たばかりといった若い先生が多く、生徒への接し方も厳しい方ではなかった。冗談でも交わすかのように春休みはどうするとか、式に遅れると成績表はない、とか生徒と話す声が聞こえる。火神は面倒そうに椅子から身体を持ち上げた。
「ケータイ貸せ」
「ん?」
 降旗は素直に火神に自身の携帯電話を手渡す。
「オレが返事打っといてやる」
「え。ちょ、ちゃんと火神だって書けよ。オレからって誤解されたくないよ」
 言いながらも察しがいい方のチームメイト気遣うように黒子を見遣る。二人とも無言を肯定と受け取っているのだろう、黒子も鞄に本を仕舞うと立ち上がる。
「今日、購買何時までだ?」
「昼だと思うけど。休み入るからまともな食い物ないよ」てかまだ食うの?
 二人の後ろを歩く。開いた窓から入りこむ風がひんやりと頬を撫でる。外の若い桜の木はまだ蕾さえ見せておらず、それでも咲き誇る力を蓄えているかのように木肌を仄かに色づかせていた。
「……」
 大事だから手元にずっとあって。
「…ひと月も持ってるわけ、ないじゃないですか」
 大切に読んで簡単になんて終わらせられなかった。
 朝のホームルーム、そして全校清掃やらを終えた後、今日は終業式である。
 
 
 
 

なおと 150429

 
 
 

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 即座にひっくり返されて三月に入りました。
 遠距離の間柄は物理的な時差がとても魅力だなと思います。
 とくに、力業でリアタイで挽回できない学生ならではの不自由さとか。