黒バス_03

※黒バスで赤黒です。
※思うけど言ってはいけないこと。
※誠凛はスコアラー(オフィシャルの方)誰? ていうかスコアは取らないのか、あるいはオフィシャルがくれるのか?(他校は部員数が多いので一年生とかかなあとか)
※え、だってそもそも並んで欲しいじゃない。彼らに。オフィシャルズテーブルに。

※続きで、まだ終わってません。
※更に思惑とはなんか方向性が変わってしまい困っています。

 〈一応分かりやすい『1』のあらすじ〉
WC後の会場で玲央姉のパスケースを拾ったを届けに走った黒子が、彼らの目の前で階段から落ちました。そんで記憶を失いました(あるある)。
 
 

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※記載内の無断転載、無断コピー、データ転用、改変、再配布等はご遠慮下さい、お願いします。
 
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綺羅とノンフィクション
 
 
_2
 
 
 自分は、よく迷ってしまうらしい。
「え」
 なんだか彼が言うと単なる道筋というより自分が人生に迷ってしまいそうな危険性があるんじゃないかと考えてしまう。そもそも、頭を打って入院したのは東京の病院で、検査のためにわざわざ関西の病院って本気で心配になってしまう。打撲と骨にヒビ、内出血に頭の切り傷、重篤な病気が見付かったでもなかったと思うのだけど、記憶がないのはやはり茫洋とした不安の海に突き落とされたようで、赤司征十郎氏はそれを気にしているのだろうと思っている。目の前で階段から転落したというのだから罪悪感もあるんだろう、そういう風に見えた。落ちたのはきっと自分のせいで彼は何も悪くないのに。
「迷うというよりも、…道草が好きなのだろうな」
 落ち着かない小学生みたいだと思ったけれど、彼の手はとても自然に自分を導いた。
「……」
 掌が触れていて、それがとても惨めなようにも思えて、弱めようとすればするほど相手の力は強くなる。妥協の着地点が見付けられない、彼は責任感から僕の手を握って歩いてくれているのに。
「どうした?」
「何だか情けなくて」
「気にしなくていい。僕だって誰彼にこんなことはしてやらない」
「そういうことじゃありません」
 きっぱりと一人で歩けますと言えなかった。左足はつま先から足首までが固定されて歩きにくいし、貧血気味なのも確かだった、けれど特殊外来を設け、先端医療を導入しているほどの大病院に見合う症状とは言えない。
「僕なんかより、治療や検査が必要な人は多いはずです」
 どうしてだ、という顔を赤司さんはする。
「人の生きる時間は限られている。誰しもそれは均等だ、配分に差はない。真太郎ではないけれど、各々が使える時間は決まっているんだよ、その時間をいかに使うかが運命を決定づけると言ってもいい。僕はその中で最良と思われる選択をしているだけだ、お前にとっての今の時間は不運に得てしまった余暇なんだから無為に潰すことの方が勿体ないし、それこそ無意味だと思う。心配しなくてもお前とは関わりなく、誰もが限りある中で必要だと思われる選択をしている、遅かれ早かれそうなんだ。医療とはそういうものだよ、適する適さないじゃない、辿り着けるか否かだ」
「…でも」
 そっと額に手が触れて、頬に移る。
「テツヤが他の来院者に対して引け目を感じることはないよ」
「……」
「まだ微熱が残っているし、安静が必要なうちに僕が連れ出したんだ。お前が車イスは嫌だって言うから当然だろう」何しろ脳がブレ補正中と言うんだから。
「けど…」そんなデジカメみたいな。
 しかも真顔なのが辛い。
「早く戻るようにするさ、だからもう少し我慢してくれ」
 赤司さんは言い聞かせるようにして肩に手を置き、ベンチに僕を座らせる。腕に掛けていたコートを更に肩にかけさせると、連絡したいこともあるから少し待っていてほしいと、携帯電話を手に駐車場に向かっていく。手入れされた植え込みと、歩道、数メートル先に二トントラックも悠々と通過できそうな通用門があって、巡らされた柵の向こうにはバス停が見えている。搬入出とか車両用に設けられた場所なのだろう、南側に病棟、北に駐車場、総合病院というよりも研究所の趣が強い。正門側はタクシー乗り場やら、歩行用の通路が整然と配置されて、警備員の詰め所もあった。どちらの門にしろ、くぐることさえ物怖じしてしまうのは言うまでもない。
「…わかりました」
 分かるも何も、これほど口にして虚しい言葉もない。
 てきぱきと何事も早いひとだった、今日の検査のことも朝になって知らされて、唖然としたまま朝食後に立派な車に乗せられた。静岡で酔って目が回って、帰りは新幹線と飛行機とどちらが良いかと訊かれ、強引に選択させられたし、予約も済まされて今日の行動において自分が何かを言う隙がない。申し訳ないですと謝れば、詫びることも遠慮することもない、当然の義務だからとさらりと言われてしまって、自分が出来ることと言えば、赤司さんが僕に対して行う『義務』を妨げないようにすることだけだった。両親にも話が通っているそうで、もはや自分にとっての最善は分からなくもなっている。記憶を失う前の自分が大層なことが出来ようはずもないことは何となくは分かっているけれど、気持ちも何とはなしに落ち着かないので、さほど手を掛けられるでもなく、それなりにやれる範疇のことをやっていたのだろうなと思う。この待遇はきっと不相応で、正直逃げたい。
「……」
 でも逃げてはいけない。
 元チームメイトで、事故に居合わせた友人、彼は決して和やかでやわらかといった雰囲気でもなく、鋭い目つきをしてはいるけれど善意に満ちて親切だ。記憶を飛ばしてしまったのがショックだったのだろうか、無理をさせたくないからと余計なことも話そうとせずにいる。
「なあ、あれ、赤司の坊ちゃん?」
「え?」
 気付けば真横に長身の男性が立っていた。近づく気配に気が付かなかった、本能的にだろう身体が勝手に強張った。二十代後半くらいの、目鼻立ちがはっきりした顔立ちで、よく日焼けしている。ほっそりしているけれどジーンズに革のジャンパーはよく引き締まっている体格を隠さず、ダンサーとかスポーツ選手かだろうか。目顔で赤司さんの背中を示していたけど、どう応えればいいか戸惑ってしまう。自分は彼の家族構成も何も知らない、赤司という姓氏で、お金持ちだというのは知っているけど。
「坊ちゃん、元気?」
 手にしたのは煙草かと思ったら、タブレット菓子の容器だった。隣に腰を下ろす。ぽり。では噛んでいるのもタブレットだろう、爽やかな香りが気分的に漂う。
「えと…赤司さんではありますが…」
 『アカシ』違いだったらどうしよう。
「イキがってて逞しい王子様だけどさ、王子様ってコワイモノ知らずだったりもすっから。目の前で何があっても表情一つ変えないのに、後でぶっ倒れちゃうみたいなさ。カワイイよな」
 あの赤司さんをして『かわいい』とは、僕にはその域にはとうてい到達できない。相手はこちらの返事などどうでも良いらしく、食う? とタブレットの缶を差し出してくる。カラフルな星が飛び、目と嘴が大きな鳥が飛んでいる絵柄で、妙に男性に似合っていた。
「つかどうしたんだ? その包帯。誰かに殴られたかしたの?」
 思わず貰ってしまう、口にすればシトラス味だ。
「駅の階段から落ちました」
 そりゃ災難、と相手は気の毒そうでもなく手を振る。
「おい」
 声に振り向けば、タブレットの男性よりも少し低めの男性が歩いてきていた。眼鏡を掛け、気難しい学者といった感じで、こちらはスーツを着ている。物音を立てなさそうな雰囲気がどことなくタブレット氏に似ていた。
「用はないんだから、こんなところで油を売るな」
 俳優みたいに整った顔立ちをしており、年齢はさっぱり分からないけれどタブレット氏よりも年上に思える。兄弟かと思ったけれど面差しに似たところはなかった、ちらりと僕を見ると興味もなさそうに病院の通用門に歩いて行ってしまう。
「おー、こわ」
 芝居がかったように肩を竦めさせてから顔を覗き込んでくる。スーツ氏の話を聞いてなかったみたいに彼は動こうともしなかった。
「お前、面白いな。赤司の坊ちゃんはさ、プロの目から見たら隙だらけなんだけど、お前はなんかのほーんとした顔してんのにニオイがこっち側で」
「さっぱり意味が分かりません」
 正直に答えるとにっと笑う、その表情は子供っぽかったのに、なぜか警戒心が頭を擡げた。
「心配ならよく見とけよー」
「…はぁ」
 門を出たスーツ氏が無言でこちらを向く、タブレット氏は漸く立ち上がってのろのろと歩き出す。スポーツ選手とマネジメントをするひと? 思わす考えてしまう。それに心配されているのは絶対的に自分の方で、非の見当たらない赤司さんの何を案じたりすればいいのか見当もつかない。強いて言うならサービス過剰というか、一介の元チームメイトに親切すぎるところだろうか。
 重たい排気音を響かせて路線バスが走っていくのが見えた。あの二人を乗せたものだろうか、ぼんやりと見送ると、背後から気配が近づいてきた。来院者がバス停に行くのか、または正門側にでも回って行くのだろうなとベンチの背もたれにもたれ掛かる。階段から落ちてその日は何が何だか分からずに終わったけど、翌日は朝から熱が出て身体も痛いわ、頭はごちゃごちゃするわで、両親との会話もまともに出来なかったと思う。手渡された携帯電話のメールには数人から安否を気遣うメッセージが入っていた。携帯電話も自分の所有物とも思えなくて持て余したけれど、一方で存在証明を持たされているようでほっとする。とはいえ、一人一人に相応しい言葉が思いつかないので返信はできていなかった。
———いつ来れるんだ?
 そんな言葉で結ばれているメッセージは有り難い。取り出して返信の言葉を選んでいると一度は通り過ぎた気配が戻ってきた。
「おい、お前」
 高圧的な声が投げかけられる。
「……」
 左右を見渡してみる、バス停の方には人が居るけど、ベンチの付近は僕しかいない。つまりは僕だ。横を見上げるとジャージ姿の少年が立っていた。同い年かそれくらいだろう。競技は分からないけれどこざっぱりした頭髪はいかにも運動部という感じで、気の強そうな目をしていた。スポーツバッグにはスポーツメーカーのロゴだが、ジャージには岩倉南と学校名(だろう)が貼り付いている。まるでひとの名前だ、岩倉さん、とこれより他のものが思いつかないから胸の内で呼び方を定める。
「赤司の連れか?」
 イントネーションは関西のものだ。
「なんでこんなとこおんねん、つか、ジブン何しに来てん?」
 この居丈高な態度と雑な物言い、このタイプは絶対知っている、と思う。
「…あのヤバいの知ってんで」
「……」
 相応しい返答を知らないから沈黙でもって応えた。
 だけど彼の言葉はちんぷんかんぷんで、とりあえずタブレットの菓子もないし、態度もまるで好意的ではないことだけははっきりしている。悪い人ではないけれど、赤司さんはどこか息苦しさを感じさせる。自分には途轍もなく親切で、それでも違うような気がするのは、本当に彼と親しかったのか他でもない自分が疑問視しているからだ。病室で目覚めて彼と初めて目が合ったとき、ほんの一瞬、それは怖く思えたものだ。以来、冷たく凝ったものを腹にずっと抱えている。言えるわけがない、そんな風に思うなんて失礼を通り越している。そんな一面だってきっと彼には自覚のないことなのだろうし、感じ方はそれぞれだ。
「あの大王様の何? あいつ、コケにしくさってほんま邪魔や。東京に行ったきりになればええのに、何余計なことしてくれんの?」
「…彼の自由意思ですよ」
 気が付くと口から出ていた。
 彼との思い出などほんの三日もないのに、どこからか押し出されて言葉は溢れて声になる。
「どこのどなたか知りませんが、自身に都合の良いことを彼に押しつけないでください」
 しかもするりと流れるように、続く。
「なにも知らないくせに」
「何?」
 岩倉さんは当初ぽかんとした顔をしたが、やがて頬を紅潮させ、眦を吊り上げた。単に包帯まで巻いて大人しそうにベンチに座る怪我人が牙を剥くなど思わなかったのだろう。怪我人だとか病人だからと弱者であると思い込んで見縊った態度を取るのはどうかと思う。
「…はっ」
 ごくりと息を飲み込んで、相手を見返した。岩倉さんは感情は出やすいけれど、容易く暴力に訴えたりしない冷静さも持ち合わせているようで、品定めするような目つきでこちらを上から下まで見詰め、ひと呼吸をおいてから嗤った。
「全部は知らん、一部を知ってて言うてるんや。お前もそれが当たり前なら、オカシイ」
 目が据わり、声色には貶みが滲んでいる。自分が迂闊に発した一言で彼にとっての価値はおろか、決定的な評価を植え付けてしまったようだ。
「ジブンらの世界が十分マトモに思えるわ」
「え…」
 何か間違ったことを言ってしまったような気がする。知らないのはこっちの方なのに。
「僕は彼のことを岩倉さん以上に知りません」
 正門に行ってしまいそうになる背中に投げかけた。相手は怪訝な顔で振り向く、岩倉って誰、と思っているに違いない。
「赤司さんは、その、個性がつよ…、強烈すぎて、脚色されやすいんだと思います」
 さながらヒーロー像の如く。そんな気持ちを込めて言葉を選びながら続けると敵意を剥き出しに憤怒ではないにしろ、不愉快そうだったあちらの顔は毒気が抜けたようになってしまっていた。似ていてまったく異なる籤を引き当ててしまったみたいな、いかにもハズレたというような。
 あほか、と呟く声がした。
 目の前を高級車が一台過ぎて行く、記憶に間違いがなければあれは東京から移動するのに乗ってきた車だ。見送った後、岩倉さんは小さく舌打ちをして行ってしまう。赤司さんが携帯電話を耳に押し当てながら歩いてきたのは岩倉さんの姿が遠ざかって見えなくなりそうなくらいになってからだった。立ち上がって寄ろうとすると手で制し、駆け寄ってきた。
「迷惑だったら言ってくれ」
「って…」
「誰と話してたんだ?」
 押さえつけるようにしてベンチに戻された。ぎくりとする、赤司さんは駐車場の奥の方、姿が見えなくなってしまっていて、こっちのことも分からないと思っていた。
「あの、僕は知らないけど、赤司さんのお知り合いだと思います」
 赤司さんは寒くないか、とマフラーをたくし上げるようにすると僕の額に掌に当てながら問うた。首を横に振る。相手の手はひたりひたりと、やわらかな力加減で耳の後ろや喉の辺りまで触れていってから離れた。連絡をしなければいけない事柄が増えたと言う。
「…病院で知り合いなんて、それこそぞっとしない話だな」
「あか…」
「留守電にあって、確認も取ったが…」
 赤司さんは荻原という人物とは連絡はつかない、と何かを断ち切るように続ける。伸ばし掛けた手が行方を失って落ちる。彼の名前は僕が言えた唯一のものらしく(言った本人が覚えていないのだから厄介だ)、小学校時代の友人という。離れてもメールのやり取りをしていた間柄というのはイメージとして掴めてはいる。大事な約束をした記憶がある、けれど、記憶をシャッフルさせた自分が作り上げた物語かも知れず、遣り切れなさと同時に切り裂かれるような痛みも覚えた。他の記憶が折りたたまれているとするなら、彼との記憶は細かく千切られた写真みたいになっていて、消えた欠片が見付けられない。思い出そうとすると頭痛と吐き気がして、気持ちも明るくはなれない、苦く辛くてもどうしても忘れてはいけないことなのだと思う。
「そう、ですか…」
「僕は、お前とは知人だけの関係じゃないと思ってるよ」
「荻原さんがですか?」
「僕が」
 僕が、目の前の相手と。
 自信ありげに口角を引き上げる。ポーズみたいな笑い方をするひとだとは思っていたけれど、そういう表現しかしなかったのだろうか。
「……」
 どうしてだろう、寂しいような虚しいような変な気がする。応えられなくなって俯くしかなくなる。元チームメイトで、階段に落ちる前も顔を合わせていた。それどころかほんの一時間前まで試合をしていたのだからそれこそ因縁の仲なのだろう、過去のチームメイトだって、今のチームメイトだって自分には居て、時間をかけて積み上げていった記憶達があるはずで、携帯電話の履歴には一瞬で失った数々のものが詰まっている。
 赤司さんはこちらの反応を窺うともなく見てから、ついでに水でも買ってくる、と言う。
「あ、はい」
 建物の中に引き返せば喫煙所の横に自動販売機と医局の奥にも小さな売店もあった。
「向こうに駅までのバスが通るだろうからテツヤはここか、バス停で待っててくれないか?」
 通用門を出てすぐのところには街路樹の間にバス停の屋根が見えている、ここから三十メートルくらいの距離だ。赤司さんを知る男性が二人、消えていった場所で、当たり前だけどアスファルトには足跡も何も残っておらず、彼らの知る赤司さんの情報の断片も落ちていない。
「…僕は、何か誰かに対して不愉快を与えるような人間だったのでしょうか…」
「どうして」
「僕自身は影が薄いんですよね? なのに絡まれたというか、声を掛けられたし」
 相手は足を止めてから黙ってこちらを見る。
「…『絡まれた』」
 ゆっくりとした口調は疑問形というよりもまるで朗読だった、より強く問い詰められるような気がして、気後れしてしまう。
「その、病院を出たところのベンチです。赤司さんは駐車場で…」
 言ってはたと気が付いた、自分ではない、彼らが気にしたのは自分ではなくて、赤司さんなのだ。
「…っ…」
 気付くと急に恥ずかしくなった。
「テツヤ、また熱が」
「いえ、これは」
 しかも、とんだ失態を演じている。
「水は僕が買ってきます」
「テツヤ?」
 気遣うように伸ばされる手を避けた、すみません、と繰り返して言った。いやだ、顔が赤くなるのが自分でも分かる、とにかく冷ましたい。
「赤司さんが、ここに居てくれませんか?」
「……」
「お願いですから」
 
 
 自己を鍛えることは怠っていない。
 ただ、テツヤに添う時間を優先させただけなので生活のサイクルに何か特別なことがあることもなかった。そして、気付くとメールの着信が倍数になっており、着信を告げるメッセージが頻繁に表示されていたりする。
「……」
 こっちはこれからいかにして彼の止まった時計を動かしてやろうと考えねばならないというのに。
「遠慮がないな」
 独りごちてメール画面を開いた。
 桃井と黄瀬涼太が一番を争っている、しかも涼太は知ってはいたが、文章は短く、あまりにも漢字を知らなすぎる。桃井に至ってはまるで検証リストだった。本当に分析官になれるのではないかと思えるほど詳しく書いてある。
 衣類や本を届けてくれているテツヤの両親には礼のメッセージを留守電に残し、検査結果を伝えておく。記憶がいつ戻るかきっと気を揉んでいることだろう、そのことにも触れたが、診察の限りでは記憶の戻りは判然とはしないようだった。
「では、お気を付けください」
 家の車を見送る、戻ることを納得させるのに時間を掛けてしまった。
 自分如きがと思うのだが、年始年末は家にほって置かれない、特に試合が終わったとなってはその警護は厳重になった。テツヤに付き添うのを決めたのはもしかしたらそういった煩雑なことを避けたかったのかも知れないと考えた。中学までは言えば引き下がったものも学年が上がれば自然と容易ではなくなってきていた。見えない社会が足踏みして待っている、期待などしていないくせにブランドを守ろうとして周囲はがっちりと固められる、想像するだけでも鬱陶しいことこの上もなかった。
「……」
 短い返答を二通送信して、息を吐く。
 病院から連れ出した彼を東京に戻す、動かして良いと許可を貰うと同時に手を回した医療施設に飛び込んだ、中学の最後の夏、彼は軽い脳震盪を起こしているのを桃井に指摘されたからだ。忘れてはいないが、赤司は黒子テツヤがどこまで覚えていて、どこから忘れているのかをはっきりと聞いていない。両親の顔も忘れているのですべての生活だろうとなんとなくは察したのだが個人の社会性などは皆目分からない。検査の結果は異常なしとのことだった。
『コワイノダロウ?』
 ふいに脳裏に響いた。
 顔を上げて辺りを見回す、駐車場は半地下になっており、緩く旋回する構造になっている。階段で地上とつながる箇所もあり、奥からか、それとも入り口からなのか発された声の在処は見当がつかなかった。
「テツヤがこんなことになって逃げたお前に言われたくない」
 ひっそりとした声は螺旋状に反響する。
『やってみたら出来たというだけだな、出張ったのはそっちだろう?』
「……」
 自分の足音だけを聞きながら、もう一人と対話する。自分はこんなにも不愉快な話し相手で、案外に器用だったのだなと思う。
『まさかしぶとく残っているなんてオレも思わなかった』
「お前は僕だ、容易く潰せるなど思うな」
『何、沈ませるなど造作もないよ。周囲を慮ってしばらく貸すことにしたんだ。黒子はお前に何か話したがっていたみたいだからな』
 自我とやらに居座っていた時間が長いだけで大した目の高さだ。一度抑し込めたからといってどちらが優位だなど乖離した時点で損なわれているのにも気付けてもいない。
「テツヤが?」
『せいぜい恩に着てくれ。気が済んだら退いて貰うさ』
———カツ…
 足を止める、ひと呼吸おいてから言った。
「質量もないくせに」
 周囲の気配を確かめるように歩いてベンチに座っているテツヤの姿をみとめる。こちらには気付かずに建物に誰か気になる人物でも見付けたかのような眼差しで外来棟を見詰めている。
「テツ…」
 携帯電話が新たな着信を告げる。チームメイトからだった。
———「征ちゃん?」
「ああ」
———「オフィシャルのことなんだけど…」
「出来るのか?」
 というか、彼らはやったことがあるのか、という疑問が頭に浮かんだ。練習試合ではオフィシャルはそれぞれの学校で持ち回りが基本だ、公営の体育館を借りる場合だと施設側が担当したりもするが部内のことは部内で回すのが原則で、洛山はレギュラー以外の人間が入っていた。そして赤司はオールタイマーからスコアラーまで一応すべて出来る。なんなら審判も付けていい。ただし、ボディタッチでファウルを取るが。
———「そりゃやれるわよ」
 やろうと思えば、と付きそうだ。口ぶりからして経験のなさが知れる、数年前にでも覚えてそれきりなのだろう。
———「体育館を天皇杯で大学の練習に使うでしょ? 試合するとき手伝って欲しいんだって」
 オールジャパンこと全日本総合バスケットボール選手権大会は国内のバスケチームが戦う大会だ。開催は正月から、社会人だけでなく大学と高校にも参加枠が用意されている。男子は天皇杯を冠し、女子は皇后杯と大会としても大きい。
「ああ」
 そうだった、監督にそう言われていた。二ヶ月以上前に。そして部員にもそのように伝えてある、二ヶ月以上前に。赤司は当日のオフィシャルズテーブルにつくメンバーの人選をしておいてあったし、大まかなタイムテーブルを協会側に求めもした。返答は大学での決定次第ということで、そのままになっていたのだ。
———「リストがなくなってるの」
「…そうか」
 二ヶ月以上前の話だ、共有パソコンの中にまんじりとしたまま、誰かが手つかずのデータを消してもそこに悪意はないだろう。学校は冬休みに入っている。正月のシステムダウンも分かっている、サーバーメンテナンスは冬休み中に行われ、端末は一時期触ることが出来なくなるのだ。
———「今日、行程表のファックスが届いたんだけどね、合宿所からこっち来てギリギリまで調整するみたいよ。征ちゃんのことは分かってるからこっちで…」
 まるで他人事のように耳に届く。
 テツヤは赤司に気付き、背筋を伸ばしていた。待ち望んでいたものと巡り会えたような顔つきで立ち上がる、そこから離れてもいい理由を見付けて喜んでいるみたいだった。
「僕のロッカーの中にバックアップ用のメモリースティックがあるはずだ、リストはそっちにもあるから…」
———「征ちゃんのロッカーの鍵なんて誰も持ってないわよ」
「……」
 そうだった。
 すぐ行くと言って、通話を切った。テツヤがぎこちなく歩み寄ろうとするのをベンチに戻して座らせる。少しだけだが、悔しそうに口元が締まる。仕方ないとはいえ、手を掛けられることを彼はずっと厭うていた。自覚なしに表に出すのは仕舞い方も忘れてしまっているからなのだろう。
「迷惑だったら言ってくれ」
 相手は不思議そうに赤司を見返す。
 この時点では、彼の中では自分は『親切な元チームメイト』で、深く絡んだ糸をたぐり寄せようなんてことも考えていなかったはずだ。知り合いに思いがけず手を差し伸べられて躊躇するといった振る舞いが多く、目が問うようでもあった。
———お願いですから。
 だからこの時、心臓が止まると思った。
 黒子テツヤが、自分という存在に初めて気付いたように目を向け、そうして意識し始めた。
 
 
「黒子くんじゃない」
 トレーニングルームを出てシャワーに向かう途中、校舎の窓に張り付いた頭髪が見えた。山並みが見える校庭をぼんやり見ている。頭に巻かれた白い包帯が痛々しい。後輩がキャプテンの来訪を告げてはくれたけれどまさか彼まで一緒とは思わなかった、隣の窓を開けて声を掛けてみた。
「赤司さんの部の方ですか?」
 振り向く。寒いのだろう、頬が少し赤くて吐き出す息は白かった。
「君とは試合もしたわ。覚えてないのは…ちょっと悲しいわね」
 本当だ、性格が変わったとかではないのだろうけど、確かに遠慮がちに初対面という反応だ。病院から抜け出してきたそうだけどこんな外にいて大丈夫なのかしら? 化膿しやすい季節でもないからまだいいけど、首から下は完全防備なのに血色が良さそうでもない。
「すみません、その、全生活史健忘だとかでご迷惑おかけしてます」
「いいのよ、無事で良かったわ。記憶だって戻らない訳じゃないんでしょ?」
 相手はこちらを見上げてから自信なさそうに首を横に振る。首をガッチリ固定とかなくてよかった、腫れなどはあるだろうけど、あの血量を知っている者としてはこうして会話が出来ることに安堵する。
「分かりません、赤司さんにはよくしていただいているのですが…」
 語尾には明らかな困惑が滲んでいた。こりゃ強引に引き回されたわねと直感的に悟った。征ちゃんて小癪にも何食わない顔でそういうとこガツガツしてるのよね、ある意味そこにかわいげもあるんだけど。
「気にすることないと思うわよ?」習性みたいなものだもの。
 手を振って嘯くと相手は『しゅうせい』と生真面目に繰り返す。あんまりそこ吟味されても困るんだけど、いいか。
「征ちゃんは?」
「先生に用があるとかで」
「そう…」
 静まりかえった廊下を眺め見る。バスケ部は天皇杯のこともあって体育館を開けるし自主的な練習ができるようになっているけれど校内は年越しを迎えるそれらしくがらんと静まり返っている。
「あの」
 思い出そうとしているのだろうか、ちらっとこちらを見て手をぎくしゃくと動かそうとする。貴重というべきか動画として残しておきたいくらいに面白い反応だわ。
「実渕よ」
「実渕さん、訊いても良いですか?」
「答えられることならね」
 彼の記憶を辿る手掛かりになるのなら別に拒むことでもない。黒子くんが見ている先を同じように見ながら応えた。山は錦が彩る秋なんてとっくに去っているから無愛想なくらいに灰色がかって見えている。
「赤司さんについてなんですが」
「中学のことは知らないわよ? 全中制覇した学校の主将だったのは有名だけど」
 そうじゃなくて、と断ってから考えるように黙り、僕が関わることではなくて、と続ける。
「その、家の…ご事情とか」
「家?」ああ。
 話したがらない彼のプライベートについてはあんまり知らない、けれど衣食住に苦労してないことだけは分かる。あとたまに金銭感覚とか価値観の違いに驚かされたりするからお坊ちゃん育ちなのは十分に理解している。彼は決勝の試合中にがくんとバランスを崩した後、そりゃもう頼もしいほどの早さで華麗に復活した。それもパワーアップして。呼び方まで変えられて聞き慣れないだけになんだか気色が悪かったので前のままにしろと言ったら奇妙な顔をされた。どちらかというと名字で呼ばれる方が同級生みたいで微妙な感じがするのだけど、征ちゃんはたまに学年の概念が抜け落ちている。目上に対する礼儀は弁えているけど、時々無用、そんなズレがある。だから寧ろそんな隠しようもないことを憚るようにして声を潜める黒子君の方が初々しくて好感が持ててしまった。
「赤司さんは、誰かに狙われているような気がするんです」
 言いにくそうに顔を背け、伏し目がちに告げてから視線を向けられた。
「は?」
 ぴゅうと風が吹く。山に囲まれた京都は盆地だから夏は暑いし、冬は寒い。底冷えする日は続くし、今日なんて日差しも弱いから寒風吹きすさぶ中に立っているだけでも足先から冷えてくる。
「…寒くないの?」
「いえ。そうじゃなくて」ものすごい流し方ですね…。
「え? いえ、余りにも突飛と言うか」
 まんま中二(病)だしそれ。言ってしまえと思うのだけど、傷の癒えない小動物相手に言えない。何だって毒気が消えてしまうんだろう、バスケコートで立ち向かってくれている方がよほど相手しやすい。
「彼は飛び抜けて鈍いところがあると思うんです」
「そうよ」
 それは頷ける。桟に手を置いて小さな頭にジャージを被せた。
「ほんっと寒々しいわ。女性にとって男性の許せないところは無理解じゃなくて鈍さなのよね」
「えっ?」
「キミもね」
 相手は被せられたジャージに手を添えたままぽかんとこちらを見返す。
「女性、なんですか…?」
「……」この子禁忌にすっぱり踏み込んでくれた。ていうかそこじゃない。
 言ってから拙いことを口にしたらしいと目が泳ぐのが可笑しかった、その潔さに免じて答えてあげよう。
「試合が終わったら、三が日まで煩わしいことが山積していたみたい。今日だってそうよ、予め監督に話は通っていたから天皇杯の練習なんかは免除ね、それが一日二日早まったとこで変わらない。キャプテン不在でも恙無く部活は通常運転なの」オフィシャルの事案に関してはともかく。
「…そんな忙しいのに」
 呆れたような声で彼は何をやっているのだ、とでも言いたげな顔。素晴らしく鈍いわねこの子も。
「寂しいような塊を転がしている気がします」
 ぽつりと呟く。それは漫然と眺めている山の風景なのか、誰もいない校庭に落ちるがままにされて舞う落ち葉なのか、あるいは記憶のどこかに引っかかる言葉なのか、思わず頬杖を突いて斜め下をじっと見てしまう。
「それ…」
「玲央」
 鈍い皇帝が階段から降りてきた。
「あら、もう終わり? 少しくらいボール触って行きなさいよ」
「待たせているから」
 と、開いた窓とそこから抜き出て見えるジャージの小山に気付くと、まさかと眉を顰める。黒子くんは終わりましたかとか暢気な声でそんなことを言ったと思う。征ちゃんの行動は早かった。窓枠に手を掛けて外に抜け出ると有無を言わさずがっと黒子君の頭を掴む。ジャージはまだ帽子代わりになったとは思うけど、それ以前に彼本体でないならどうでもいい何かでしかないんだなと。
「あの…」
「テツヤ、何でこんなところにいるんだ。熱が上がるだろう」
 あ、静かに怒ってる。
 
 
 

なおと 140825

 
 
 

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 データが消えたので途中からは記憶を掘り起こして補完しました。
 原作で中坊時の赤司さんが復活したので『えっ』ってなってやりにくくなりましたので軌道修正も少々。
どっこい中身は当初考えたままで続行です。齟齬はもうしょうがない。いいじゃない、妄想で捏造なんだもの。
 WC優勝おめでとう、誠凛の皆さん。ヤッタネ☆
 
 そんなことも関係なくのんびり続いたりします。