夜深し、熱ぬるし

 寒くなったらいちゃいちゃすればいいじゃない。とそんな思いだけで出来ました。
 寒くなくてもいちゃいちゃしてりゃいいとも思っていますが。
 雪ちゃんの異変に気付いてはいる燐は言い出せずに雪ちゃんにご飯を作るとかぎゅうとかぐっとすることくらいしかしないような気がして、それで言われるとほっとする兄貴でいて欲しいです。こう、どこか見えない壁がある兄弟というか。プライド以外のところで。
 
 

【PDF版】夜深し、熱ぬるし ※ただいま準備中です。

 
 
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 時計は十時を回っていた。
 鞄を手に、雪男は帰れるだけましだったのかな、と思いながら足を動かす。任務の後、別の場所に立ち寄ったので今日の帰りはドアからドアのショートカットではない。
「……」
 食欲はないし、口腔内に違和感を覚える、やだなあ、と思う。仕事とか学校ではなく、それ以外の生活のすべてが面倒になる、たとえば風呂とか着替えとか、頭の中のゴミ箱の中に入れたい。やらなくても死なない、生活の細々としたことはいいではないか。
「おー雪男」二日ぶり。
「…兄さん?」
 出た声は些か尖ったものになってしまった。即座に数秒前のだらけた自分を削除、面倒、嘘です。
 いまにも切れそうな弱さで街灯が朧に光を投げかけている、やや不穏さを伴って闇に浮き上がる無機質な地面、その少し離れたガードレールに腰掛けるようにして兄の燐がいた。手にはスーパーの袋を提げている、吐き出す息がほんのりだけど白く見えていた、雪男は眼鏡を押し上げ大袈裟な溜息を一つ吐く。なんで、どうしてといった問いを却下して相手の返答次第で叱る言葉を待機させてもいた。
「復習は? 反省は? シュラさんは?」
 脳内ですさまじい早さでスケジュール帳が繰られる、今日の任務は、候補生達の予定は。報告書はあがっていないが情報は仕入れてある。結界の定期確認、そして授業。燐は実技特訓をシュラから受けていて、剣の扱いを身体に叩き込んできたはずだ。結界の確認は明日もあり、特訓だってヨシとシュラが言うまでは続けられる、その間に試験に向けて自習していて欲しいと雪男は願いに近く思っていた。いい加減言われなくても、せめてポーズだけでもしていてくれたら、僕だって。
 燐は手を振る。
「んなもんとっくに終わってるっての」何時だと思ってんだよ。
「早…」十時。
「てか、お兄様に何の挨拶もねーのかよ」
「…帰らなくても学校で会うだろ」
 燐は目つきをガラ悪く眇め、じろじろと雪男をなめ回すように見た後、不服そうな顔をする。寮には帰らなくても学校は行っている、行けば言葉を交わすことがなくても廊下やらエントランスで姿を見ることが出来た。燐が居るということはまだ処分されていないということで、僅かばかりの安心感を置いて任務にも行けた。燐の食事も姿もないけれど、軽い渇きは却って任務に集中させてくれもする。
「なに」
「それでも行き倒れてんじゃねーかってよ」
 燐は頭の後ろに指を組み、雪男より少し先を歩く、ものの輪郭がかろうじて分かるくらいの夜の世界の中へぽんと入って進む。足下でわだかまっていた下級の悪魔がその足先から逃れるようにつっと引いていった。燐の力を恐れているのだ、彼らはようやっと物質界《アッシャー》に存在するくらいの力しか持たない、でも、そのような矮小でも陰鬱な影を以前より多く目にするようになった気はする。
「……」
 ひょこひょこと尾が左右に揺れる。じわりと広がる不安感を燐の身体を抱いているときだけ忘れられるって僕も大概だ、と自虐的な溜息が出る。
「…けどよ、…なのかよ?」
「え?」
 足を止めている燐は呆れ顔だ、真っ直ぐに雪男を見ると言い放つ。
「明日も早いんだろ? 迎えに来た」
「ハァ?」
「っつーのは嘘で、砂糖と卵買いに来たついで」
「あっそ」
 大根安かったからよー、と何事もなかったかのように燐は言う。一昨日買ったやつ、使っちまわなきゃだろ? 無駄にならなければいわゆる食べられるうちに使い切れば雪男はそれで良いと思う。
「菜飯にふろふき大根に、根菜汁だろ? 鯖の塩焼き、皮とキノコのきんぴらで大根尽くし」
「……」
 なんだその手の込んでいるのだか手抜きしまくっているんだかなメニューは。
 
「…で、どんな感じだよ?」
 雪男の食事に合わせたかのような早さで燐が髪を拭きながら食堂に入ってくる。雪男は頬杖をついたまま燐を見る。
「知ってたの…」
「兄に隠し事はできねーな!」
 無理に平らげることはなかったのだ、夕食はメイン大根かよと思えるほどで、無い食欲に蓋をするように食べた、完食だ。…それでも、まあ食べやすかったけど。燐は冷蔵庫からペットボトルの水を取り出すとコップに注がずごくごくと飲む、それ僕のなんだけど、兄さんしか飲んでないよねとは言わなかった。雪男に用意されたのが温かい麦茶だったし、面倒になっているというのもあった。
 燐は片付けられた食器を見て腕を組むとじとっと雪男を振り返り息を吐く。
「何?」
「熱出てんだろ、どんくらいだ?」
「七度二分」朝は。
 ちょっと怠いくらいで、元気だからと伝えるが、まああるかなという自覚はある。身体の中でちょっといつもより高くて、高すぎず下がりもしない面倒なくらいの、本当に微熱だ。
「明日も任務あったよな」
「兄さんたちもね」
 俺たちはいーんだよ、と返すと照れ隠しのように雑な口調で言う。風呂はどうするのかと訊くので立ち上がりながら入ると答えると嫌な顔をした。これしきで倒れたりするはずないだろ、とちょっとむっとする。こういうとき燐は兄貴ぶりたがる。
「風呂すぐ出ろよ。今日は何もしないで、早く寝ろ」あとはやっとくから。
「冗談。汗出るほど上がってな…」
 ごつん、と音がした。力強いものだから痛い、目から火花が出るかと思うくらいの衝撃は額だけには留まらなかった、伝って指先から抜けた感じだ。
「ななどにぶ」これがか。
 思わず唾を飲み込んだ。当然のことなんだけど、近い。
「確かにあんま熱くねーな」顔赤いけど。
「誰のせいだよ」
「オレのせい?」まさか。
「顔、近い」
「咳は許すが、くしゃみはすんな」
「なんだそれ」
 笑ってしまう、距離を詰められて心の内を如実にあらわした燐の目に揺らぎが見えたが穏やかに戻る。まともに顔を合わせるのが久しぶりなような気がする、一緒に暮らして全然お互いのことは分からないのに、こういうのは分かるのが双子らしいのかなあと雪男はそんなことを考えた。
「雪男」
「うん」
「移しても良いぞ、少しくらいなら」
「少しも何もないだろ」風邪は風邪だ。
 腕の中からするりと逃げようともせず、燐は雪男を見ている。腰を引き寄せた、あっと気まずいような顔をしたがもう遅い。
「ゆき…」
 相手の自由を奪う。
「…っ…」
 キスが深まるにつれて腕がシャツからゆっくりと持ち上がってきて首に巻き付いた。
「一回だけだぞ」
「熱を分けてあげる」もらって。
 燐は弱ったように小さく舌打ちをすると、風邪なんかオレが引くかよ、と顔を背けるようにして言う。
「汗かくような手伝いはしてやる、から」
「とか言ってしたかったくせに」二日ぶりだしね。
 うるせーな、と燐は雑に雪男の頭髪を扱くように撫で、額に口づける。気遣うなんて、兄さんが。なんか悔しい気がしないでもないなと思いながら手を引かれた。僕のことなんかほっといて勉強してよと言えばいいのに出てこない。燐は雪男を引っ張るようにして部屋に向かう、入ると迷いもせず雪男のベッドに寝転がった。
「子守歌付きと添い寝付き、どっち?」
 唇に指を突き立て、にやりと笑う。
「どっちもやだなあ…」
 雪男はネクタイを緩めながら答えた。風呂上がりのふわりとした匂いに浮き立つ予感はさながら特効薬を与えられたかのようだった。ちょっと忙しくて具合が悪いと、生活の細々としたことはゴミ箱行きに。
「口ん中、あちいな」
 だけど、まあこれはよし。
「口内炎出来かけてるんだよ…」
 燐はふうん、と眼鏡を外させながら返す、ぼやけた視界に尾が揺れていた。
 
 

121201 なおと