シナモンロール

雪男と燐のなんでもない話、第二弾です。
雪男、実は他の皆と距離感あるよね?その辺気にしてるんじゃないのかなぁ、と言うのを妄想してみました。
 
そして、タイトルが食べ物繋がりなのは、偶然です(汗
 

【PDF版】シナモンロール

 
 
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 ほわりと香ばしく、良い匂いが厨房から漂ってくる。
「おはよう、兄さん。いい匂いだね」
「おう、おはよう雪男。今日は焼きたてパンだぜ」
 アメイジングな寝癖のまま、兄が嬉しそうな笑顔を向ける。
「へぇ。兄さんがパン作るの、珍しいね」
 手捏ねのパンは季節によって発酵加減の調整が難しいからと、滅多に作らないのだ。
「おう、タイマーかけてみたんだけどさ、心配で起きちまったよ」
 クリスマスプレゼントが待てない子供か。雪男は思わず心の中でツッコミを入れる。大方、興奮しすぎて動き始める前から起きて待っていたに違いない。普段の朝からその寝起きの良さをなぜ発揮できないのか、膝を付き合わせて小一時間問いつめたい所だ。
 いや、その前に問い詰めるべきことがあるのではないか、雪男ははたと気がつく。
「って言うか、ちょっと待って。兄さんソレどうしたの…」
 燐の前に、やや大振りな家電がでんと構えている。昨日いそいそと大荷物を抱えて帰ってきたのは知っている。だが、それが何なのかまでは知らなかった。今朝になってみれば、パンの焼けるいい匂いがする。つまり、昨日の荷物が目の前の家電で、それがいわゆるホームベーカリーであるのは間違いないとして、それを購入する資金は一体何処から捻出したのか。
 少し下世話な、背筋がぞくっとする考えが浮かぶ。いや、兄さんに限ってそんなことは…。即座に打ち消すが、非合法に手に入れたのでは、と言う不安が消えない。
「この前勝呂と電気屋行ってよー。そんとき実演してんの見たんだよ」
「兄さん、これを買えるほどのお金持ってないだろ」
「ったりめーだろ。オレがすげーすげーって言ってたの覚えてたらしくてよ、もう使わねーって言う知り合いがいたからって、勝呂がくれたんだよ」
 「アイツ、もうこっちにも知り合いいるのな。スゲーよ」と、祓魔塾の同級生である勝呂のことを嬉しそうに褒める燐の顔をみて、雪男は苛立ちを感じた。
「兄さん、勝呂君と電気屋さんに行ったんだ?」
 自分でも思わず問いつめるような口調になってしまった。
 いつも二人一緒だった子供ではない。いくら双子でも雪男には雪男の、そして燐には燐の付き合いが出来るのは当たり前だ。だが、二人の場合は少し事情が複雑だ。燐を含めた祓魔塾の面々にとっては、雪男は同級生でありながら先輩祓魔師であり、講師でもある。その関係は祓魔塾や祓魔の現場以外では適用されないはずだが、何かとその立場のまま一緒に行動することが多くなれば、普段の生活にもその位置関係が影響してくるのは無理からぬことである。
 もちろん自分で選んだ道である以上、そんなことは覚悟の前だ。だが、実際に祓魔塾の同級生達と自分の距離が開き、逆に燐と彼らの距離が縮まっていくのを見ていると、自分だけが兄から遠く隔たっているような気がしてしまう。
「おう。ホラ、充電池にしようぜってんで、買いに行ったろ?そうしたら珍しく勝呂達も行きたいってんで一緒に行ったんだよ」
 雪男の口調に気付いているのか気付いていないのか。あっけらかんと言われて、雪男もそう言えばそんな日もあったな、と一緒に腹立たしいことも思い出して眉を顰める。
「ああ、エ●ループとエ●ルタを混ぜこぜで買ってきた時だね」
 メガネのブリッジを押し上げながら、雪男が指摘する。
「う」
 燐がしまった、と言う顔をする。
「つまり、ホームベーカリーに気を取られて買い物を間違えたと」
 雪男が呆れたように溜息を一つ吐く。
 互換性のない充電池を買ってきた後日、雪男はゴミ箱に捨てられてしわくちゃになったレシートを、やっとの思いで見つけだして返品に行かなくてはならなかった。高校生にもなってとんだお使いである。
 ピ、ピ、と電子音が鳴り響いて、燐は一転ほくほく顔で焼きたてのパンを取り出す。香ばしい香りは、雪男の苛立ちも抑えるほどの強力な効果があった。ドライフルーツとバターがたっぷり入った焼きたてのパンは、外はかりかり、中がふんわりとして確かに美味しかった。しばらく二人は無言でパンを頬張る。
「暫くやって馴れたら、次はピザと、パスタやってみっか」
 燐がパンの欠片を、クロに分けてやりながら言う。こう言うときの兄の発言は、なんだかやたらと頼もしい。二又のしっぽが嬉しそうにパタパタしているので、おそらくクロも「美味い」と言っているのだろう。
 調理家電の説明書やレシピブックは隅から隅まで熟読できるのに、教科書だとわずかな時間で熟睡するのはなぜなのか。問いつめたくなる気持ちを堪える。
「楽しみにしてる」
「任せとけって」
 燐が口の周りにパン屑をつけたまま、満面の笑みを浮かべる。その無邪気な顔が見れたのが久しぶりで、雪男はほっとしたため息を一つ吐いた。
 
「おーい、勝呂」
 ホームベーカリーが本格的に稼働し始めた数日後の昼休み。
 中庭で弁当を食べていた勝呂達に燐が紙袋を差し出した。燐の後ろから顔を出した自分に、「若先生、こんちは」と皆がぺこりと頭を下げる。学校内ではやめて欲しいと思いながら、雪男は「こんにちは。お食事中にすいません」と挨拶する。この堅苦しい挨拶がいけないのだろうか。
「これ、やる」
「なんや、これ?」
 受け取った紙袋を開けながら、勝呂が尋ねる。
「シナモンロール。食後にでも食ってくれ」
 紙袋の中から、シナモンと砂糖の良い香りが立ち上ってくる。
「奥村、お前マメやなぁ…」
 勝呂は半分呆れたような、苦笑した口調だ。
「兄の唯一の特技ですからね」
「唯一とか言うな、メガネ」
「あ、ホンマ美味しそうな匂いしてはる」
 三輪子猫丸が鼻をひくひくさせるのを見て、燐が心底嬉しそうに顔を綻ばせる。そんな穏やかな笑顔も出来るのか、と初めて見た驚きと、それが自分に向けてではないことにちょっと嫉妬を覚える。
「勝呂から貰ったホームベーカリー、色々作れるのな。スゲー助かってる。ありがとな」
 礼だから受け取ってくれ、と燐が少し照れたように笑う。
 勝呂が紙袋から取り出したそれは、シナモンシュガーを巻いて焼き上げた上に、アイシングした砂糖が掛かっている。おまけに砕いた胡桃と干し葡萄も生地の間に挟まっている。どこからどうみてもシナモンロール。完璧の一言だ。
「おお、美味そうやー。奥村君、ホンマ料理の腕はどこに嫁に出しても恥ずかしないなぁ」
「アホか、嫁は俺がもらいてーっつーの」
 燐と志摩はにゃははは、と笑いながら軽口を叩き合う。何が楽しいのか、時にもの凄く下らない掛け合いをしていて、授業中であるにもかかわらず止めるのすら諦めたくなる時もある。
「なぁなぁ、褒めたった俺もお相伴したいなぁ」
 志摩廉造が脇から紙袋を覗き込みながらねだる。
「二つずつ入ってっから、皆で食えよ」
 じゃ、と立ち去る燐を見送る勝呂がぼそりと呟いた。
「なんや、礼なんぞいらへんのに。水臭い奴やで」
「律儀なお人やねぇ」
 呆れたような、ちょっと面白がるような声音を背中に聞きながら雪男は苦笑する。兄の良かれと思った行動が空回りしていないのを見るのは初めてだった。これまでは度の過ぎた暴力が原因で兄だけが変に孤立して、周りには張り詰めた緊張感があった。修道院の修道士でさえ、燐を怖がって他へ移った者が居たくらいだ。例え正義感から出た暴力でも、暴力に違いはない。いつそれが自分に向けられるかと怖がったとしても、責められない。
 そんな訳で、兄と他の人、特に同級生が一緒に笑っている姿はほとんど見たことがなかった。だから勝呂達の反応は雪男にとっても嬉しいようなくすぐったいような気持ちだ。
「そう言う人やって、二人とも知ってはるでしょ」
 志摩が言うのに、そうやな、と勝呂と子猫丸が笑って早速シナモンロールを頬張ったのを目にした雪男は、ちり、と胸が痛んだ。燐側の問題もあれど、兄の良さが周りに伝わらないことに、もどかしさと悔しさを感じていた。だが、一方で兄のことを一番判っているのは自分だという自負もあったのかも知れない。
 早くしろよ、とせっつく燐に追いついて、校舎裏の木陰になった辺りに座り込む。中庭よりも人が格段に少なくて静かな場所だ。学内に居るとなんだかんだと注目を浴びて人が集まってくる雪男のために、燐がわざわざ見つけて来てくれた逃げ場所だった。
「兄さん、一緒にご飯食べればよかったのに」
 兄手製の弁当を広げながら、少しからかうように言う。
 照れくせーじゃん、と頬を少し染めて燐が口を尖らせる。じゅるじゅる、とわざと音を立てて紙パックの野菜ジュースを飲む。
「美味しいって、直接聞けたかもしれないよ」
 ここに熱々のお味噌汁が欲しいって言ったらやっぱり贅沢かなぁ、と弁当を食べ進みながら雪男は思う。
「……いーんだよ」
 なに、その間。そして、何か思いつめたような顔。そんな顔京都の独房以来見たことないよ。
「随分謙虚じゃないか。どうしたの」
 雪男はあくまで何でもない風を装って尋ねる。だが、雪男につっかりもせずにしばらく黙り込んだ燐は、宙を見たままぼそりと呟いた。
「なぁ、雪男。オレ、ホントに良いのかな」
「何が?」
 雪男はアスパラガスとカリフラワーを頬張りながら尋ねる。
「なんか、こえーんだ…」
「?」
「いつか…」
 尻すぼみに声が小さくなる。その言葉に思わず兄さんと呼んだ時には、「なぁーんちゃってな!」グハハハハと笑って弁当を猛然と掻き込んでいた。
 父さんの真似じゃないか、それ…。
 ぼそりと本音を吐いては、すぐに冗談で紛らわしてしまうのは、養父である藤本獅郎が良く使った手だ。うっかりしていると耳にしたはずの本音が冗談で目隠しされてしまう。だが、兄の誤魔化しなど雪男には通用しない。ちゃんと聞き取っていた。「いつか、お前も、あいつらも、この生活も、全部取り上げられそうで、怖い」と。弁当箱を持つ燐の手が微かに震えていた。
 兄は正十字騎士團の中で生きることを選んだ。その時点で兄の命はバチカンに握られている。これまで何度か危ういこともあったが、なんとか目こぼしして貰っている状態だ。しかし次の瞬間に三賢者《グリゴリ》の誰かが「殺せ」と言えば、直ぐにこんな生活もお仕舞いになってしまう。
 兄さんは兄さんなりに、不安を感じているわけか…。
 祓魔塾の他の誰かに同じように相談したかも知れない。それでも、今、他ならぬ自分に本音を聞かせてくれたことが嬉しい。
「じゃぁ、誰にも取り上げられないように、最強の祓魔師《エクソシスト》にならないとね」
 何気なく言って、雪男は出汁巻き卵を齧る。燐が真っ赤になった目で、雪男を見つめた。
「ま、他の誰が居なくなっても、僕だけは一緒に居るよ」
「ゆきお…」
 鼻出てるよ、兄さん。って言うか、ご飯まだ口に入ってるし。雪男は一つ苦笑する。
「ほんとか…、雪男…」
「当たり前だろ。僕たちはたった二人の兄弟なんだから」
 ぐ、と燐が涙やら何やらを堪えて、凄く変な顔をする。小さい頃には良く見た記憶のある表情だ。中学の時は、何もかもを諦めきった荒んだ顔付きで、互いに口を開けば説教じみた小言と反発の文句で、まともに話したことの方が少ない。今また、兄の色々な表情が見られて嬉しいと思う。
「ま、改めて最強の祓魔師《エクソシスト》を目指すと決めたからには、兄さんには色々頑張ってもらわないとね。特に勉強面で」
 ぶは、と燐が吹き出す。袖やらズボンやらに燐の咀嚼しかけた破片が飛び散る。
「ちょっ…!汚いな!何するんだ!」
「う、うるせー!お前そこで勉強の話するかぁっ!?」
 今スゲー感動的な場面じゃねーのかよ!燐が抗議する。
 ちょっと甘い顔すれば、これだ。雪男は少し苛立ちを覚えながら、ご飯粒のついたメガネを拭いて掛け直す。
「何言ってるんだ、最強の祓魔師《エクソシスト》になるには、まずは勉強。決意だけでなれると思ったら大間違いだよ」
「判ってるよ!」
「それから、無闇に倶利加羅《クリカラ》を抜かない!炎を出さない!」
「へーへー」
 いつもの小言だと判った途端に、鼻をほじりながら適当な受け答えを始める。いっそそのひじを思いっきり叩いて、指を鼻の奥に押し込んでやろうかと思う。
「ほ・ん・と・う・に・わ・か・っ・て・る・ん・だ・ろ・う・ね?」
 雪男の低い声に燐がびく、とする。
「半年後に祓魔師《エクソシスト》認定試験に受からないといけない条件は活きたままなんだよ?」
「へっ」
 心底驚いた顔をする燐に、雪男はこめかみがひくひくとする感触を覚える。何勝手に有耶無耶にしてるんだ、こいつは…。
「…僕、聖騎士《パラディン》目指そうかな。そしたら兄さんずっと最強の祓魔師《エクソシスト》になれないまんまだけど…」
 ふと思いついたことを、ぼそりと呟く。
「おまっ、ズルイぞ!人の目標パクんな!」
「パクってないさ」
 思ったとおりにあわあわと慌てる兄が可笑しくて、笑いを堪えるのが辛い。兄を発奮させるには、普通に尻を叩いてもダメってことか。
「中一級とはいえ、すでに祓魔師《エクソシスト》の資格はあるし。うん、聖騎士《パラディン》目指すかな。そして、サタンをぶん殴る」
「思いっきりパクってんじゃねーか!」
 空になった弁当箱を芝生に叩きつけて、燐がいきり立つ。
 悪いけど、兄さんの怒鳴り声なんて、ちっとも怖くない。
「僕にだってサタンを殴る権利はある」
 雪男は燐が持っていた別の紙袋をごそごそと開ける。今朝二人で食べた四つに、勝呂達に渡した六つのシナモンロール。それ以外に手元の紙袋には十ほども入っていた。いったいどれほど作ったのか。道理で昨日は夜遅くまで厨房に居たはずだ。
 兄の美味しい料理を食べられるのは嬉しい。だけど料理にかける熱意をもう少し勉強に向けてくれないかな、と思いつつ、その内の一つを取って一口齧り取る。ふんわりとしたパン生地にシナモンの風味、胡桃と干し葡萄が程よいアクセントになっている。
「じゃ…、じゃぁ、二人でぶん殴りに行くか」
 勢いをなくした燐が、のろのろと弁当箱を拾って座り込む。
「どーしよーかな」
「おまっ…」
「だって、兄さんが祓魔師《エクソシスト》じゃなかったら、僕たち揃って直ぐにやられちゃうかもしれないじゃないか」
 ぐ、と燐が詰まる。
「……オレ、頑張る。今度こそマジでお前が腰抜かすくらい。だから目ェかっぽじってよく見てろ」
「目はかっぽじれないけどね」
「くっそ、いっちいち…!親父《ジジィ》みてーなこと言うな!」
 頬を染めて、ぶつぶつと文句だか言い訳だかをする燐の顔を見ながら、安堵の溜息を吐く。色々苦労は耐えない。それでも今はまた近くなったこの距離感が嬉しい。
「楽しみにしてる」
 雪男は笑ってもう一口、シナモンロールに齧りついた。
 
 

–end
せんり