祓魔師ノ心得

 祓魔師として葛藤することって、燐の場合はこれから出てくるんだろうなと思います。一番キツイ判断を下すことについては、雪男とかシュラは、もちろん物凄く悩んだと思うのですが、物分りが良いと言うか、どうしようもないことは判っていて、その結果の何もかもを引き受ける覚悟をした上で、ある程度割り切っている気がします。
 逆に燐には最後の最後まで迷って欲しいというか。雪男たちとも時にぶつかることも含めて、悩んだり、思い切ったりジタバタしてて欲しいなと思います。
 そんな甘すぎる考えに、シュラや雪男が悶絶しかけながらも、燐の態度に自分たちの足元を揺さぶられて、このやろーとか思ってて欲しいです。
 

【PDF版】祓魔師ノ心得

 
 
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「っとに、オマエらホント優秀な」
 霧隠シュラは苛立ちが混ざった、呆れたような口調で言い放つ。彼女の後ろをついて歩く候補生《エクスワイア》たちは、バツが悪そうな顔をして黙り込む。互いにそっぽを向くのは、自分のせいじゃない、とまぁ、そんな辺りだろう。本当は大笑いしたかったが、一応隊長であり、講師であり、先輩としての立場もある。ち、面倒くせぇ。
「よっぽど連帯責任でバツ食らうのが好きなんだな」
 シュラの声が虚な空間を構成する洞窟に響く。任務の補佐に駆り出された彼らは、ひょんなことから本隊とはぐれた上に、よく判らない洞窟に紛れ込んでいる。
 ついでに言うと、入ってきた道は崩れて埋まってしまい後戻りも出来ない。別の出口を探さなければならないのだが、大きくて複雑な洞窟が広がっている。本当にここは日本か!? と思わずツッコみたくなるような規模だった。
「ま、今更言ってもしょーがねーが、ダレのせいかな♪」
「わ……、悪かったな!」
 しょーがねーなら言うなよ! と悔しそうに怒鳴る奥村燐の声が、うわんうわん、と岩壁に反響した。入り口は潰れたが、風の通りはあるようで候補生たちが持った松明の炎がジジジ、と音を立てて揺れた。
「お前、本当に判ってるのか?」
「判ってるよ!」
 シュラの言葉に、拗ねたように言い返す。自分が怒られなければならないのが、物凄く不満なのがありありと出ている。
「判ってるなら、ここにいる全員、なんでこんなことになってるんだ?」
 ぐぅ、と呻いて燐が黙る。
 例によって例のごとくと言うか。燐が突然悪魔の群れに突っ込んだのが原因だ。他の一行はそれを止めるか補佐するかで意見がまとめられず、結局は雪ダルマ式に巻き込まれて今に至る。どっちにしても巻き込まれたのなら、仲間内で揉めた分だけ損だったと言うものだ。
「自信を持てとは言ったが、調子に乗らせるためじゃねーぞ」
「……スイマセン……」
 物凄く不満げに、小さな声でぼしょぼしょと謝る。
「隊長、もうそれ位で……」
 見かねたのか、左手を吊った若い祓魔師がおずおずと声をかける。
「俺がヘマしたから……。彼は助けてくれたんです……」
 燐を庇おうとして下級祓魔師が言い募るが、シュラの感情のこもらない眼差しに見据えられて、言葉尻がごにょごにょと小さくなった。ったくよー…。
「おい! シュラ、もういーだろ!」
 燐が庇うように青年の前に立ちはだかった。それをシュラがあっさりと退かして、青年の前に立つ。多少シュラの方が背が低いが、怒りのこもった眼差しに青年と燐が怯んだ。
「堺。悪魔の前で冷静を欠くのは致命的だぞ」
 指先で青年の胸をどすんと突いて平坦な声で言い放つ。
「シュラ!」
 燐が非難するように叫ぶ。シュラは真剣な顔で燐を見据えた。
「祓魔師がビビッてどーすんだよ」
 燐とうなだれている青年に、デコピンを見舞った。
 詠唱を担当していた青年が祓魔現場で何を考えていたのか知らないが、悪魔に対応するのが一瞬遅れた。王《キング》クラスの鬼《ゴブリン》がその隙を突いて襲い掛かり、巣穴と思われていたこの洞窟に引っ張り込まれてしまったのだ。それを見ていたのは幸か不幸か燐だけで、あっと言う間に降魔剣を抜いて洞窟に飛び込んだ。彼の一振りでその場の悪魔をほぼ滅することが出来たが、足場と洞窟の入り口も壊した。燐を追いかけてその崩落に巻き込まれた一行が、いつもの面子だったと言うわけだ。
「シュラさん、おっしゃることはご尤もですが、続きはひとまずここから出てからにしませんか」
 雪男が冷静に指摘する。燐とシュラのやり取りを息を詰めて見ていた杜山しえみが、ほっとした顔をした。
「なぁなぁ、ここ虫いてるんと違いますぅ? はよ出ましょうや~」
 皆成り行きを見守っていたのだろう。安堵の空気が広がって、志摩廉造がぼやき始める。青い顔をしながらも泣き言を言わなかったのだから、彼なりに気を使っていたのだろう。
「ここでぐずぐずしてても変わらへんでしょうし、さっさと出た方が良いと思います」
 廉造を呆れた顔で見ながらも、勝呂竜士が同意を示す。
「ゴリラのクセに、洞窟ごときが怖いとか……」
「誰がや!」
 出雲がフン、と鼻で笑えば、勝呂がなんやと、と突っかかる。それをしえみか子猫丸が取り成す、おなじみの光景だ。今日の仲裁役はしえみらしい。睨み合う出雲と勝呂に、虫がコワイと泣き言を言う廉造を見ながら、やれやれ、と雪男と子猫丸が顔を見合わせて苦笑した。悪態が出るのは、この集団に限って言えば良いことだ。シュラも毒気を抜かれたようになって、ささくれ立った気分が急激に萎んでいく。認めるのは悔しいが、助かったのは事実だ。確かにこんなところで祓魔師としての気概とか覚悟とか心得がどうのとかで問答をしている場合じゃない。だが、あのままではそれも避けられなかった。ちぇ、やってくれるねぇ、ガキのクセに。
「悪魔の巣穴やったんや、まだ居るかも知れん。ロクな装備もないのにどないすんねや」
『ンなことより、腹減った。メシ』
 空気を和ませようとしてか、宝の人形がパクパクと文句を言い立てる。
「そうや、今何時やろ」
 子猫丸が腕時計を見る。雪男も釣られて腕時計に目をやる。
「四時か…」
 洞窟に落ちてから、かれこれ二時間は経っている。枝分かれの少ない、判りやすい道をずっと歩いてきたように感じるが、実際には迷路を複雑にぐるぐると歩かされているのではないかと言う気がしてくる。
 そろそろ日が暮れてくる頃だ。洞窟の中とは言え、やはり悪魔は日が落ちてからの方が活発になる。何が起こるか判らない。一瞬洞窟の中の空気がざわりと蠢いたような気がした。
「そーだな。しょーがねぇ。ちっと休憩するか」
 シュラの言葉に、塾生達がその場にへたり込んだ。出雲が装備として配られたリュックを探り、小分けになったビスケットを取り出して皆に配る。
「お前、用意良いな」
 礼を言いながら、燐が早速封を切って一枚口の中に放り込む。
「神木さん、おおきに」
「べ…、別に。たまたま入ってただけよ」
 もちろん、こういう展開を予想して余分に持ってきたものだろう。シュラは小さく笑う。若いってのはいいにゃぁ♪
「ニーちゃん、苦薄荷と音切草を出してくれる?」
 使い魔である緑男《グリーンマン》の幼生が体に薬草を茂らせる。しえみがそれを摘み取って、堺と呼ばれた青年祓魔師の腕のケガの手当てに掛かった雪男を補助する。
「骨は折れてないようですし、ここを出てキチンと手当てすれば大丈夫ですよ」
 青年は身の置き所がなさそうに、小声でぼそぼそと礼を言った。
「状況確認だ。怪我したヤツいないか?」
 堺を除いた全員から口々に『怪我なし』の答えが返る。
「よし。燐。気配を探れ」
「気配?」
「悪魔の気配がわかるんだろ? 洞窟全体を探れ」
 そうだけどよー、とぶつぶつ言いながら、視線を中に彷徨わせた。
「んー……」
「なしたんや」
 暫く燐を見守っていたが、反応が返ってこないのに焦れて、勝呂が声を掛ける。
「わかんねー。つか、どこもかしこもザワザワしてて、強いとか強くねーとか、わかんねーんだ」
 大きく一つ溜め息を吐くと、がりがりと髪の毛を掻き毟る。
「兄さ……、奥村君が正しければ、ゴブリンを含めた下級悪魔が集まってきていると考えるべきだと思います。一度に襲撃されたら面倒なことになります。とくに、王クラスのゴブリンがさっきので終わりだとは思えませんし、悠長にしている暇はないでしょうね」
 出来るだけ公私混同しないようにしよう、と努力する少年をからかいたかったが、時間がないと言う意見の方が勝った。こんな所であまりグズグズしていたくない。彼女を見つめる面々を見渡した。
 さすがに上一級祓魔師のシュラが称号をどれだけ持っていようと、身体は一つだ。一人で何でも出来るわけではない。それでもコレだけの人材が揃っていれば出口へたどり着くには何とかなりそうだ。心配の種は、見境なく突っ込んで行きそうなのが一人いることだ。良い方に転がれば万々歳だが、そうでなかった時にはとんでもなく面倒くさい事態になるだろう。
 早くも燐が『俺に任せろ』と言わんばかりの顔をしている。思わず一つ溜め息を吐いた。
「燐、お前そんな張り切らなくていいから」
「なんでだよっ!」
「なんでもだよ」
 ビビって凹みまくってる堺青年に比べれば、空回りしがちとは言え、やる気がある分だけ燐の方が有り難い。だが、限度と言うものがある、と思う。本人も色々考えてはいるようだが、直感と言うか、本能が先走りしすぎている感がある。そこをもう少し他の人間と共有しろ、と思う。まぁ、そんなことが出来ていれば、今こんな事態になっているワケがないのだが。
 ったく、こっちの苦労も考えろってんだよ。判っていない顔をする燐の鼻をびしりと指で弾いて続けた。
「さて、じゃ。簡単に作戦な。悪魔に遭遇したらとにかく排除しろ」
「それだけでっか?」
「ちょっと、シュラさん……!」
 雪男と勝呂がまさか、と言う顔をする。
「作戦はシンプルな方が良いんだよ」
「シンプルに過ぎるでしょう」
「いーんだよ。一匹一匹に構うな。通れるだけ倒したら、後は前に進む。こっから出るのが第一だ」
 そして独り俯いている下級祓魔師の肩をどすん、とどやす。驚いて、何をするんだと言いたげな顔を向けた青年の目の前に指を突きつける。
「良いか、ビビッても良いが逃げるなよ。お前も大事な戦力なんだからな」
 自信なさそうに、何か言おうとして止めるのを繰り返したが、青年は最後にこくりと頷いた。その肩を元気付けるように軽く叩く。
「道が枝分かれしていたら、まずは左にある道を取れよ」
「右にしかなかったらどーすんだ?」
 燐の真剣な疑問に、気勢が殺がれる。お前なぁ。さっきまでずっとそうやって歩いて来たんだぞ?
「そう言うときは曲がらないで良いんだよ」
「なんでだよ」
 雪男の冷静な返答に、燐が即座に返す。シュラは思わず洞窟の天井を見上げる。お前らがそれ始めると長いんだよ。
「余計迷っちゃうだろ?」
「全部曲がれば問題ねーだろ?」
「全部の脇道を把握すればいいってのを言いたいんだろうけど、無闇に曲がったら迷うだけだから」
「迷路を抜ける基本やぞ」
「先頭に立たせたら速攻迷うタイプね」
『お前絶対先頭歩くなよ。迷うのはゴメンだからな』
 勝呂、出雲、宝に次々と指摘されて、燐が見る間に凹んだ。
「奥村君がこの洞窟壊す方が簡単と違います?」
「ナニ言うてんの、志摩さん。ここの規模も判れへんし、何よりこの上に人家やガス管、水道管があったら大惨事になるえ。冗談でも言うたらあかんよ」
 ご丁寧な子猫丸のツッコミが入る。こうなってくると、収拾つけるの大変なんだっつの。ホントお前ら、デキが良いんだか悪いんだか。
「ハイハイ、お子ちゃまどもは黙れ。出発するぞ!」
 手を叩いて、候補生たちの意識を集中させると、隊列を組ませた。先頭は雪男、真ん中に腕を吊った詠唱騎士を歩かせて、殿はシュラが担当した。隊列を無視しようとする燐は、すぐ前で『悪魔の気配を探れ』、と言いつけて意識を別のことに向けさせた。
 ったく、もう。幼稚園の先生かよっ!早く楽させろよ。
 
 
「シュラ、なんか気配がおかしいぞ」
 燐が洞窟の天井を睨み付けた。
「どうおかしいんだ?」
 燐が唸りながら視線をあちこちにさ迷わせる。
「怒ってる感じだ」
「面倒くさくなってきやがった」
 ち、と舌打ちをする。こちらを敵と認定したのであれば、興奮して凶暴化したのと同じように、見境なく全力で襲ってくるだろう。ただ遭遇したとか群れている中に突っ込んでいくのとはワケが違う。
「雪男! 聖水を掛けろ。防御する」
 手榴弾型の缶のスイッチを押すと、中の聖水が四方八方へ噴き出してくる。雪男が燐を除く全員に聖水を振り掛けた。これで少しは下級悪魔に襲われる心配をせずに、祓うことに専念できる。
 だが、この行為は同時に悪魔たちをさらに怒らせることになったようだ。シュラにも判るほど洞窟の中の雰囲気が一変した。
「来るぞ」
 燐の少し嬉しそうな口調が場違いだ。
「俺がたたっ斬ってやる」
 ざわりと洞窟が蠢いたような気がした。止める間もなく燐が降魔剣をすらりと抜いて、青い炎を全身に纏う。炎と刃が細かい敵をある程度まとめて祓うので大助かりだが、扱っている本人が大雑把なくせに変に一匹一匹に構うので、役に立つのか立たないのか判断のしにくいところだ。
「ざっとでいいんだからな? わかってんのか?」
 わーってるよ、と少し苛立った返事に苦笑いする。そう思うなら、ちゃんとやって見せろよな。次の瞬間、ざわ、と体中の毛が逆立ったような悪寒が走った。来る、と思った瞬間に前方の暗闇の密度が濃くなった。
「来たぞ!」
 シュラが叫ぶと同時に、燐が雄叫びを上げながら群れなして迫り来る悪魔の塊に突っ込んでいく。
「詠唱! 使い魔出せ!」
 シュラが呆然と燐を見送った隊を突き飛ばすように、肩を叩いて正気に戻す。出雲としえみが使い魔を呼び出す。勝呂、子猫丸の二人が、彼らが良く使う防御陣を呼び出して、隊の側面を守るように前に進み出た。廉造が錫杖を振り回すと、金属の杖に当たった小さな悪魔が消えた。雪男も兄の後を追いかけて悪魔の群れに飛び込んで行った。
 ただ一人。詠唱を担当する青年だけが、真っ青に青ざめて瘧のように体を震わせていた。
「おら! ボケッとすんな!」
 胸元から魔剣を取り出したシュラは、肩をどやす。
「アタシと一緒に唱えるんだよ! 『我らは常に汝らの為に祈りて』……!」
 口ごもりながら、青年が泣き出しそうな顔をした。全員が助かるためには、一人でも手が必要なこの時に……。ちぃ、と舌打ちする。その音に、堺が体をびくり、と震わせた。
「……するな……っ!」
 がぁ、と吼えて青年の体から、角が、牙が、そして耳が尖り、鋭い爪が伸びた。
「バカにするなぁっ!」
 滅茶苦茶に腕を振り回す。傍にいた出雲たちが叫び声を上げた。
「くそっ、悪魔堕ちかよ……っ!」
 思わず歯噛みした。ここで悪魔堕ちされるとは思わなかった。突然の豹変に、子供達が一瞬呆気に取られていたが、直ぐに冷静さを取り戻した。
「ちょ……っ、どないしはったんですか!」
 廉造が叫ぶ。その間にも、燐と雪男の攻撃から漏れた下級悪魔がわらわらと襲ってくる。
 完全に先行する二人と分断されてしまった。
「何の悪魔が憑いとるんですかっ!?」
「それが判りゃ、くろーはねーにゃあ♪」
 勝呂の疑問にわざとふざけて答える。そうでもしなければ、余裕を失くしてしまいかねなかったからだ。ほんの少し前も見えないほど、大量の悪魔が襲ってくる。押し包まれてしまいそうだ。
「なに余裕かましてるんですか」
 銃声が轟いたかと思うと、悪魔たちの襲撃が鈍った。その隙を突いて、青い炎が悪魔の幕を切り裂いた。双子が戻ってきたのだ。
「大丈夫かよ?」
 人の心配をして、刀を振るって次々と敵を切り伏せていく本人の方がよっぽど悪魔にたかられているが。
「よくやった」
「全然こねーからさ、戻ってきたんだよ。とにかくこいつらぶった斬りゃ良いんだろ?」
 この単純さはこういう時には有難い。そうだ、と言う前に、本人は既に勢いをつけて宙に飛び上がっていた。重力を無視したような滞空時間を良いことに、剣を盲滅法に振り回す。青い炎が尾を引いて舞い、触れた悪魔が焼き落とされていく。全く、あのいい加減な剣法は帰ったら特訓してやっからな。
「堺っ!」
 シュラが青年の名前を呼ぶ。たぶん返事はないだろう、そう思いながら。青年が何に怒り、何に悩み、何を思っていたのか判らない。だが。
「ビビんなっつったのによ……」
 おそらくは付け入れられた隙はそこだろう。
 悪魔はどんな甘言を囁いたのか。彼にはその言葉が相当に魅力的に写ったのだろう。耳を貸す価値があると思い込んでしまった。
「シュラさん、策はっ?」
 雪男がゴブリンに加えて、引き寄せられてきたらしい魍魎《コールタール》を、聖水で一気に祓う。
「分離する」
 乗っ取られてどのくらい時間が経っているのかが判らない。悪魔の特徴を出したのがついさっきでも、長い間悪魔の言葉に耳を傾けていたとしたら、青年を分離するのも時間がかかるかもしれない。最悪、分離することも出来ないかもしれない。
「……了解」
 同じことを考えたのだろう、一瞬戸惑った雪男が聖銀弾から麻酔弾に弾倉を入れ替えた。スライドを引いて銃弾を薬莢室に送り込む。
「お前ら、そいつを足止めしろ!」
 青年だった悪魔は、ワケの判らない言葉を口走りながら両手を振り回して暴れている。シュラの指示で、勝呂と子猫丸が緊縛の真言《マントラ》を唱え始める。出雲もその傍で使い魔に神酒を出させていた。
 降りかかった神酒が青年の身体に取り憑いた悪魔に容赦ないダメージを与えた。体が縛り付けられたまま、一際大きな雄叫びをあげながら身体を捩る。
「こらえろ!」
 シュラは檄を飛ばした。候補生たちには無茶を言っていると思う。でも、これは訓練ではない。悪魔の前で諦めたら、こっちがやられてしまう。
 雪男の撃った銃弾が、堺青年の胸にどすんと命中する。銃撃の爆音が洞窟の中に響き渡った。衝撃波に空中を漂っていた黒い群れがゆらりと波打つ。燐の炎を纏った剣がそれを切り裂いて、波のように青い炎が一瞬燃え広がって消えた。
「雪男!」
「麻酔だよ!」
 燐の焦ったような問いに、雪男が弾倉を換えながら怒鳴り返す。万が一を考えた雪男の行動は、ある意味冷酷でもあるが、祓魔師としての勤めでもある。シュラはちらりとそれを見て、すぐに青年の方へ意識を戻す。悪魔に取り付かれた祓魔師は痺れたように身体をぶるぶると震わせて、均衡を崩した身体をふらりと揺らした。シュラはすかさず駆け寄って、十字を切りながら聖典の一説を唱えた。
 絶叫があがる。尾を引くように青年祓魔師の叫び声が木魂しながら洞窟の奥へ消えていく。苦しそうに膝をついた格好で身を捩る。顎が外れそうなほど開いた口から、黒い霧のようなものが勢い良く噴き上がった。
「燐! コイツを斬れ!」
「任せろ!」
 燐は一足で高く飛び上がり、塾生達の上を軽々と飛び越える。そのまま空中で身を捻って刀を振りかぶると、口から吐き出されて空中にしばし躊躇うようにわだかまった霧を真っ二つに切り裂いた。霧に触れた青い炎が燃え広がり、押し包んで跡形もなく燃やし尽くした。
 堺は力なく地面に倒れ伏してそのまま気を失った。
 
「ビックリさせんなよな……」
 しえみに続き、またこのパターンかよ、と燐がぶつぶつと文句を言う。雪男が撃ったのは麻酔弾だったが、針の部分に聖別した銀が塗ってある。
「コイツ死んじまったかと思った」
 はぁ、と燐が安堵の溜め息を吐いた。
 気を失ってしまった青年を、燐が背中に担いで出口を目指していた。青年に取り憑いた悪魔を滅した後、凶暴化していた下級悪魔たちはすっかり鳴りを潜めていた。燐に言わせれば、ずっと遠くの方で小さくなっているらしい。
「ばぁか、こんなんでビビんな」
 前を歩いていたシュラは、厳しい口調で燐にデコピンを見舞った。
「いってーな!」
「お前も殺すしか手がない、と決断しなきゃならねぇ時がくる。いつか必ず」
「人を救うのが、祓魔師だろ」
 燐が不満そうに口を尖らせる。この少年は人の死を恐れている。
「意識も命も尽きて尚、悪魔が憑いている場合は、身体と共に悪魔を滅するしかない。それだけ深刻な状況もある」
「だけど……!」
「殺してやるのが、唯一の救いの場合もあるんだよ。ガキ!」
 ごつん、と拳骨を喰らわせた。
「それが祓魔師になるってことだ」
 シュラの後姿を、睨むような目で燐が追った。が、すぐに目を逸らして黙り込んだ。文句でも何でもあるなら言えばいい。
「雪男、お前もそう言うときがあったのか?」
「……。諦めたくはない。でも仕方ない時もある。誰も平気でそんな決断を下すわけじゃないよ」
 雪男が苦い声で答える。任務に出たての頃から、彼は何度も厳しい決断を迫られる場面を見てきた。最年少天才祓魔師なんて呼ばれている少年が、決断しなければならなかったこともあったと聞いている。そう、誰だってそんなこと平気でしちゃいない。それでも、ある程度のところで割り切らなければならないことも判っている。でなければ、祓魔師などやっていられない。
「そうか……」
 燐はぼそりと洩らして、黙り込んだ。
「コイツは助けられた」
「助けられる時は全力で助ければいい」
 そうだな、と燐が小さく答える。納得できないけれど、それでも仕方ないのも判る、と言わんばかりに複雑な表情だ。
「もし、そんな時が来ても、俺やっぱり諦めらんねーかも……」
 雪男は兄の顔をちらりと見て、複雑な顔をした。どっちも甘い。大甘だ。
 と、後ろから叫び声が上がった。
「志摩さんっ!?」
 子猫丸の慌てたような声がする。
「どうしたんだ!?」
 何事かとそちらを向くと、廉造がわあわあと喚きながら、背中を掻きたいのか両手を振り回して、身を捩っている。奇妙な踊りでも踊っているみたいだ。
「虫よ。背中に入ったらしいわ」
 バカバカしい、と出雲が斬り捨てた。勝呂が力ずくで廉造を押さえつけて、子猫丸がシャツの中から手足が長くていかにも高く飛び跳ねるのが得意そうな虫を引きずり出した。
「ああ、悪魔よりタチが悪いわぁ」
『お前の騒ぎっぷりの方がタチが悪い』
 廉造のボヤキを宝が混ぜっ返した。
「アレ助けんのは大変そうだな……」
 燐が苦笑いしながら洩らした。
 まったく、先が思いやられるよ、とシュラがそんな燐の顔を見て溜め息を吐く。そーいうむず痒いくらい甘ちゃんの所もキライじゃねーけどな。
 そんな未熟者をどうやってシゴいてやろう、とシュラは特訓のメニューを考え始めた。
 
 

–end
せんり