陳ね者

 廉造視点の奥村兄弟です。
 
 前々から、実は廉造って…と思っていたのですが、今月号のSQを読んで、やっぱり!と思ったのでこんな廉造になりました。
 
 コミックス待ちの方もいらっしゃるかと思いますので、ちょっとオブラートに包んだ感じに言ってみました^^;
 

【PDF版】陳ね者

 
 
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 教会の扉を開けると、ふわりと香の匂いが漏れる。その香りを嗅いだ途端、奥村燐は眉根を寄せてうへぇ、と言う顔をした。
 ホンマ正直やなぁ、と小さく笑いながら、志摩廉造は入り口の広間をぐるりと見回す。建築様式には詳しくないが、統一されて凝った意匠があちこちに施されている。
「はぁ、立派なもんやなァ…」
 感心したような呟きが、高い天井に小さく反響する。それを聞いた奥村雪男がにこりと笑った。
「ここはかなり昔からある教会だそうですからね。この建物も大正時代のものだとか」
 ほぉーん、と声を上げた次の瞬間、閃いたことがあってニヤリとする。
「若センセ、そないに由緒のある教会が依頼してくるて、おかしいんちゃいますか?そもそも教会に悪魔がでるっちゅーんもけったいな話ですわ」
 燐が驚いたような目で見る。雪男は苦笑して、しー、と口に指を当ててみせた。
「志摩君。その疑問はこの先では口にしないでくださいね」
 抑えた声で注意される。
「一応極秘で、と依頼されていますし。こちらも気にされているようなので。特に今はね」
 廉造は予想通り何か事情があるのだ、と思う。判らない顔をしているのは燐だけだ。
「なんでだ?」
「…兄さん、朝説明したじゃないか」
「そーだっけ?」
「にわとりかよ!」
 兄弟のやり取りを見ながら、廉造は思わず笑い顔になるのを止められなかった。
「いい、もう一度だけ説明するからよく聞いて」
 隣の県にあるこの教会は、その地域ではかなり古くからある教会だ。周辺の同じ宗派の教会にもかなり影響力があり、擁する信者数も相当な規模になる。また、近頃先代を務めていた司教の列福《れつふく》を要請し、その最初の段階である尊者《そんじゃ》となる調査が行われているという。そんな教会に悪魔が出没すると判ったら、具合が悪い。
 雪男の説明を聞いて、燐が口を尖らせる。
「あのね、兄さん…」
「れつふくってなんだ?」
「そこからかよ!」
 廉造は堪えきれずに笑い声を上げた。
 
 教会と言うのはいわゆる聖域だ。そんじょそこらの悪魔には近寄りがたい場所とされている。悪魔に憑依された人間などは教会に連れてくると暴れだす、と言うくらいだ。そんな場所から祓魔依頼があるというのは、教会そのものが真っ当でないと疑われるか、相当高位の――つまり非常に危険な――悪魔がしかるべき理由があって現れたと言う捉え方をされるはずだ。
 一方の列福調査は、はじめに教会が所属する教区、及び日本全体の組織で調査が行われて、最終的にヴァチカンの列聖省が調査吟味した上で決定する。
 ――内密に、言われても正十字騎士團はヴァチカンの下部組織みたいなもんや。教会で悪魔祓いした言うんも、すぐに判ることやと思うんやけどなぁ…。
 判れば相当な大騒ぎになるのは必須だ。廉造は必死に隠そうとする『誰か』の焦燥振りが逆に心配になる。
「では、行きましょう」
 雪男が改めて御堂への扉を開く。天井も高く、広大な礼拝堂だ。四列に並べられた会衆席が長く続く。その先に一段高くなって祭壇が据えられている。左手には天井に届きそうなほどの大きなパイプオルガンが鎮座して、正面には十字架を背にしたキリスト像がある。珍しく磔刑姿ではなく、おだやかな表情の像である。御堂の両側の壁には、ステンドグラスを填め込んだ窓が、外の明かりをさまざまな色に変えて、床に光を落としている。
「奥村君、教会は平気なん?」
「おう、別にヘーキだぜ?」
 確かに悪魔である燐は、平然としている。燐だからなのか。それともこの教会の聖性が既に失われている、と言うことなのか。
「この匂いがあんま好きじゃねーけどな」
「お香の匂い?なんか効果あるんやろか」
「んーーー…?」
 ふむ、と考え込んだ燐が、次第に首を傾げる。
「単に香りが嫌いなんでしょう。香を焚く行為は敬意を表すもので、香そのものが悪魔を祓うことはありませんしね」
 燐までがなるほど、と頷く。雪男がそれを見て、思わし気に小さく溜め息を吐いた。
 ――ま、澄ました顔してはるよりおもろいけどな。
 廉造はこの兄弟のやり取りを笑って見ているか、燐の尻馬に乗って、雪男が怒ったり慌てたりする様を楽しみにしている。常に沈着冷静と言った風情の雪男は唯一、燐のことになると途端に冷静でなくなるからだ。自分でも趣味が悪いとは思うが、同級生でありながら、講師であり、先輩祓魔師《エクソシスト》でもあり、かつ優秀で真面目一辺倒、誰とでもそつなく付き合っている、隙のない雪男を見ていると、どうしてもそんな状態を崩してやりたくなる。
 ――俺らまだ十五でっせ?今からそんなんしてたら、疲れますやろ?
 言動のせいもあるだろうが、実際同い年の自分たちより、よほど陳《ひ》ねていると思う。
 そんなことを思いながらぐるりと見回すと、祭壇の近くに数人の姿があった。
「誰だろ?」
「さぁ、教会の方やろか」
「ああ、司祭様と調査委員の方たちでしょう」
 会衆席の間の通路を通って、三人は祭壇に近付く。
「お話中申し訳ありません、滝本神父様でいらっしゃいますか」
 雪男の声に、初老の男がびくりとする。突然現れた子供たちに、神父と話していた中年の男性二人が訝しげな顔をする。
 一礼した雪男が簡単にウソの事情を説明する。極秘にと依頼された以上、本当のことを話すわけには行かない。雪男のそうした心遣いにもかかわらず、滝本神父と呼ばれた男はなんでもない顔を装っていたものの、目が泳ぎっぱなしで、顔に汗を一杯掻いていた。
 ――あーあ、そない汗掻いとったら、後ろ暗いてバレますえ。
「皆さんはこちらでお待ち下さい。直ぐに事情が判る者を寄越しましょう」
 そう言って神父が男たちを追い立てるようにそそくさと礼拝堂から出て行った。
「バレバレですわ」
「スゲー汗かいてたな」
「そりゃそうだろうね」
 雪男がぼそりと感情の感じられない声で呟く。
「お前、どうしたんだ?」
 燐の問いへの答えは聞けなかった。その前に先ほどの滝本神父が別の男を一人連れて帰ってきたからだ。
「極秘にとお願いしたはずです。困りますよ…」
「こちらの教会のことは申し上げていません」
 雪男の表情が一変する。滝本神父の気弱そうなクレームに対する雪男は、口にした言葉が端から凍って行きそうなほど冷たかった。
 ――怖い顔しはりますなぁ。
 これまで何度も任務に同行したことがあるが、依頼主にそんな態度を取る雪男を見るのは初めてだった。廉造はそんなにこの神父が嫌いか、と不思議に思う。
「さっさと終わらせた方が良いでしょう。案内をお願いします」
 雪男の言葉に、神父とともに来た男が進み出た。
「こちらは神学生の根本くん。彼に聞いて下さい」
 神父は君付けしたが、年齢は三、四十代の男性だ。後は任せたよ、と滝本神父がそそくさと立ち去る。
「根本です」
 一人取り残された男が、一礼して祭壇脇にある扉の方へ三人を招いた。
「こちらです」
 扉を開けて手招きする先を、雪男が幾分顔を強張らせて見た。足がぴたりと止まる。
「どうしたんだ?」
「どないしはったんですか?」
 なかなか部屋の中に入ろうとしない祓魔師を見た廉造が固まった。
「わ…、若センセ?なんか…、怒ってはります?」
 ――めっちゃ怖い顔してはる…。
「ここ…」
 雪男が低い声で尋ねる。
「はい。この香部屋です」
 ――この部屋になんぞあるんかいな?
 香部屋は、典礼の間に香炉の火種を取り替えるために出入りした小部屋が起源だ。現在では香だけでなく教会での儀式に使われる道具、司祭の祭服や典礼書などを保管し、儀式の準備をする部屋を指す。
「どうかされましたか?」
「…まったく…、拠りによって、ここですか」
 雪男が低い声で唸るように言う。
 廉造にはさっぱり何が何だか判らない。だが、雪男が物凄く怒っているのは判る。体中から怒りのオーラが立ち上っているような幻覚が一瞬見えたような気がした。
「ちょ、奥村君…、若センセ、大丈夫なん?」
「あー…、ヤバイかもな…」
 燐も流石にあんなに怒ったアイツは見たことがない、と諸手を挙げる。神学生の根本も、急に雰囲気の変わった少年祓魔師に驚いている。
「根本さん、神父様をお呼びしてください」
 雪男が有無を言わせない口調で命じた。
 
 
「つまり、神父はあの部屋で、ちっさな男の子にいたずらしとったと…」
 しょーもな、と廉造が呟く。
 日の暮れた教会の外では警察車両が止まり、回転する赤色灯が物々しい雰囲気を出している。近隣の住人が野次馬のように集まってきて、警察に押し返されていた。雪男は調査官に囲まれて、何事か喋っている。
 燐と廉造は所在無げに教会の階段の下に座り込んでいた。
 滝本神父はミサの手伝いをする侍者役に、信者の内から小学生低学年までの少年ばかりを選んでいた。そして、色々理由をつけて呼び出しては、香部屋で『いたずら』に及んでいたらしい。それが露呈しなかったのは色々と言葉巧みに言い含めて、逆らうことに罪悪感を植えつけていたためのようだ。
 しかし、その内の一人の少年が死んでしまった。原因は神父ではなかったようだが、結果として幽霊《ゴースト》に憑依され、教会の香部屋に現れてしまったものらしい。
 その少年も神父への恨み言と言うか、文句を二、三述べた後は、結局雪男の説得と聖水で祓われた。一方の滝本神父は情けないほどに取り乱た後、あっけなく自ら罪を告白してしまった。その現場に立ち会った調査官たちは、戸惑ったような呆れたような顔をしていた。
「それにしても、なんで若センセ、すぐに判らはったんやろ」
「あー…、あの神父。昔ウチの修道院に居たんだよな。さっき思い出したわ」
「え…?ま、まさか…」
 悪いことを聞いてしまったのではないかと廉造が焦る。が、燐の方はあっけらかんとしたものだ。
「俺に悪魔が入り込んでる、とか言いやがったことがあってさ」
 少しばつが悪そうな顔をする。
「丁度そん頃、幼稚園でも似たこと言われててよー。スゲーあったま来て腹に一発食らわしたら、すぐ修道院辞めてったんだよなー…」
 殴ったことを恥じていたのか。恐らくいたずらの意味がどう言うことかも判っていない年頃だったのだろう。今なら、何となく判る。
「それは殴って正解やと思うで。…それでもいたずら辞めへんかった神父も神父やな。業が深いわぁ…」
 流石の廉造も呆れる。
「まぁ、気ィ付かんと、先代もよう教会譲らはりましたなぁ…」
「教会は世襲ではありませんからね。表向き資格と実績があれば、任命されてしまいますから」
 調査官たちから解放された雪男が、廉造の独り言に応える。司祭は妻帯を許されていないため、そもそも子供が教会を継ぐという事態は起こりようがない。また、教会そのものも司祭や司教が所有するのではなく、日本におけるカトリック教会を束ねる組織から任命される。そのため司祭によっては数年置きに異なる地域の教会に任命させられたりもする。
「雪男…。お前も、よく判ったな」
「ああ、昔ウチでもあの人は問題になったからね。兄さんに殴られて、完全に罪が露呈したってワケさ。破門された後、ずっと海外に行っていたらしいよ」
 雪男は先ほどとは打って変わって穏やかな顔だ。
「あの人に関する報告書は出してあったみたいだけど、海外の神学校出て司祭の資格を取って戻ってきたときには、十何年も経っていたってこともあって、どうも確認もザルだったみたいでね。どうやらすり抜けちゃったみたいなんだ」
「お前は…、大丈夫だったのか?」
「大丈夫?」
 躊躇うような燐の問いかけを、雪男がきょとんと聞き返す。
「だから…、アイツになんかされてねーだろうなってこと!」
「ああ、それはないよ」
 変な人だし、嫌いだったから近寄らなかったんだ、とあっさりと応えた雪男に、燐は安堵の表情を浮かべるが、直ぐに顔を引き締める。
「お前スゲー怒ってただろ」
「当たり前だろ。拠りによって兄さんに手を出そうとしたんだ」
 先ほどまで纏っていた穏やかな空気が、一瞬にして変わる。急激にそこだけ冷え込んだようだ。
 ――あかん、まだ怒ったはる…。
「と…、ところで、調査の方はどないならはったんでっか?」
 廉造の問いかけに、雪男の雰囲気ががらりと変わる。兄に関して以外は、本当に呆れるほど冷静だ。
「ああ、先代の時にはほぼ問題がなかったようですし、申請自体も信者さんの強い要請から出たことで、神父は纏めただけのようですしね。調査はそのまま続行されるようです。ただ、教会自体は暫く大変でしょう」
 雪男が教会を見上げる。釣られて燐も廉造もどんと構えた建物を見る。傾いてきた陽の加減もあるのか、歴史ある荘厳な祈りの館も、なんだか今はただ薄汚れた建物に思える。そんな風に思うのは、自分が信徒ではないからなのか、あるいは勝呂や子猫丸ほど、熱心な信仰が自分の中にないからなのかも知れない。
「…あの子、納得してたか?ちゃんと救われたのかな…」
 燐が教会を見つめたまま、ぼそりと呟く。
「……そう、…うん。多分ね」
 雪男が同じように見上げたまま、曖昧に答える。
「なんだそれ」
「…どう言うことなのか、あんまり良くわかってなかったみたいなんだ…」
「…そっか…」
 兄弟の間に沈黙が落ちる。二人してあらぬ方向をぼんやりと見るともなく見つめる。暫くして、雪男が口を開いた。
「…判るように言っても、きっといい気持ちはしなかったと思う」
 だから、行くべきところへ行くように説得して祓ったらしい。迷うように、雪男の目線が足元に落ちる。
「…。ナニしょんぼりしてんだよっ!」
 ばしん、と燐が雪男の背中を叩く。
「いった…、痛いな!なにするんだ!」
「お前がそう思ったんなら、それで良いよ」
 にか、と燐が笑う。怒鳴った雪男もその燐の顔に勢いを削がれたのか、小さく微笑んだが、直ぐに真面目な顔に戻した。それでも、最前までの強張った表情は伺えない。
「急に兄貴ぶらないでくれる?」
 メガネを押し上げながら言う雪男の台詞は、自信から来るのではなく、燐に対する負け惜しみなのかも知れない、と思う。
 先に祓魔師《エクソシスト》になった雪男は、これまでに色々な現場を見てきただろう。その中から培って来たであろう、彼なりの譲れないところや、割り切り方も、納得の仕方もある。そこには燐の許可や励ましなど要るはずもない。
 それでも。
「なんだよ!凹んでたじゃねーか」
「別に凹んでない」
 ただ甘やかして欲しいのでもなく、喧嘩もする。お互い譲れないものはあるし、考えが違うのも判ってるけれど。たった一人の肉親である燐は、何があろうと自分をただ無条件に受け入れてくれる存在なのだと、時に確認したくなるのかも知れない。
 ――俺ら、まだ十五でっせ?そないに大人ぶらんでもええのと違いますか。
「意地張んな。何なら兄貴の胸、貸してやっても良いぜ?」
「イヤ別に要らないから」
「人の親切は素直に受けろよ、メガネ」
「親切を押し付けられる意味が判らないよ」
 変な言い合いをする兄弟を見ながら、雪男の先ほどの激昂振りを思い出して、廉造はからかうんも加減は必要やな、と一人ごちた。
 
 

–end
せんり