モイライの糸

 初のシュラ視点です。
 シュラやエンジェルに関してはこれから色々明らかになるだろうと思いますので、暫くしたらやっちまってる内容になるかもしれませんが。
 シュラは誰かの思惑通りに動くのを嫌う人のような気がします。燐や雪男だけじゃなく、他の人に対しても、必死にもがいてる人とかが好きだし、そんな人を放っては置けなそうです。そんな人だったらイイなぁ、と思って書いてみました。雪男と燐との関係では、危うい彼らを見守るお姉さん的な感じの立ち位置で、彼らが互いにラブなのもしょーがねーなって生ぬるく見守りながらも、いい肴にしててくれそうな気がしてます。
 
 

【PDF版】モイライの糸

 
 
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【モイライ(Moirai)】ギリシア神話の運命の女神たち。(中略)クロト(紡ぐ者)、ラケシス(分け与える者)、アトロポス(曲げ得ない者)と呼ばれ、各人のために運命の糸を紡ぎ、糸巻きに巻き取り、断ち切るとされた。(後略)

―ブリタニカ国際大百科事典

 
 ふあ、と大きな欠伸をして、霧隠シュラはのそのそと布団に起き上がる。
 しょぼしょぼする目でカーテンの隙間から漏れる光を見つめた。紫色に染まった弱い光は、日が昇りきらない、それでも確実に夜が明けてきたしるしだ。しばしそのままぼんやりとして、頭が覚醒してくるのを待つ。
 異変を察知する部分だけは、切り離されたように常に研ぎ澄まされている。
 今の状態で誰かが迂闊に近寄りでもしたら、敵味方を確認する前に、速やかに相手の命を奪っているだろう。それが未だ眠気の去らない体や感情の部分と改めて融合するのを待つ。
 少なくとも今は安心して寝ていられる布団と屋根があると言うのに、そこだけは変わらない。変えられなかった。
「あ~…、ったく…」
 シュラはぐしぐしと苛立たしげに目を擦る。ヤなこと思い出しちまった。
 昨晩のメフィストとのやり取りが思い出される。京都でも追求しそびれたが、今回ものらりくらりとこちらの質問をかわされたのが、気に食わない。むかっ腹のそこへ、ヴァチカンの三賢人《グリゴリ》から狙ったように、グチグチと説教の電話だ。
「サタンの仔の監察が進んでいない理由は何か」
 彼らが求めているのは進捗が上がらない理由ではなく、奥村燐とそれを庇うメフィストを断罪するのに必要なしっぽを掴むことだ。
 上辺で何を言おうと、結局彼らは悪魔を信用していないのだ。
「…ふて寝してぇ…」
 徐々に眩しさを増す朝の光が、自分を真っ二つに斬り裂くかのような痛みに感じられる。寝しなに飲んだ酒が残っていて、そう感じるのかも知れない。
『お前の使命を忘れるな』
 三賢人の言葉だ。燐はともかく、正十字騎士團などという組織よりも遥か昔から存在している悪魔、メフィストが簡単に人間に殺されるとも思えない。それどころか、彼の指先一つで捻り潰されかねないのは、人間の方ではないか。だが、その力の彼我を認識していないのか、本部の上層部は無茶な成果を求めてくる。
 ふん、と鼻を鳴らす。
「躍らせてるつもりが、躍らされてるかも知れねーってのに」
 メフィストは何かとんでもないことを考えている。それがどう進んでいくのかを、正十字騎士團の名誉騎士《キャンサー》と言う特等席で見たいだけなのだ。
 んなもん、巻き込まれるのはゴメンだ。だが、今更放り投げるワケには行かない事情がある。
 思い切るように頭を振るうと、日課のトレーニングを始めた。
 
 
 シャワーの水気をいい加減に拭いながら部屋に戻ってくると、サイドボードに置きっぱなしにしていた携帯電話に着信を示す点滅が見えた。
「誰だよ、こんな朝っぱらから」
 画面を確認すると、留守番電話が入っている。
『本日零時。ヘリポートで』
 現聖騎士《パラディン》、アーサー・O《オーギュスト》・エンジェルからの呼び出しだった。厳密に言えば、彼の部下と言うか手下と言うか。腹立たしいくらいに寡黙で、純粋培養のお坊ちゃまに心酔しきっているプルギニョンが吹き込んだメッセージだった。
「うぇっ。何のマネだ、あのハゲ」
 彼らと、この世の地獄と言える境遇で育ってきたシュラとは根本的に相容れない。
 ったく、ヴァチカンに呼び出して何しようってんだ。しかも、ヘリポートはヴァチカン市国の西端にある真っ平らな土地だ。サン・ピエルパオロ大聖堂の地下にある本部や、他の施設に巧妙に隠された正十字騎士團の施設でもない以上、不穏な出来事を予想してしまうのは、別に警戒しすぎでもないだろう。
 しかも、当然のようにヴァチカンの時間で指定してくる辺りが気に食わない。こっちは朝の七時だっつの。ナニが悲しくてそんな朝っぱらから、虫の好かない顔を見なければならないのか。
「誰が行くか」
 上司命令かなんだか知らないが、そんな不穏な命令は無視しておくに限る。
「用があるなら、てめえで来いってんだ、ハゲ」
 シュラはにやりと笑うと、ボタンを操作して録音されたメッセージを消去した。
「さぁって、今日もガキどもをシゴいてやるかにゃぁ♪」
 『青い夜』以降、サタンに纏わる秘められた事柄を調査すること。またそれがサタンに纏わるものであると断定できた場合はそれを即時排除すること。
 シュラが日本支部に派遣されてきた理由だ。一旦はその事実を突き止めたシュラだったが、彼女の師匠であった藤本獅郎が『聖騎士』の地位を投げ出しても守った存在があまりに未知数すぎて、彼女はヴァチカンへの報告を先延ばしにし、自らメフィストの手の内に入り込んだ。
 と言っても、秘されていたはずの事実は、本人、つまりサタンの落胤である『奥村燐』が簡単に存在をバラしてしまう。
 考えなしにもほどがあると呆れている所へ、更に弟子にして欲しいと頼み込まれてしまった。
 祓魔師とは悪魔にとって天敵のようなもの。それが自らを滅ぼすはずの祓う側になりたいと望んだ。悪魔の出自を拒否しながら、それでも悪魔である自分を認めなければならない。どれほどの苦しみになるのか、本人ですら判らないだろう。
 『笑えるぞ』
 師であった藤本獅郎の言葉を思い出す。
 ああ、ホント。そう言うヤツは嫌いじゃないぜ。アンタと同じでさ。
 今の彼女は、正十字騎士團日本支部に配属された祓魔師であり、祓魔塾の講師。更にヴァチカン本部からの監察官の立場でありながら、同時に日本支部とメフィストを探る密偵でもあり、サタンの仔の師匠でもある。あっと言う間に面倒な立場になっちまったぜ。
 講師である彼女が受け持つのは、『魔法円・印章術』、『魔剣』の講義だ。
 教える、と言うよりも実戦が好みの彼女は、生徒のほとんどが予習復習を欠かさない優秀な生徒ばかりなのを良いことに、実戦形式を貫いている。出来て当たり前、出来ないのは生徒が悪い、そう言う授業だった。
 その中で、今や彼女の弟子になった奥村燐は、不思議な生徒だ。
 って言うか、あの双子。どっちも残念すぎで、笑えるっつーの。どんな育て方したんだよ、獅郎。
 心の中で、彼らの育ての親に悪態を吐く。
 兄は本当の意味でバカではないけれども、勉強や頭を使うことはからきしダメ。主に本能と勘だけで動いている。ついでにすっとぼけた方向にものすごく鈍い。候補生《エクスワイア》として実戦任務に参加しているが、余計なことに首を突っ込みたがる。それが良いほうに転べば良いが、大抵は考えなしに突っ込んで行って、ムダに騒ぎを大きくすることの方が多い。
 弟の方は最年少で祓魔師になった天才少年と呼ばれている。確かに子供らしくなく冷静で、性格に遊びのない生真面目な少年だ。流してしまえば良いようなツマラナイことも几帳面に全て拾い上げて、自分で勝手に疲れて、壊れていくタイプだろう。しかも、その壊れ具合が周りに丸判りなのだが、自分では上手く隠せているとナマイキに思い込んでいる。ちょっと突っつくと、過剰に怒ったり突っかかってきたりするのが、シュラにとってこの上なくいい玩具だった。
「対照的過ぎんだよな」
 どのビキニを身に着けようかと、引き出しを引っ掻き回しながら、足して四くらいで割ってこい、と思う。
 それを出来ないで居る彼らを含め、塾生全員に適度に気を抜かせ、緊張させておくのも、講師の務めだ。
「そういや、今日は魔剣の授業ばっかりか」
 ちょいと暴れるか。講師らしくない考えに落ち着いたシュラは、凝ったレースのビキニを選び出した。
 
「そらどうした」
 シュラが腕を横へ薙ぐと、対峙していた少女の手から木刀を弾き飛ばした。神木出雲が腕を押さえて蹲る。
「最後まで気を抜くな」
 するり、と音もなく息が掛かるほどに近づくと、ひたりと木刀の刃の部分を首元に突きつけた。
「…っく…」
 麿眉毛の少女が、顔を青ざめさせながらシュラを睨んだ。
「木刀を取り上げられたら終わりなのか?お上品な試合じゃねーんだぞ?ん?」
 き、と一際きつくにらみ付けた少女は、シュラを突き飛ばしながら自分も飛び退ると、ポケットから魔法円を取り出して使い魔の白狐を呼び出そうとする。
「ハイ、残念」
 そのわずかな隙に彼女に迫っていた講師が、ひょい、と両手にした紙切れを取り上げた。
「いーとこ行ってたけどな、もーちょいだにゃ♪」
 魔法円を返しながら、頭をぽすぽすと叩く。祓魔師としての力もあるし、マジメで教科の出来も、筋も良い。そんな少女は騎士《ナイト》を目指してもいないし、おそらく最後の選択肢になるであろう剣を覚えさせる気もなかった。だが、剣との闘い方は知っておくべきだ。
 一年生の内、騎士の取得を考えている候補生は奥村燐だけだ。だが、他の候補生たちも剣を持ったモノと対峙する可能性は幾らでもある。覚えこめる知識を全て叩き込んでから、現場に送り出される訳でもない。
 自分の手持ちで「なんとかする」ことに早く気付いてくれよな。んで、アタシに楽させてくれ。
 もともとマジメで素質のある生徒が多い一年生だ。きっかけがあれば後は自分で勝手に伸びていくだろう。
 シュラと彼女の授業に関しては、他の学年の生徒たちからは
 『いい加減』、『不真面目』、『厳しすぎる』
 と笑えるくらい不評だ。流石に時々メフィストがちくりと釘を刺してくる。だが、彼女は気にしなかった。全てが教えてもらえると思っていたら、自分で自分の首を絞めて行くだけだ。
「次はどいつだ?」
「ポロリとかありそうやなぁ~」
 アホか、と隣に座っていた勝呂竜士にどつかれながら、志摩廉造が暢気に手を上げた。ピンクに近い茶髪をした少年は、明陀宗の血筋に生まれ、彼らの代表的な武器でもある錫杖を常に携帯している。明陀宗は祓魔に特化した仏教系の宗派で、京都出張所の職員のほとんどを占める。そのなかでも明陀宗で言う所の『戦闘員』であり、かつ彼らを纏める幹部の地位を世襲してきた家柄の子供だ。
 京都から一緒に入学した少年たちの中でも一際不真面目で、異性への興味を隠しもしない。
 とはいえ、今はつまらない冗談を聞いている場合ではない。シュラは静かに闘気を立ち上らせた。
「…なさそうやなぁ…」
 運動場の中央へ進み出てきた廉造が、流石に青ざめる。その顔を見たシュラが、ふっ、と小さく笑うと、動いたとも見せずに次の瞬間には少年に迫っていた。
 木刀が空気を切る音をさせて、廉造の目の前を通り過ぎる。
「わっ…!ちょ、センセ!あかんて…!」
 あわあわと慌てながら、廉造が逃げまどう。
 この少年は、奥村燐と並ぶ残念な生徒だ。だが、残念度合いが違う。廉造は『ワザと』本気を出さない。世襲を重んじる環境に生まれ、否応なしに自分の将来が決まっていることに、不満と迷いを持っている。不真面目なのはそれを隠すためだ。同級生たちはまだ誤魔化されているようだが、シュラを騙しおおせると思ったら大間違いだ。京都遠征では少し抱えていた迷いを吹っ切ったと見えたが、まだ心の中では正直揺れているのだろう。
 場違いなほどの不真面目な態度と冗談で、真剣さを誤魔化してしまうのは別に良い。シュラもどちらかというとそんな『ヒネ』た人間だ。
 だが、迷ったままではいられない。少年は早晩決断を迫られる。特に命の危険があるこの世界では、いずれ己の迷いで自らだけでなく他人を危険に巻き込む可能性もあるからだ。
 全てを捨てるか、飛び込むか。早くと言ってもそう簡単には行くまい。なら、せめて今は迷うなんて余裕を失くしてやろう。
「オラ、どーした♪」
 端からはイジメか、シゴキにしか思えないような勢いで廉造を責め立てる。木刀でかろうじて受ける廉造は、アカンて、死んでまう、と半べそをかいていた。ごつり、とシュラの振り下ろした木刀を廉造が受けて鍔迫り合いになる。息が掛かりそうなほど近くで、シュラは囁きかけた。
「オマエ、このままだとマジで死ぬぜ?」
 すっと顔色を無くした廉造の足を払い、仰向けに倒れ込んだところで、裂帛の気合いとともに木刀を降り降ろす。
 廉造が息を呑んだ。
 木刀が彼の喉元で寸止めされたからばかりではない。小さな布切れしかつけていないシュラの大きな胸が、鼻先を掠るほど近くで大きく揺れたからだ。ぽかんと口を開けてるクセに、視線がきっちりと胸の動きを追う。
 こいつ…。
 『エロ魔神』呼ばわりされる少年の執念だろうか。
 命を奪われるかもしれない瞬間にも視線が胸に釘付けになった少年に、ますますもっておかしくなってにやりと笑う。
「どこ見とれてんだ?」
「あ…いやっ、あの…」
 話しかけられたことは判っているだろうが、他のことを考えることも出来ずにいるようだ。顔を真っ赤にしながら、それでも目が胸に張り付いている。
「殺しちまうぞ」
 物騒な言葉をからかいの調子に乗せて吐く。だが、折角の脅しも少年には聞こえてないらしい。鼻からつぅ、と一筋血が垂れたのを見て、溜め息を吐いた。からかいすぎちまったか。
 前の時間に受け持った他の学年の男子生徒も、やはり胸から視線が離せずにあっさりと打ち負かされた。淫夢魔《サキュバス》でも出てきた日には、手練手管で骨抜きにされて、簡単に命を持って行かれてしまうだろう。まだお子様じゃしょうがねぇか。一つ溜め息を吐いてシュラは天を仰いだ。
「オラ、立て」
 シュラが胸倉を掴んで少年を引きずり起こすと、呆然としている塾生達へ体を放り投げた。慌てた勝呂竜士と三輪子猫丸が突き飛ばされた廉造の体をすんでのところで抱き留めた。
「ったく、お前ら魔剣の講義だからって、バカ正直に剣で向かってこようとすんな。殺してくださいって言ってるようなもんだぞ?」
 木刀を肩に担いで、挑発するようにニヤリと笑った。
「よーし、一太刀でも入れられたら今日の講義は終わりにしてやる。誰でもいいぜ?」
「ならばオレでも良かろうな?」
 男が一人運動場に踏み込んで来た。
 
 
 
 アーサー・O・エンジェルが、彼の部下プルギニョンを従えて歩いてくる。
 脛まで覆うコートは形が祓魔師のコートだが、真っ白だ。背中には翼の形に縫い取りがされたマントがはためく。左胸の階級証から右胸のボタンへかけて、眩しいほどに輝く金糸の飾緒《モール》が掛かっている。長い己の金髪と合わせたのだろう。左腰に幅が広く、長い剣を下げていた。首元から覗く黒地のネクタイは、結び目に白いラインの十字が見えるように結ばれている。そして白いズボンに白い靴と、白尽くめだ。眩しくて思わず目を逸らしたくなるほどの白と金。己の『エンジェル《天使》』という名前に引っ掛けているのか。
 シュラは、うぇ、と嫌な顔をした。
「何してんだ、ハゲ」
「オレはハゲてなぞいないぞ。お前こそ何故上司命令を無視した?」
 シュラから少し離れた位置で立ち止まる。
「命令?んなもん知らねーよ」
「プルギニョンが電話しただろう」
 名前を呼ばれた禿頭の大男が、主と少し距離を置いた位置から首肯する。
「ぐだぐだうるせーな、何の用だよ、クソバカ」
 だらりと木刀を左手に下げ、右手を胸の前にそっと寄せる。いつでも胸元の呪から魔剣を取り出せるようにだ。
「なに、久しぶりに手合わせでもしようと思っただけさ」
 なら、へんな時間にへんなトコに呼び出してんじゃねーよ。はっはっは、と高らかに笑うエンジェルにシュラが舌打ちをする。
「テメーの勝手でムリヤリ突っ込んでくんなよ」
 塾生達が二人の間に高まっていく緊張感に気圧されて、壁沿いに下がる。燐だけは白いコートを纏った青年に嫌悪も露わに身構えていた。全身の毛を逆立てて威嚇する猫のようだ。彼の自由気ままなしっぽがぶわりと膨らんで立っている。以前メフィストの懲戒尋問の場で、逃げられないように脚の腱を切られたことがあるから、そのせいだろう。油断なく白尽くめの青年を警戒しながら、今にも飛び出してきそうな少年を、他の少年たちが抑えたのを目の端に捉える。頼むから考えなしに飛び出してくるなよ。
「誰でもいいと、お前が言ったんだぞ?」
「お前塾生じゃないだろ。あ、降格でもしたのか?」
「面白い冗談だ」
 エンジェルがニヤリと笑い返すと魔剣を抜いた。幅が広く厚みのあるまっすぐな剣で先端が斜めに切り落とされている。刃と対比すると柄が極端に細く見えた。
「魔剣《そっち》でやんのかよ。メンドクセー」
 そう言いながらも胸元から同じように細身で反りのある日本刀の形をした魔剣を抜いて構える。
「いくぞ」
 青年が剣を正面に構えた。重そうに見える剣も片手で軽々と扱う。さすがに聖騎士になるだけあって実力は侮れない。するりと踏み出したかと思うとあっという間に目の前まで距離を詰めて来る。振りかぶった剣が本気でシュラを真っ二つに斬り割ろうと雪崩落ちて来た。シュラは敢えて懐に踏み込んで、足元へ転がり刃を避ける。
 まともに剣を打ち交わしたら、例え魔剣でも重みで折れてしまう。ごろりと転がりながら、視線を外さず足元から技を放つ。蛇牙《だぼう》と読んで字のごとく蛇の牙のように鋭い剣風が、エンジェルの体を引き裂くはずだった。が、重みで勢いのついたはずの剣を軽々と横へ薙いで、シュラの放った技をことごとく跳ね返す。
 その間にシュラが後ろにトンボを切って飛び退ると、体勢を直したとも見えぬ間に、地面を蹴り飛んで青年に襲い掛かる。横へ薙いだシュラの剣をひらりと上へ飛んでかわした青年が、音もさせずに彼女の背後に降り立つ。エンジェルが手を掴み取り、抗うヒマも与えずに後ろ手に捻り上げた。
「油断したのか?」
「なワケねーだろ」
「ではますます嘆かわしいな。この程度では監察官どころか、講師など務まらないだろう?」
「うっせーよ、ハゲ」
 ぴたりと首筋に剣があてられる。皮膚を押し切りそうなほど、肌に刃が食い込む。
「サタンの仔を鍛えているそうだな。そう悠長にしている暇はないかもしれんぞ」
 ひそりとエンジェルが耳元で囁いた。
 奥村燐の処遇は、ひとまず祓魔師認定試験に受かるかどうかが一つの期限になっている。だが、彼が炎を出し、我を忘れて暴れるようなことがあれば、即処刑の命が出る。京都遠征でも一旦は処刑が決定したくらいだ。ヴァチカン本部の上層部は、すぐにでも燐を殺してしまいたい、そう思っているのだ。
「今ここでオレがアイツを誅滅《ころ》してやってもいいのだがな」
「今は別に暴れてねーだろ」
「我々は命に忠実であれば良い。考える必要などないさ。それにお前も肩の荷が下りるのではないか?」
 含み笑いする聖騎士に無性に腹が立った。それでは人ではなく、ただの駒だ。メフィストだろうが、ヴァチカンだろうが、例え人が信じ縋る『カミサマ』だろうが、駒扱いされるのはゴメンだ。
「…ちっ、よけーなお世話だよ」
 首元に当たるエンジェルの魔剣、カリバーンに自分から首を押し付ける。鈍い痛みが走って途端に熱を持ったような痛みに変わる。刃で皮膚が裂けたのだ。
「お前、何をしている」
 シュラの行動の意味が判らなかったのか、彼女を押さえつける手から力が一瞬抜けた。それを逃さずシュラが素早く身を捻って戒めから逃れると、エンジェルの脚の間を蹴り上げる。咄嗟に攻撃を避けて飛び退ろうとする青年の腹を蹴りつけ、その勢いに乗ってトンボを切って離れる。首筋から流れた血を拭い取り、その指を剣の刃に滑らせた。
「蛇腹化《じゃばらげ》」
 シュラの魔剣に彫られた、魔眼の刻印が蛇の目のように開く。刃が二股になったかと思うと、蛇が這う様のように波打つ。変形により威力の増した『蛇牙』を放つ。体勢が崩れて不意を衝かれた聖騎士が辛うじて身をかわすと、運動場を横切って走り出した。
 彼の行く手には候補生たちが居る。意図をいち早く悟った候補生たちが燐を庇おうと聖騎士の進路からどかそうとする。押されながら燐が降魔剣を刀袋から出そうと慌てていた。
「てめ…っ」
 彼の意図を悟って、シュラが叫ぶ。彼はおそらく他の子供たちのことなど構いはしないだろう。前を塞げば雑草のように切り捨てる。だが、ヤツに向かって技を放てば、子供たちにも当たってしまうかも知れない。彼女も走り出しながら、ほんの一瞬だが迷った。
 候補生たちに迫る青年の足元で、びしり、と音がして地面に穴が穿たれる。飛び散った床の破片が辺りに跳ね返って、瞬時に身の危険を感じた白尽くめの祓魔師が足を止めた。
「…おせーぞ、雪男」
「呼ばれた覚えはありませんよ」
 運動場の競り上がった壁の上に、中一級祓魔師、燐の弟、雪男が銃を構えて立っていた。抑えてはいるが、肩が上下している。どこかから全力で走ってきたのだろう。ホント、お前らは…。可笑しくなる。兄は弟が大事で、弟は何より兄が大事。まったく、見てるこっちはくすぐったくてしょうがない。
「ヴァチカンの意向に叛くか?」
 聖騎士に銃を向けた雪男を睨みつける。
「処刑命令は撤回されたはずです。今兄に手を出す正当な理由はない!」
 雪男が激昂した調子で怒鳴る。声が壁に囲まれた運動場にうわん、と響いた。
「脅威の可能性を放っておく理由もないがな」
 白尽くめの祓魔師が不敵な笑いを浮かべる。
「やってみろ。地獄の底まで追いかけて、アンタをミリ単位で切り刻んでやる」
 音も立てずに壁を飛び降りた雪男が、生徒たちを背後に庇うように立って祓魔師を睨みつける。少年の指が引き金に掛かって、ぴくりと動いた。マジメな場なのに、これ以上の殺し文句があるだろうか、とシュラは笑い出しそうになるのを堪えた。まったく。一つ溜め息を吐いて気を取り直すと、エンジェルの前に立ち塞がる。
「地獄だと?聖騎士であるオレをか?」
 雪男の脅しなど怖くない、と言うように祓魔師が鼻で笑ってだらりと降ろしていた魔剣の柄を握り直した。
「動くな!」
 雪男がもう一発威嚇でエンジェルの足元に穴を穿った。
「僕は本気だ」
「取り返しのつかん事態になっては、お前たち二人の首でも足らんぞ」
 雪男は上司でもある祓魔師に引くことなく、まっすぐ睨みつけて動かなかった。ぴたりと金髪の青年の眉間に照準を合わせている。祓魔用の聖銀弾だろうが、人の身体に当たれば無事では済まないし、間近からではなおさらだ。祓魔用の銃を普通の人に向けることは禁止されている。そのタブーを犯してでも、兄を守るのだと言う気迫が陽炎のように立ち昇って見えたような気がした。
「どうやら分が悪いようだな。今日はこのくらいにしておいてやろう」
 ふっと笑い、雪男に向かって武器を構えていた部下に手を振って制すると、魔剣を鞘に収めた。
「相変わらず口だけは達者だな」
 シュラはまだ構えを解いていない。雪男もだ。遅ればせながら燐が降魔剣、倶利伽羅の鞘に手をかける。
 目の前の青年は分が悪いと言うが、正直な所雪男と二人掛かりで真正面から向かって行っても、敵うかどうか微妙な所だ。だが、それでも強気な口を叩かずにはいられない。塾生達ももちろんだが、燐と雪男を守らねば。
 ったく、獅郎のヤロー。
 こうなることを遥か昔に読まれていたような気がする。アタシは面倒は嫌いだっての。燐の話を聞かなければ。いや、そもそも獅郎に会わなければ、こんなことにはならなかった。
 いや、違う。
 シュラはエンジェルに向けたバカにするような笑いを、自嘲的な思いで更に歪める。
 アンタに助けられた時から、こうなることは決まってたんだろ。きっと。いや、そうなる道を選んだんだ。自分で。
「お前の大事な弟子に言っておけ。次はないとな」
 ちらりと燐に目をやって、忌々しげに吐き出す。
「そして、やはり弟の方にも監視が必要だと、本部に進言するとしよう」
「とっとと失せろ、ハゲ」
 シュラの言葉に、ふんと鼻で笑って軽く助走をつけると、人の背の三倍はある運動場の壁をするりと登って青年たちが消えた。
 ふぅ、と安堵の溜め息を吐く。
「…ったくよー。今日の朝七時って、自分勝手もいいトコだろ。留守電聞いた時点でもうとっくに過ぎてたっつの」
 ぼそりと呟く。あの自分勝手なところはどうにかならないものか。はた迷惑も良いところだ。
 いや。
 シュラは思い直す。口実だったに違いない。ハナからこの機会を狙っていたものだろう。
「アイツ、逃げやがった」
 不満そうに口を尖らせる燐の額に、デコピンを食らわせる。
「今のお前じゃ、指先で捻られて終わりだよ」
 悔しいが燐の力をもってしても、やつの実力と経験には敵わないだろう。それこそ『純真無垢《エンジェル》』に太刀打ちできるかどうか。ヤツを退けるなら、もっと老獪でなければならない。バカ正直、直情的な燐お得意の真っ向勝負では到底無理だ。
「ヴァチカンは何を考えて…」
 エンジェルたちが消えた方を見やりながら、雪男がふと疑念を洩らす。珍しいことだ。それだけ不安なのかも知れない。メフィストが取り成したとはいえ、一度は燐に処刑処分が下ったのだ。一度出来たものは、次を容易にする。エンジェルが来たのも警告ではあるまい。
「さぁな。それにしてもお前早かったなぁ。講師室から見てた?ストーカー?」
 うくく、と笑いながら指摘してやると、案の定雪男が顔を真っ赤に染める。
「ちがっ…!大体、なんであの人がここに来てるんですかっ!」
「さぁて?アイツの呼び出しシカトしてやったからかにゃぁ♪度量の狭いハゲだよなぁ」
「アンタのせいかよ!」
 雪男が怒りで赤黒く顔を染めて怒鳴る。
 シュラは戸惑ったように顔を見合わせる候補生たちと、双子を見て笑う。
「だぁってさぁ。アイツこっちの都合も聞かずに、いきなり朝七時にヴァチカンに呼び出すんだもんよー。まだ寝てたっつーの」
 雪男が何か怒鳴ろうと口を開く。やれやれ、コイツのガス抜きもしてやらなきゃなんねーし。兄貴は鍛えなきゃならねーし。ったく、面倒な立場になっちまったもんだ。
 でも、と思う。これまで幾らでも別の道を選ぶ機会はあったはずだ。だが、今ここに居るのは、その道を彼女が選んだからだ。例え運命の女神たちが決める糸だろうが、その長さも捻じり縒られたその形ですら、他人に紡がせる気はない。その結果がこれなら、楽しんでやろう。手始めに目の前のビビリメガネをからかってやるか。
「ま、いーじゃねーか。これで堂々と燐のストーカー出来るだろ?喜べよ、ビビリ♪」
「人をストーカー呼ばわりしてんじゃねぇ!」
 落ち着けよ!と心配そうに諌める兄に、激昂する弟の図なんて、滅多に拝めるもんじゃない。ここにビールかチューハイがありゃぁな。いいツマミになったのに。
 
 

–end
せんり