掌編・其ノ2

 燐の奔放さと鈍さがかなり好きです。原作ではなんておばかでいい子! なのですがアニメだとこやつ、雪男に「おにいちゃん」にしてもらってんのか…(震)と思わずにいられません。

 雪男の中に病は割とこじらせながら一方で冷静だといいなと思います。なんというかイバラ踏み込みながらもけろっと建設的に生きてて欲しいというか。様にならないかっこわるい子って好きなんですよ、今日も明日も頑張れ、雪ちゃん!

 ※ややエロスに傾いている小品です、大人向け指定はありませんが、ご注意下さい。
 

【PDF版】掌編・其ノ2 ※ただいま準備中です。

 
 
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 初めて女性というものを知ったとき、僕はその夜、吐いた。
 
 
 画面に出た官能的な女性は体つきから振る舞い、声に至るまで刺激的でどきどきして、びっくりもしたけれど、どこか遠いものとして、頭からはすぐに消えていた。
 それなのに、その夜、任務で倒した悪魔は醜悪でどこもひとと似たところはないのに、断末魔の叫びやら血にまみれ、盛り上がった肉塊がびくんびくんと波打つのを見ていたら、ふいに蘇って、声を挙げそうになった。
 色をなくし、非道い顔のまま凝り固まった石膏像のようになっていたんだろう。
「…平気か? 雪男」
 暫く誰の声も耳に入らなかった、きっと情けないを通り越した姿を晒していたんだろうなと銃を持った手で汗を拭いながら思った。
「任務完了だ」
 あれはちょっと生臭かったな、と父さんはふうと息を吐いてから気遣うように言う。悪魔の体は滅されればこの世界から崩れるようにかき消えていくものだ、それがなかなか消えなかった。うねり、悶えたのち、粘ついた体液を滴らせながら死んでいった。まるで生き物が苦しみ朽ちていく過程かのようで、僕は息を詰め、その場から動けずに一部始終を見ていた。
 あんなのってあるの、と聞いた。
 獅郎神父さんはしばらく黙ってから、あるな、と応えた。後味の悪い任務も悪魔の死に様もこなしてゆく数だけある、と言ってそれに耐えられるかとは聞かずに頭を撫でて髪をぐしゃぐしゃにした。
「これまでにも見たよな?」
「はい」
 見るだけでなく参加し、自ら率先して祓うようにならなければ得られた階級のバッジも免許もただの飾りで意味がない。
「祓魔師になるためにお前は覚えなきゃいけないことがたくさんある」
「…はい」
「だけどな、雪男」
「……」
「壁は高ければ高いほど乗り越え甲斐ってのもあるんだ」
 面倒だけどな、と神父さんは茶化すように言ったけど、嘘じゃないと信じられた。いくつもの死線をくぐり抜け、面倒すぎるほどに高い壁を越えなければ最強なんて言われない。強くならなければ誰も守れない。
 怖いけど、逃げたくないと思う気持ちの方が勝っている。だって失うことに比べたらこんなの屁でもない、いつ来るかも知れない喪失感に襲われるより、倒せる敵を見据えていられる方がずっといい。
 それからも、これからも。
 その日、兄さんの寝顔を見て思った。
―――どうして僕だけが。
 てんでお気楽なだらしない顔で、デコピンでは済まされない苛立ちをぶつけてやりたいと思う半面、泣きたいような、切ないような気分にもなる。兄さんは何も知らない。出自のことは幸せなことに何も知らされていないんだ、と言い聞かせながら椅子に座る。
 兄さんが机に置いておいた夜食は汚い字で勉強もほどほどにしろというメモ書きがついていた(夜の任務は神父さんの知り合いの修道士に勉強を見て貰ってることになっていたり、図書館にいることになっていた)。ポットのお茶とこぶりのおにぎりで、ひとつは鮭、一つはかつお醤油味の焼きおにぎりともある。丼に入っているからお茶をかけて茶漬け風にしろということなのだろう、見ると空腹を覚える。だけど手をつけるのは止めた。
「っむ…」
「!」
 吐き気を催したのはそのときだ、兄さんが小さく声を漏らした。室内にひんやりと満ちていた夜気をわずかに揺らす。それが何かの合図のように胃を締め上げた。現場の臭いなんてここには何もなかった、性的な興奮に短くあがる声、びくんびくんと波打し、蠕動する何か、肉色、滴り流れる体液、血の匂い、悪夢に投げ込まれでもしたかのようで、女性の太腿や乳房や剥き出しになった悪魔の肉と骨が瞼にちらちらした、口腔内は苦く、おさまったあとで水を大量に飲んだ。
「……」
 狭い室内で落ち着く場所を探したけど窓に面した椅子しかなく、深く座って背に凭れる。早く寝ようと思うのに身体が動かない。白く浮き上がっているものが視界に見えてのろく視線を向ける。
 ゆきおへ。兄さんからの伝言だ、手にして読み返した。平仮名ばかりだ、しかも茶の字が間違っている。画数の多い字が嫌いで、書きにくいってだけで自分の名前を気に入らないと言い切った。かっこいいけど、めんどくさい。
 内側でことりと音がする、明日は食え。
―――どうして僕だけがこんな想いを抱えてしまったんだろう。
 嫌いでも好きでもどうしても意識するんだ。
「ていうか、なんでここで寝てるかなあ…」
 僕は目から零れ落ちそうになるものを堪えるために口にする。兄さんは、ベッドの足下に座り、足を伸ばしては右に傾き、殆ど倒れるような格好で寝ていた。
 
 
 
 悪魔が寄生したあとの動物に残るものは薬として、とても貴重だった。
 それは父さんでさえ授業で触れようとしなかったところで、塾では各自で学ぶようにと言われ、小テストに一度出されたきりだった。
「…雪男?」
 それを手に入れるには偶然を味方にしなければならなかった。
 だからいつもなら絶対にしない危険を冒した、夜は当たり前に、日中でも下級以上の悪魔が頻出する正十字学園森林地区の北西、通称は狩り場。実験に使う悪魔や囀石も横綱クラスのものが採れる。
「うん、兄さん」
 手は震えていないか、声は硬くなっていないか、そんなことを考えた。コートの釦を外しながら応える、外からの明かりを頼りに室内を見ると何故か自分のところではなく、入り口に近い僕のほうのベッドに兄さんが上掛けもなく丸くなっていた。
 クロだけはちゃんと兄さんのところで、なんで僕のところで寝ているのだろうと思ったけど、兄さんは眠るのが趣味みたいなもので、気付くと変なところで寝ていたりする。今日はノートと教科書が脇にあるから感心なことに質問でもあって、胡座でも掻いて待ち構えていたのだろう、夕食までには戻るつもりだったけどもう夜中だ。
「なんだよ、任務か? …何で言わねーんだよ…」
 目を擦りながら起き上がる。枕もシーツもめちゃくちゃだ。
「連絡しなくてごめん。でも兄さんには関係ないよ、ちょっとした用だけだったし」
「用ってなんだよ」
「薬草採り」
 兄さんは寝起きのはっきりしない頭を起こさせるべくぶるりと振るわせると、くあと欠伸をする。尖った歯も耳も、ぱたんと力なく揺れる尾も、あれほど恐れていたものだったのに初めからあったものみたいに馴染んでしまった。
「フツマヤじゃ、ダメなんだ」
「だったら尚更だろ」う、眠ィ…。
「平気だって」
「お前、火薬の臭いだけじゃなくて、血の臭いとかもしてんだぞ。倒せても屍系のやつだったら体液とかひっかぶったりすんだろ、お前らは自分のためには聖水使わねんだから」
「…ああ」よく見てるなと感心する。
 だって、解体しないと手に入らないから。クロのためのマタタビ酒のように、これは僕が僕であるために必要な物だ。兄さんを神や魔王に奪われないためにも。
 新月を待って、二日三日は通うつもりで臨んだ。案外に遭遇は早かったが祓魔よりもあとの処理の方に手間取って、こんな時間になってしまった。何度も手を洗ったけど、臭いはなかなか取れない、それとももう染みついて取れなくなっているのかもしれない。
「聖別に…みりんと醤油がな…」
「は?」
 言いたいことがあるらしいが変な方向に行きかけている。
「わかったよ、今日はもうここ使っていいから。質問は明日聞くし、とりあえずもう遅いし、兄さんが何を言いたいのか分からないから」
 寝かそうとすると、明日では忘れるとばかりに頭を振る。本人は起きているつもりらしく動きはいよいよ鈍く、身体が寝ようとしているのを認めていない。この髪の跳ね具合からして風呂上がりにでも寝ころんでくれたのだろう、やってくれる。
「…ゆきお?」
「うん」
 身体が斜めに傾いて、本当に眠そうなのに。
「だいじょうぶ…か?」
 なにがさ、兄さんほどじゃないよという問いを飲み込んで頷く。
「うん、兄さん」
「違くて。お前、疲れてんのにギラってして落ち着いてねーし…」
 鈍く、ぼそぼそと聞き取りにくいのにきっぱりと言われた。隠し切れてないことに自分の至らなさを痛感すると同時に、しょうがないことなのかなとも思う。本当にあるのかとも思ったし、あったらあったで潰さないで取り出すには下手をして効果が消えたらと集ってくる小鬼を祓いながらも頭の中はフル稼働していた。だからこそ、この高揚感は計り知れないし、現実から数センチほど浮ついているのが自分でも分かる。異臭と死肉との格闘に吐き気も何も感じなかったのはこなした任務の賜物というより、中学のときにうっかり見たアダルト動画のお陰だろう、躊躇いもなく局部に腕を入れてあれこれと切り裂けた。
「…そうかも」
 シーツに投げ出された尾はいつもは表情豊かに揺れるけど、さっきからウンともスンともいわない、そちらの方を向いて、落ち着いてないんだ、と小さく返した。
「だからちょっと抱かせて?」
「……」
 ふと固まる。
 兄さんは鈍い頭の回転なりに考えているようでちょっと黙るとわかった、と言った。
「ん」
 怠そうに斜めになっていた身体を起こすと手招きし、形ばかりの挨拶とばかりに両手を広げて僕をぐっと抱く。力加減も何も気遣いもないような抱擁だ。すぐに体重がのしかかる。
「重いって」
 頼んだこととはいえ、姿勢が辛い。このまま寝られてしまったら横にでも倒れてしまう。支えるように膝を床につけてなんとか堪えた、兄さんはそれがどうしたとでもいうようにどこか拗ねたようにぼそりと言う。
「あのよー、雪男、今日、親子丼だったんだぞ…」
「それは残念」
 きっと絶妙の卵の固さで、絶品の小鉢とすまし汁がついたのだろうな、素直にごめんと謝る。兄さんは集団の中でも一人でいることに慣れているくせにひとりぼっちが嫌いだった。そこもごめんと心の中で詫びる、僕だって兄さんと離れたくない。
 自分の匂いを擦りつけるようにして首に顔を埋めた。
 兄さんの肌の匂いにくらっとする。このまま押し倒し、馬乗りになりながら首筋に舌を這わせ、ゆびを滑り入れて肌を愛撫したいと続けたら引かれるだろうことはわかっている。
「ぜんぜんヘーキじゃねえよな」
 兄さんはとんとんと背中を叩きながらふにゃふにゃした声で言う。そのまま僕ごと身体を引き、シーツに倒れる。
「ちょっ…」いたっ!
「ったく、いいおとーとにもほどがあんだよ…」
「っ…」
 そうじゃないんだよ、兄さん。僕は性愛の対象として兄さんが好きで、甘噛みを繰り返したいし、痣になるほど恥骨を擦りつけたいし、いやらしくさせるのも穢していいのも僕だけだとすら思っている。いまは勿論、いつだって抱きたいって思ってるし、誰かに渡すのも、触られるのも嫌なんだ。
「落ち着いたか?」
 兄さんから発される青い炎なんて目にしたくなかったのに、それが出現してからどうだ、ひと特有の脂っぽいような匂いが薄くなって、どこか澄んで誘うような匂いを発するようになった。自分にだけの効力かと最初は思ったけど、日増しにそれは強くなっているような気がしている。学校で視線を受けるようになったのも気付いていないのだろう、そもそも気紛れな猫又を懐かせてしまっている。
「…だ、から、兄さん」
 平気にしたいならこんなことするな。頼むから。
「文句あんのかよ?」
 言えるわけないだろ。相手のシャツ一枚の隔たりと雰囲気に負けそうだとか、処理するとかしないとか髪の毛一本ほどのプライドでなんとか保っているなんて口に出来るわけがない。
 稍もして寝息が聞こえる。抱きしめる腕の力がすっかり抜けて僕は息を吐きながら起き上がる。安心しきって寝てるんだもんな、やっぱりずるいよと頬を抓ってやる。
「んむ…」
 払うように手を動かす、その手を緩くシーツに押さえつけて口づけた。
「……」
 見下ろせばすぐ近いところに喉があって、やわらかに上下する胸があって、僕に触れていた手がある。
 兄さんを抱くことは殺すよりも簡単で、気持ちを無視してやっても本気だと言えば許されることも知っている。だけど、倫理的にも道徳的にもまったく正常じゃないし、そもそも踏み越えるにはまだ壁は低いとも思っている。
「…首の皮一枚だっていうのに」安心してるし。
 溜息を吐いて、ポケットに触れる。何の処理もせずケースに入れたままにしてあるけれど、黒真珠のような輝きは暗闇だからこそ美しく見えたように思う。
 悪魔が寄生した動物の生殖器には痼りが出来ることがある。
 その痼りの中には鉛色の球があり、悪魔を酔わせ惑わす効果があるという。人間にとっての麻薬のようなもので、高位の悪魔にも効く。強い中毒性があり、毒になりうることもあるので扱いには注意が必要、貴重な薬種であるが、結局は持て余すことが多いため手騎士も使わなくなってしまい用品店でも扱わなくなった。
「フェレス卿を悦ばせるようなカタストロフィなんて真っ平だけどね」
 それが呼吸するように自転し、音を立てたような気がした。
 
 
 感情を抑え込むのは簡単だ。
 僕は気持ちに封印をした。
 
 手に入れるのはきっと簡単で、賭けにもならない。
 どちらにしろ最後のラッパみたいに高らかに鳴り渡って、呆気なく崩壊してしまうだろうから。
 
 失ってしまうのに比べたらそんなのは。
 
 熱いシャワーを浴びながら目を閉じると湯が肌を打ち付ける音に混じって耳の底でからんときれいな音がする。
「…瓊音《ぬなと》だ」
 ざわざわするなかに、玉のこすれ合う音がする。まるで小さな粒が砕けるかのように高くもなく低くもなく、淡く余韻を残して消える。
 悪魔にとっての媚薬をやっと手に入れた。
 兄さんを守るために、僕が壊れないためにもこの薬は必要だ。自分の腕の中で兄さんが淫らになって喘ぎ、身悶えして僕を欲しがって、狂わせることができると思わせる一粒がなければ、この独占欲は加速して止まらなくなる。
 奪われる前に、僕が兄さんを壊せばいい。
 近いか遠いかもわからないいつかのために。
 
 
 
 

110925
なおと
 お粗末でした!