サマー・ナイト

 いつの間にか涼しくなってしまった。
 大変に今更ですが、本編も夏休み終わったばかりなので、ご勘弁を。
 だって、京都編は夏休みにほぼ入ったばかりで、そのあと本誌は二学期始まったくらいで…。
 夏休みイベント目白押しじゃないですか!やるでしょう!もう、志摩さんのように海神に大声でお礼を言いたいくらいです。←落ち着け。
 まぁ、大体去年辺りに皆さん季節的イベントはもう済ませてらっしゃるワケで、本当に今更なんですけど…。
 リアルは秋だってのは見ないフリで、ちょいとお付き合い頂ければと思います。
 

【PDF版】サマー・ナイト

 
 
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「花火大会?行く行く!」
 と言う奥村燐の軽率な返答により、彼の弟である雪男も自動的に巻き込まれて花火大会の会場に引っ張り出されていた。賑やかに人が行きかい、食べ物、飲み物、おもちゃやゲームなど、いろんな屋台が出ている。今日の花火は川から打ち上げられるらしい。会場は公園代わりにもなっている河原縁だ。人混みと屋台から出る熱で暑苦しいが、会場の方へ移動すればもう少し涼しいかも知れない。雪男は団扇を扇いで、襟元に少し風を入れた。
 徹夜の任務が終わったのが昼過ぎだったので、少し仮眠が取れたとは言え、まだ頭が少しぼうっとしている。それに実のところやることは山積みだったりする。報告書の作成もまだだ。それに夏休みの課題のついでに、今回の任務について補足的に調べたいこともあったのだが、もう今日はそんなことをしている暇はないようだ。
「ま、いいか」
 雪男は溜め息を吐いた。兄さんが嬉しそうに笑ってるからいいや。
 夏休み半ばで、学校も祓魔塾の課題のどれもが手付かずとあっては、終了間際の惨状が今から目に浮かぶようだが、その辺の苦労は彼自身にさせれば良い。自業自得だろう。
 とは言え、京都に続いて熱海の任務で思うところがあったのだろう。多少(大分?)イヤイヤながらであっても、加えて学校の方よりも祓魔師の方に比重が傾いているとは言え、勉強と名の付くものに取り組もうと言う気になってくれたのは、有り難いことだ。
 複雑だけれども。
 正直、まだ兄が力を使うことを、自分が受け入れたとは言い難い。一方でしょうがない、と言うのも判っている。ちゃんと納得して飲み込めるまで、暫く掛かるだろうな。自分の性格上、それもしょうがない。
「雪ちゃん、みんなで始まる前に屋台見て回ろうって」
 杜山しえみが笑いかける。祓魔塾の面々は張り切って浴衣を着ている。どうやら言いだしっぺの志摩廉造が是非にも浴衣で、と主張したらしい。その廉造を始め、勝呂竜士、三輪子猫丸の三人の浴衣姿はなかなか堂に入って似合っている。着付けも自分で出来るらしい。お寺出身だからだろうか?
 しえみは普段が着物だから当然だが、神木出雲と朴朔子もどうやら自分で着られるらしい。女性陣は先端からひらひらと飾りが垂れ下がって揺れる、かんざしの様な髪飾りで髪の毛を纏めていて、普段とはまた違う雰囲気だ。一方双子は浴衣もなければ、『虎屋』の寝巻きに出ていた浴衣しか着たことがない。宝もそのようで、今日は杜山家で借りた上に、着付けてもらっての参加だ。
 普段の装いと変わって、みんなの姿がなんだか新鮮だ。
 …まぁ。特に兄さんが。雪男はちょっと不埒な想いで燐の見慣れない浴衣姿を、改めて見やる。袖が肩まで捲り上げられていて、少し襟元が開いて着崩れている。貸して貰った浴衣は渋い色合いで、高校生には少し大人っぽいかもしれない。が、なんだか着崩れた感と相俟ってそこも彼らしく見えるから不思議なものだ。
 その当人は人混みを器用に掻き分けて、あちこちの屋台を真剣な目で覗いていた。
「雪男、焼きそばあるぞ、焼きそば!あっ、イヤ、牛串の方が…、でも高いし…。お好み焼き…」
 月二千円のお小遣いしか貰えていない燐が、いかに安上がりで腹が膨れるか、と言う条件に最も適当な食べ物を選ぼうとアレコレ考えているのを、『オマエ、必死すぎだろ』と宝の腹話術がからかった。確かに人ごみの中でも、あちこちから甘い香り、香ばしい香りが漂ってきて、盛んに胃袋を刺激する。ちゃんと夕飯を食べて来たのに、この匂いがいけないんだ。
「当たり前だろ。オレ小遣い少ねーしよ」
 燐が拗ねたように返す。奥村兄弟の後見人、メフィストの『二千円札の方が面白い』と言う意味不明の判断のせいだ。そんな理由なのかと抗議して、危うく百円に値下がりしそうになったのも、意味不明だ。その上食費は雪男と折半している。そこから彼が愛して止まない『ゴリゴリくん』やら何やらを買うと、月の半ば頃にはもう幾らも残っていないことが多い。
「…何が食べたいの…」
 溜め息を吐きながら、懐に入れてきた財布を探る。内心もう少し焦らせば良かったかなぁ、と思わなくもない。雪男に物凄く不本意な顔で『金を貸してくれ』とか『奢ってくれ』と頼んでくるのを待った方が、面白かったかも知れない。
 …じゃない。
 雪男のあらぬ方向に脱線を始めそうな考えを、燐が引き戻す。
「バーカ、兄ちゃんのジントク、ナメんなよ」
 へへん、と鼻息も荒く、燐が袂からポチ袋を取り出して見せる。
「どうしたの?それ」
「メフィストから貰った。買い物行った時にばったり会ってさ。花火大会に行くつったら、くれた。こっちはお前の分」
 差し出されたもう一つの袋を、まるでいきなり姿を変えて食いついてくるのではないか、とばかりに恐る恐る手に取る。って言うか、人徳と何の関係もないよね。
「後見人としてのなんたら、だってよ」
 ふざけた格好の後見人は、恐らく責任とか、義務とか尤もらしいことを言ったのだろう。大方本音は『面白ければいい』という所に決まっている。
「お、なんだ?『ほんの気持ち』?」
 酷く呂律の怪しい声がしたかと思うと、ずしり、と肩が重くなる。途端に甘ったるい酒の匂いがした。ひょい、とポチ袋が雪男の手から取り上げられる。
「ちょ、シュラさんっ!」
「いよう、お揃いで花火見に来たのかぁ?若いっていいにゃぁ♪」
 霧隠シュラは、にゃはははは、と大分聞こし召した風体で、よろりよろりとフラつきながら大笑いした。
「ちょ、返してください!」
 常に沈着冷静なハズの雪男も、このフザケた女の前では何故かそれが貫けない。ペースを乱されて、腹立たしいばかりだ。今もいやだよ~ん、とか、にょほほ~、なんてふざけたことを言いながら、ひょいひょいと雪男の手を掻い潜るシュラを捕まえられないで居る。自分の方が圧倒的に背が高く、力もあるのに。しかも、こっちは当然ながら素面で、向こうは強かに酔っ払っている。こんなに手こずるワケがない。日頃から散々いいようにからかわれているせいもあり、更に足元も覚束ないような酔いどれに振り回されるのが面白くなくて、つい頭に血が上る。
「くそっ…!アンタは…っ!」
「落ち着け!落ち着けって雪男!」
 仕舞いには兄さんに止められてしまった。がっしりと羽交い絞めされて身動きが出来ない。
「どーせ、あのメフィストに貰ったんだろ?ほんの気持ちって、大して入ってねーんじゃねーの?」
 シュラがひらひら、と小さな袋を振ってみせる。
「一応札だったぞ」
 きちんと封のされたその袋を、燐は相当楽しみにしているらしい。袋の上から触って、硬貨じゃないということだけ確認したのだろう。
「バッカだなぁ。アイツのことだから、五百円札とかだったらどーすんだよ?」
 燐がう、と詰まる。大いにありそうなことだ。
「イマドキ、五百円札なんてどこの屋台も受け付けてくんねーだろ。ま、五百円じゃワタアメも買えねーけどな」
 身動きの取れない雪男の懐にポチ袋を放り込みながら、シュラが面白そうに笑う。燐が悔しそうに唸った。
「人の楽しみ潰すんじゃねー!」
「その悔しい顔見んのが一番のツマミだにゃぁ♪」
 大いに相好を崩すシュラに、思わず塾生達が「大人げないなぁ…」と呟く。言われた当人はあっさりと無視した。非難すらも楽しいのかも知れない。
「火ィ出すなよ」
 心配した勝呂が燐をたしなめる。
「うるせー!お母さんみたいなこと言ってんじゃねー」
「誰が、おかんか!」
「じゃぁ、お父さん」
「やめぇや、マジで!どつきまわしたるぞ」
「兄さん、なんかポイントがずれてきてるよ」
 仕方なく仲裁に入る。ついでに、離して欲しいんだけど。自分よりわずかに背が低い兄が、雪男を後ろから抑えると腰から背中が反ってしまう。それが大分苦しくなってきていた。
「なにれーせーになってんだよ!お前もちょっとは味方しろ」
「離してくれればね。てか、そもそも兄さんの方が仲裁に入ってきたんだろ」
 仲裁は時の氏神、と言うのに、止めようとした人間がケンカを始めたら意味がないだろうに。シュラなどはその間にふらりと消えて、ビールと焼き鳥を片手にまたちゃっかり戻ってきている。今はニヤニヤとしながら、僕達がわいわいと騒いでいるのを眺めている。本当に何してんだ、この人。
「燐も雪ちゃんも、何か買いに行こう。もう花火始まっちゃうよ」
 助け舟を出してくれた形になったしえみに、おー、と燐が頷いて、行こうぜ、と雪男の腕を掴む。
 しえみの言うとおり、そろそろ花火が始まる時刻なのだろう。人の流れが屋台から河原に向かいつつある。仕事帰りと思しきカップルが、慌しくあちこちの屋台で食べ物と飲み物を買い込んで河原の方へ降りて行った。
「カキ氷も美味しそう。あ、でも、鈴カステラなら皆で分けられるかな」
 迷っちゃうよね、としえみと朴があちこちの屋台で引っかかる。
「そんなに買ってどうするのよ。朴、あっちのラムネ買いにいこ。ほら、アンタも行くわよ!」
 出雲が呆れたように他の二人を引っ張っていく。
「あ、出雲ちゃ…」
「志摩さん、はぐれたら置いて帰りますえ」
「お前もナニ買うか、はよ決めェや」
 出雲たちにちょっかいを出そうとする廉造を子猫丸と勝呂が抑える。どうせ手痛く刎ねつけられるのに、何度でも向かっていく根性は流石に凄いと思う。
 河原から花火大会を開始する旨のアナウンスが流れてくる。歓声があがり、拍手が鳴り響く。
 なんだか、平和なんだ、と思った。ずっと忙しかったような気がする。実際忙しかったのだけれど、もしかしたら周りのことが何も目に入っていなかったのかも、と思う。必要な情報としては拾っていたかも知れないけれど、それ以上に意味のあることとして捉えていたか、と改めて問うと自信がない。
 聞いたことのある名前が女性の声で紹介されて、こめかみがピクリとした。学園都市でもあるこの正十字学園町で、町名に冠される学校の理事長を務めるメフィストは名士でもあるらしい。よく考えてみれば当たり前だろうと思うが、普段の言動があまりにふざけているので、どうにも本当のような気がしない。時々彼から不穏な、得体の知れない不気味な何かを感じるのだが、次の瞬間にはもうその欠片すらも見当たらなくなってしまうので、今もってなんなのか確認も出来ない。
「雪男!」
 とある屋台の前から、兄が嬉しそうに自分を呼ぶ声で、我に返る。早く来いよ、と子供のようにはしゃいで自分を手招きした。
 河原に設けられた本部で、『ヨハン・ファウスト五世』の名で祝辞なんぞを述べているメフィストの声が、穏やかに川面を渡る風に流されていく。この声の主はムカつくけれど、今はまぁ良いか、と思う。
 やっと。
 ここ数ヶ月で、一番ほっとしている自分が居る。
 安心しても良い状況でもないし、まだ気を抜くわけには行かない。問題は何一つ片付いていない。考え始めたらキリがない。だけれど、今日はもう良いや、と言うことにした。今はこれ以上は考えたくない。たまにはそう言うことだってあっても良いだろう、と思う。
「兄さん決めたの?」
「おう」
 やっとこれしかない、と言う食べ物を決めた興奮で目がキラキラしている。
「頼んだ?」
「待て待て、今こいつ開けるから…」
 嬉しそうに糊付けされたポチ袋を開く。一体メフィストが幾らくれたものか、いつの間にか戻ってきた塾生達の視線が集まる。雪男も自分のポチ袋を開けながら、兄の手元を見る。いい加減に封を切ったよれよれの口から、折りたたまれた紙切れを引っ張り出して、広げる。
「ん?」
 みんなの視線が、燐の手元に更にひきつけられて、止まった。
「な、なぁ…。コレって幾ら…?」
 燐が今目にしているものが信じられない、と言った風に尋ねる。子猫丸と勝呂が躊躇ったように顔を見合わせた。
「ひゃくえん…」
「やな…」
『ダセぇ』
 宝がとどめを刺す。その後ろで、廉造が既に肩を震わせている。僕も自分の手元を覗いて、後は興味を失った。まぁ、あの人ならさもあらん。ある意味納得だ。
 が、納まらないのが一人居る。怒りに震える手で、くしゃり、と札を握りつぶした。
「ふざけんなぁっ!」
 その声に重なるように、最初の花火が打ち上げられた音が河原に轟いて、燐の声は残念ながら掻き消されてしまった。ぱらぱら、と音を立てて花火の欠片がきらめきながら散っていく。
 シュラが腹を抱えて大声で笑った。それにつられて、塾生達が笑い出す。雪男も思わず口元を緩めた。
「なんで笑ってんだよ、雪男!」
 燐が悔しそうな顔で噛み付いてくる。
「まさか、お前百円より高かったんじゃ…」
「そんな訳ないでしょ」
 くるくる変わる燐の表情に、苦笑と溜め息混じりに貰った百円札を広げる。正確な知識ではないが、古銭屋に売ったら百円以上の価値になる可能性があると言うのは、面白いから黙っておこうかと思う。
 どん、と言う腹に響く音と共に、ぱぁ、と夜空に儚い花が鮮やかに大きく咲いた。
 
 

–end
せんり