或る祓魔師の休日

 雪男は誤解されそうな気がします。好きでアクティブなのを働きすぎとか言われたり、もうちょっと言いたいことを言ってガス抜きしろ、とか助言されたり。燐には結構隠してることも言わないこともあるけど今日のご飯オーダーとかやってるんじゃないかなーと、普通に甘えてるんじゃないかと考えたりします。燐は雪男の妨げになるようなことは避けたいと思っているから、メシとか身の回りで勉強以外のことは兄貴ならではの寛大さと面倒見の良さを以てやりそうです。特に外野から言われたりしたら。
 ともかく、新年明けましておめでとうございますな兄弟。
 

【PDF版】或る祓魔師の休日

 
 
<ご利用方法>
・PCで保存して各モバイル機器へ保存してください。
・モバイル機器によっては、上記リンクから直接保存が可能な場合があります。
<お願い>
※お使いのテキストリーダー、アプリなどで表示可能な形式ですが、一般書籍ではないことをご了承のうえ、お取り扱い下さいませ。
※モバイルでの閲覧を目的としておりますが、各々のデジタルツールでひっそりとお楽しみいただけたらさいわいです。(表示サイズは960×640ピクセルを想定しております)
※記載内の無断転載、無断コピー、データ転用、改変、再配布等はご遠慮下さい、お願いします。
 
———*———*———*———*———*———*———*———*———*———*———*———
 
 
 
 
 
 
 
 てゆーかよー、と兄が言った。
 弟は表情のない声でうん、と返し、じゃあ頼んだよ、と早々と会話を打ち切る。
 
「何や、若センセ、今日も任務か?」
 と、紫紺も鮮やかな縮緬の風呂敷包みを手に勝呂は出迎えた燐に問う。言ってもいないのに察しているあたりが勝呂で、すげえなこいつと燐は思う。でもどうして分かるのだろう。
「大晦日も…」
 燐の図星ですという顔を読み取ってか、背後の子猫丸も同情するような顔つきになり、一歩下がったところで頭の後ろに手を組んで「悪魔にはほんま盆も正月もあらへんなあ」と嘯く志摩に至っては気の毒そうではあるが、どうもそう見えずに軽い感じだ。
「揃って来てくれたのに悪ィな」
 招き入れた旧男子寮の食堂に向かって三人と歩きながら燐は謝る。勝呂たちが手土産を手にやってくることは数日前から決まっていたのだ。
「まあ、そんなもんやろ。祓魔師なんて」
 勝呂と子猫丸は心得顔に頷く。燐もそうだろうがよ、と気持ちでは分かっているのだが、休みは休みだろ?とも思ってしまう。
「女の子とデートできんのはつらいやろ、しんどい仕事や…」
「祓魔師の彼女だったら現場がデートだぞ」
「嬉しないよ、奥村くん…」
 クリスマスから歳末にかけて世間は忙しなく、そこに喚ばれるかのように悪魔も頻出する。ただでさえ祓魔師は人員不足である、もれなく候補生も雑用(という名の)任務に駆り出され、つい先日までばたばたしていた。
「残ってることあんだけどよー」言い出しっぺは雪男だし。
 なんやかんやで今年の日付はあと一日となっている。部屋の埃払いと拭き掃除くらいは早いうちに済ませてあったものの、薄っぺらいカレンダーの余白部分には月初めに燐が書き込んだ『ゆきお、ふろ。オレ、メシとせんたく』があり、前者など果たされるかどうか甚だ怪しくなりつつある。
「…あんの野郎…」
 厨房から出汁の匂いがしてくる、雪男が何故か『りしりこんぶ』なるものをどこからか貰ってきて、生まれて初めて昆布とかつおの出汁を使う。燐としては初めて二人で過ごす、初めてのりしりこんぶの正月だ、その虚しさが軽い苛立ちに変わる。
「まあまあ。しゃーないやん」
 志摩は軽く手を振り、子猫丸さえも同意している。
「好きで任務が入ったんでもないやろ」ほれ。
 しらっと口にする勝呂なんか追い打ちで、燐だって分かりすぎるほどに分かっていることではあるがやっぱり気に入らない。ついでのように風呂敷包みを渡されて礼の前につい口にしてしまった。
「…でもよ、なんっつーか、逃げられたような気がすんだろ?」
 なるべくいつものように話したかったが口がどうも尖ってしまった、これもすべて雪男が悪い。燐は席に座った三人に茶を煎れながら小さく溜息を吐く。
 休みと言うが休みにはならないのが祓魔師で、雪男は風呂掃除をほったらかして任務に向かっている。燐が買い物に行っているときだったので雪男の不在は味気ない紙切れ一枚のメモだけだった。言えよと紙切れに毒吐いたのはクロにも内緒だ。
「掃除からか」
「オレもよお逃げたなったわー。本堂寒ぅてなー」
「はよ済ましたい場所を金造とニワトリレースやらかして汚したん誰や」
「何年も前のことやないですか」
「え、レース?」
 茶請けは煎餅と修道院から箱で送られてきた蜜柑だ。煎餅は買い物で荷物持ちした礼にとお母さんになろうというひとからで、ついでにその伸し餅、オレが切ろうかと言いそうにもなった。
「五年前くらい…ですやろか、何を思ったか金造さんとニワトリ走らせて、足跡だらけにしたんですわ、大晦日に」
 志摩が気まずい顔をするのを子猫丸が茶を啜りながら教えてくれる。
「さすがにオレもそこまではしねーぞ…」
 燐も椅子に座って蜜柑に手を伸ばす。もし幼い燐が、教会でそんなことをしたら説教メシ抜きどころではなかっただろう。手が滑ってと志摩は言うが、言った後にほんまのチキンレースやってんなァ、とどこか感心している風でもあった。
「志摩ァ…」
 懲りてないのか。それも流石だ。
「先生はいつから出て行かはったんですか?」
 そんなことは措いといてとばかりに子猫丸が燐に向く。燐は蜜柑を飲み込むとオレ、買い物行っててよーとまず返した。
「買い物?」
「おー。だからはっきりとは知らねんだけど、一時になってねえくらいじゃねーかな」
 さほど変わり映えのなかった風景を思い起こしながら言う、燐は最終のゴミ出しに間に合い、それからはささやかな正月料理と年越し蕎麦の準備をすべく買い物に出、帰ってきたのは二時半で、寮は寒々しくしんと静まり返っていた。
「もう四時やな」
 勝呂の短い口調は遅くなりそうだという予想をふくんでいる、道理の通じない相手に出たとこ勝負ではあるが早ければ一時間足らず、通常のもので三時間から五時間ほど、長ければ六時間から半日や数日、割り振られる任務は階級や体力、その他の事情も考えられている。
 とはいえ、やっぱり雪男は帰らない。知っていたら自分もついて行った、…だけに燐としてはコノヤロウという思いを胸に大根を千六本にしていたわけだ。
「あいつ、風呂掃除放り出しやがって…」
「奥村くん、続きしたん?」
 子猫丸は磨かれたガラス窓を振り返りながら問う。燐は朝からこれを頑張った、二人で溜まった洗濯物を一気に片付け、クロは洗濯番として屋上で日向ぼっこをしている。ジャンケンで割り当てを振り、燐は寮の全てではないが行動範囲内にある窓という窓を拭いた(そして廊下の窓から落ちそうになって雪男に呆れられた)。
「するかよ。煮物になますに…年越し蕎麦と雑煮の準備やってんだ、オレはァ!」
「……」
 三人はここで雪男が居たら間髪容れずにその意気込みを学問に向けろと言うだろう、といういくらか冷めた眼差しを向けた。特にトサカ頭が。
「ほんま嫁…」呟くように志摩が言う。
「あ? なんでだよ」
 まだ染みてねーけど煮物食ってくか? と続けると三人は実に曖昧な顔をした。
 
 任務完了が朝の四時、帰って倒れるように寝た。
 泥みたいに疲労が身体全体に沈んでいようがやっと帰れることで誰もがほっとした顔をしていた。苦笑しながら今年もコレだよなあ、とか誰かが言った、やり残したことを抱えたまま新年を迎える、そんなことを繰り返しながら祓魔師は仕事に麻痺していく。
「はい、おめでとう。そして僕お疲れ」
「任務先から餅二個ってのはねえと思うんだけど、奥村センセイ」
 午前十時、遅い食事である。燐は呆れたような顔で雪男のどんぶりの前に煮物を積んだ皿を置く。隣の小鉢はこれも兄手製の紅白なますである。
「そう? こればっかりは言うでしょ」
「ねえわ。…まあ、帰って早々お兄様渾身の昆布と鰹節ダシの恩恵に与れるわけだけどな」
 燐曰くの特別ごはんを用意されたクロは機嫌好く、行儀も良く器の前に待機している。
「いただきまーす」
 ふわりと柚子の香りがして、揚げ餅の上に大根おろし、三つ葉とカマボコがあるくらいで雑煮はシンプルだった、毎年けんちんだの、白味噌仕立てだのと修道士のリクエストに応じたものを作っていたが、これは初めてだ。こういうのもいいなと思いながら箸をつける。いつものことながら見事な味だ。一口啜ってうん、美味しい、とまるでどこかのグルメ番組のコメントじみた感想を漏らしてしまう。燐も満足そうに頷いている。贅沢品がなくてもじゅうぶん豊かな食卓だ、新年が来たと実感もできて嬉しい。
「うーん。大成功」
「気合い入ってる割にはさあ、…なんで蕎麦入れてるのさ」
 しかも別に皿を突き出されて、見ればかき揚げである。これじゃあ力そばじゃないかと雪男は文句を言うが、止めるのは無理なので箸を動かす手を止めないでいる。
「年越し蕎麦喰ってねんじゃねーの?」あ。青物食え、青物。
「食べたよ」食べてるし。
「なんだよ、言えよ」
「僕のせいなの?」
 煮物に箸を伸ばしつつ釈然としない思いで言うと、燐はまあいいじゃねーか、とにっと笑いどこに用意してあったのか、目の前の殺風景であるはずの寮のテーブルにどんと重箱を置いた。
 クロも顔を上げ、なんだなんだという風に燐と雪男を見ている、燐は雪男とクロを交互に見てから宝物公開かのように粛々と蓋を開ける。
「数の子…」
「すごくね?」
 数の子だけではない、海老に昆布巻き、栗きんとん、田作に、伊達巻き、黒豆と重箱の中には月にせんえんのおこずかいの燐には材料費からして到底手が出せないような正月料理が揃っていた。
「こんな立派だとは…」
 流石に箸が止まった。勝呂の実家からの愛に罪悪感すら感じられる。軽く「助かりました、ありがとうございます」どころじゃない。
「だよなー。ちょっといい弁当くらいしかオレも考えてなかったぜ」
 冬休みを迎え、家族と正月を過ごすために正十字のほとんどの生徒は帰省する。しかし、勝呂達祓魔塾生は実家に帰らず寮に残っている。そんな生徒達が生活する新しい方の寮ではおせち料理が出ることになっており、勝呂の実家はそのことを知らなかったらしい、息子達が留まると知らされて即座に送るよう手配されていた。日本の新年は縁起物を食すことからと京の都らしい考え方だ、燐ではないがなるほど風流、と雪男も思ったりする。しかも彼の実家は寺で旅館ときてる、節気などの四季にまつわる行事は生活に当たり前に染みているのだろう。志摩経由なのか柔造からその連絡を受け、直後に勝呂はこちらを呼び出していた、曰く、ちっとも分かっとらへんのや。奥村兄弟にそれを訴えてもしょうがないのである。
「信者さんが持ってきてくれたりしたこともあったけど…」
 雪男がそろそろと尾頭付きの海老を持ち上げ、燐が黒豆を口に放りながら
「あそこの弁当旨かったもんなあ」
 としみじみと言う。
「これが三人前…」
 雪男が呻くように言うのを燐は神妙な顔でこくりと頷く。いいのか? よくない。ちなみにその量ではない(きっと燐は分かっていない)。
「うーん…」
 雪男の心情としてはあまりにも心苦しく、いますぐにでも彼らに返したいところだが、何もかも手遅れなような気もする。
「蕎麦のびんぞ」
「黙れ」
 なんで怒るんだという顔を燐はする(やはり分かってない)、そうじゃないだろーと雪男は分かって欲しくて燐にわざと憐れむような目を向けた。ちょっとは気にすればかわいげもあるのに馬耳東風とばかりに兄はびろんとのばした餅を食べている。
「んで、お前が投げ出した風呂掃除もちゃかちゃかやってったんだよな」
「え?」
 申し訳なく思うのに、更にか。ナニ肝の冷えるようなこと言っちゃてんのこのバカ兄!
「オレはお前と一緒だからよ、任務先から餅二個だの卵焼きネギ抜きとか、愚痴も聞くし、気ィ抜けた顔してるのも見てるけど、あいつらお前が働くのしか見てねんだよ」特にこの二ヶ月。
「はあ…」
 そういやしえみにも先日の授業の後に顔を覗き込まれ、忙しそうだが平気かと問われたような気がする。何のことか分からないまま平気だと答えたが、…まさか薄くなっ…いやいや、後ろ髪に若白髪とかあったりしたのか?…だとしたら大問題だ。
「休ませろだの、倒れさせんな、ってうっせーのなんのって」
「……」
 燐は髪が気になる雪男から目をそらして横を向くと、オレのヘーキは信用ねえって言いやがる、ときゅっと拗ねたように眉間と口を萎めた。
「あー。ないかもね…」信用。
「お前が言うな」つか、外見じゃねーし。
 そうですかと頭から手を離すと燐は手を伸ばしてきて腰の辺りをぎゅっと抓む。
「ちょっ、何すんだ」
「お前、太りも痩せもしてねーのに」
 なんでオレのせいなんだよ、と燐は腕を組んでは息を吐く。
 そうなのだ、どんな贅沢品よりも贅沢な食事がいつも並んでいて(大いなる手抜きということもあるが)、気持ちをひっちゃかめっちゃかに荒らしたりして、面倒だったりするけれど大事な家族がいつも雪男の帰りを待っている。先日もうっかり漏らした愚痴をオレには分かんねーから大丈夫と自慢げに頷き、聞き流してもくれた(どうなんだとは思ったけど)。普通にそれなりに充実した生活を送っていたつもりだったが確かにこの二ヶ月、学園内で塾生とは会っていなかった。特進クラスのカリキュラムといい、時期的に忙しくなるのも手伝って、任務で休みにしたり、より実践に活かせるよう塾の授業は記述の多い小テストを増やしたりしていた。
「僕、そんな余裕なく見えたのかな…?」
 クロと目が合ったので聞いてみると、二本と尾と頭でこくんと力強く頷かれ、あれ、と思う。
「オレばっかがラクしてるよーに見られんだ」バカ。
「いや実際、あんまり暇でもないし、兄さんが寝てばっかりなのは本当じゃないか」ていうか、兄さんに言われたくない。
 ともかく、勝呂君たちにお礼を言わないと、と取り出した携帯電話をすかさず燐が取り上げ、雪男の身体を椅子に押しつける。うるせーなホクロメガネ、とりあえず食え。同意するようにクロも鳴く。ごちそうを前にそれは確かに正しいし、そもそもエネルギー不足では思索も喧嘩もまともにできない。
「……」
「あいつらを心配させんな」
 燐の示す“あいつら”はもれなくしえみや出雲も入っているのだと口調でわかる、眼鏡からフレームアウトしてぼやけた視界に見えた兄の尾は先が床から中途半端に浮いてちょっと緊張しているかのようだった。勝呂達に何か言われたかしたのだろう、燐は彼らの期待を裏切らないよう懸命になっている。
「…うん、兄さん」
 笑えないというか、降参だ。
 燐はせかせかと皿と重箱を雪男に寄せ、ついでに煮物を皿に盛る。飲み物も付いてまるでもてなされる賓客のようだ。たとえば蕎麦入りの雑煮も残してある小柱のかき揚げも、遅くなるとクジで当てた湯たんぽが入っているベッドも、自分にとっていい匂いのする何もかもが甘やかして、僕はこうしている間にもめいっぱいチャージしてるんだけど、と箸を握りながら雪男は思う。
「今日は休めるんだろ? 食い終わったらぴかぴかの風呂入って、もっかい寝てろ」
「でもお礼を…」
「いいから。あいつらにしこたま煮物とか食わせたけど、後でオレがなんか作って持ってくし」
「初詣は」
「帰ったら行く」そんで修道院だ。
 その律儀さをどうして勉強に活かせないものか。
 
 
 

120103   なおと
今年も宜しくお願いします。