掌編・その1

 抹茶ババロアが食べたかったのと、志摩が双子にちょっかい出しまくるといいのにーという願いを込めて、作りました。が、雪男と志摩とで取り合いながら実は燐を(愛情たっぷりに)からかっているのが自分の理想の絡みなのかもと書きながら考えたのも事実です。
 ちなみに抹茶は燐が直談判して、でかい抹茶ババロア進呈を条件にメフィストからせしめたことにしてます(無駄な設定)。作るのに子猫さんが一枚かんでるといーなあ…<をい
 

【PDF版】掌編・その1 ※ただいま準備中です。

 
 
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 朝から弟は校内を逃げ回っている。
 せいせきゆうしゅうでせもたかくて、すぽーつもばんのう、ひとあたりよく、やさしくてはにかむようなえがおがかわいくて、みすてりあすなところもすてき、…な奥村雪男くんはモテモテだ。普段からモテモテで勇気ある女子が徒党を組んで奥村君のお弁当マッチをやらかしたこともあったが、それは彼の兄手製の弁当持参でなんとか終止符を打つことができ、正十字学園での生活は祓魔塾のゴタゴタとは裏腹に順風満帆、並々に、穏やかに過ぎていた。
「…セレブの調理実習って普通なのな」
 パックジュースを飲みながら猛ダッシュで来るだろう弟を燐、…たちは待っている。
「当たり前やろ」
 勝呂は時計を見上げながら返す、チャイムが鳴ってから八分が過ぎようとしていた。
「若先生、来へんな…」
 と、志摩が言い、
「誰ぞつかまったりしたんでしょうか」
 という子猫丸の呟きがトドメだった。
 昼休みの一分一秒はとかく惜しい、腹も減っているし、昼寝も含め、やりたいことは沢山ある。燐の腹の虫も異議申し立てとばかりに音を立てている。
「俺、ちょっと見てくる」
 紙パックをゴミ箱に捨てて、歩き出した。するとどこからかふわりと漂う、ほのかに甘い匂い。
「…きっつ」ぐるるるる…。
 燐は鳴る腹を押さえる。
 今週に入ってから、甘い匂いが一年生の教室を支配した。そう、家庭科の単元が、調理、しかも俗にスイーツと呼ばれる甘味パートに入ったからだ。中学までは男子も調理室に入ったが、高校からはカリキュラムで選ばないと家庭科実習の授業に参加できないらしい、四月の時点で学業を含めた普通の高校生活などまるで頭になかったので雪男から聞かされたときは、がっかりしたものだ。食費が浮くぶん、燐としてはどうしたってこれは痛く惜しい。たとえクラスが女の園になったとしても、いやむしろ俺、どっかのイケメンシェフ宜しく馴染めたはずだ、料理得意だし。…考えただけでもデレる(取っていないので淡い夢に過ぎなかったわけだが)。
 そんなだから、バニラの匂いのする袋や小箱を持った女子が好意と善意と下心をもって弟を追い回すのをチクショーと眺めていたのだが、ややもせず気持ちは『羨ましいぞ、このメガネ』を通り越す。その日からの雪男の疲労度はハンパなく、なんというかはっきり言って恐ろしかった。ひとクラスぶんの女子だけではないところが学年トップたる所以なんやろな、と勝呂が言っていた。絶対、こっそりお姉様方も参加しているに違いない、要領が良いから地味にウケがいいのだ、弟は。モテモテだ、弟のくせに。
 でも可哀想だな、オマエ…。
「……」
 雪男は壁を背に気の強そうな女子数人に囲まれ、睨み付けられていた。女子の怖いのはここだ、個人では動かない。
 階段を上がろうとして、響いてくる声に気付いた。廊下のどん詰まり、柱一本ぶん、中庭寄りに引っ込んでいるところに不自然な人だかりのようなものが出来ていた。地下の工事をするため、隣の校舎には通り抜けられないようになっているし、そこに何があるわけでもない。もしやと思って覗くと正解だった。正解だったけど、昼まで追い回されることに懲りて勝呂たちに頼んで一緒に昼食を取ることにしていたのが、逃げられずに結局これか、弟よ…。
「いや、悪いけどほんとに知らないし」
「嘘よ。だって本人が言ってたんだから」
「誤解じゃないかな…」
 塾や部屋でいっつも偉そうな、上からな物言い(に燐には見える)雪男の態度が弱々しくて思わず顔が緩む。いつもは二挺の銃を武器にガンガン攻めているが、ここでは防戦一方、困ったように否定の言葉を繰り返している。しばらく眺めていたいところだが、このまま昼休みを潰しては雪男の手にした自分作の弁当が哀れだ、兄らしく助けてやることにした。
「雪男」
「兄さん」
 びしっときた、一斉に向けられた視線は殺意にも似ていて肌に痛い。
「勝呂たち、待ってんぞ」
「……」
 ぼんやりしてはいるが仄かに甘い匂いはしている、空腹なため殊更に鼻と腹を刺激する。マフィン、マドレーヌ、タルト。あー腹減った。
「あ、うん」ごめん。
 弟の顔がほっとしたように解ける、こういう顔を久しぶりに見たような気がする。正十字に来てから雪男は厳しい顔しかしなくなった、こいつってこんな顔したっけか、と思うような顔つきを見せつけるようにもなっていた。父親が剣を引き出しに隠していたように、弟も自分に隠していた顔があって、青い夜や勝呂の寺のことも、恨まれる以上に現実をぶち当てられるということを燐は覚悟しなければならなかったのだと、つい最近になって思うようになった。誰かの言葉や経験が、細波のように足下をなめるだけでは自分の内側にまでなかなか到達しない、いつだってびっしょりと波をひっかぶってそこで思い知らされるのだ、燐の場合は。
「すぐ行くよ」
 雪男は目顔で燐に立ち去らないよう訴えてから改めて、すみません、本当に僕は知らないし、兄たちと約束があるので、とソフトに詫びを入れ、大仕掛けの罠から脱出する手品師みたいにするりとこちらにやって来た。
「…なんか甘い匂いがすんだけど、旨そうだな。貰ってみんなで食っていいのか?」
 弟を取り囲んでいためいめいがぽかーんと燐を見ている。その中で雪男だけがその手があったか、という顔をしていた。
 
 
「朴さんとか出雲ちゃんとかも作ってはったなァ」
「しえみさんと教室で食べていたのって…」
 弁当を広げながらやはり話題は実習のメニューだ。クラスで子猫丸や志摩、勝呂も心優しきクラスメートに分けて貰っている。聞けばケーキにプディングから羊羹まで作るものは班で好きに決められるらしい、要するに種類の違う砂糖を使って二品を作ればいいのだ。
「『ブラウニーとメレンゲ』」
 卵焼きを口に放りながら燐が言う。
 雪男と燐も分けて貰っていた。ブラウニーは端が焦げていたけど、そこが香ばしかったし、イチゴのチップを混ぜ込んだメレンゲは甘酸っぱくて口の中にいれるとほろりとけてなくなる食感がよかった。聞けばわらび餅を作った班というもあったらしい、兄はそこに食いつく、混じってみたかったなあ…という呟きも雪男にははっきりと聞こえた。
「マフィンとクッキーが多いみたいですけど…」
 雪男は紙袋に入りきれないほどの菓子を見てふう、とやるせなく溜息を吐く。燐のつるの一声で誰かが用意していた紙袋には“手製の食後のおやつ”が詰められ、笑顔と共に渡された。兄たちに配ることで減り、また誰が作ったかも分からないものを適当に選ぶのだから相手にとっても恨みっこなしということになるだろう、作られたものは好意の塊と思って、そこに悪意はないはずだ。
「……」
 だけど雪男は気は進まなかった。生憎というか、贅沢なことなのだろうけど、自分には燐という偏ってはいるが凄腕の料理人がいる。お陰で舌も肥えてしまっているのだ。勉強ではあり得ない集中力と手際の良さで兄さんなら飴細工の城も作れるんじゃないかと、半ば本気で思っているくらいだ。美味いにしろ食べ慣れた菓子あたりだと兄さんと違うんだなとか、まず思ってしまいそうで、それもどうかと我ながら考えるので、手はいっそう控えがちになる。
「先生、どれにします?」
「あ。じゃあ、何か小さいのを…」
 子猫丸が取り出したのは、小さい二つのマフィンだ、マーブル模様のものとブルーベリーの粒が見えるのとがある。受け取ってあんまり甘くないといいなあと持て余し気味に思っていると、志摩の声が飛んできた。
「奥村くん、そのタッパは何や?」
 燐に向けての問いだった。そしてその答えはあっさりしている。昨日スーパーにあって食べたくなったから作った。
「抹茶ババロアあんこ付き」
「どこの嫁なんやお前…」
 勝呂に低い声で突っ込まれて、嫁じゃねえよ、お兄ちゃんだ、と燐はとぼけたことを返す。容れ物の蓋を開けると大きくはない深い緑の賽子が並んではあんこと生クリームがぽっちりと添えてあって、老舗の店で出す気の利いた茶菓子といったようにも見えた。
「ををを!」上品やなー。
「ちゃんと冷やしておいたんやね、奥村君、そないなとこ忠実なんなあ」
「……」
 いまさらつべこべ言うつもりはないが、雪男とてこちらへの進路変更はやっぱり惜しかったのかもと思わずにいられない。ていうか、その抹茶はどこから。
「ええなあ、奥村くん。一家に一人いて欲しいわ…」
「ドラ●もんか」
 志摩のしみじみとした言葉に燐は軽く流すように笑う。まんざらでもなさそうだ、伸びそうな鼻をへし折るように眼鏡を押し上げつつ刺しておく。
「料理だけですよ」
「るせえぞ、メガネ」
 燐はどこに用意していたのか黒文字で勝呂たちにババロアを切り渡してから、雪男の目の前にほら、と容れ物を差し出す。
「ちょっと苦いから丁度いいだろ?」
「…まだ食べてるよ」
 口の中がぱさぱさした、マフィンの味はあるようでなかった。だってそれは、燐でなく雪男が食べたいと思っていたものだ。祓魔師になりたての頃、獅郎神父と食べたものだった。父さんはひょいと店に入ってお前に酒が飲めたらなと、と目の前で笑っていた、任務を目の前に大したことをしたものだ。いいのかと緊張していたけど、ほろ苦いのと甘いののバランスがいいのにびっくりして無我夢中で食べた。半月ほど前、二人で食材を買いに行ったとき、緑色のそれがデリケースにあって懐かしく見ていたのを兄は覚えていたらしい。
「先生(せんせ)、こんな美味いの、いらんのですか?」
「え?」
 視線に顔を上げると志摩が目を合わせてにこりとどこか挑戦的な笑みを作る。もう食べてしまったらしい。
「じゃあ僕がもろてもええですか?」これ。
 彼の指し示す先が菓子というより、それを持っている人物に見えた。
「あ…」
 口が開く、と、同時に気配が迫り、ふっと影が落ちて手にしていた物体が消えた。
「うん、うめーなコレ」
「ちょっ、兄さん」僕の食べかけ!
「うわあ…」
 志摩が半笑いの体で呻く。
「…奥村くん、よぉ食べはるねえ…」
「袋の中身、殆ど奥村兄が食ってるんやで、遠慮しろや」
 断る、と言いたかったけど、口の中はマフィンのせいで乾いてて、取り出すことは出来なかった。だけど、言葉は飲み込んだけど、マフィンの代わりとばかりに突き出された兄作の小さな思い出の欠片に、笑顔を作ることは出来た。とてもうまく。
 
 

110819
なおと