ナイトメア

 金の斧で、雪男が神様だったら、とか、燐が神様で雪男が樵だったら、とかを色々考えていたらこんなことになってしまいました。四コマ漫画みたいなオチを狙っていたのに。修行が足りませんね…。
 今の斧ってどうなってるんだろう?材質や重さは?などと色々調べたら、それ以降見るサイト見るサイト、アフィリエイトの広告に斧が出まくります。そんなところ律儀に覚えんでくれ、と思う今日この頃です。
 
 

【PDF版】ナイトメア

 
 
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 うあ、と大きな欠伸を洩らしながら、燐が眠そうな目で湯気の立つご飯と味噌汁の朝食に向かう。髪の毛はあちこちが跳ねて酷いことになっている。毎朝のことだが、酷い寝起きの頭と寝ぼけ眼で、よくぞここまで立派な朝ごはんが作れると思う。京都遠征の時に、宿として滞在していた旅館『虎屋』の厨房でコツを叩き込まれてきた惣菜も並んでいる。手を切ったりしないのだろうか、とそちらの方が疑問だ。
「今日はまた一段と眠そうだね」
 きゅうりの浅漬けをぱりぱりと噛む。
「あー…。変な夢見てよ」
「夢?」
 おー。答えたというより、嘆息したような燐はそのまま、半分目を閉じたような顔でむっつりと魚の身を口に運ぶ。幾ら待っても続きが出てこない。雪男はその姿を見ながら、その内話すだろうと朝ごはんを平らげるのに戻る。水菜と油揚げのおひたしは出汁加減が絶妙だ。アジの干物もふっくら柔らかく焼き上がっている。
 変な夢ねぇ。
 料理は出来るのに、夢の話は出来ないという理屈が判らない。料理などからっきしの雪男からしてみれば、逆の方が何ぼか楽だと思う。それよりもこれだけの質の高いご飯を作っておきながら、まだ目の醒めない姿に呆れつつもそこがイイ、と思わず邪な考えを持ってしまうのは身内びいきのし過ぎというものだろうか。
「あのな、池に斧を落としたんだ」
 暫く沈黙が続いた後で、唐突にぼそりと呟く。雪男はいきなりイソップ物語かと心の中で思わずツッコんだ。
「そしたらさ。出雲が出てきてさ」
「神木さんが?」
 うん、と頷いた。
「『斧を落とすなんて、一体ナニ考えてるワケ?幾ら池だからってこんな重量、相当の勢いで落ちてくるんだから!ちょっとは気をつけてよね!で、アンタが落としたのは金の斧?それとも銀の斧?』って聞くんだよな」
 急な展開に頭がついていかない。だが、何となく麿眉毛の少女の様子が想像できた。
「で?兄さんはどうしたの?」
 シラス入りの卵焼きを口に放りこむ。
「普通の斧だっつったら、返してくれた上に、金と銀の二本ともくれてさ。『別に特別扱いとかじゃないから。正直に答えた人には三本とも渡すことになってるの!それだけだから!』って怒鳴って消えた」
 なんで怒られんだ?とぶつぶつ呟いて、燐は白いご飯を口いっぱいに頬張った。それを見ながら、雪男自身が今朝見た夢を思い返す。状況は燐と全く同じで、出てきた女神は杜山しえみだった。
「正直な若者よ、金と銀の斧も授けよう」
 真っ赤になりながらぎこちなく言う彼女の後ろで、燐が『ナイ色気を振り撒きまくれ』と失礼なことを言いながら囃し立てていた。
 妙な一致だといぶかしみながら、起きてから折角なら兄さんが神様だったら良かったのに、と思ったのを思い出して軽く自己嫌悪に陥った。傍らで何も知らない燐が、ご飯粒を口もとにつけたまま、無遠慮に大きな欠伸を洩らした。
 
 
 燐は目の前に現れた光景に言葉を失っていた。うすねずみ色の貫頭衣に、素足にサンダルのような履物を引っ掛けた彼は、なんだか股間がスースーすると頭の隅でちらりとそんなことを思いながら池の畔に佇んでいた。水底から現れた眩しく輝く人影をあんぐりと口を開けて見上げる。
「兄さん…。ずっと思ってたんだけど、池に斧を落とすってのはやっぱりどうかと思うんだよね。こういう伐採斧って大体一キロ半から二キロくらいあるワケだし」
 雪男は素肌に腰から肩に掛けてずるりと布を巻いただけの姿で、目も眩むような光を全身から放っている。格好がおかしすぎていつもの弟らしい喋り方とちぐはぐだ。ってか、俺だってしらねーよ、と思う。俺も気がついたら、斧を落とした後だったワケだし。
「まぁ、そう言ってもしょうがない。兄さんが落としたのはこの金の斧?それとも銀の斧?」
 メガネを一つ押し上げながら、雪男は手の中でピカピカ光っている斧を見せる。
「…フツーのヤツ…」
 燐が落としたのは、木製の長い柄がヒトの背骨のようにわずかにS字に湾曲した、大きな伐採斧だ。面白いことに、そう答えた途端に彼の手に柄を握ったときの馴染んだ感じ、振り上げたときの重さ、木に打ち込んだときの衝撃が甦った。薪割りなどした覚えもないのに、不思議なものだ。
「僕もこんなこと馬鹿馬鹿しいと思うけど、一応お約束らしいから」
 雪男が金、銀、そして普通の斧を手渡してくる。ずしり、と思わず腕が下がってしまうほどの重みだった。驚いた燐はその場で足を踏ん張った。
「ちなみに金や銀の加工技術はまだ大したことないから、正直、金と銀の斧で切ってみようとかしない方が良いよ」
 雪男が唐突に喋りだす。普通正直だと褒めて斧を渡した後、消えるもんじゃないのか?燐は何を言い出すのか、と思わず弟を見上げた。
「てか、切れねーのかよ?これくれるイミあんのか?」
 燐が思わずいらねー、とつっ返そうとする。
「これなら正味二キロはある。今なら金ならキロ単位で四千円、銀の方なら二千円位だね」
「売れんのか?」
「イソップ寓話だって、多分売れよってイミであげたんだと思うよ?精錬技術も今から見ればいい加減だから、質もそんなでもないしね。だから昔ほど一財産て具合にはいかないと思うけど」
 雪男はしょうがない、と肩を竦めて溜め息を一つ吐いた。
「兄さんのその斧もせいぜいが鉄を鍛えたぐらいだろ?せめて炭素鋼にしなよ」
 ペラペラと喋り始めたと思ったら、何をワケの判らないことを言っているのか。タンソコーってなんだ?そんなことを思いながらはっと気がつくと、雪男も燐も普段の制服姿になっている。
「あれ?いきなりなんだ?」
 混乱したまま、辺りを見回す。
「っていうか、今時伐採斧を使うんだったら、電動のチェーンソーを使った方が簡単だと思うよ」
 金の斧の話ってこんな話だっけ?と首を傾げながら、燐は「おう…」と返した。
「折角だから、僕が一緒に見立ててあげる。さ、行こうか」
「お…、おい。お前、ここ離れて良いのかよ?」
 雪男の行動に慌てた燐が、弟と池を交互に見る。
「ああ、良いよ。どうせもうイマドキ斧を落とすヤツなんて居ないでしょ」
 俺は落としたけどな、と怒っていいのかどうしていいのか判らない頭で考える。雪男はお構いなしにべらべらと喋り続けている。
「まぁ本来は池じゃなくて川らしいし。その池の神様が持って出てくるんじゃなくて、通りがかりの神様が潜って斧拾ってくれるとか言う話みたいだよ」
 雪男が肩に回した手に促されるままに歩き出しながら、なんだか不安になって弟の顔を見た。
 ふ、と微笑んだ雪男の顔が、息が掛かりそうなほどに近付いて…。
 
 うわっ、と声を上げて雪男が跳ね起きた。扇風機の羽が回る音と、それが送り出してくるわずかに涼しい風が感じられた。
「うっせーな…」
 文句の言葉と一緒に、ぼすん、と枕が顔に直撃する。起こされた兄が腹立ち紛れに投げつけてきたのだろう。
「…いたいな…」
 見えているのかどうか判らないが、それにしてはいやに正確に投げたものだ。
「あんだよ…、さっきからスゲー寝言言ってたぞ…」
 薄ぼんやりと月明かりや街灯の光が差し込む以外寮の部屋は暗い。辛うじて物の配置がわかる程度だ。その反対側から、眠れやしねー、と眠気の混じった不機嫌な声がする。
「…ごめん…。変な夢見た」
 また金の斧だ。今度は自分が斧を渡す側でありながら、同時に兄でもあった。
 もぞり、と足元の濃い闇が動いた。ぎょっとして気配を感じる方を見やると、きょろ、と暗闇に丸いものが二つ光った。目だ。何かがいる、と認識した途端に、ぞわっと悪寒と恐怖が足元から一瞬にして這い上がってきた。体中の毛穴が一気に開いたような気がする。祓魔師として相当数の任務をこなしてきたはずなのに、一言も口が聞けなかった。ぱくぱくと動く口から、吐き出される空気ばかりが小さな音を立てた。
「んー…?」
 兄の寝言交じりの欠伸が聞こえた。燐が反応しないと言うことは、そんなに強い悪魔ではないのかも知れない。いや、寝てしまっているから反応しないだけのような気がする。
「おや、目が覚めてしまいましたか?」
 部屋の窓際に人影が立った。窓から入ってくる光を背にして立っているから普通は誰だか判然としないはずだが、この人だけはシルエットだけで丸判りだ。変な夢を見せられたのはコイツのせいか、と怒りがこみ上げる。
「フェレス卿…」
 雪男は唸るような低い声で、正十字騎士團の名誉騎士《キャンサー》を務める悪魔、メフィスト・フェレスの名を憎々しげに呼んだ。
「なかなか屈折した願望をお持ちのようですな☆奥村先生」
 くすくすと笑いながら、ぱちんと指を鳴らした。その音に呼ばれたのか、雪男の足元にうずくまっていた何かが、ぴょんと飛び跳ねてメフィストの肩に飛び乗った。影ばかりだがその姿は子鬼のように見えた。
「それは…なんなんです」
「悪夢《ナイトメア》ですよ。寝ている人に恐ろしい夢を見せる、ね」
「何が目的なんです?」
「目的?はて。何のことでしょう?」
 言を弄するメフィストの顔は、真っ暗で表情が読めない。だが、人の悪い笑みを浮かべているだろうと言うことは容易に想像がついた。メフィストくらい強い悪魔だったら燐が反応して良い筈だが、目を覚ましている様子はない。メフィストに何か術でも掛けられたのかも知れない。それとも、僕が夢を見ているのだろうか。
「悪夢とはなんでしょうねぇ?恐怖を起こさせる夢とは?」
 真っ黒な人影が、ショーの始まりを知らせるピエロのように、大仰に両手を広げて見せる。
「それは貴方が認めたくないと思っていることかも知れませんねぇ」
 くすくすと嬉しそうに笑う悪魔の言葉にむかっ腹が立って、雪男はそうっと枕元に忍ばせてある祓魔用の銃を探った。
「おっと。冷静な奥村先生にしては物騒ですねぇ」
 メフィストが身体の横に上げた手の先に引っかかっているのは、雪男が探していた銃だ。
「返せ!」
「おやおや、怖い、怖い」
 ふふ、と真っ暗な顔がおかしそうに笑って、銃を机の上に無造作に放り出す。机に当たった金属の塊が、ごとん、とやけに大きく響いた。
「恐ろしい夢とは、貴方が真に望んでいることを見せる夢のことなのかも知れませんねぇ」
 コイツ…、じゃない。この人のこういう持って回った言い方が大嫌いだ、と思う。何もかも判った上で、間抜けにも自分のことも判らない愚かな人間がおろおろと右往左往するのを、高みから見て喜んでいるのだ。
「老婆心ながら、たまには素直になることも大事だと思うのですよ」
 良い夢を、と言い残してメフィストが掻き消えるように居なくなった。メフィストが立っていた雪男の机の辺りには、何の痕跡も残っていない。寝ぼけて夜陰に幻を見たような気がした。
「僕が本当に望んでいることだって?余計なお世話だ」
 むっとして呟いた頭を乱暴にぐしゃぐしゃと撫でられた。
「うわ…っ!にいさん…?」
 いつの間にか傍に来ていた燐が、腹をぼりぼりと掻いて大きな欠伸をする。その間も雪男の頭を撫で続ける。
「寝ろ、寝ろ。怖い夢見たんなら、にーちゃんが一緒に寝てやっから」
 ぽすぽすと頭を叩くと、燐が詰めろ、と足で蹴りながら寝床に上がりこんでくる。
「ちょ…。子供じゃないんだから…」
 別に怖い夢じゃないし、と反論するが、足を引っ張られて起き上がった身体が布団に倒された。そのまま、ばしばしと肩口を叩かれる。
「怖くねぇ、怖くねぇ」
 眠気の混ざった口調で、燐が呟く。
「あやしてるつもりかよ」
 痛いと抗議しようと思ったが、止めた。隣にある身体が燃えるように熱い。その熱が自分にも伝わってきそうだ。
 夏だってのに。暑いんだよ。
 と言うか、僕が正直になったら大変じゃないか。いや、充分に正直だと思うけど。兄が好きだという気持ちに嘘は吐いてない。ただ、自制してるだけだ。
 その自制が外れた僕を見た兄がどう思うか。それを知るのが怖い。そう言うことだ。
「…考えこんでっと、アレが来て、また変な夢見るぞ」
 雪男の気持ちも知らないで、燐が兄貴風を吹かしてふふん、と笑う。こういう所無意識だから困る。
「あれってなに?」
「えーと。なんだっけ。ば…、バク?」
 ごろん、と雪男の方に身体を向けた燐が目を閉じたまま手探りに顔を探って、優しく前髪を撫でる。少し汗をかいて湿っているけれど、力強い手に撫でられるとなんだか安心できる。この手を掴んで、押さえつけたら怯えてしまうだろうか。その前に殴られる方がありそうだ。
 くそ。意識しすぎだ。
 焦るつもりもないし、大事なことだからゆっくり丁寧に進めたい。だけど、何かあったら堰が切れたように、荒々しい何かが暴れだしそうでもある。
 これもメフィストの見せた『悪夢』のせいだろうか?
「獏は悪夢を食べる方でしょ」
「そーだっけ?なら余計いーだろ」
 何が良いんだか。
 一つ溜め息を吐く。隣にゴロンと寝転がった燐は、雪男の頬に触れたままこの暑さにも関わらず既に寝息を立てていた。
「先に寝ちゃうのかよ…」
 燐の顔にかかる髪を撫で付けながら、素直になれなんてホント余計なお世話だ、と呟いた。
 
 

–end
せんり