黒バス_17

 
 
*赤黒です。
*拍手にありましたものです(現テキストは黒バス17・18・19)。
*単なるバレンタインくらいに思いついたネタが何がどうしてこうなった…。
*そんなで三回まで続くつもり。
 
 

【PDF版】<<※作製は未定です>>

  
  
 
<お願い>
※記載内の無断転載、無断コピー、データ転用、改変、再配布等はご遠慮下さい、お願いします。
  
———++———++———++———++———++———++———++———++———++———++———++———
  
  
 
 
 
 
Ascension-02
  
 
  
 二月十四日をなんてことない日として過ごしたいと思う男子諸君は多いはずだ。
「何コレ、すげぇ」
「てか水戸部がすげえ」
「え、先輩の手作りなんスか?」
 練習を終えた部員全員がブラウニー、クッキーの詰め込まれた箱に群がる。焦げたり、やや形のよろしくないハートは運動後の栄養補給にもってこいだ、水戸部が無言で頷くのを小金井がむしゃむしゃとやりながら言うには妹のチャレンジに付き合って失敗作ではあるが、ということだった。誰もが水戸部妹嬢の幸運を祈り、その相手を半分呪うというジレンマに黙した。乙女心も複雑だが、男児だってガラスのハートを抱えたりもするものなのだ、高校にもなると。言わないけれど。
「火神食い過ぎ」
「アメリカでよく食ったんスよ、コレ。何か懐かしいっつーか」
「だから詰めるな、手を止めろ」リスか。
「や、バレンタインていいっすね」
 もしゃもしゃと口を動かしながらも不用意な言葉を吐き出す火神に室内が瞬時凍り付く。数秒の沈黙を経て主将である日向が眼鏡を上げながら厳かに言った。
「ほう…火神は非モテじゃなかったのか…」
「裏切り者がいる…」
 ユダだ、と糾弾じみた発言まで出てくる。
「もはやディ○だぞ」
「それあからさまな敵だろ」
「火神くん滅んでください」
 菓子をもぎ取られて一斉砲撃に怯むものの、火神は首をぶんぶんと振った。
「ちょっ、ま、待てって! 女子ばっかだけで引くけど、チョコいっぱい売ってるし、日本のはどれも旨いから売れ残りとか買っておくとアレックスが機嫌よくなるんだよ!」
「やる方なのかよ」
「それはそれで勇者だな」
「まあ、送るなら男は花とかだし、女もチョコレートをっていう感覚は独特っす」
 確かに、と一応ワールドワイドな意見に聴衆は納得はするが、どこか複雑な感情は否めず、唯一、彼女がいるという輝かしいポジションの土田はコメントは一切なしのまま無言で部室から出ていった。
「女子マネとかいたら貰えたよなー」
 そしてバスケ部唯一の女子からはチョコレート味のプロテインだった。公平に配られ、ありがたい筋トレメニューも追加、しかしお返しは『優勝』の一言というのが男前すぎて一方で泣け、バスケ部の面々は女々しい自分を恥じたりもした。
「そういや中学んときさ」
 小金井が思い出すように言う。
「学校にチョコ持ってくんの禁止だったんだけど、つなぎ役みたいなの頼まれたことあったんだよね」あれはおもしろかったよ、と腕を組んだ。
「つなぎが?」
 黒子達は首を傾げる。伊月が手を打った。
「つなぎで思いを繋ぐときたか」
「きてない」こねえ。
 日向はブラウニーを咀嚼しながらも突っ返す。
「禁止されても持ってくるじゃん。昼休みにちょっと騒ぎになってさ、伝言ゲームみたいにチョコレートがパスされるんだわ。これ、あいつに渡してって。オレ、階段歩いてたんだけど、上から落ちてきてびっくりしたわ。知らない先輩が頼むって、ずっと持ってるとヤバいからってあれ誰が考えたか知らないけど、持ってると気付いた先生に没収されるから回した。結局、先生と追っ掛けあって校内回ったと思う。三年のクラスで拍手が起こったもん、届いたみたいで」
「没収されなかったんですか?」
「うん。反抗心? なんかみんな共犯者みたいな感じになったし」確か生徒会の子だった。
 小金井はけろりと返して、クッキーを口に放る。
「……」
 そんなつなぎのような役割をさせられそうになったことが黒子にもある。中二の冬だ、忘れがたい。ポケットの内側の振動に開けば絶妙なタイミングで黄瀬から食べきれないから一緒にとのおすそわけのメールが届いており、そっと溜息を吐いた。
 中学で在籍したバスケ部は、よくもてた。
 いや、三軍まである大所帯が遍くモテましたというのでは嘘になり、仲間の尊厳にも関わることでもあろうので部でも校内で有名な人間に限る者としておく。
「くたばれ、ですよ」
 今だって滲み出る。
 
 
 オレからの気持ちっす、と爽やかな笑顔で広げられたチョコレートは途端にその相手の印象を急降下させる。
「黄瀬君、いますぐそこの車道に出てはねられるつもりとかないですか」
「え、なんで?」
 部活帰り、個人では重たいだろうからみんなで食べてとか言われてそれを真に受けて差し出したこの行為に何の非がという顔そのものが罪深い。
「おー。さつきよりマシだな」
 と遠慮も何もなく青峰は口に入れもぐもぐしている。彼が今日に限って居るところがすでに黒子には何とも言えない。
「青峰君…」
「ていうか、なんで青峰っちまで居るんスか」
「居ちゃ悪ィかよ」
 黄瀬は別にいいっスけど、とよくもないような顔で応えてから黒子に向き直る。
「ほらほら、黒子っち」
 自身も摘みながら小箱を差し出し無邪気であるからして、憚られ、小遣いと相談しながらセレクトされたこれに彼への想いは限りなく軽いとも思えず、なんとも言えない切なさに黙らざるを得なくなる。彼はそれなりに気を遣って応えられないからと一度は断るらしいから強くは責められない。
 バレンタインでは乙女達は嘘を吐く。
 じっくり観察をし続けていて気付いたことだけど、彼女たちは仲の良い友にすら本音を隠している。黒子はそれに気付いて驚いたし、正直なところ、呆然ともした。
「おいしいですね…」
 味なんかしない。
「ちゃんとチョコの味すんのな」
 感心したように青峰が応じ、幼なじみの愚痴になった。貰えるだけいいではないかと黄瀬は返す、本気じゃないだろと青峰は冷たくあしらい、問題は食ったあとだ、と息を吐いた。
「テツも気を付けろよ」
「え?」
「あいつから貰ったろ?」
 ぞんざいな呼称は桃井さつきのことを指している。彼が幼なじみの少女をいうときは素直さというものが剥がれ落ち、どこかむっとしたような顔つきになってしまうのを黒子は知っている。
「マネージャーのみんなからじゃないですか」
「赤司っちの功績だって虹村先輩が言ってたっスね」
 黒子は桃井から小さな包みが手渡されていた。そもそも早い者勝ちで箱の中から持っていけというように小粒のチョコレートが朝練時、体育館の隅に置かれたらしいが、瞬殺だったそうな。スタメンなのか全員なのかも詳しいことは知らないが昨年、赤司が生真面目にもきっちり彼女たちに礼を添えて返したことで今年もそうなってしまったらしい。黒子は一年時のバレンタインなど覚えてもいないのだが、小袋の中のチョコレートは認めてもらえた証明のようでもあり、義理でも嬉しかった。噛み合わなくなってくる歯車の軋りが胸の空洞に響くぶん、小さな慰めになる。
「赤司君が…」
 しかし、それとこれとは話は別だ。
 片手に乗るほどの小さな包みぶん、いまも手にその重さが蘇ってくる。
「余計なことを」
 思わず漏れ出た本音にびくっと黄瀬が肩を聳やかし、青峰も思わずという風に視線を向ける。
 誰が言ったのか、赤司へはおろか黄瀬達の窓口は黒子、という噂がまことしやかに流れたらしく今日の黒子は地味に大変だった。通常ならば誰彼に声を掛けられることなんてないのにどうしたのだろうと思っていたところにチョコを届けに来てくれた桃井が教えてくれたのだ。確かに、黒子ならば女子同士よりも丸く収まるところもあるだろう、だが敢えて聖戦ともいうべき戦いに首を突っ込むつもりもない、頼みやすいのが敗因と己を呪いもしながら全力で校内を逃げ回ったのは言うまでもないが、そんな桃井が刺客を放って来ようとは思わなかった。
「……」
 三人の隙間を寒風が吹き抜ける。
 彼のクラスの座席を確認し、気付かれないよう短い休み時間を利用してそっと見える位置に忍ばせておく。黒子の午後のミッション完了までの時間は生きた心地もしなかった、部活で渡しても良かったが他人の想いを放課後まで持っていたくなかった、移動教室でチャンスを狙ってそれとなく確認して、ついでにクラスの時間割も見ておいてなるべく赤司に離席を願ったものだ、幸いにも常に忙しい身の上は毎度呼び出されてくれていた。
 黒子は鞄を持ち直すと二人に背を向ける。
「じゃあ、また明日」
 結局押し切られてしまった赤司へのチョコレートを届けたときのあの恥ずかしさと来たら。
 
 
 ちょっとした屈辱感は未だ消えていない。
「……」
 赤が勝った頭髪が埋没してしまいそうな自分の姿を認めたと思うと縦横を無造作に歩く通行人を避けて真っ直ぐにやってくる。
「テツヤ」
 本を閉じて相手を見た。そういえば、自分一人でいるぶんには構わないけれど彼はそれなりに目立つのだった。黄瀬のような華やかさとは違う質の、一秒で人目を引くという所作に佇まい、それと向き合った人間を緊張させるのがとにかく上手い。本人としてはどうにか改善したいと思っているらしいけれどギャグを笑わない彼に軽快な話術とユーモアセンスを磨くつもりなど毛ほどもないのも確かだった。自分に厳しいが故に喜劇王から人生を学ぶとか言いかねない。
「遅くなって済まない」
「いいえ」
 こっちこそわざわざお疲れ様ですと言いたい。京都で生活している彼は距離などものともせず、隣の町に寄るような感覚でやって来た。休みなのでこちらは私服だが相手は制服姿である、午前中のうちに用を済ませて来たに違いない。嬉しいというよりも感嘆符と信じられないという思いの方が勝った。
「ほんとに来ましたね」
「当然だろう、周囲に警戒網くらい張るさ」
 造作もないという顔だ、続く台詞が彼の口からとはとても思えなくて黒子はあんぐりする。
「…あの?」
「まさか段ボールの本が絶版だとは思わなかったな」
 手にぶら下げた小さな紙袋を差し出してくる、受け取って見れば黒子が探していた文庫本とラッピングされた箱が入っていた。ふわあと笑みが浮かび、そして一気に下がる。
「赤司君、その…」
 ぎしりと体内でぎこちない音がする。
 確かに彼は今度会うときに本を持ってくるとは言っていた。けれどもオプションまでも付いてくるとは思わない、そもそも二週間ほど前に電話で話したとき、意味がないとばかりに彼にはばっさりと断られていた。
「贅沢は言わない、ココアかホットチョコレートで手を打つが?」
「過ぎてます、かなり過ぎててもう二月どころか冬も終わりそうですよ」
 なのにこれはなんだ? 欲しいなら欲しいと言ってくれれば用意したのに。礼代わりにだが。
「それでも寒いじゃないか」お前が。
「……」
 軽く両手を広げ、全く寒そうでもないのに宣うのが色々と腹立たしい。ちらりと駅の南北を貫く通路にあるコーヒーショップを見遣り、行列が切れそうもないのを確かめて赤司を見た。
「あの、そもそもお互いに送りつけ合うのは寂しい者同士を慰め合うみたいで虚しいというかシュール過ぎるって…」言ったのは誰あろう、赤司に他ならない。
「そうだな」
 と、体温を確かめるみたいに相手の指の節が頬骨やら襟元に当たる。とぼけるでもなく、だからどうしたと至って平然としているのだからタチが悪い。
「公園と」
 黒子はそっと赤司の手から逃れつつ言う。
「移動して桃井さんオススメの店舗に行くのとどちらがいいですか…」
 前者の方がリーズナブルで、待ち時間はない。それでは彼の行動に見合わないような気がするが、とはいえ見合いそうな後者だって行ったはいいが三十分以上待ちというリスクはある。双方とも財布の中身とも折り合いが付くし(幸い)、メリットとデメリットの天秤が釣り合うとは思う、黒子が提示しうる選択肢としては二択だ。窺うよう相手を見る、彼の目にはまるで迷いがない。
「テツヤと一緒なら」
「赤司君…」
 自慢の決断力はどうした。
「消えてなくなってしまうものじゃ意味がないんだ」
 だからできるだけ長く、とだけ赤司は言った。そこは強調するのか、と思ったけれど何も言わないことにした。自分だって彼と会うのは楽しみだったのだから。
「確かに時間は無駄に出来ませんが」
 けれど、黒子としては話が聞ければ十分なのだが、彼はそれでいいのだろうか。自分の誕生日に集まってバスケをしたときに読みたいと思った本が実は絶版になっていたと話したら赤司が作家を覚えていて、後日、メールをくれた。本との巡り合わせはそれこそ一期一会だ、黒子は一度図書館で会っているのだが予約する前に廃本処分にされていて、悔やんでいた。聞けば貸し出された先で墨汁漬けになってしまったそうだ。ちなみに文学賞を受賞したというのに世間的な知名度は低く、しかも寡作、所蔵されている図書館も殆どないことに寧ろ検索を手伝ってくれた司書の方が絶句していた。それを赤司は何とはなしに通った神社の古書市で勧められるでもなく手にしたという。何たる幸運、そういうことにしておいている。
———これでいいなら。
 良いに決まっている。けれども、彼は用法を間違ったのではないか、これでいいのだろう、と。すぐさま気付いたけれど黒子は何も言わなかった。
「…赤司君」
 だから、紙袋を見詰めながら口にする。
「折角なのでくだらないことしませんか?」
「……」
 婉曲的ではあるが、とりあえず本については黒子だけがはしゃいだ状態にあって、赤司にしてみればそれこそ隣の家の飼い猫失踪騒動くらいには無意味に近いことだ、感謝しているが誘い方も微妙になる。
「あ、もちろん、ホットチョコレートは了解です」
「読みたいだろう?」
 頷いたら最後、赤司はホットチョコレートだけですぐに京都に戻りそうだ。いくらなんでもそれは悪い、首を横に振った。そんなつもりはないのだがどうも誤解されたようだ。本は読みたい、そりゃめくりたいが、しかし。
「手の中にあればもう活字は待ってくれますから」
 というか、自分が意中の本以外は友も目に入れないなど、そこまで冷血に思われているとは心外だ。困ってしまうし、そこまで本好きというわけでもない。読みたい本に出会えたということに黒子は嬉しがっているのであり、赤司の厚意に報いたいと思っている。
「キミの方が大事です。少し待っていて下さい」
 紙袋を押しつけ、赤司の求めるホットチョコレートを購入することにする。空席はないだろうが、テイクアウトなら待ち時間は少なくて済むはずだ。カウンター内のスタッフを増やしたのか、思うよりも早く購入することが出来た。
「飲みながら散歩しましょう」
 人待ちでもやはり目立つ相手はふっと口角を緩め、敵わないなと呟いた。
「え?」
「有限な時間をくだらないことに使うなんて提案はお前くらいだよ」
「そういえば贅沢ですね…」
 自分で言っておいて改めて思った。普段は学業か、殆どはバスケの練習、食事時間や移動、睡眠時間もあるけれど日常はそれで占められている。黒子は練習がキツければ移動中は寝ているし、休み時間を削って試合の動画を見ている。読書はそのほんの隙間の時間に挟み込まれ、その話題でもっと忙しいだろう赤司の時間を消化しようとしている。
「うん、すごく贅沢だ」
 それでも赤司は満足げだった。
 
 
 乾いた風は冷たい水面を撫でていく。
「有り難いが気持ちだけ」
「鐚銭一枚ほどもこもっていないので遠慮なく」
 口角を引き上げ、精一杯の愛想を浮かべてみせる。
 これはこれで修業じみているな、と赤司は黒子を正視してから生真面目な顔で差し出された箱を見直した。
「そもそもチョコレートを飲んで且つ、食べるとは遭難時でもしないだろう」
「冷静に言わないでくれますか」
 黒子が散策に選んだ場所は東京湾に張り出して整地された区域なので、風といえば潮の臭いが混じる。信号を跨げば掘り割りのようになっていて何の引き込み河川なのだろうと思ってしまうが、浚渫船が水面に漂っていた。道幅は広く、倉庫と覚しき建物が建ち並び、高層マンションもある、車道も広く、公園や学校らしき施設もある。どこか遠近感が狂ってしまうような風景だった。河川沿いにあった遊歩道で足を止めることにした。
 水面に光をきらきらと弾けさせているような日差しはないけれど、日の当たっている乾いたベンチに座る。黙って菓子の箱を開け、ぐいぐいと押し遣る。赤司とは比べものにはならないが、おもたせというのも軽んじているようで悪い気がして、コンビニで黒子もチョコレート菓子を買った。張り合うわけでもないけれど、この機会にと思い立ったからだ。赤司は苦い薬でもあるかのように所望したホットチョコレートを一口ずつゆっくりと飲んでおり、無表情に箱の中身を見てはついと視線を正面に戻したりした。ちなみに黒子の飲み物はもうない。とうに空になり、ゴミ箱に入っている。バニラシェイクが得意なのだからホットチョコレートの甘さごとき油脂控えめでとお願いしたいくらいでそんなのは苦にもならない。
「キミの買った物を食べないのだから、ボクが買ったのを食べて貰うしかありません」
「それで公平性を保とうとするのがお前だよ…」
「わざわざ持ってきてくれるキミに言われたくはないです」
 口調がやや厳しくなっているのは認める、二月になると嫌でも思い出していたのだ、忘れようとしてもそうは問屋が卸さないとばかりにメーカーの広告やショコラティエの名は出てくるし、甘い匂いは漂ってくる。二年前に黒子が出来なかったこと、それを今ここでやってそれで取り残されている気持ちを潔く昇華させたい。
「オレは単にお前が冷たいのが嫌なだけだったんだから」
 言い訳みたいに言う、思わず菓子の箱を落としそうになり、まじまじと赤司を見た。
「風が通り抜ける場所で、ずっと立ったまま体温が奪われるよりも電車の到着を気にしていたり、本の内容に夢中だったりで」
「……」
「お前の髪が冷たくなって、手袋もせずに手の先なんか感覚があるのかと思えてくる」
 片手に少しずつ減るホットチョコレートを持ち、赤司は空いた方の手を伸ばして黒子の髪をひと房ほど掬う。
「そういうのがオレは嫌だ」
 髪質でも確かめるみたいに弄る。胃の辺りがきゅっと締まる。なんだか壊れ物みたいに触れて、撫でるものだから顔を上げられなかった。どうしよう、隠し事を言ってしまおうか。
「赤司君」
「チョコレートは血糖を上げてはくれるけれど、溶けたら終わりだ。お前の体温を下げずに消えないものなんて誰かでしかないじゃないか」
「…はあ」
 虚を衝かれたというか何というか。どうしたって拗ねているような発言だ、誰かって誰ですかと思うけれど、赤司のことなのででっち上げるのに暇がないほどだろう。なるほど、と漸く腑に落ちた。あっさりと要らないと彼が言っておいて本のついでのようにしてくんだり持ってやってきた理由が。
「赤司君て」
「うん」
「意地っ張りな方でしたね」そういえば。
 相手の手が離れる気配。黒子は俯いたまま箱の中に収められた菓子を取った。個別に包装されているクッキーで、間にチョコレートが挟まっている。封を切り、相手に突き出す。
「消えたっていいじゃないですか、残らなければ繰り返せばいいんです」
「……」
 赤司は何の感慨も見せずにこちらを見詰め返す。自分から頼んだとはいえぬるくなっているホットチョコレートをまるで押し込むみたいに胃の中に入れて、贅沢ともいえる無駄に付き合い、慣れないことのオンパレードで表情筋はこれまで以上に凝り固まり、近寄りがたさを補強させている。
「ボクは何度だって言いますよ」
 割って半分を食べた。
「ちゃんと好きだって」
 要らないのかというように残った半分を振ってみせると赤司は受け取り、そのまま動かなくなる。驚いたような顔でもなければ、よくよく吟味しているという風でもない。クッキーはほろ苦く甘さも控えめなショコラクッキーで、挟まれたチョコレートは味よりも柑橘類であることを主張する匂いが強かった。値段相応といえば相応で、むしろカカオさが足りないくらいで丁度良い。おもちゃみたいな味です、と教えても頬はぴくりとも動かない。
「紫原くんが好きそうな、という意味です」
「…すき?」
 諳んじるよう平坦に繰り返す。間近に相手を見た。
「……」
 二年前、彼の机に置き去りにした。
 頼まれた彼女の思いを身代わりにして、赤司に対する感謝と、綯い交ぜになったどうして自分がという複雑な気持ちを置いて逃げ出した。関わりたくなかったのだ、彼には。
 小さくベンチが軋る音がして、微動だにしない赤司の顔から離れた。呻くように相手はえ、と呟く。口元を手で押さえ、呆然とする。勿体ないことに半分のクッキーは落ちていた、それどころではないらしい、取り乱すという言葉と動作がまるで一致しない彼には珍しくよくわかる反応だった。
「ちょっと飲み物買ってきます」
 あの頃はただ単に彼が解らなくなっていて、より距離感を覚えるからと思っていたのだが、違う感情の萌芽によるところもあったかもしれないと今なら言える。
 さて、とりあえず居たたまれないので立ち上がろう。
「っ!」
 腕を掴まれた。すかさず取り逃がさないのは流石とも言えるが、戻るのが早すぎる。
「あ、赤…」
 顔を俯かせてはいるものの、離すものかと手の力強さが物語っている、痛いくらいだ。
「……」
「…どういう風に言ってくれるんだ?」
 是非聞きたい、と赤司はくぐもった声で続ける。
「黒子」
「それは、時と場合によります」
「文庫本もチョコも、限りなく安いよ」
 乾いた風が減らないホットチョコレートから熱を奪っていく。多くを得ることの出来る彼がその広い選択肢の中から選んだものは、言い返せば厳選されたもので、絶対だとか強気以上の自信に満ち溢れた発言の数々からして妥協点なんか与えそうもなく、あ、しまったと思うと同時に後悔した。羞恥が脳内どころか体内を駆け巡っている。そっと見た相手の目は据わっているというか、真剣そのものだ。
「……」
「オレだってこれがいいんだ」
 小さく笑う。僅かに弛んだかと思えるくらいの表情にどきりとしてしまう。
 本当に、ずっと欲しかったんだから、と赤司は黒子を引き寄せると白状ともつかない催促の仕方をする。丁寧に区切り、耳元に、囁くように。
 
 
 
 
 

なおと 150316

 
 
 
 

**************************

 
 
 

ひと月遅れの二月に舞い上がる話でした。
…なんでこれで終わらせなかったのか過去の自分に問いたいです。
でも普通には終わらないような気がしてしまうので、この二人だと。