奥村さんちの家族法廷2(後編)

 
 拍手に載せていたものを移してきました。
 既に載せた前編からの続きです。

 
 
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奥村さんちの家族法廷2(後編)

 
 
 
 前編はこちら
 
 
 
 
 雪男が派手な物音がした階を目指して階段を駆け下りたとき、廊下に燐がぬぼっと立っているのが見えた。
「兄さん!」
 照らしながら呼ぶ。脳裏には候補生《エクスワイア》認定時の合宿が浮かび上がっていた。再現されて、屍番犬《ナベリウス》の唸りや、人の憎しみのうえに流された血と兄の異常なほどの回復力を目の当たりにした。決定的に違う状況はあれど燐は降魔剣を持っていない、これは大きい。怪我は。敵は。卓上にあった小型のライトなので光度もないし、可視域にも限界がある。
「兄さん、クロ、どいて!」
 燐は背を向けて立っており、見遣れば巨大化したクロもいる。
「おー」
 動かずにどこか困り果てているように応える。しかも手にしているのはポットではなく、飛行機の模型だ。さらにクロの足下に蠢く小さい影がある。悪魔だろうか、うごうごともがき、粘液を飛ばさないかなど注意しながら雪男は近づいた。
「心配ねーから、ぴりぴりすんなよ」
 燐は空の手を振る。何故に背中で分かる。
「…?」
 巨大化はしているけどクロはまんまじゃれて捕まえた何かを押さえつけているようにしか見えない。そして燐の落ち着きっぷりは寧ろこっちが取り乱しているようで、悪魔も魍魎がふらりと通過するのみだった。いつもと変わらない平穏さが漂っている。
「…ラジコン?」
 やっぱりそうだ、何が一体どうなっている?
「なんで兄さんそんなの持ってるのさ」
「クロが」
 と、燐は顎で得意顔のクロを示すと下を見る。つられて雪男も視線と懐中電灯の光を下方に落とした。
「あ」
 見たところ少年だ、銃口の位置を変えずにいると燐の手が邪魔をする。
「…外に落ちてたんだと。犯人お前?」
「きみのなの?」
 つい、燐に追従する。
 飛ばしに来て、忘れていったのだろうか。元前庭だった辺りは花壇はともかく往時ほどの手入れはされていない、けれども傾斜面の多い街では公園も限りがあるだろう、背後にやや廃墟という場所でも飛ばしたくはなるかも知れない。
「ぼくのじゃないよ!」
 おや、勇ましい。
 ぶるぶると震える声だけどはっきりと聞こえた。
「べっ、べんごしをよべよ!」
 べんごしィ?と燐は後ろ上がりの口調で繰り返し、両手を腰に当てる。少年の怯えを完全に悟り、優位性を覚えたのだろう。拘束することに飽いたかクロが、くわあと欠伸をした。少年はその動きにびくっとなったが、それでも強気だった。
「ふとうたいほだぞ、離せよ!」
「生意気な奴だな」
「ていうか、兄さんよりよっぽど言葉知ってると思う」ドラマかな。
 すかさずごすっと脇腹に裏手が入る、暗いものだからつい近距離に寄りすぎた。
「きぇっ、聞けよ!」
 いま、なんか噛んだよね。
「さいばんをようきゅうする!」
 もう破れかぶれです、とも見えなくもなかったけど雪男は感心してしまう。
「おっと」
 聖水を取り出す、どこから忍び込んだのか知らないが、子供は未発達だから絶えず代謝が繰り返されているとはいえ、瘴気には弱い。クロに離してもらい、聖水を軽く振った。離せとか弁護士だとかガタガタしながらも元気に喚いたのだから逃げ出すかもと思ったが、動けないのか、動かないのか、少年は身を縮まらせて聖水を浴びる。どこから潜り込んだのかは知らないけど、その抜け穴かを見付けて後で塞いでおこう。クリーニングに次いでやるべきこととして脳内に書き足しておく。フェレス卿に報告するのは…これから決める。
「とりあえず、親御さんか警察に連絡しないとね」
 ポケットから携帯電話を取り出す、燐はしゃがみ込んで押さえつけられていた姿勢のままの少年を見詰め、首の辺りを引っ張り上げる。
「けいさつ…?」
 少年の顔色は青ざめ、いまさら事の大きさに気付いたようなものになる。
「善良で優しい大人は、思慮も慈悲だってあるぞ」
 燐が恐らくマンガで仕入れただろう単語を用いて尤もらしく頷いた、単に悦に入っているんだろう。どうしてすぐ調子に乗ってこうなっちゃうんだかな、もう。ふふははと尖った犬歯を披露しながら踏ん反り返って笑う。少年は首根っこを引っ張られたまま不安そうに燐を見上げ、居住まいを正すと、正座して揃えた膝に悄然と視線を落とした。
「迷子ということにしておくよ、保護したって團の方に通知する」
 燐に向けて言うと、それでいいのかという顔をされた。本人としては悪戯っ子を捕まえて灸を据えるつもりなんだろうけど、聞きたいことはあるのだ。寧ろ易々と引き渡すつもりはない。
「ご両親が心配してるだろうから、まずは教えるんだよ。それから裁判」
「『裁判』?」
 二人は声を揃え、お互いの顔を見た。
 
 
「あー、では、裁判を開廷します」
 締まらないなあ、と口にしながらも燐は思う。裁判というのは偉そうな裁判官の席が上座にあって、それに向かい合うようにして被告席、右に弁護士、左に検事、そんなドラマのあの形しか知らない。三人と一匹の車座になってやるとは思わなかった。そもそも誰が弁護で誰が裁判官なんだ。しかも雪男は椅子に座ってパソコンの画面を見ながらだ、一番エラソウじゃねーかヲイ。
―――なあ、りん。このヒコーキ、こいつの?
 クロが訊く。胡座を掻いてその向かいに正座している少年Aは燐の淹れたミルクティーに手も付けずにいる。捕らえられたことに承服しかねる、という態度にも見えず、クロに押し倒されて腰は抜けたようだが、…まあ猫又の巨大化にびびってそれが今更に恥ずかしくて気まずいんだろう。
「おい、雪男。かちゃかちゃしてねーでなんとか言えよ、お前検事だろ?」
 勝手に役割を振ってみる。調べているんだかなんだか、雪男はああ、と生返事をしてかたかたと画面を見詰めていた。
「好きにやってて」
「……」おい。
 少年はぶるりと身体を揺らす。
「しょんべんか?」
 ぶるぶると頭を横に振る、燐は腕を組んで息を吐いた。
 雪男がさくさくと團へ少年を保護したと連絡して、どこかで出されているかも知れない捜索願一つ分は回避できたわけだが、燐達はこの後、裁判をやって、少年を家まで送り届けることになっている。即座に親元に突っ返さないようにしたのは雪男の手腕だろう、どうしたって口から出任せの『裁判』請求を飲んだのか燐にも不思議だった。それに問い質すかと思いきや、ほったらかしでパソコンに夢中で燐は雪男が何を考えているのかまるで分からない。
「じゃあ、被告、少年A」
「少年Aじゃない」
「つーか、読めねえし。何だっていいよ」
「『南風野方《はいのがた》』」
 絶対に日本にその親族しかいないだろうと思える名字だ。しかも、目の前に雪男が書いた紙にあるその先の名前も燐には読めない。いちいち正そうとするなんて、恐がりなのに強がりでもある被告人だ。
「このラジコン飛行機、お前の?」
 少年は、真ん中に置かれたラジコンの機体に顔を近づける。余りにも不自然な動きだったので思わず燐は足を突いてみた。
「いたっ!」
 びくんと足を突っ張らせ、ごとりと横に倒れる。驚いてクロがぴょこんと跳ね上がる。ああ、やっぱり痺れたのか。思わず噴き出した。
「止めなよ、兄さん」
「……」
 ラジコンを握り締め、疼痛に耐えていた少年は燐を軽く睨むと、改めてじいっとラジコンを見る。こんな風に改造なんか出来ない、とやがてぶすくれたように言った。
「改造?」
「平気? 足崩していいから」
 雪男はちっとも気遣わない声で少年に話しかけた。お前、ほんとどうでもいいみたいに言うなよ。
「このラジコン、やっぱり改造されてるんだ」
 少年は雪男の呟きに起き上がると、こくりと頷いた。なんだかもう少年Aの中でランク付けは決定しているように思われてならない。くっそ、偉そうに椅子に座って文明の利器を駆使したりするからってメガネが。
「画像検索したら、エンジンのあたりが違うみたいだし、種類とか探したんだけど、やっぱり重心を変えたりするのに調整したんだよね?」
「うん。あとプロペラのとこもおかしい」
「それはきっとぶつかったからだ」
「……?」
 燐には分からない、同じように分からないクロと顔を見合わせる。どうもこのラジコンは、改造されていて、プロペラも変になっちゃっているらしい。少年Aの持ち物かどうかなんて雪男にはどうでもいいようだ。つーか、訊くのそれ? どうしてここに侵入したかじゃないのか?
「これ、チャンネル3だから三つまで機体ふやせる。足そうと思えばできるよ」
「ふやす?」
 雪男と燐の声が重なった。雪男もラジコンヘリについてせっせと情報を収集していたのだろうが、細かくは読み切れていないらしい。
「いっこのコントローラーで三機そうじゅうできるの!」四機のもある!
「へー…」
 少年は大人なのにそんなことも知らないのかという顔をする。お前の常識をこっちに当てはめるな、小僧。
「詳しいのな…」
 より少年の所有物である可能性が濃くなってきた、けれども忘れてはいない、『こんな改造なんか出来ない』と言ったのだ。何がどう改造されているだか燐には違いも分からないけど、これは少年Aが知っている種類のもので、けれども彼のものではない。それくらいは理解できた。
 雪男はパソコンの画面をしばらく睨んでからメガネをくいと持ち上げる。
「この複数の操縦とか、流行ってるの?」
「よく知らないけど、ラジコン好きなひとはあつまったりしてるみたいだし、そうじゅうが上手い人はネットに動画流して、大会とかもあるってきいたことある」
 少年は調子が戻ったか、溌剌と応える。ラジコンヘリは得意分野みたいで、悪びれのまるでないところなんか、やっぱりこの改造ヘリの持ち主ではないのだなと思えた。
「…そう」
 雪男は言ったきり、黙り込む。
「お前、なんでそんなの知ってんだ? 持ってんのか?」
 焦れてクロが遊んで良いのかと訊いてくる。燐はまだ、と答えてから少年を見た。
「伯父さんがやってるから。ライセンスもあるし、会とか入ってるって言ってた。プレゼントにも貰ったよ。ナノファルコン、操縦むつかしくてぜんっぜん動かせないけど」
「ナノファルコン?」
 雪男が思いついたように声を上げ、相手の返事も聞かずかたかたとキーボードを叩き始めた。
「雀くらいの大きさ?」
「うん、小型だから。へやでも飛ばせるんだ。安定しにくいんだけど」
「これでカメラ搭載して空撮とか出来るんだ…」
 ヒットしたようだ、燐は上半身を傾けて画面を覗き込む。ナノなんとかだか知らないけれど、ちらと見た限り大小で二つ、上空にホバリングする機体が仲良く揃って見えた。実際の大きさは定かではないが、飛行しているさまは玩具らしからぬ風格で、それこそ人間が乗るヘリみたいだった。
「こういったものって操縦が上手くて、飛行空間さえ確保できたら」
 そこまで雪男が言って、燐は思い出す、昼休みのあれだ。どんな形だったかはっきりとは覚えていないが、工学系の誰かが飛ばしたものが迷い込んだだけかと思ったけれど、こんなところに落ちていたり、人を驚かせたりするようなのはとてもうっかりと言えない。
「ちょうさようとかいろいろ作ってるんだって」
「なるほど」
 画面を見ながら頷いている。何か閃いているんだか、口にしているだけなんだか見当がつかない。
「試しに飛ばしてるってことか?」
 雪男に燐は問い掛けた。相手は無表情にかもしれない、とだけ答え、少年を見た。
「君のじゃないなら、このラジコンはこっちが預かるけど…」
「リモコンは?」
「え?」
「ぼく、改造しないならこのやつ、そうじゅう出来るよ」
 被告人はそう誇らしげに言って輝かしい顔を披露した。だからラジコンヘリの話じゃないんだって。
 
 
 なんだよそれ、と、一人が言った。
 変な名字だと散々からかっただけじゃなく、ぼくを意気地なしあつかいしたやつらだ。結局、あのお化け屋敷には誰一人来なかったのが分かっているので、度胸はぼくが一番ということになって、言葉はともかく、態度はちょっと引けている。
「手紙」
 夜にうちを抜け出してお化け屋敷で迷子になったことについては親だけじゃなくておばあちゃんにも叱られたけど(一週間のおやつ抜きとおばあちゃんは次のおこづかいがなしだ)、弟はぼくをうらやましがって、まあお兄ちゃんらしくおやつも半分もらえるな、と思っている。
「手紙なんかなんで持ってきてるんだよ」
「けさ、学校来るときにとどいたから」
 ウソだ。本当は昨日の夕方に、ポストに入っていた。あんまり読みたくないからランドセルの中に入れっぱなしだったのだ。
「……」
 なんど見てもていねいに、この時間にきてほしいと書いてある。お化け屋敷はとんでもないお菓子の家だった、いや、おやつじゃなくて、ご飯か。
 お化け屋敷だと思っていた建物は、正十字騎士團のひとが持っている寮で、人と猫が住んでいた。ふるくて住んでいる人が少ないからメッフィーランドのゴーストマンションよりも本物らしかったのだけど、週末、お母さんとで謝りに行ったらご飯をご馳走された。ランドにある像と同じひとがいるのにびっくりしたけど、おとなの話というやつをおかあさんとその人とメガネのお兄さんがしていて、ぼくは猫とで一緒に燐が作ったとびきりにおいしいワッフルを食べていた。燐は、エビの殻を剥きながらぼくの度胸のないクラスメートの話を聞いて笑い、ぼくの勇気を讃えた。
 ぼくは満足した。入り込んだことはきちんと謝ったし、おとことしての度胸があるってことも認められたから。
 だからもうそれで終わりかと思っていた。
 おりたたんだびんせんを封筒に入れる。燐に話しちゃったから、メガネのお兄さんは『お化け屋敷より』なんて宛名のところに書いてくれている。それをめざとく見られてか、斜め後ろからか細い声で聞いてくる。
「お前、お化けに取り憑かれたのか?」
 ひやかされるのはやだったけど正直に答えることにした。
「お化けなんかよりもっとめんどうだよ」
 元はと言えばおまえらのせいだからな、と言いたかったけど、燐の特製オムライスはおかあさんもびっくりしたほどおいしいから、のみ込んだ。かわりに振り向いて、ずらりと並んだ三人をそれぞれ見て、溜め息を吐いた。
「な、なんだよ」
 びくりとして、怖じけたように返ってくる。
「なんでもないよ」
 ランドセルを背負う。おとこの約束なんだから行かなきゃ。
 あのラジコンが飛ばせると思ったのに、裁判は長い。言わなきゃ良かった、あんなこと。
 
 
 
 
--2014/07/01 掲載