天国より野蛮 wilder than heaven

 原作の京都後くらいのつもりで作ってみました。が、京都編の展開でドリームになる率も高いと思われます。一応、認定試験に向けて修業とお勉強の毎日ってとこで、時期も二学期くらい?
 剣が抜けなくなって抜けたら今度は扱いにまたあわあわするっていうので燐にはまだまだ頑張りたまへと、雪男の可哀想度が自分の中で急上昇中のネタ(恐らくアニメの影響)だったのでこんなんになったのかも知れません。
 タイトルは考えつかなくて歌から(年がバレる)。売野さんの歌詞は好きです、これ何かのテーマソングとかだったんだっけ?
 

【PDF版】天国より野蛮 wilder than heaven

 
 
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 真っ暗な道に進もうとする雪男の後ろ姿が見えたから、燐はそれを追った。追ったけど雪男とは引き離されるばかりで、暗すぎて雪男がどこにいるのかも分からなくなった。
 どうしたんだよ、待てよと言った、雪男と何度も呼んだ、だけど何の返事もなく、いい加減にしろと怒鳴ったところで眼を灼くような青い光が辺りを満たして、眩しくて何も見えなくなる。腕で影を作り、そろりと目を開ければ足下に雪男が俯せに倒れていた。
「雪男!」
 血まみれで、ぴくりとも動かない。だって胸に穴が開いている、どす黒い血と、剥き出しの骨と、…どうして自分は生暖かい内臓など持っているのだ?
「…う、うわあああああっ!」
 制することも出来ず、青い炎が己から噴き出した。と、足下の雪男が消え、断末魔の叫びを上げて手の中の悪魔が消滅する。これは違うと胸の内でかちりと歯車が動き出し、あるべき世界を思い出したかのようにぴたりと炎も消え、静けさと暗さだけが辺りを支配する。
「……っは」
 大きく息を吐いた。暗がりに安心してしまう、我を忘れるところだった。カッとなるのは一瞬だが鎮まるには集中力が必要だった、どうにか扱えるようにはなったが、自分の気の持ちよう一つで炎は自由気ままにその舌をつっと出し、その加減を知らない。まだ燐は振り回される飼い主のようにうがあとやっているのだ。誰がいるでもないのに負け惜しみのようになんだよ、ここはと呟いてしまう。つうっと鈍い光をまとって魍魎が通っていく。
「?」
 燐は首を傾げて歩き出した。
 いつの間にか肌に風が感じられる。
「おや」
 特徴的な形をした人影が動いた。見れば、足下が違っている。鉄筋のそれこそ高見の塔のように聳える一画におり、まるで眼下の世界を睥睨できるような、見たことのあるような下界の形に眉根が寄った。
「修業の成果ですかね、ここまで来れるようになりましたか」
 いつもの芝居がかっている様子でもなく、落ち着いて静かながらも声には軽薄な残酷さが同居している。
「しかし剣がありませんねェ…。今日も剣から峰打ちを喰らったそうじゃないですか、アナタ自身の重さをまだよく理解していないようだ」
 と、眼下を眺めながらメフィスト・フェレスはゆったりと続ける。
「道のりは遠いですよ」
「…っ」
 言い返そうとしても悔しいことにその通りなので言い返せずに俯く、引っかけた剣は落ちたのではなく舞い上がって己の肩に峰を当てた、柄を握る手の力を緩めたつもりはなかったが、びっくりしたのは確かでオマエ何考えてんだとシュラにどやされた。
「つけこまれないように。アナタにもここは危険です」
 どこだ、なんだよこれ、と燐は口にしようとしたが言葉がどうしてか出てこず、お前のせいかと責めるように見てしまう。相手は燐の心を読んだかのように振り返り、違いますよ、心外ですねえ、と謳うように嘯く。
「中てられたのでしょう、すぐに声も出ます」
「……」
 ここはどこなんだよ、と念じるように思ってみる、気持ち悪いことだが通じているらしい、メフィストはうーん、と首を捻るようにしてから言う。
「ここ? そうですね、潜在的な虚とでも」
「センザイテキナ、ウロ」
 反芻する。声が出た、かさついているけど話せてほっとする。
「いってみれば人間達の抱える毒やストレスが溜まる場所です」ほら濁って、魍魎たちがひしめいているようでしょう?
 こうもり傘で示した先は闇に沈んだ正十字町だ、そうだろうと燐はそこからの光や輪郭からして信じていたのだが、改めてみると違っているらしい。輪郭こそはそっくりだが黒く生きもののように歪んでは陽炎のようにぼやけたりしている。
「物質界では夢と現実の狭間、とも言い換えられますね」
「虚無界じゃねえのか?」
「物質界ですよ。奥村先生も、塾の皆さんや、祓魔師たちも、誰もが等しくいるところだ。我々悪魔は何も出来ません。漂泊するか、眺めるだけです」
 燐は相手を胡散臭く見てから、眼下を見下ろす。
「…雪男が、こんなとこに…」
 湿った風が巻き上がるように吹いている。ふわりふらりと魍魎が解れた糸のように飛んでは消えた。
「彼だってひとではないのですか」
 そう、雪男は人間。だけど。
「当たり前に妬み、嫉み、怨みを抱え、思い通りにならない日々に肝を砕いては」
 自分の、弟だ。
「あいつ、…すぐキレるし、鬼だし、雪男に限ってそんなことあるわけねえ」
 燐が覚醒したとしても変わらない、変えられない事実だ。
「…神経を、すり減らしているのではないでしょうか」
「………」
 ぐっと詰まる。
 意味ありげに向ける粘っこいような視線が不快だ。
「何が言いてんだよ?」
 なにも。言葉通りですよ、とメフィストは言い、くるりと傘を回した。この世の清濁すべてを取り混ぜたような濁った闇にファンシーな色が弧を描くさまは不気味に見える。
「ひとつ、空にする方法を提示しましょう」
「カラ?」
 空にするというのは何かで埋まっている(だろう)容れ物などから何かを取り出すなりしてなくすことだ、じゅうぶんなスペースを作ることでもある。そんなことよりどうしたら戻るんだよ、と続けたが無視される。
「君は悪魔です」
「……」
「容れ物だけは人間で髪の色も、爪の形も髪質も奥村先生とそっくりだ」
 思わず頷く。何をどう言おうが誤魔化されるものかと頭では訝りつつも固唾を呑んで続きを待ってしまう。
「ですが、中身はどうでしょう。流れる血も、そこに活動するあらゆる臓器もすべて物質界の仮のものです、心臓は剣にある」
「違う」
 即座に返した、違う。
「違わない。青い炎という魔王の絶対的な力がある」
「違う、俺は…人じゃねえけど…っ!」
「奥村先生と同じ皮を被っただけの悪魔です、彼とは違う」
 相手の淡々とした物言いは冷ややかに抉るように耳朶に響く。そんなこと分かりきっている、敢えて無視しているけど自分の身体だ、覚醒して変わってしまったことなど、身に染みて。
「雪男は、俺の、弟だ」
 響いて、揺らす。
「俺の…」
 誰ですか、と雪男が言った。振り返れば燐の後ろに立っている。
「雪男?」なんでこんなとこに? いつの間に? 
「えっと…?」
 燐が俺だと言ったところで首を傾げる。初めて見る他人にするようなよそよそしい、戸惑いを含んだような顔で燐を見返す。
「はじめまして」僕の方は。
 ぎこちなく手を差し出す。
「奥村です」
―――オマエハダレダ。
 そう言われた気がした。
 
 
 深夜二時、寝入り端をクロに起こされた。
 雪男は消したばかりの読書灯を点け、眼鏡を手に兄の方を向く。兄は寝台部分の簾(のような目隠し)を下ろさないので(雪男も滅多に下ろさないが、巻いた部分にいくぶんかの埃が溜まるほどじゃない)、べったりとした濃い影として横たわる姿が見えた。
「?」
 クロに導かれるままに起き上がって覗き込む、いつもの口を開けた太平お気楽な寝顔でも半目でもない。ただ寝っ転がって目を閉じているだけのように見えた。
「…兄さん?」
 苦しげに歪んだ顔からオレノ、という声が漏れた、片目からつうっと涙がこぼれ落ちる。
「え?」寝言?
 『オレノ』ってなんだ、どんな夢だ? 飯とか玩具とかそういうやつか? 昔の頃の。
「……きお…」
 目が開く、とはいえ、半分は寝ている状態だろう。
「クロが爪出して起こすから何かと思った、どうしたのさ?」
「……」
 燐は涙を拭いもせず、のろりと額に手を持ち上げてから雪男を見た。どうも身体的な苦痛ではないようだ、ほっとすると同時にちょっと呆れた。
「…まったく」
 と、反応の薄い兄に溜息を吐くとちらと部屋を見回す。目当ての小箱はなくて、なくなったら新しいの買って置いてよ、と文句を言いながら寝間着の裾と親指とで兄の目元を拭ってやる。
「どうしたのさ」
 起こされたのだから聞く権利はある、ついでに鼻を抓ってやった。いや、軽く弾くというか。嫌がって払うはずだ、少なくとも雪男の考えられる反応はそうで、そのはずだった。
「…ゆきおとおれは一緒に生まれたんだよな」
 あれ、と思う。燐は雪男の手を掴むと上半身を起こし、ぼそりと問う。思いがけないことに数拍ほど間が空いてしまった。
「兄さんの方がちょっとは早いだろ」
「同じだよな」
 どきっとする。目はいつになく真剣で、被せるように言われ、怯みそうになる。その語気は強くて、却って子どもに戻ったかのようにも思えた。
「二卵性だから違うよ」
 そんな兄を見返してから雪男は小さく首を振る。
「違わない、兄弟なんだから」
 頑なに、自分の内側にある何かを守るように。
「…兄さん?」
 ぼたぼたと滴を落とす目は違わないって言え、とまるで懇願するかのようだ。
「………」
 寝ぼけているのだろうか。とはいえ悩ましいほどにタフな兄なのにこれは重傷だ、おかしい。
「クロが起こすわけだね、何が…」
 見ればクロは燐の横に座って気遣うようにじいっと見詰めている。何があったのか分かるように言ってよ、という言葉は言いかけて飲み込んだ。なんとなく出さない方がいいような気がした、兄のペースに従う方が気持ちも早く落ち着いてくれるだろう。
「…っ…」
 父がよくやってくれたようにまず、頭を撫でた。慰めるとも諭すときも褒めるときも、頭を撫でながら目を合わせ、それから、いいか、とゆっくり口を開いた。父と同じようにしてから聞き出せばいい、聞き出せればいいと思う。
「俺は、外側だけがお前の兄貴なのか? 違ぇだろ」
「兄さん…」
 膝をつく、いつもの脳天気なまでのポジティブさを吹き払う何かが視えたのだろうか。ちらりと剣を見たが沈黙しているし、燐から青い炎が浮き上がることもない。静寂に響くのは兄の鼻を啜る音だけだ。
「…弟だろ」鼻水も涙も一緒だ、決壊している。
 高校生にもなってこれは流石に狼狽える、肩を叩けばいいのか、どうしたら止めてくれるのか。頬に手を出しかけて止めた。
「…っ、う…」
 もともと感動屋の兄なのだ、気を落ち着かせる方法くらい知っているだろう。これはもう待つしかない、仕方ないからベッドの縁に腰掛ける。
「それ掛け布団だから」兄さん。
 掛け布団で鼻をかみそうになるところをすんでのところで止める、燐は暫く動きを止めてから自分のシャツではなく、雪男のシャツに手を伸ばしてきた。
「う」
 タオル一枚でも持っていればこんなことにはならなかっただろうに。払えないあたり甘いよなあとたくし上げられた裾を敢えて引かれるままにする。
「……」
 握り締めている雪男のシャツに顔を埋める兄は十も幼くなったように見えた。身体は十五、中身は十、怒ることも泣くことも力一杯だったあの頃、雪男は基本詠唱を覚えたところで上手く口に出せないことに焦りを感じ、父親の前で何度か泣いた。
「…俺は、誰かを押しのけて、生まれたのか? 違うよな?」
 そんわけない。
「――っ」
 もういい。燐を抱きしめる。この時期に雪が降ろうが鰯だか鯖が降ろうが認めるしかない、燐は相当グラついていて、脆くなっている。抱きしめることももちろんこれも父親直伝の慰め方で、雪男はこれでよく励まされたりしたものだ。恥ずかしくなってはいったけど自慢の息子だと言われるよりも嬉しかった。
「なに言ってるのさ」
 言いながらも鋭いなあと実は感心していたのだけど。
「悪い夢でも見た? なにがこわいの? 僕が兄さんを否定するとでも?」
 燐は黙ってされるがまま雪男の腕の中に収まり、そうして開放されてもなお忘我といった状態で、変わったことと言えば涙を止めたくらいだった。
「しえみも、勝呂…とかは、仲間で友達だ」
「うん」
「雪男は、弟だ」
「そうだよ。そうだけど…」どういう括りなのそれ。雪男には兄の言葉にびっちり引いた確かな境界線が見える。教える立場にあるからだろうか。
「中が全然違ったら、もう、別のものだ」
「は?」
「何だって出来る」
「ん?」
 その理屈が皆目分からない。ていうか何が出来るって言うんだ。
「別だったらストレスがいっこでも消えるんだろ?」
「いや、それは…どうかな?」
 兄がいろいろなことを自覚して改めた行動をとってくれればそれで、雪男の心労はかなり軽減されるし、燐自身も周囲の軟化を促して最強の祓魔師に近付くことが出来る(おそらく)。
「俺には嘘吐くなよ」
「吐こうにも」兄さんがもういくらか真面目にしてくれれば。
「吐かないでくれよ…」
 また泣く。手を離し、仕方なく寝間着で顔を拭ってやる(すでに燐の涙と鼻水で濡れてはいるが)。珍しいことだし、かわいげがあると思うけど、面倒くさい。
「雪男がいなくなる夢見た」
「勝手に消さないでよ」それじゃあゲームのバッドエンドだ。
 雪男は考えるように虚空を見てから、息を吐く。
「バカだな、兄さん」
「……」
 誰かに何かを言われたかしたダメージを引き摺って、苛まれて憔悴していても悪口にだけは反応する、燐はぴくりと耳だけを動かした。
「僕たちは兄弟で、同じ父さんに育てられた、それは決して変えられないことだ。兄さんの内側の、ここだけがサタンを継いでるんだ」
 ここだけが、きっと。弱く握った拳を燐の胸に押し当てた。
 燐の、静寂と闇に浮き上がる炎は残酷に美しく、魅入られそうになる。禍々しい、忌むべき青が兄の内側にある。
「そういうわけでやたらと規格外で、だけど僕より背は低い」
 燐は覚醒したら人としての成長を止めるかもしれない、と獅郎が言ったことがある。止まらなくてもゆっくりになるだろうな、考えたくねえ話だ、と。聞いたときは確かに全身が強張るような寒気がするような思いがした、悪魔と人間とのあいだに生まれたひとは他にもいる、そのひとの成長は普通の人間と変わらないとは聞いているが、テロメアの先天的な異常―――繰り返し生産される正常細胞の数には際限がないことだけが分かっている。
「何のために僕がいると思ってるの?」
「雪男…」
「絶対に守るし、僕がいるんだから兄さんが祓魔師になれないはずないんだよ」
 触りたいのを堪えて眼鏡を押し上げる。
「僕を見くびらないでね」
 
―――奥村燐の、あらゆる体液、細胞を求めています。
 
 燐を学園に入れる条件の一つがこれだった。
 あの春の日、自分たちは大きな後ろ盾を失った。燐は行き場などないも同然の状態でこの世に残され、フェレス卿に生殺与奪の権を握られた。雪男が学園の施設を借りて燐の身体測定をすることで条件を呑んだが、したくないと思っている。普通の人間ドックくらいのものならいいが、細かく調べ、保管するために唾液から精液、皮膚に頭髪、内壁の細胞、兄のあれこれを採取し、それが培養されるなんて雪男には耐えられないし、屈辱以外の何ものでもない。
 燐を寝かしつけたところでクロが呼ぶように鳴く。
「あ」
 見れば、枕の横に置いてある携帯電話がメールの着信を伝えていた。急な任務だろうか。
「クロ、頼んだよ」
 燐の足元にのぼったクロが雪男を見、了解とばかりに二本の尾が振られる。燐に関してはクロとは相性が良いとは思う、問題は食事とトイレだ。
 何とも苦いような歯痒いような気持ちを味わいながらメールを開く。理事長からで明日の朝、授業の前に理事長室に来ること、とシュラと雪男に宛てたものだった。二人に向けられていること、またこの時間帯の送信ということから察せられる、おそらく本部からの通達を見越して先んじられる燐についての指示だろう。
「……」
 こちらに背を向けて横になっている燐を振り返る、燐の身体にはもう目に見える傷は残らないのだ、本人は便利とか言うが、見ている方は決してそうは思わない。繰り返され終わらない細胞の再生は処理が追いつかないほどの膿を生む。
「中が違うから何だって出来ちゃうんだって、それ詐欺だろ…」
 画面に向かって呟く。
「あなたが兄を揺らしたのですか」
 届くはずのない、これは怨みだ。
「追い詰めて…」
 愉快を求め、享楽のためだけに物質界に留まろうとする得体知れない悪魔がいる。それはそれで悪魔らしいのかも知れないが、彼の本当の目的は何なのか。
「僕にはどうしたらいいのか分かりません」
 当たり前に応えはなく、どこかで啼く烏の声が聞こえた。
 夜はまだ明けないのに。
 
 
 

なおと