星見の井戸

 何となく、燐には不思議な友達と言うか、知り合いが居るんじゃないのかなぁ、と言うのが発想の元です。
 ちなみに、星見の井戸を覗いたことはありません。こんなんだったら良いな、と言う物凄い捏造になっています。
 

【PDF版】星見の井戸

 
 
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 奥村燐がその少年と初めて会ったのは、春も終わりのある午後だった。小糠雨の降る、少し底冷えのする日だった。休日のその日は、夕飯に少し手の込んだものを作ろうと買い物に行ったのだった。南十字マートのビニール袋をがさがさ言わせ、傘をいい加減に差していた燐の右半身は少し湿り気を帯びていた。少し緩やかな坂を下ると、目の端に奇妙なものが引っ掛かった。
 南十字マートから寮へ行き来するのに使う道から、一つ角を曲がったところだ。なんだろうと思ってそちらを見ると、一人の少年が住宅街の壁に向かってぼんやりと傘も差さずに立っていた。
なんて声掛けたっけ。
 そんなに遠い昔のことでもないのに、最初にその少年に掛けた言葉を、未だにはっきりと思い出せない。反対によく覚えているのは、変なヤツ、と思ったことだ。
 傘ねーのか? とか、お前どーしたんだ? とか、そんな辺りだと思う。もしかしたら、なんか面白いもんでもあるのか? とか言ったかも知れない。
 ただぼうっとしているのかと思ったが、近づいてみて、ひどく真剣な眼差しに気がついたからだ。
 少年の視線の先には、古びた木枠が地面から膝の辺りまで立ち上がっていた。それを守るように木の細い四本の柱と簡素な屋根が掛かっている。木枠の上にはがっちりと錠前つきの蓋が乗せられ、更にその周りにフェンスが張り巡らされて物々しかった。少年が見つめていたのは井戸で、しかもかなり古い史跡だと後で知った。井戸の傍に読めない文字が彫り付けられた石碑と、『保存委員会』とやらが立てた説明の看板が立っていたが、その時には気付きもしなかった。
 ともかく、燐の問いかけに振り向いた少年は、にっこりと笑ってこう言った。
「ホシミノイド」
 それに対する燐の答えはこうだ。
「あれ? 日本人じゃねーの?」
 何を言われたのか判らなくて、随分慌てていたらしい。少年が腹を抱えて大笑いした。
 今なら、彼が言ったのが『星見の井戸』だと、漢字も入れて完全な日本語に変換できる。だが、当初は何のことか判らずに外国から来た酔狂な観光客だと勘違いしたのだ。
 それが『マキ』と名乗る少年との出会いだった。
 
 次にマキを見かけたのは、正十字学園高等部の廊下だった。
 次の時間は移動教室で、燐は荷物を持ってぶらりと教室を出た。同じクラスには友人は一人も居なかった。すっかり慣れたもので気楽ではあるが、ほんの少しの居心地の悪さも感じる。廊下は思い思いに屯してお喋りに興じたり、行き交う生徒たちでざわついていた。バタバタと足音を立てて駆け抜ける男子生徒に、先生が「走らない!」と怒鳴った。その喧騒の向こう、窓際にマキの姿を見つけた。マキはほんの少し彫りの深い、整った顔立ちの少年だった。眉がきりりと太く、柔らかく波打つ茶色の髪と、黒い瞳。少し大人びた面長の顔で、日本人ぽくありながら、同時に日本人らしくない印象だった。
 同じ学校だったのか。
 燐は驚くと同時に嬉しくなったのを覚えている。
 そういや、何にも知らなかったな。
 マキとの思い出を辿って、初めて気がつく。最初の出会いで何となく気が合って、暫くその場で他愛もないお喋りをした。互いに名乗った他は、彼は個人的なことはほとんど話さなかった。そのことに今まで疑問を抱かなかったなんて、かなり間抜けだ。その時は初めて出会った同い年位の存在と、短時間で親しくなれたことに舞い上がっていたのかも知れない。
 二人が話していたのは、いや正確に話をしていたのはマキ一人で、話題は星見の井戸のことだった。
 それは深い井戸で、その余りの深さに、覗き込めば暗い井戸底に昼でも星が見えるほどだと言われているらしい。
「今はもう覗けないけれど、もし見られたらどんなだろう、と思って」
 楽しそうにそんな話をしていたその少年が、今は窓の外をぼんやりと眺めていた。ほんの少し、寂しそうだと思った。マキ、と声を掛けようとしたその時、燐の視界を遮るように生徒の一団が通り過ぎた。彼らが去った後には、マキの姿も消えていた。
 急いで辺りを見回したが、マキらしき少年は見当たらなかった。一瞬にして掻き消えたようで、何がなにやら判らず暫く呆然としていた。
「なに呆けとるんや、奥村」
 たまたま傍を通りかかった勝呂竜士たちに心配されたくらいだった。
 
 その次に会ったのは、学校の裏庭だ。梅雨に入ろうかと言う時期で、最初にマキに出会ってから一月ぶり、校内で見かけてから二週間ぶりだった。
いつもなら雪男と一緒に弁当を食べるのだが、任務だとかでその日は朝からどこぞに呼び出されてしまった。弁当の包みを手に一人でぶらりと人の少ない裏庭行くと、そこに彼が居た。日当たりの良い芝生に座り込んだ少年は、なにやら本を広げたまま、ぼんやりと空を見上げていた。
「マキ」
「やぁ、また会ったね」
 燐の呼びかけに、少年は柔らかい笑顔を向けてきた。
「お前メシは?」
「もう食べた」
「意外に早食いだな」
 燐は昼休みになったと同時に教室を出てきたのだ。他の生徒たちはまだ教室から出て来ていなかったから、相当に早かったはずだ。その燐よりも早く中庭に着いていて、既に昼ご飯も終わっているとなれば、相当の早食いである。感心したように燐が、スゲーな、と呟く。マキはさも可笑しかったらしく、小さく笑い声を漏らした。
「同じ学校だったとはな」
 隣に腰を下ろすと、燐は弁当を広げて食べ始める。黙っていても、居心地が良かった。変な話だ。もう随分昔から互いのことを良く知っているような心安さがあった。出会ったばかりと言っても良いくらいなのに。
「それ何の本?」
 燐が咀嚼し終えたおかずを飲み込んで、マキの膝の上で開かれたままになっている本を指差した。
「星の本」
「星座とか?」
 そう、とマキが頷いた。
「僕らが見てる星は、凄く遠くにある」
「どれくらい?」
 ふーん、と洩らした燐が尋ねる。
「まちまちだよ。そうだな、今の季節で見られる星で言うなら、スピカは約二五〇光年。北極星なら約八百光年。織姫とも呼ばれるベガは約二十六光年」
 六月と書かれたページには、濃い青の円が描かれている。その中に白い点とそれらを結ぶ薄い線が一杯書かれていて、マキの指はそのあちこちを示した。
「こうねん?」
「星の光がどれくらい掛かって地球に届くか」
「つまり?」
 距離感が全く掴めない燐に、マキが大体の距離を教えてくれたが、その距離すらも数字が大きすぎていまいちピンと来なかった。
「見えているのは昔の星の姿なんだ。本当なら今見えてる位置から大きく動いているかも知れない。もしかしたら、今見えている星の内、死んでしまってもうそこにはない星もあるかもしれない」
「星が死ぬのか」
 マキが空を見上げる。
「僕らが見てるのは、星のかつての姿だ。それは星の記憶なんじゃないかって思ったら、星が大好きになった」
「俺、星座とか全然わかんねーよ。ただ散らばってる点にしか見えねーし」
 燐が溜め息を吐くのを、少年は面白がって笑った。
 
「なぁ、星見の井戸って本当に星見えんのか?」
「いきなりどうしたの、兄さん」
 机に向かってキーボードを叩いていた雪男が、驚いた顔をして燐を見た。その本人は椅子の上で行儀悪く片膝を立てて、椅子をグラグラと揺らしている。尻尾がバランスを取るように視界の隅でゆらゆらと揺れた。
 季節は早や秋に差し掛かろうとしている。夏休みもあと少しで終わりだ。
「南十字マート行く途中に、住宅街あるだろ。あそこちょっと曲がったとこ」
 燐の説明に、ああ、と雪男が思い当たったように相槌をうった。
「見えるのか?」
「さぁ。僕も見たことがないから判らない。見えると言われるほど深い井戸だと言うことだと思うけど」
 現代のような測量技術や掘削機械がない時代に、それだけの深さの井戸をほぼ垂直に掘ると言うことは、およそ八百年前にしてはかなり高度なことだ。しかも、それが現代まで残っているということは、当時の技術力を窺い知る歴史的資料としての価値も非常に高い、素晴らしい史跡なのだと雪男が滔々と喋ったが、燐はほとんど聞いていなかった。
「見えねーのか……」
「見えたんじゃないかな」
 燐が聞いていないのに気づいた雪男が、書類を捲りながら少し投げやりに答える。
「見えるのか?」
「どっちでしょう?」
「どっちだよ! 見えたのか、見えねーのか」
 雪男の済ました顔に腹が立って、思わず文句をつける。一瞬そんな燐を睨んだが、すぐにふっと表情を和らげた。
「見えたと思いたいし、きっと見えたよ」
 燐の信じて良いのやらどうしたものやら、迷う視線を感じたのか、雪男がくすりと笑う。
「その方が夢があるでしょ」
「夢ってなぁ……」
 子供じゃねーんだから。そう呆れる燐に雪男がメガネを一つ押し上げて真面目な顔をした。
「学問のすべては夢から始まるんだ。夢があって何がいけないの」
 燐は開いたままの数学の教科書をちらりと見て、途端にげぇ、と顔を顰めた。宿題の範囲からして既に意味不明なのに。
「そんな夢なんか俺にはちっとも感じらんねーよ」
「数式のロマンが判らないかな」
 雪男が呆れた調子で、ナントカカンスウにナンチャラノテイリと呪文のような言葉を放つが、肩が震えている。くそ、アニキ馬鹿にすんな。
「う、うるせー! んなもん判ってたまるか、ヘンタイメガネ!」
 そう叫んだ途端に椅子のバランスが崩れた。あれ、と思う間に見えていた部屋が傾く。と、それまで緩やかだったのが急に殴り倒されたように視界がブレた。同時にやかましい音を立てて、椅子が床に打ちつけられる。驚きで呆然としたのも束の間、床と椅子の背に強かに打ちつけた頭と背中の痛みが次の瞬間に襲って来た。燐は余りの痛みに悶えて、床にうずくまった。
「に、兄さん…。大丈夫……?」
 雪男が笑い転げながら、燐に尋ねてくるのが、痛みと相まって腹が立つ。うるせー! と怒鳴って、燐は寮の部屋を飛び出した。クロが『りん、どこいくんだ?』と後を追いかけてきた。
 
 寮を飛び出した燐は、眺めるともなく夜空を見上げていた。風の止まった熱帯夜だ。じっとりとした湿気と暑さが身体に纏わりつくようだ。真っ暗な夜空には、ぽつりぽつりと星が見える。その間を赤い光が明滅しながら飛び去っていくのは、飛行機だろう。マキが見せてくれた星座の図よりも見える光の点は断然少なかった。
 クロは燐の隣で丸まって寝ている。
「こんなところで会うなんて奇遇だね」
 マキの声が聞こえて、燐は背中を預けていた尖塔の屋根から跳ね起きた。
「お前なんでこんな所に……」
 屋根は赤いスレートで四角錐の形に葺かれていて、傾斜の端は靴底程の幅を持たせて、モルタルの柱が出っ張っている。屋根の頂点には凝った意匠の避雷針が天に向かって伸びていた。そこに腰掛けて、屋根に寄りかかると、夜空が一面に見える。その視界の底辺にはへばりつくように正十字学園町の町並みが見えた。燐のお気に入りの場所の一つだ。難点は、燐やクロでなければ来れない場所だということだ。
 そこへ、出会ってから半年。名前と星が好きだと言うこと位しか知らない友人が、こんな夜遅くに姿を現わした。こんな所で会うはずがない、そう思っていた人物だ。燐は二の句を継げないでいる。マキは小さく笑って、燐の横に腰を下ろした。
 ここは建物で言えば四階あたりに当たる。その上、立地場所が少々特殊だ。正十字学園町のあちこちから宙へ突き出している石造りの通路がいくつもあるが、ここもその内のひとつで、今居る尖塔はその突端に建っている。だから視界の高さも実際の高さも、そんじょそこらの高層ビルよりも高い。そんな高さで足の幅よりほんの少し広いばかりの足がかりの上に立って、命綱もない状態で平然としている人は、そうそういないだろう。
 そればかりか。この尖塔には屋根に出られるような窓も、梯子もない。ここは燐ですら大きくなったクロに乗せてもらうのだ。
「お前……」
 何者だ? そうやって問いただしたかった。だが、口にしたら、全てが終わるような気がした。それに彼が何者なのか、燐にはなんとなく判ったような気がした。
 名前と好きなもの、それしか知らない間柄。友人と呼んでもいいのか判らないような付き合い。燐はそれでもマキを友達だと思っていた。相手がどう思うか判らないけれども。
「お別れに来たんだ」
 暫く黙り込んでいたマキがぼそりと呟いて、とすん、と屋根に背中を凭せ掛けた。
「そうか」
 燐もただそれだけを言った。屋根に寄りかかって、一緒に夜空を見上げる。
「……どっか行くのか」
 沈黙を挟んで燐が尋ねる。マキが小さくうん、と答えた。つう、と赤い光が点滅しながら、燐たちの視界を横切った。
「もう、ずっと行ったっきりなのか」
「どうだろう? ……うん、多分ね」
 少し迷って、そして諦めたように少年が笑った。燐の内には色々聞きたい言葉が渦巻いていた。だが、一言も口にすることが出来なかった。マキの言葉から、決定は変わらないのだと言う雰囲気を感じ取ってしまったからだ。
「お前が見せてくれたのより、星少ないぞ」
 その代わりに、震えそうな声で文句を言う。関係ないことを喋らなければ、いやだとダダをこねる子供になってしまいそうだった。マキの横顔は暫く見ないうちに、少し大人びたような気がした。
「周りが明るいからだよ。森林区域だともう少し見えると思うよ」
「星見の井戸って、本当に星見えんのか?」
 燐の問いに、マキがふっと笑う。
「見えるよ。きっと」
 少年の答えに、燐は口を噤む。一緒に見に行こう。星見の井戸も、今度見に行こう。実現しないとわかっている約束でも、しないまま別れたくはなかった。きっと困った顔をするだろう。それでも。そう決意して開いた口から出たのは、他愛もない言葉だった。
「また会えるか?」
 案の定、少年が困ったような顔をして笑った。
「……たぶん」
 ざ、と強い風が吹きつけた。体が傾ぐほどの強風で、何処かから巻き上げてきた砂ぼこりに、燐が一瞬目を覆った。再び顔を上げると、そこにマキの姿はなかった。
――覚えていられればね。
 風に紛れて辛うじて耳に届いた言葉を最後に、それ以降少年を見ることはなかった。
 
「ちょっと散歩いこーぜ」
 マキが去って二日。夏休みも残り数日だ。夕飯も終わり、風呂も入って、もう少し宿題だのを済ませたら、もう寝ようか、そんな時間帯だ。今から? と眉を顰める雪男を燐は強引に引っ張り出した。
 寮から歩いて、中腹駅から電車に乗る。夜も大分遅い時間帯で、勤め帰りの人で電車は混み合っていた。だれもが疲れた顔をして、静かな車内だった。
雪男も最初こそブツブツと文句を言っていたが、森林区域までの切符を買ったあたりから何かを察したのか、一言も喋らなかった。二人で無言のまま電車に揺られ、森林区域の最寄り駅で降りる。駅舎を出ると、燐はクロをショルダーバッグから出してやる。存外長い乗車時間に飽いていたのか、解放されたクロが喜んで茂みの中に飛び込んでいった。
 ぼんやりと辺りを照らす街灯を辿って、双子たちは言葉少なに、だだっ広い原っぱに出る。休日の昼間にはピクニック客で賑わう一帯だ。もう少し奥へ入り込むと、キャンプ場がある。この辺りは灯りがない。薄っぺらい三日月が正十字学園町のこんもりとした町並みの向こうに出ている今夜は、暗闇に包まれて薄ぼんやりとしか見えない。木の根やベンチなどがないのが有り難かった。
「この辺でいーか」
 燐がどっかりと原っぱに座り込んで、真上を見上げる。雪男もその隣に腰を落として、兄の真似をした。夜空には星空が広がっている。マキが見せてくれた本よりも少ない気がするが、それでも街中で見上げるよりも余程多い。
「こっちの方がスゲー見えるんだな」
「もっと奥へ入ったほうが綺麗だし、たくさん星が見えるよ。言ってくれれば装備持ってきたのに」
 感心したように燐が洩らすのに、雪男が小さく笑いながら答える。森林区域の奥は下級悪魔の巣だ。下級とはいえ、彼らですら祓魔道具を持っていなければどんな目に遭うか知れなかった。
「いや、いい」
 燐はごろりと寝っ転がった。雪男はどうやらそんな燐の態度に呆れたか、小さく溜め息を吐いた。
真っ暗な夜空に瞬く星を見上げていると、自分が見上げているのか、見下ろしているのか判らなくなってくる。そのまま真っ暗な闇に落ち込んでいってしまいそうな錯覚を覚えた。
 もっと早くあの少年と出会うことは出来ただろうか? 彼が何者か、聞いたら話してくれただろうか。お互いの境遇を話し合うことが出来ただろうか。そうしたら、こんな風に別れることもなかっただろうか。
 燐が答えの出ない物思いに耽っていると、雪男の手が彼の額をそっと撫でた。
「なんだよ?」
「別に」
 いつの間にか同じように寝転んだ雪男は、素っ気なくそれでも優しい口調でそう言うと、もう一回額を撫でて手を離した。
「星凄いね」
 雪男の呟きに、ああ、と言葉少なに答えながら、たくさんの星が見える夜空を見つめる。いつの間にか傍に来ていたクロが、うにゃん、と小さく鳴いて座り込んだ。
 あの星見の井戸を覗いたらこんな感じだろうか。
 いや、と打ち消す。街中で見上げる、ぽつり、ぽつりとしか星が見えない夜空の方が近いような気がした。何故だかは判らないし、正しいのかどうかも知らない。見えた星の名前すらも燐には判じることが出来ないだろう。それでも井戸の底に見える星の姿は、そちらの方が似つかわしいような気がした。
 そんなことも、もうあの少年とは話すことも出来ないのだ。
 束の間、星がぼやけて見えなくなった。

–end
せんり